よく知る人には『ただのHなおじさん』とまで言われたりするが、やはり伝説的バンドであるジャックスのボーカリスト・早川義夫を、ただのおじさん、と本音から
言える人は少ないのではないか。ジャックス時代のアルバムや、今回このコラムで取り上げたソロを至高の名作とする人には、90年代に復活した早川さんの新作は評価が低い。もちろん何年ものブランクがあり、過去の作品を高く評価された人が、後年発表した作品が以前のものより評価されることは、極めて稀である。新作においてもジャックス時代の名曲を今風にアレンジしたりしたのも評判を落としたのかもしれない。もちろん早川さんご本人には、そんな勝手な評判などどこふく風でいてほしいが。
男性の日本の歌作品なら、私はこの「かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう」ほどに暗い作品をほかに知らない。ここに収録された曲では"NHKに捧げる歌"をのぞいて、どの曲もどん底に重く、どん底に暗い歌ばかりである。1969年録音の作品だが、私がこのアルバムを始めて聞いたのは1973、4年だったと思う。そして当時髪を長く伸ばしていた、もちろんもてない男であった私は、このアルバムの"もてないおとこたちのうた"にうつむいてしまい、"無用ノ介"のホワイトノイズ音が、当時はまだ自殺できたガスの元栓から吹き出す音に聞こえてしかたがなかった。
さわやかで優しいオトコ。私の若い頃はそんなやつは友達の中にはいなかった気がする。どいつもこいつも、いじいじしていて、ぐちっぽくて、妬みがちで、理屈っぽくて、それでいててんで度胸がなかったのではなかったか。70年代の前半はみんなそんな感じだった。しかし70年代後半、サーファーブームやディスコの時代から、オトコは優しく、かっこよく、さわやかで、マンガの主人公のように、女の子に都合のよいオトコが一番良い、という風に転換していった気がする。80年代以降は語るまでもないだろう。だから、だらしのないオトコのうたをうたっていても、やっぱりかっこよくうたっているような連中は信じられなかった。
おそらく、早川義夫の正当な後継者は、大阪のシンガー/北嶋建也だけだろうと思っている。彼の今歌っているうたは、もしかしたらこのアルバム発表当時の早川義夫より重く、暗いかもしれない。そして彼の凄いところは、"かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう"よりも"かっこ悪いことはなんてかっこ悪いんだろう"という次元まで到達した、より深い内省の極みから歌が発生しているところだと思う。
しかし早川義夫の歌は、21世紀の今でも、我々の前に、こってりと、鈍い輝きを持ったまま、残っている。どんなに明るい日本人でも、このアルバムを笑いながら全曲聞けるヤツはいない。仮にいたとしても、そんなヤツは日本人でいる資格がない。
JOJO広重
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2001.7.31.
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