私は病気や怪我が嫌いである。というか、病気や怪我をしている人が放つ、弱者のオーラが嫌いなんだと思う。まして意識的にそういった病気や怪我を理由に同情をかうコツを覚えていたり、病気や怪我を理由に自分の意志を通そうとしたりする輩は特に嫌いで、そういった人間は意識的に虐めてしまいたくなる。
病気をしている人を見舞うのも苦手。お大事にとか、がんばって、ということしかできないし、そういった言葉が何の意味もないからである。見舞いに来てくれることによって慰めになる人もいるだろうが、重荷に感じる人もいるだろう。そして見舞いに来ないことを逆恨みする輩もいるのである。
ようするに病気や怪我は負の要因だが、負というのは正の代償として生じるものである。つまり病気している人はかわいそうに見えるが、どこかで無理してなにかを得ていることがあって、その代償として病気を得ているのである。つまりは自業自得であり、もしくは病気というマイナスで、なにかのプラスのバランスを保っているのだ。だから病気だけを取り出して、同情するのは、おかしい。
自己の体調も精神も、自己管理するしかないのである。どうがんばったって、相手の頭痛をかわってあげることはできないではないか。相手の心労も、決してかわってはあげられない。身体や精神の不健康は、私には通じないが、他のたいがいの人にとっては、心配する原因になるし、時として不快である。だから人間ならば、できるだけ健康を維持する義務があるのだと思う。
ソフトマシーンのオリジナルメンバーであったロバート・ワイアットが、酒席で窓から落下し、下半身不随になり、そのどん底から生まれたのが、この「ロック・ボトム」というアルバムになったという逸話がある。でも元々マッチング・モウルのために事前に書かれていた曲であったという話もあるし、実際はどうかはわからない。
しかし、ドラマーとしての生命を断たれたあとの作品であることは間違いなく、その内容はとても重い。でもこの切なさ、悲しさに裏付けされた音楽の、たとえようもない力強さはいったい何なんだろう。じゃあ、お前は声が出なくなり、ギターが弾けなくなったら、音楽は出来ないのか、生きていけないのか?と自問させられる。声が出ないボーカリストがなんだ。ギターが弾けないギタリストがなんだ。ドラムをたたけないドラマーの、とてつもなく素晴らしいアルバムがここにあるではないか。生きるということは、そういうことだ。
JOJO広重
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2002.5.16.
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