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第23回
頭脳警察
推薦盤「頭脳警察 3」

 最初にインパクトを受けたのはそのバンド名だと思う。私が中学一年生・13才になったばかりの頃、当時在籍していた演劇部のM先輩が持参していた、発売されたばかりの「頭脳警察3」のLPをたまたま目にしたのである。まずその奇っ怪なバンド名に惹かれ、歌詞を見て、驚いた。数日後、私はレコード屋に足を運び、同LPを購入していた。今にして思うと、その数年後におこるパンク・ムーブメントのようなショックを自分は受けたのではなかったろうかと思う。所謂『ふざけるんじゃねえよ』『やられる前にヤルさ』.....といった歌詞が、自分の中の何か複雑なエネルギーを引き出してきたのだ。そして「3」というからにはファースト、セカンドもあるはずで、それが発売中止、発売後回収といった経歴を持つことを知るに至るのに時間はかからなかった。
 

 私は小学生のころから小説やマンガのようなものをノートに書きためてはクラスメイトに発表する、といった作業をしていたが、たまたま「頭脳警察3」を聞いた時にも発表するあてもない小説を書いていた。それは管理された社会にとけ込めない青年が少女を連れて逃亡、犯罪の末に射殺されるという陰惨な話で、テーマとしては社会への反抗というよりは、何か自分自身の生活の自由の無さ、といったものだったと思う。そして中学2年生になると文芸部にも所属するようになり、その頃はまだ曲を耳にしていなかったと思うが、その歌をイメージして描いた「世界革命戦争宣言」「銃をとれ」という2つの短編小説をクラブの会報向けに書き下ろした。今にして思えば当然の帰結だが、顧問の教師にこんなタイトルの小説が目にとまらないわけはなく、職員室に呼び出されて『君はどういう経緯でこういった思想を持つようになったのかね』と詰問されたのを覚えている。結局その小説は発表されることもなく返してももらえなかった。
 

 頭脳警察は1973年発表の「誕生」「仮面劇のヒーローを告訴しろ」までは熱心に聞いていたが、やがて洋楽を聞く時間が増えていくにつれて、頭脳警察の音楽はそんなに聞かなくなった。「悪たれ小僧」も発売されてからしばらくして購入したが、それほど面白くはなかった。1975年に頭脳警察は解散、その数年後に誰だったからか「頭脳警察?」のカセットをもらい、そして「世界革命戦争宣言」を初めて聞いた。その歌はもう自分には必要はなかったけれども、その歌の存在意義は十分にわかったし、自分がイメージして書いた小説と意味は一致していたことが嬉しかった。
 

 厳しく言えば、私にとって頭脳警察は1972年の「世界革命戦争宣言」「銃をとれ」「ふざけるんじゃねえよ」の3曲であり、1973年の「誕生」以降はパンタ・ソロの世界の延長であったにすぎない。唯一、「頭脳警察3」収録の「前衛劇団モータープール」は、その後の非常階段に至る私の道のきっかけになっている。一番回数を聞いたのは「3」だと思う。セカンドもファーストも、13〜14才のころには聞けなかったからである。もし通常に聞けていたら、ファーストがフェイバリットになっていたと思うし、もっと自分は別のことに興味を持っていたのではないかと思う。そういう意味では「頭脳警察3」でよかったのだ。このアルバムは自分で買った、初めてのロックのアルバムだったからだ。
 

 2001年9月6日、渋谷に頭脳警察のコンサートに足を運んだ。頭脳警察を知って29年ぶりにして初めてみる彼らのライブ。行く前に予想していたとおり、我々の世代にとっては懐メロであったし、21世紀に向けての"世界革命戦争宣言"があるわけでもなく、むしろ50を過ぎたパンタ&トシがニコニコしながら楽しむロック演奏を聞かされて、私も笑ってしまった。そう言えばこんな"ロック"のライブ演奏は久しぶりだ。この日の前座のDMBQに顕著なような、最近見かける村八分やラリーズや外道を現代版にしたようなロックバンドにはまるで"ロック"を感じないけれど、頭脳警察はロックしてたのである。自分にとって何か深刻な存在であった彼らが、少し近くなり、少し嬉しく、少しさみしかった。それでよかったのだと、思う。
 

JOJO広重 2001.9.7.



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