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第65回
JOHN FAHEY
推薦盤「WOMBLIFE」

  即興演奏を語ることには、どうも意味がないように思う。もとより、音を言葉で解説することは、とうていろくでもないことである。そしてそもそも「即興であること」が随分解説不能なことであるのに、その音を評価したり、評論することに意味はないのではないか。じゃあインプロを録音してアルバムにすることにも意味はないのではないか、というと、これが結構意味のあることだったりして、だからして即興演奏はタチが悪い。そう、「タチが悪い」という表現が、一番当を得ている。即興演奏をしているようなヤツラは、みなタチの悪いヤツラだ、と語っても、そう大きなハズレではないはずである。
 

  もうひとつ胡散臭いのは、即興演奏をしているというだけで、何か偉そうにする連中、もしくは自分が偉くなったと思い込む演奏者も依然多いということである。即興演奏など0歳の赤ん坊でも出来るし、莫迦や阿呆でもできる。そして莫迦や阿呆の演奏と、賢者の演奏には一見大きな差はない。このあたりが大きな問題である。こんないいかげんな判断が許されるのは、あらゆる芸術的な行為の中で、即興演奏だけではないか。
 

  では、何が違うのか。それは、最初の一音からして違うのである。だらしのないヤツの、くだらない即興演奏のギターの音は、最初からゴミのようであるが、面白いヤツの音は、最後の一音まで面白く、そして美しい。
 

  その差は、結局は人間力の違いである。即興演奏は技術ではない。そしてキャリアよりも、積み上げた経験よりも、つまるところの本人の感性が全てである気がしてならない。ともすれば、日々生きること全てが、即興演奏のための練習である、そんなようなものだ。だから即興演奏は音楽よりも、宗教や、空手のようなタイプのスポーツに近い。そんな風にも思えるのである。
 

  ジョン・フェイヒーのようなちゃんとした(と思える)音楽家が、なんでこんな即興演奏ギターを3回くらい裏返したような、おおよそ誰もたどり着けないような作品「womblife」をリリースするに至ったかは、私はよくわからない。ジム・オルクがなんぼももんかも知らないが、フェイヒーの人間力が圧倒的なのは、このアルバムの中の1曲でも聞けば、わかる。こんなギターを弾くヤツは日本には絶対いないし、世界中探しても、フェイヒーが死去した今となっては、まるで皆無に違いない。
 

  いや、まあ、こんなアルバムを出すから、死ぬのである、のだが。
 

JOJO広重 2003.12.31.



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