例えば女性にしかかけない歌詞、女声でしかなりたたない歌。そういったものは確かに存在するし、なぜかと言えば男とは根本的に違う感覚から創造される世界であるからで、それの水準が高ければ高いほど、男には尊いものに写るのかもしれない。
佐井好子のサードアルバムにあたる「胎児の夢」は、ほぼ完璧な作品である。そのインナーマインドの奥底から湧き出る言葉と歌声は、聞く者を一瞬にして現実から別の次元へと誘う導師の役割を果たす。懐かしくて、そして少し怖くて、しかし暖かくて、でも宙ぶらりんのような、それでいて心地よくて、いつまでも耽溺したいような、血の味のする飲み物を注がれているようでいて、生きているのか死んでいるのかすら希薄にさせてくれるような、まさに魔法の音楽である。
『闇から生まれて/闇へとかえる』とは、このアルバムに収録されている「遍路」という曲からの歌詞だが、ここに佐井好子の本質の一片をかいま見ることができる。佐井好子の「佐井」とは"斎"であり、"斎"は巫女のことであることは、漢字を遡って調べればわかる。こじつけと思う方は読み飛ばしていただければいいが、私は佐井好子が音楽を通して別の世界との架け橋へといざなう巫女であると疑っていない。そしてそのことは、この「胎児の夢」を聴けば、わかる人にはわかる、と思う。
そう、我々がどこから来て/どこにかえるのか、という命題は、どんな博士でも回答できない問いであるだろう。そして光から生まれて/光にかえる、のではなく、やはり人間は闇から生まれて/闇へとかえる、のが正解だと思う。我々が背負う闇こそは真実であり、人工の光でその闇を追い出したことが不誠実の始まりだと思えばよろしい。
このアルバムを、私は死ぬまで聴きつづけるだろう。そしてその続きは、地獄で聴くのかもしれない。
JOJO広重
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2002.1.12.
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