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第85回
ジミ・ヘンドリックス
推薦盤「Electric Ladyland」

  ジミ・ヘンドリックス。70年代初頭、ロックを自分で聞きはじめたころ、音楽に詳しい先輩や友人の家には、必ずジミ・ヘンのアルバムがあった。私が彼の音源を聞いた時、すでに本人は亡くなっており、とっくに伝説と化してはいたが、さてロック・ミュージックを聞く段になった時、決して外すことの出来ないギタリスト、そういう存在だった。

  友人の家にあった、この「ELECTRIC LADYLAND」は、とにかく目を引いた。ヌードジャケ。ロックとやらに触れる14才の男の子には、それだけで胸が高鳴ったものである。こんなジャケのアルバムを買うヤツも凄いと思ったが、そもそもこんなジャケを自分のアルバムにするヤツはどんなに凄いんだと思った。おそらく私自身が「このまま死んでしまいたい」というアルバムで女性のヌードを使用したのは、この「ELECTRIC LADYLAND」のトラウマがそうさせているのだと思う。

  奇怪なアルバムである。サイケもロックもブルースもソウルもジャズもノイズも、すべてが混在し、混ぜ込まれ、溶かされ、ロックに結実している。こんな凄い音楽は、初めて聞いた中学生の私に理解できるわけもなく、このアルバムを評価するのはずいぶん大人の年齢に後になってからであった。それでもディランのカヴァー「All Along The Watchtower」から「Voodoo Child」がこのアルバムの白眉であることは、素人でもわかる。そして、今聞いても、無性にかっこいい。

  しかしむしろジミ・ヘンは、モンタレー・ポップ・フェスをテレビで見た時の印象が強い。つまりはギターを燃やし、叩きつけるパフォーマンスである。こういったパフォーマンスは後にディープ・パープルのリッチー・ブラックモアにも同様のものがあるが、これが1979年に結成される非常階段のパフォーマンス部分に大きく影響を与えているのは間違いない。あのパフォーマンスを最初から最後まで延々と演りたい、というのは、純粋な欲求だったからだ。

  どちらにせよ、ジミ・ヘンドリックスにとっては、当時も今も迷惑な話である。パフォーマンスなど、実はどうでもいいことだからだ。しかしこのアルバムがリリースされてもう40年が経とうとしているのに、今でも新鮮な音として聞けることは、音楽の勝利だろう。

  理由は忘れたが、現在はジャケットはこのヌードジャケではなく、ジミ・ヘンドリックスの顔をあしらったものに統一されている。どちらでもいい気がするが、お父さんのコレクションを息子が盗み聞くなら、ヌードジャケのほうがいい気がする。

JOJO広重 2006.3.1.



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