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第1回
小さい魔女
オトフリート・プロイスラー著/学研 1965年刊


  おそらく死ぬまで忘れない、楽しかった思い出として、小学校1年生の時に講堂で見せられた影絵劇「小さい魔女」がある。当時は学研が「科学」「学習」といった雑誌を学校内で毎月販売していたこと、学研からこのドイツの作家・プロイスラーが書いた児童書「小さい魔女」が単行本として刊行されることから、営業の一環としてこの影絵劇が企画されたのかもしれない。
 

  私は幼少のころから、ストーリーを楽しむことが何より好きだった。寝る前には必ず親に、何かお話をしてもらい、それを聞いてから寝るのが通常だった。日本の昔話やイソップ童話、はたまた父親の奇想天外な創作童話まで、毎夜、何かしらのストーリーを楽しんでいた。
 空想するのもなにより好きだったから、当時見ていたアニメや漫画に自分が登場するストーリーを考えて、寝る前にイメージしていたことは今でも覚えている。
 こういったイメージングは、今にして思っても、非常に有効な脳のトレーニングであった。想像力というものが自分にあるとすれば、それはこの時期に基礎が組み立てられたのだと思う。
 

  そんな子供にとって、この「小さな魔女」のストーリーは、もう完璧なほどにハマる、最高の出来映えだった。魔女というちょっと怪しいシチュエーション、次々と出てくる不思議な魔法、魅力的な異国の人々、厳しくも暖かい風景や季節、そして意外な展開と、さらに意外なエンディング。
 もちろん影絵劇が終了した後、会場では出版されたばかりの「小さな魔女」の単行本が販売された。今やれば違法と言われかねない(?)囲い込みの商法かもしれないが、会場ではかなりの数の親が、子供にせがまれてこの本を買わされたに違いない。私はその当日買ったかどうかは記憶がない。我が家は当時はそんなに裕福ではなかったから、その場所では購入せず、おそらく後日この本を、親戚のおばさんか誰かにねだって買ってきてもらったような気がする。
 おおよそ自分で選んだ最初の書籍は、親が買ってきた学習誌や漫画本をはぶけば、この「小さい魔女」だと思う。
 

  もちろん手にしたこの本は、私の愛読書となった。何度か紛失したが、学研はこの本を絶版にしなかったから、何度も買った。今自分で持っているのは1993年の第91版。今もABSにこの本は常備してもらっているが、いったい何版なんだろう。
 ドイツに旅行した時、玩具と絵本の店に寄り、原書版の「小さい魔女」を見つけた時は嬉しかった。朗読のCDも発見し、自分の大事なコレクションになっている。
 こういった、良い本が、絶版になることもなく、いつでも手に入ること。これはすごく大事なことだと思う。一見単純なことのようだが、こういったことは、実は難しいことだからだ。
 

  「安売りのヤーコプ」のマッチ、紙でできた花を売っていた寂しげな娘、雪に覆われた街の片隅に置かれたストーブの前で鼻水を氷らせていたマロニ(栗)売り、ボーリングきちがいの夫に悩む妻...。こういった登場人物のことは、あまりにも魅力的で、おそらく一生忘れられないだろう。特に印象的なのは、トーマスのセリフだった。
 子供達がかわいがっていた牛が射撃大会の賞品に出されてしまった。落ち込んでいる子供達のために、小さな魔女は魔法をかける。そして射撃の名手の弾はみんなはずれるのに、この牛の持ち主の息子で、だれよりもその牛を愛していたトーマスの弾が的に命中、優勝するのである。
 

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...しんぶん記者「ウシのにくをやくのは、いつにしますかね」
「このウシはやいたりはしないんです。」とトーマスはこたえました。「このウシは、ウシ小屋にいって、いつまでもそこにいるんです」
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  『いつまでもそこにいる』
 こんなに単純で、そして気持ちにのこる、言葉。
 「小さな魔女」よりも小さな子供だった私には、大好きな人やものが、いつまでもそばにいる喜びを、心底感じる原因になったのだと、今でも思っている。
 

JOJO広重 2002.6.15.



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