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第30回
クラスター
推薦盤「SOWIESOSO」

 クラスターは、評価が高いのか、それほどでもないのか、なかなかとらえどころのないバンドである。ジャーマンロックながら、カオスとか、アシッドとか、暗黒っぽいイメージはさらさらなく、さりとてクラフトワークとか、ノイとか、電子ビートでブイブイいわしたわけでもなく、難解でもないが、シンプルというにはあまりにスカスカで、それでいてポップなようでポップでない、なんとも表現しがたいサウンドである。でも、どうもソロを比較すると、メビウスとレデリウスの2人のメンバーのうち、レデリウスの方が、電子音楽でも、叙情的なサウンドを志向しているようで、レデリウス色の強いこの「ゾヴィーゾーゾー」は、70年代からの私の愛聴盤になっている。
 

 単調でありながら、そこに暖かみがあったり、深さがあったり、様々な色を感じる音というのは、どうも日本人には苦手なようで、テクノにしても、ヒップホップのBGMにしても、ましてシンセサイザーミュージックにしても、このクラスター/ゾヴィーゾーゾーのような音は、日本人には絶対に作れない、気がする。『何かが足りないのではなく、何かが多いのだ』とは早川義夫の名言だが、音にしても、それは当てはまるのではないか。そして、やはりバッサリと切り捨てて、そして大切な音だけを選択しているクラスターは、やはり凄い、と思ってしまう。
 

 我々は実生活でそれを実現できているだろうか。モノで空間を埋め、仕事や用事で時間を埋め、金で買った安心で心を埋めているのは、私もまるでそうで、やはり何もいらないことを知っている人に出会うと、自分が卑小に感じてしかたがない。そして何もかも墓場には持っていけないことを知っていながら、その直前までその知恵に逆らうかのように、モノを手に入れ続けることをやめられない愚かさに、ほとほとあきれてしまう。
 

 東京もそうだが、都市に住む人は、このモノからの安心という呪縛から逸脱するのか、かなり意識的に生きないと、難しい気がする。そして私は「ゾヴィーゾーゾー」を聞くたびに、大自然に抱かれながら生きる自分の姿を夢想し、そしてそれが決して現実に手に入れられないことに、ひたすら、途方にくれる。
 

 旧友・Idiotもレデリウスのファンらしく、ソロをこつこつと見つけては聞いているそうだ。レデリウスのソロでは、キャプテントリップがようやく再発してくれた、仏・EGGレーベルから出ていた作品の「愚者の庭」が、私は一番好きだ。
 

JOJO広重 2001.12.18.



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