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第41回
チェット・ベイカー
推薦盤「CHET BAKER SINGS」

 京都の北山のはずれの住宅街に、私の行きつけの、小さなバーがある。ウディ・アレンの代表作のタイトルを拝借した、10人もはいれば満席のこのバーは、私の唯一といってもいいほどの、憩いの場所であり、京都に帰って時間がある時は、必ず寄りたいお店だ。本当に住宅街の真ん中にあるので、まずフリの客が来ることはない。ガイドブックに掲載されたのも見たことがない。でも、いつもそこそこにお客さんは入っている。マスターの人柄と、お店の雰囲気と、そしてかかっているジャズの、選曲とボリュームの加減が心地よいことが、この店を訪れた男女を魅了するのだと思う。もちろんそこで飲む酒はおいしい。サイドカーを2杯、ジンライムを1杯、バレンタインの12年をロックで1杯。酒にたいして強くない私には、これで十分の、おきまりのコースである。
 

 60年代〜70年代、京都にはジャズ喫茶がたくさんあった。1920年代のジャズばかりかける「カルコ20」という東山のはずれにあった店は、後年私の知人の知人が経営していたということを知ったが、高校生が訪れるには渋い店だった。「ブルーノート」はまだあるのかな。「ビッグビート」は少し広いお店で、ちょっと大人なスポットだった。思案に暮れる、という言葉をもじった「シアンクレール」は、クラシック喫茶も併設していた。そう言えば、現ABS店長の石田くんとは、よく学校帰りに自転車でジャズ喫茶巡りをした記憶がある。もう店の名前も思い出せないが、ほぼ真っ暗な店内で、狂おしいフリージャズを爆音で、ふたりして無言で、ただひたすら聞いていた。あの頃はなにを思い、何を考え、何に悩んでいたのか。今となっては思うことも感ずることもできないのは、なんとも切ない。
 

 だから今は、もうそんなジャズ喫茶にはいかない。ぷらっと足を運ぶ、北山のそのバーで、マスターが選ぶジャズを聞く。甘いのはわかるが、もうジャズはそれでいいと思うことにしている。でも、チェット・ベイカーがかかると、やっぱり10代のことを思い出してしまうし、さらに自分の甘さが嫌になるほど、やりきれなくなる。
 

 チェット・ベイカーをお知えてくれたのは、ジュラジュームの八太さんだったと思う。そのボーカルの気怠さと、60年代をドラッグで棒に振った経歴が、八太さんの弁に含まれていたのは間違いないが、私もそのLPをカセットに録音してもらい、長く愛聴した。この「シングス」と、「シングス&プレイズ」は、まさにダメダメな気分をもうワンランク落としてくれる、重要なソースになりえたのである。トランペットが軽快なサウンドを吹き出す裏側に、こんなにも重く、哀しく、やるせない音が出るものなのかと、ひたすら感心した。
 

 チェット・ベイカーは70年代に復活、80年代半ばには来日もしたが、その頃のサウンドにはあまり興味がない。なにか1,2枚聞いて、がっかりした記憶がある。マイ・ファニー・バレンタインを懐メロよろしく歌う姿は、それは私の希望した姿ではなかった。でもこの答えは、もう少し後で見えるかもしれないから、結論は出さない。
 

 京都にしか、行きつけのバーがない。それも自分らしいかな、と、思っている。
 

JOJO広重 2002.6.1.



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