この本は20代を少し過ぎた頃に読んだが、その後の私の人生に少なからず影をおとした1冊であるように思う。無人島に持っていく1冊(文庫では2冊だが)と言えば、実際この本をあげるかもしれない。誰にでもおもしろい小説であるとは言い難いし、思想的にも純文学ほど深いわけではないから、まあ一般には薦めないが。
麻雀放浪記という阿佐田哲也の代表作があるが、その作品のサブキャラであるドサ健を主人公にした、言ってみれば麻雀放浪記のサイドストーリーである。ばくちの世界に生きるチンピラの、コロし合いを描いた1本であるが、主人公もドサ健はもとより、出てくるキャラクターが実によく描かれている。グラマーだがばくちと縁の切れない殿下、殿下のかつてのスポンサーだった葬儀屋、落語家の花スケ、御曹司の春木、医者の息子の四郎、その女のミミー、選挙違反で関西から逃れてきたおかっぱの堤、バーテンの滝....。
こういった、結局はコロされると知りながらも、やはりばくちからは逃げられず、そしてある者は無惨に消えてゆき、ある者はうまくスリぬけ、最終的に残っていくヤツにはさらに厳しい勝負が待っている。
つまりは麻雀小説であるが、これはだれの人生にもあてはまるような、日本という世の中の裏側にきっちりと筋道が通っている、ひとつの縮図であった。そう思える理由に、年月を経て読み返すと、そこまでの間に出会った人がこの小説の登場人物に微妙に当てはまっていくことにいつも気がつく。
表があるからには裏があり、裏を知らない表は表でしかなく、裏を知っているつもりでも徹底していかなければ裏に飲み込まれてしまう。ばくちはばくちであるけれど、人生など誰にとってもばくちであろう。ばくちというものは主催者が儲かるものであるという大原則でありながら、まぬけな主催者を喰ったり、またそれを重々知りながらも、子が親を喰い、そしてばくちで食っていけると信じているものである。
そして勝ち逃げする以外に儲ける手段はないが、勝ち逃げしたヤツも結局は賭場に戻ってきて、どうせスッテンテンになる。金を取られないヤツは健康を取られる。金も健康も取られないヤツは、もっと大事なもの、つまり心を取られるのである。
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『もう、破滅しかかってるんです』
『他人はそう無条件にこっちの思うようになってくれん。また、こっちが他人に血を吸われたら、仕返しにまた執着が増してくる。そんなふうにならずに、おのれ一人で、無人島にに居るようなつもりで遊べるなら、それは面白く遊べるだろうが、まずお前ごときじゃむずかしいね。やめなさい』
『へえ』
『いうことはそれだけだよ。金は貸さない。たんとお苦しみよ。そんな苦しみはまだ序の口でね。やってる以上、まだこれからたくさん地獄の気分を味わうようになる。それでも皆やめないんだ。お前もやめないだろうよ。だから今、俺が銭を貸しても、なんの薬にもならないのだよ』
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やめずに生きているのはオレかオマエか。
スッテンテンになったのは誰だったか。
そしてコロされたのは?....?
JOJO広重
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2002.11.21.
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