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第66回
赤痢
推薦盤「私を赤痢に連れてって」

  私のレーベル/アルケミーレコードからの最初のリリースは、1984年8月のULTRA BIDEのLPだし、その後の1985〜1987年にも何枚かのLPをリリースしているが、私にとって、A&Rやプロデュース作業を本格的に取り組んだ最初のアルバムは、この赤痢のファースト作である「私を赤痢に連れてって」(1988年)であると思っている。私はアルケミーから作品をリリースしたバンドやアーティストは、その後の諍いや誤解、決裂などがあったにしても、根本的にはファミリーの一員であったと思っているが、赤痢というバンドと私との間にある空気は、何か特別に密度の濃いものであったように思う。それだけに、このアルバムに対する自分の思い入れは、たいそうなものがあったのではないか。今にしても、そう思うのである。
 

  赤痢に関しては、おもしろいエピソードはいくらでもあるし、楽しかった思い出、最低の思い出、最高の音楽体験、こころから感動したこと、夢のような瞬間などなど、語り尽くせないものがいっぱいある。しかし、ここには記さない。
 

  その理由は、赤痢がまだ完結していない、まだ生きているバンドであるからである。実際には1995年のアルバム「Three」発表以降、表だったライブ活動、レコーディングなどはほとんど行われていないが、メンバーはもちろん全員元気に生活しているし、何より、音楽を継続しているのである。バンドが生きている以上、過去を振り返るのは、失礼というものであろう。
 

  実際は、彼女たちが楽器を弾いたり、新曲を作っているかといえば、必ずしもそうとは限らないかもしれない。でも、音楽をする、ということは、音楽をこころに持って生きているかどうか、生活しているかどうか、そういうことではなかったか。歌を歌っている人が本当に歌を歌っているのかどうか。音楽を演奏している人が本当に音楽を演奏しているのか?楽器を演奏しなくても、歌を声を出して歌っていなくても、音楽をし、歌を歌っている人はいるのだ。そのことを、私はよくよく、知っている。そして赤痢のメンバーであった5人は、今も音楽をやっている、と、言えるのではないか。そう信じているし、そう以外には考えられない。
 

  メンバーに自覚があるかどうかはわからない。しかし、音楽がなんであるか、なぜ歌をうたうのか、どうして楽器を演奏するのか、人の前でライブ演奏したりアルバムを発表したりするのは何のためなのか、歌詞とは何なのか、音とは何なのか、複数のメンバーで一緒に演奏することの意味、瞬間の重要性、間の存在、音楽の恐ろしさ、人間と音楽の関係。こういったことを、メンバーは、時にはあっさりと、時には暗黒のように、時には達観したかのように、時には諦観の様相で、時には軽々しく、時には涙を流しながら、それでも確実に「知っていた」のである。このことは、明確に記しておきたい。
 

  もう1度、赤痢に連れてってもらうこと。それは私の夢のひとつである。
 

JOJO広重 2004.1.28.



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