「狂気のような音楽」というキャッチコピーは、音楽リスナーにとって新鮮な響きだったのは、70年代までだろうか。
その後、「狂ったような」音楽は大量に生産され、玉石混合のまま、現在に至る。若者も、狂った「ような」音楽を演奏しようとし、実際に無茶苦茶な音楽は今現在も生産・創造・消費されているが、それがなんのためにそうなっているのか、もう誰もわからなくなっているようだ。
ピンク・フロイドに「The dark side of the moon」というアルバムがあり、それは邦題に「狂気」と名付けられ、日本で最も名を知られるプログレッシブ・ロック・アルバムとなったが、つまりは「狂気」とは、日本の音楽の世界では、その意味も、実際もこのアルバムのようなものだ。所謂「商品」と同意のことなのではないのかな。そう、思う。
『JOJOさんはミュージシャンで誰が一番オカシイと思いますか?』とよく訊かれる。ややこしい音楽をさんざん演ったり聞いてきた私が、最も変わっていると思うのは誰だろうという、安易な想像の質問である。この問いにはもう20年ほど、同じ答えをしている。『山本精一くんです』という、答えである。
本人に言うと、否定する。『広重くんのほうが、おかしい』と。最もアブストラクトだということは、音楽の最大級の誉め言葉だ、とは、三上寛さんの弁だが。
多作な山本精一のアルバム群の中でも、この「なぞなぞ」は、ひときわ異彩を放っている。おおよそこのアルバムを笑わずに、そして恐れずに聞くことができる人はいるのだろうか。歌詞をよく聞き、メロディや歌声を注意深く聞けば聞くほど、山本精一の世界に引きずり込まれるのである。このアルバムは、恐ろしいCD作品だ。
私はこのアルバムのほとんどの曲が好きだし、ほとんどの曲を空で歌えるが、最も好きなのは、9曲目「あんなに好きだったこと」だろう。生きるのに詰まった時、私はこの曲を歌うに違いない。
なんのために生きているのだろう。ぼくたちは。
JOJO広重
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2006.8.10.
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