Back to IndexColumnTopHomeAlchemy RecordsAlchemy Music Store



第38回
花電車
推薦盤「THE GOLDEN AGE OF HEAVY BLOOD」

 その昔、1988年ころだったと思うが、当時ニューエスト・モデルのギタリストだった中川くんに打ち上げの席で『広重さんは自分の好きなバンドのような音を出したいとは思わないんですか?』と聞かれて、『思わない』と答えた記憶がある。ロックというジャンルの音が好きで、もっと言えば元々のロック的な反骨的な思想が好きだったのかもしれないが、基本的にはハードなロックミュージックが好きではあったが、自分でハードロックを演奏したことは1度もなかったと思う。いわゆるコピーバンドというものをほとんど経験しなかったせいもあるが、当時の自分の素養として、ハードロックを演奏する技術とか、ルックスとか、センスがあるとは思えなかったのではないかと思う。クラウス・シュルツよろしく、暗いムードでシンセを呻らせる姿は想像できても、人前でギターを弾くとは思ってもみなかったのかもしれない。
 

 でも、なんとはなしに、夢想する時はあった。例えばノイズ+森田童子とか、ホークウインドと共演している自分なんかは、10代の時に夢に見たかもしれない。前者はスラップ・ハッピー・ハンフリーで実現したし、ホークウインドに客演することも、90年代に渋谷・オンエアーで一緒にシルバーマシーンをニック・ターナーと共に歌うに至った。そう言えばリッチー・ブラックモアやジミ・ヘンのようにギターを壊すことも、非常階段で実現していたのかもしれない。だとすれば、かなり偏屈ではあるが、自分の好きな音楽に近づくなにかしらの行為には至っているわけで、中川くんへ答えた内容はちょっと違ったのかもしれない。ただ、自分は直球勝負ではなかったというだけだが。
 

 自分では出来なかった分、プロデュースしたバンドたちには、自分のロックへの思いを具現化してもらったような気がしている。特にハードなロックであれば、ヒラくん率いる花電車であろう。ベースは最初はキクちゃんという女性だった。彼女のベースを弾く姿は本当に格好よかった。ギターは野間くんで、のちにベースの青柳くんがギターにまわったあたりからインストの部分が重要さを占めてくるようになったから、やっぱりヒラ・ボーカル/野間・ギターの時代が、一番ゴリゴリのヘヴィロックだったんだろう。
 

 大阪・本町にある「ゴリラ」というちっぽけなスタジオは、村川さんという、ある種救世主のようなエンジニアの存在も相まって、関西のパンクやロックを支えきった存在であったが、そこで1988年に録音されたこの花電車のファーストは、私がロックというものをイメージできる限りの、その理想型に近いサウンドに仕上がっている。これがロックなのだ。このサウンドを自分の持っているステレオで、最大音量で聞け。そこにロックがロックとして、神が光臨するかのように現れるはずである。
 

 数ヶ月前、私のインタビューを録るという目的で、野間くんに再会した。もう音楽なんて、ずっと前から終わっている、という彼の真摯な気持ちを聞いた。野間くん、君はそういうことを言う資格はある。少なくとも、君はロックのギターを弾いたことがあるのだから。
 

 私だって、終わっていると、思う。ロックもパンクも、もう日本にも世界にもないよ。その形をした商品や情報や、それこそどうでもいいものしか、そこにはないのである。そんなことはわかっている。だからこそ、1979年にノイズを始めた時のように、もっと始源的には第五列の時のように、音も楽も否定するのである。
 

JOJO広重 2002.4.14.



PageTop
Back to Index


Mail to us Mail order