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第64回
NICK DRAKE
推薦盤「BRYTER LAYTER」

  音楽を聞くことによって、意識が何かの高みに至る時、たとえようもない気分にさせられる。こういうある種の快楽、もしくは快楽以上の感覚は、音楽以外の体験で得ることは、なかなか難しい。音楽というものが視覚ではなく聴覚であることもその大きな一因かもしれないが。つまりは、ようするに「音の振動」がどのようにして人間の意識に影響を及ぼすのか、もっと研究される必要がありそうだ。そして、それは、きっと人間には解明できない、とてつもない神秘のキーが音楽の中には隠されているのだろう。その中でも格別のものはあるし、それを人間が手にいれるのは、偶然と同じくらいの確率でしかない。
 

  気が遠くなりたいとは、ブライアーズの項で書いたが、その意味とは違って、リスナーの気持ちを遠く彼方に連れて行ってくれる音楽は存在するし、そういった音楽に出会ったり、聞くことができる瞬間を体験できることは、私にとっての、何よりもの楽しみである。
 しかし、その「遠く」というのがどこのことなのか、どうしてそこに導かれるのかは、たぶん演奏者も私も、本当は理解していない。演奏者は楽器を弾き、歌を歌っているにすぎないし、聞く側も、どこかの場所に立脚して、この現実に留まっていることは間違いないのだから。しかしその音によって、確実に意識は「遠く」へと向かう。そこはやはり、人の領域ではない、形や言葉では表現することのできない「遠く」なのである。
 

  その「遠く」へと続く気持ちは、悲しさに似ている。寂しさは所詮は甘えであるが、悲しみは人が人であることの真実であり、もっとも神秘に近い感情である。そして現代の世の中にあるもの、多くの芸術や情報、そして言葉や音楽に欠けているのはこの悲しみである。事実、過去の作品ではなく、現代の様々な作品の中で、悲しい気持ちを綴っているものは、かなり稀ではないか。そして子供の時から、悲しいことを悪いこととして、避けて生きることを常としてきた世代に、この日本を良くすることができないのも、うなずけるのである。
 

  例えばこのニック・ドレイクの「ブライター・レイター」は、悲しさがどこかに通じているひとつの道であることを如実に示した1枚のアルバムである。90年代に、たぶん音楽としての価値を見いだされてCD化などされたが、最近はCD自体も、評価する人もさっぱり見かけなくなった。ニック・ドレイクは英国の、若くして死んだ伝説のSSW、という情報でくくられているのだろう。だからピーター・アイヴァースが「ターミナル・ラヴ」しか売れないように、このニック・ドレイクも1st「ファイヴ・リーブス・レフト」は情報確認のために売れたとしても、市場評価の低いセカンドの「ブライター・レイター」はさっぱり売れず、正味ろくに聞かれてもいないに違いない。そんなふうに思えてしまう。
 

  ニック・ドレイクにとって、歌を歌うことは、どのような気持ちであり、どのような作業であり、どのような行為だったのだろう。今となっては、もう考古学以上に、それを探ることは不可能なことに感じられてしかたがない。我々に出来ることは、彼が残した音楽を聞き、その行為がどこかで彼の世界へと通じることを期待する、その程度である。
 

JOJO広重 2003.11.25.



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