Back to IndexColumnTopHomeAlchemy RecordsAlchemy Music Store



第35回
メトロ
推薦盤「METRO」

 私は京都の出身で、70年代は小学校の高学年から大学の2年生までにあたるため、まんま関西ですごしている。読書も音楽を聞くのと同じくらい好きだったから、レコード屋にも毎日行っていたが、書店にも同様に日参していた。音楽関係なら「ミュージックライフ」「音楽専科」といった洋楽の王道、ちょっと難しかった「ニューミュージックマガジン(現ミュージックマガジン)」、フォークは「GUTS」、ポップス系は「ザ・ミュージック」とか「FMレコパル」といったものが情報源だったが、プログレ系の情報が少なかったため、まだ同人誌のようだった「ロッキングオン」とか、ミニコミのような「ロッキンボールズ」なんかは役に立った。しかし、まあ、なんといっても良く読んだのは阿木譲編集による「ロックマガジン」で、確か76年の創刊号は北野白梅町の、もうつぶれてしまったが、オーム社書店で、アマチュア無線の雑誌「CQハムラジオ」といっしょに買ったのを覚えていいる。
 

 「ロックマガジン」は最初はプログレ、やがてパンク、ニューウエイブと、阿木編集長の趣味が変わるたびに内容も変わっていく、およそ商業誌らしくない雑誌で、現在もあちこちで名前を見かける坂口氏、のちにガセネタやタコを結成する山崎晴美氏、非常階段の美川氏なども執筆陣に名前をつらね、確か一瞬だが頭士くんのお兄さんも編集部にいたはずで、このあたりの人間関係をちゃんと年度を追って誰かが書いて残してくれればかなり面白い読み物になるはずだが、そういった俗っぽい側面がちらちらすればするほど、今のGモダーンよりはまるで次号が楽しみな雑誌だった。そしてこの本で、プログレやパンクや現代音楽も含め、それこそ多種多様な音楽情報を仕入れたのは間違いない。デビッド・ボウイとエゴン・シーレの絵を並べてシンクロニシティを誇ってみせたのは、後にも先にもロックマガジンしかない。今から考えればバカらしいが、やっぱりバカはバカなほうが、おもしろい。
 

 阿木譲はモダーンポップというジャンルまで創造し、そしていくつかの、それがモダーンかどうかは別にして、本当に素晴らしいミュージシャンを紹介してくれた。それがルイス・フューレイであり、オーケストラ・ルナであり、ビル・ネルソンであり、このメトロだった。メトロの核となるダンカン・ブラウンというシンガー・ソング・ライターを彼が事前に知っていたかどうかはわからないが、このピーター・ゴドウィンと組んだメトロのアルバムは、本当に良質のポップミュージックだった。
 

 しかし、まあ、このジャケットは強烈。これで、70年代のパンク全盛の時代に、誰がこのアルバムを買うものか。でも、後にデビッド・ボウイが「クリミナルワールド」をカヴァーしたし、パリのファッションショーでは確かに「ブラック・レース・ショルダー」はBGMに使われていた。デカダンとポップを複雑にからませた音楽は、しかしながらコックニー・レベルやジョブライアスほどのセンセーショナリズムもなく、ビーバップデラックスやスパークスのような未来的なインパクトもない、この繊細な音楽は、やはり大半には見逃されてゆくハメになったことは、容易に想像できる。でも、当時、確か日本盤も出ていたような気がする。
 

 ただ、雑誌で誰かが誉めたから売れる「ピーター・アイヴァース/ターミナル・ラヴ」は、虚しい。それからルイス・フューレイやメトロ、ダンカン・ブラウンにつながらない、今のリスナーのCDの聴き方に、40過ぎた男が文句を言うのはもっと虚しいが、やはり「君は本当に音楽を聞いているのか?」と訊ねたくなるのも正直な気持ちだ。
 

 定番をこなすだけでなく、また枝葉をみて大木を見ないのではなく、深くつきつめないで、結論など出してほしくない。ヒップホップの連中に人生を語られると、殺したくなるほどの気持ちがわくのは、ここに原因があるようだ。
 

JOJO広重 2002.2.19.



PageTop
Back to Index


Mail to us Mail order