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第55回
森田童子
推薦盤「ぼくたちの失敗〜森田童子ベストコレクション〜」

 森田童子に関しては思うことが多数あり、とてもこのコラムにすべては書けそうにない。私自身では、過去に、日本のフォーク&ロックのカタログ本にレビューを数本書いたし、その内容は現在は別のWEBでも公開されているので参照していただいてかまわない。おおまかな森田童子のことはそちらを見ていただきたいし、なにより、1993年に「ぼくたちの失敗」がテレビ番組の主題歌になり、ビッグヒットになったことから、森田童子に関する掲示板や過去情報コラムは、やはりWEB上に多数あるので、それを検索して読まれればいいことである。ただ、当時のスタッフや、実際に彼女に関わった人々からの発言、コラム、情報などはかなり少ないように思う。年齢的なものや、語るには重いものがあるのか、いろいろな事情があることはわかるが、これだけの時代、それこそ村八分も裸のラリーズも「伝説」ではなくなった時代に、そしてテレビであれほどまでに「ぼくたちの失敗」がヒットしながら、やはり森田童子論が語られない、研究本の1冊も刊行されないというのは、結局は森田童子の歌が、評論したり語ったりするものではなく、個人のこころに深く、静かに、刻むものであったということを、ひたすら認識するのである。
 

 結局の所、1994年にスラップ・ハッピー・ハンフリーというユニットで、森田童子の歌をカヴァーするという企画は、どんなに森田童子の歌が私自身にとって、永遠に剥がれないこころの瘡蓋となっているような事情があったにせよ、とんでもない不遜な行為であったことは事実である。森田童子以外が森田童子の歌を歌う資格はなく、また森田童子の歌は森田童子の歌として存在しているのであって、他の解釈は存在しえないのではなかったか。だから私は自分のした行為を詫び、このユニットを解散し、二度と同じことを繰り返さない約束をし、完璧に封印したのである。
 

 ただ、その時に、当時に彼女のコンサートに足を運び、その歌にこころうたれて、その歌に涙し、その歌にひたすらうなだれた人間として、ドラマのの主題歌として聞く森田童子の歌は、今の時代に聞くにはあまりにも哀しいこと、そしてこの時代に生きて行かねばならない人間として、「今の」森田童子の歌を聞きたいのだ、ということは、一筆した。それは今思えば、それすら私自身の個人的な我が儘でしかなく、そして、自分がその今の時代に歌わざるをえない気持ちで自分で歌う歌を作る、その意味と同じだと思っていた。
 

 しかし、2003年3月に、やはりテレビドラマの主題歌として使われたことからリリースされたこのアルバム「ぼくたちの失敗〜森田童子ベストコレクション」には、2003年1月に録音された、森田童子の"新作"が収録されていた。2003年、この、おそらくは、ここ100年で最悪の時代に、森田童子が新しい歌を歌う!!まだ、1975年〜1982年の、彼女が現役シンガーであった時代が、どんなにも夢があり、愛があり、思いがあり、歌が歌であった時代の、そして歌うことをやめた、つまりは歌うに値しない時代になったことを知っている人が、この2003年に声を出すこと。そのことはあまりにも重く、あまりにも、あまりにも....。
 

 「ひとり遊び」という、その新曲は、私は、耳にした瞬間に涙がとまらなかった。こんなに哀しく、こんなに切なく、こんなに重い歌は、2003年現在、世界中探しても他には存在しない。凡百の音楽がこの世にあるが、しかし、もしも音楽に意味や意識を求めるリスナーなら、まよわずこのCDを買え。森田童子の過去作品は持っているから、そしてこれがベスト盤だから買うことを迷っているのなら、この1曲のためにでも、このCDを買うべし。そして、まず、その声にすら、震撼するべきである。そして彼女の過去の歌に手を加えられたその歌詞を聴き、どん底まで考え込み、そして、ひたすら打ちのめされるべきであろう。私は死にたくなった。そして私は、この歌の前では、かつて自分の勝手な思いで筆をとった自分を恥じ、自分が今凡として生きていることを悔やみ、未だ音楽の縁にも手が届いていない自分に、今はただ絶望するばかりである。
 

JOJO広重 2003.4.1.



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