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第19回
イディオット・オクロック
推薦盤「IDIOT O'CLOCK」

 アルケミーレコードの社長として、こんなことを書くのは御法度かもしれないが、アルケミーのリリース作品の中で、私自身がプライベートで、最も回数多く聞いたアルバムは「IDIOT O'CLOCK」(ARCD-005)である。2001年7月現在廃盤状態であるが、数ヶ月後には再発することが決定しているので、少しでも多くの人の耳に届けば、と思う。
 

 このバンドのリーダーであり、高山”IDIOT”謙一とは、京都のロック喫茶・どらっぐすとうあで知り合った。1978年だったと思う。彼の住まいが私の実家と近かったこともあり、どらっぐすとうあで、彼の下宿で、私の家で、いろいろな音楽を聞き、よく語り合った。私が組んだバンド「螺旋階段」に、やがて彼はボーカリストとして参加、どらっぐすとうあにテープを持参した頭士奈生樹をギタリストに加えたが、平行して私はノイズのためのユニットを頭士と結成した。そのセッション時にIDIOTもドラムスで参加し、そのノイズギターの応酬の演奏に『これじゃあ”螺旋階段”じゃなくて”非常階段”だ』と語ったのが、非常階段命名の由来である。この時のセッションのテープは、今でも私の手元にある。
 

 螺旋階段がIDIOTのバンドとしての色彩を濃くしていくのと同時に、私は音楽よりもノイズに傾倒し、そして螺旋階段を離れた。そして螺旋階段はIDIOT O'CLOCKと名前を変えて、京都の重鎮のようなバンドとして轍を残していくのである。このあたりの変遷は雑誌・ハードスタッフに詳細である。もちろん現オルグレコード/渚にての柴山くんや、頭士くんの話抜きにはIDIOT O'CLOCKは語りきれない。そして当時も今も、京都に拠点をおき続けるIDIOTこそ、いやIDIOT抜きに関西のロックなど語ってはいけないと思う。そしてIDIOTのみならず、京都に潜む仲間達は一様に寡黙だが、寡黙であるからこそ、重く、そして彼らを思うたびに、東京に住み、へらへらと表だった舞台にしゃしゃり出ている自分が恥ずかしくなる。
 

 このアルバムはIDIOTと、プロデューサーである柴山くんとの、非常に微妙なバランスを渡りきった先に完成した音源である。もちろん曲はすべて秀作、歌詞も秀作、アレンジも曲順もすべてが素晴らしい。そして当然であるが、これを発表した1990年にこの作品を理解し、評価したものは少なく、当然のように”埋もれた名盤””早すぎた傑作”となる。ため息のでるような結果だが、当時売れなかったこと自体は会社としても悔しいことであったが、反対に理解できる人間が少なかったことが、この作品の本物さを信じる根拠にもなっていた。そしてIDIOTが私と同じローランド・ビーバーのエフェクターを使っていたことも、「I PLAY MY ROCK'N'ROLL」という、わかる人にはわかる雄叫びも、その歌の哀しみも、愛も、その意味も、IDIOTのファンにだけは確実に届いていたことを信じることができるのだ。
 

 このアルバムには螺旋階段時代に、私とIDIOTが共にして演奏した曲が収録されており、その曲はまるで自分の中のなにか卒業写真を見ているような、そんな甘い想いも、私にはある。そしてそれがIDIOTが10代のころにかかれた曲であるという、そのあまりに早熟な感性と、その才能に畏敬の念をもつと共に、その完成度とその稚拙さと、甘さと重さの混濁したIDIOTの世界の中に、永遠に引き込まれるのである。繰り返し繰り返し聞いてしまう魅力は、このあたりにあるのかもしれない。このアルバムを私は100回以上は楽に聞いているが、1000回以上聞く、そんな気がする。
 

JOJO広重 2001.7.24.



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