Back to IndexColumnTopHomeAlchemy RecordsAlchemy Music Store



第7回
裸のラリーズ
推薦盤「MIZUTANI」

 私が最初に裸のラリーズを聞いたのは、1977年、当時、京都・百万遍の交差点を少し北に歩いた場所にあったロック喫茶「彷徨館」だったと思う。高校生だった私やその友人は学校が終わると自転車に乗って、ジャズ喫茶やロック喫茶、レコード屋をハシゴしていた。「彷徨館」はそのころ京都にあった「どらっぐすとうあ」と双璧をなすプログレ&アヴァンギャルド音楽をかける喫茶店で、当然ながら我々のたまり場になっていたのである。当時入手がむつかしかったプログレやフリージャズのレコードが聞けることも、たいへんに役立っていたのである。これらのロック喫茶は曜日を決めて、レコードコンサートのような特集を組む日があって、ジャーマン・ロック特集、タンジェリン・ドリーム特集などの日は欠かさず足を運んで音楽浴にひたったものである。
 

 で、ある日「彷徨館」に足を運ぶと、なぜか店内はほぼ真っ暗、いつもにまして異様な音楽がかかっている!その日は『裸のラリーズ』特集だったのである。もちろん当時もラリーズのレコードは「OZ DAYS」くらいしかなかったから、ライブ録音したカセットテープを店内でかけていたのだろうと思う。ギュワ〜イン!とうなるギターもびっくりしたが、なにより地獄の底から聞こえてくるような水谷孝のボーカルには、弱冠高校生には刺激が強かった。いつ終わることか果てしないテープコンサートの音の澱みの中に、そんなに長くは浸れなかった記憶がある。今にして思えばもったいないが、正味2時間くらいラリーズを聞いていて、疲れたのだと思う。記憶としては「なんかものすごくて強烈なロック!」という印象だった。
 

 その後、しばらくして「彷徨館」は閉店してしまう。ラリーズの音を再び聞くことになったのは、翌1978年にウルトラビデを結成、メンバーだったコウイチロウの下宿に遊びに行った時だった。私は彼と彷徨館で出会ったことはなかったが、コウイチロウも彷徨館の常連で、スタッフからラリーズのライブテープをダビングしてもらっていたのである。また彼は京都に来る前は東京在住であったこともあり、それ以外にも様々な国内外のヘンな音楽のライブテープを持っていた。彼はラリーズの熱心なファンでもあったのだろう、何に書いてあったのかは忘れたが、彼の落書きのなかに、『みなさん、こんにちは!裸のラリーズです!』という、ラリーズ・ライブ冒頭のMCが書いてあったのを覚えている。
 

 裸のラリーズは音源が昔も今も入手がむつかしいことから、高額なプレミア価格で取り引きされることが多い。91年には3種類のCD「MIZUTANI」「67-69スタジオ&ライブ」「77ライブ」が発売されたが、今やどれもが数万円のお宝アイテムである。このCDよりもっと凄い演奏のライブテープを持っている、いや、オレが見た実際のライブはもっと凄かった、伝説だなんだかんだ、と言う輩は多い。でもそんなことはどうでもいい。ラリーズのテープでも海賊盤CD−R(いちばんヒドイ「男の裸リーズ」というのもあったが)でもいいが、まあ1曲なにかラリーズの音を聞けばわかるやつにはわかる。それでいいのではないか。水谷のようなサイケなギター音を(音だけなら)演奏するバンドは今ならいくらでもいるが、水谷のようなボーカルと歌詞に匹敵するようなものはやっぱりない。だから聞きたいやつは一生懸命探したり、高いお金を出して、聞け、というものなのかもしれない。安易に聞けない音楽が日本にひとつくらいあったっていいのかもしれない。
 

 この「MIZUTANI」は、ラリーズの音源の中でも最も生のフォークソングに近い形の音源で、爆音のサイケギターを期待するなら肩すかしかもしれないが、私はむしろこのスタイルのほうが重くて聞いていてここちよい。そしてやっぱり、歌が、いい。
 

JOJO広重 2001.3.27.



PageTop
Back to Index


Mail to us Mail order