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第6回
博奕打ち・総長賭博
監督:山下耕作 /1968年 日本


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『任侠の道なんて俺はしらねえ。俺はただのケチな人殺しよ!』
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  東映任侠映画の最高傑作。どんなにヤクザ映画をたくさん見た映画通がやってきたって、オレは一歩も譲らない。鶴田浩二主演のこの「博奕打ち・総長賭博」こそが究極のヤクザ映画であり、邦画を語るものなら、いや映画を語るものなら絶対に見ておかなくてはならない1本だ。

  義理と人情と日本人は簡単に口にするが、義理と人情は決して同じ心情のことではないことを、この映画は如実に描ききっている。義理を通せば非情になり、人情をとれば不義理をすることになる。徹底して筋と義理をとる中井こと鶴田浩二と、人の情を裏切ることを許せず男として引き下がれないとする松田こと若山富三郎、その間の女や子分の生き方を速いテンポで、それでいて矛盾もなく一気に最後まで見せる、ほぼ完璧な映画である。

  脚本の笠原和夫は後に「仁義なき戦い」シリーズを執筆するが、個人的にはこの「博奕打ち・総長賭博」の方をとりたい。三島由紀夫がこの映画を絶賛した意味も、わかる。

  主人公も、敵役も、脇役も、誰も悪くない。唯一悪いのは金子信雄演ずる仙波のみ。それなのに、義理と筋を守った者、深い人情に支えられた者、愛する者と愛された者が次々と死んでゆく様は、神も仏もないような地獄絵図だ。それなのにこの清々しいまでの、人が人であろうとすることの美しさと哀しさ。それがラストのなにもかもを捨てきって「ケチな人殺し」にたどり着く、いや登り詰める壮絶な絶望感に言いしれぬ感動を覚えるのである。

  この映画を私にお知えてくれたSくんは、最後の判決文が「死刑」ではなく「無期懲役」であるところに裁判官の情をを見た、ととっていた。私もそうとりたいところである。  



  『芸術なんて高尚なものはオレはしらねえ。オレはただのケチな雑音屋さ!』
  いつか、オレだってこう言い放ちたい。
 



JOJO広重 2007.1.21.


参考LINK:http://www.eiga-kawaraban.com/01/01012701.html



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