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第11回
ひげよ、さらば
上野瞭著 理論社 1982年刊


  この大長編、単行本で778ページ、文庫版では1000ページを超える小説は、児童文学とされているが、立派なオトナ向けの文学作品である。かなりハードな内容で、おおよそ小学生が読むには過激過ぎる、残酷描写や絶望的なシーンが多数登場する。もちろんだからといって有害であるわけではなく、私がオトナとすれば子供にこそ読ませたいと思う作品である。しかしそれにしても、内容はハードだ。

  記憶喪失の猫・ヨゴロウザが主人公で、ふと目をさましたのがナナツカマツカという寺の境内の近くの場所だ。その付近一帯に住むノラ猫たちとの交流、ネズミ、野良犬たちとの攻防を描いたのがこの「ひげよさらば」という小説である。

  登場する猫や犬が魅力的だ。文字通りの「片目」、歌ばかり歌っている「歌い猫」、気どったシャムネコの「オトシダネ」、ほかにも、うらない猫、かけごと猫、さがし猫、星から来た猫など、名前を聞いただけでもワクワクするようなキャラクターである。しかしそれらがみな個性的、言い換えれば自分勝手な性格で、おおよそまとまりがつかない。その中でやがてヨゴロウザがリーダーになり、野良犬の大将・タレミミと生死をかけた対決をする展開となる。  

  ここまで私の文章を読めば、人間を猫と犬に例えたありきたりの友情と団結を描いた児童文学と思われがちだが、とてもとてもそんな甘っちょろい作品ではない。同じようなシチュエーションのネズミとイタチとの決闘を描いた楽しい小説「冒険者たち ガンバと15ひきの仲間」とはまるで比べ物にならない。血生臭く陰惨な決闘、成就しない恋、絶望感と失望感、心の葛藤、死、自殺、崩壊する組織など暗い展開が多く、全体を通して希望を持てるシーンはかなり少ない小説である。エンディングがまた壮絶だ。  

  それでもこの作品が秀逸なのは、おおよそ読者のほとんどが、自分が生きてきた社会に実在する人物と、この小説に登場する猫や犬やネズミをリンクすることが出来ることである。それは経済でもあり、政治でもあり、家族でもあり、友人や恋人でもあるかもしれない。そしていつの間にか読者が「生きるとはなにか」という大きな命題に対峙させられるところに、この小説「ひげよ、さらば」の真骨頂があるように思う。  

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「ヨゴロウザよ。今の歌は失敗じゃ。どうも調子が暗すぎるよ。わしはな、もうちっとましな。今の猫どもが耳をかすような歌を作らにゃならん、そう思っておるのよ。もちろん、歌の題名だけは決まっておるぞ。そいつはな、<ひげよ、さらば>という歌なんじゃ。」
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   我々インディーズ・ミュージシャンは、この小説においてはこのセリフを吐く「歌い猫」である。私と同じくミュージシャンのみんなよ、歌でなにかを表現することの素晴らしさと無力さを、この猫に見ることができるだろうか。さらば、お前自身よ、いつかはそう言えるのだろうかね。私はどうかな。君はどうだね? 




JOJO広重 2010.3.18.



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