Back to IndexColumnTopHomeAlchemy RecordsAlchemy Music Store



第39回
加橋かつみ
推薦盤「パリ 1969」

 私には4才年上の姉がいる。私にとっての最初の音楽体験は、この姉によってもたらされたのは間違いない。絵本や児童書、マンガ、テレビなどの影響で、いわゆるストーリーをイメージする面白さは、かなり低年齢のころから理解していた記憶がある。しかし音楽は例えばテレビのドラマの副産物であって、ウルトラQのソノシートを購入してもらい、家に1台しかなかったポータブルのレコードプレイヤーで繰り返し聞いていた時、その主題歌は、ドラマが始まる前に演奏される、まだるっこしい時間でしかなかった。姉が、いわゆるEPレコードなどを買って聞いている時に、どうして「お話」の入っていないレコードを買うのか、理解できなかったのである。
 

 具体的には、1966年だと思う。ビートルズの来日、ファニーズからザ・タイガースと名前を変えた、沢田研二をボーカリストとするGSバンドが蠢きだした年度。ブルーコメッツやスパイダースから、姉はザ・タイガースに乗り換えたのである。「なんや、阪神タイガースか」と勘違いされようが、「こんな女みたいな男のどこがいいの」とバカにされようが、とにかくザ・タイガースに関する資料を集めまくり、コンサートに足を運び、レコードやらポスターやら、明治のチョコレート「デラ」やら、語りのソノシートやら、なんだかわけのわからないものが家中に飛び交うようになった。私が見ていた「巨人の星」や「ウルトラマン」は、ザ・タイガースが裏番組に出演しようものなら、放送途中でガチャガチャとチャンネルを変えれてしまうのであった。
 

 GSの良さは、小学校低学年の私に解ろうはずもなかったが、姉の話し相手を強制させられる以上、知識は増えてくる。ジャガースやオックス、カーナビーツでもなんでも、GSのものはなんでも聞かされた。またGSが海外ロックに影響を受けていることを知った姉は、ストーンズやビートルズ、ヴァニラファッッジのレコードも仕入れてくるから、洋楽も家には続々登場していたわけで、これが現在の自分の音楽史を振り返る時に、非常に大きな栄養になっていたことを感じるのである。そういう意味では大リーグボールが花形満に打ち込まれる回を見逃した悔しさも返上して、姉のGS狂いに感謝すべきであるように思う。
 

 しかし、まんぜんと「巨人の星」を見ていた時に、問題はおきた。その裏番組にザ・タイガースが登場、そしてそれが、ザ・タイガースの中でも姉のお気に入りだった、トッポこと、加橋かつみの、脱退直前最後のテレビ出演になってしまったのである。どういう経緯で加橋かつみが、その人気絶頂のバンドから脱退、単身パリへ逃避行しなくてはならなかったのかは、私は知らない。きっとプロダクションの都合だったのだろうが、まともに受けている、今よりも情報のない当時の熱烈なファンのショックは大きかった。姉にとっても大きかった。その夕食の時間は姉の号泣の時間となった。巨人の星を見ていてその歌番組を見逃す原因となった私は激しく非難された。座布団の上にひれ伏してひたすら泣き続ける姉の姿は、たぶん一生忘れられない光景のひとつである。
 

 そして、その意味でも、別の意味でも、加橋かつみという存在は、私の中でも大きな存在になった。特に、音楽として、歌として。ザ・タイガースの中でも、「花の首飾り」は好きな曲だった。加橋かつみの透き通るようなボーカルは、なんとも心があらわれるような歌の清々しさを象徴していたように思う。歌が、美しい、ということを、彼のボーカルで初めて知ったのである。
 

 ザ・タイガース脱退後、発表されたこの「パリ 1969」というアルバムは、まっ白なアルバムにメーカーのロゴが申し訳なさそうに掲載されているだけの、加橋かつみの声のように清いイメージのジャケットに包まれて登場した。このアルバムはやがて年を追うごとに日焼けし、涙を吸ったかのように汚れていくのであるが、それもなにか当然のことのように、まるでそういった経緯も予測していたかのような、そんなアルバムだった。ここに収録された歌声は、ザ・タイガース在籍時と何の相違もないほどに美しい。むしろヒットソングを歌わなくてもよくなった分、自分の内側に歌が向かったかのように思えるほどの、何か真摯なイメージを感じる曲が多い。ボーカルは、例えるならティム・バックレイか、スコット・ウォーカーか。いやいや、日本人である分、もっと湿気をおびて、そして、哀しい。
 

JOJO広重 2002.5.5.



PageTop
Back to Index


Mail to us Mail order