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第56回
イギー・ポップ
推薦盤「LUST FOR LIFE」

 生きるということはエネルギーのいることである。単純に言ってしまえば、"めんどうくさい"ものだ。引きこもりも自殺も、逃避でも病気でもなんでもいいが、生きることと正面向かっていくことから逃げることのほうが、むしろ正常ではないか。ようするに、しんどいと。しんどいことをしんどいと言ってなにが悪い、ということであろう。
 

 しかし、しんどいと、言うことのほうが、やっぱり簡単なのである。だってそれがご名答であるからだ。楽しいことは、楽しい。これもご名答である。おいしいものはおいしい。これもご名答。だから面倒なことは面倒、しんどいことはしたくない、おもしろいことをしたい、楽に生きたい、笑いたい、自由でいたい。どれもどれもご名答である。
 

 そのご名答こそが、つまらないことの根元であるのだ、と、いくら語ったところで、ようするにお前はへそ曲がりだ、と言われて終わりなのだが、どうしても世の中の流れに沿って、しんどいことはしんどいと、楽しいことは楽しいと、そのご名答を受け入れることは、できない。なぜならそれが、本当につまらないからだ。それは生きている価値のないものは生きている価値がないと肯定することであり、クズはクズであることを受け入れることを強要していることだからだ。
 

 価値がありそうなものには、間違いなく価値がない。一見意味がありそうなものには、実は意味はない。しんどいことにみえることは、しんどくないことに一瞬で変わる。やさしそうな人は、絶対にやさしくない。こういったことは、学校や社会や親やメディアは、まずお知えてくれない。なぜなら、なんとなく生きていてくれる、単純でなんでも肯定してくれる人間が多いほうが、すべてにおいて都合がいいからである。テレビショッピングを見て、1、2万円をあっさり使うやつらが多ければ多いほど、売ってるやつらに都合いいのだから。この方程式は、社会のほとんどに対応している。
 

 で、生き返ったことのある人、イギー・ポップ。確かこのアルバムが日本盤のLPで発売された時の邦題は『欲望』で、ドラッグでダメになっていたイギー・ポップがディビッド・ボウイのプロデュースで復活した『愚者(おろかもの)』の次にリリースされたアルバムだった。この2枚とディビッド・ボウイの『ロウ』『ヒーローズ』の4枚には共通する、どこか当時のパンク一辺倒だった音楽状況を斜交いに見た音楽論が秘められていて、当時の音楽雑誌「ロックマガジン」が絶賛するほどには支持していなかったものの、77〜78年当時の自分たちのなんとも居場所のない雰囲気とマッチしていて、よく聞いたアルバムだった。ボウイの2作品よりは、もっと不穏なロックっぽさを提示していたイギー・ポップのほうに軍配を揚げていた気がする。
 

 『愚者』ではまだ手探りな、重い感触のサウンドだったのが、この『欲望』では、なにかがはじけるようなエネルギーに満ちた、ビンビンくるビートに転換していて、その身替わりの早さ、もしくは裏の裏を見せられたような気がしたのをよく覚えている。一見重いような、一見物事を理解しているような顔に、やはり人はだまされるのであるが、もう1回裏返せば、一見健康そうな満面の笑顔が登場し、それは単なる笑顔ではなくなることを、このアルバムはジャケットでも、音でも、証明している気がする。
 

 イギー・ポップは、しんどいとは言わないと思う。たとえ、しんどくても、だ。でもCD化されたこのアルバムの日本盤のタイトルは『ラスト・フォー・ライフ』だし、愚者は『イディオット』だそうだ。ふん、つまらん。
 

JOJO広重 2003.5.9.



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