ときどきの雑記帖 RE* (新南口)
東京ラプソディ
東京ラプソディの歌詞
ふと気になって、東京ラプソディの歌詞を調べたのだけど 歌われている舞台が銀座→神田→浅草→新宿となってたのね。 一番(銀座)しか知らなかった。
今週のしずえさん
以前ここで
数日前からリンク先を直接開けなくなって (一度pocket内でリンク先の内容を見る形になっていて、オリジナルを見るには
view original
をクリックしないといけない)
とか、もう一つここでも 動作が「改悪」された(細かくは書いていなかったけど、 ひとつctrl+クリックすると画面のスクロールがおかしくなる(強制的に戻される)というもの) という話を書いていたけど、数日前に元に戻った模様。 やれやれ。
クアアイナ
先月末にラゾーナ川崎でも店がオープンしていたらしい。
readline
の登場時期をちょっと調べていたのだけど
glob
明日(以降)書く(たぶん)。 とりあえず前回の宿題のコードを。
- locstack
- endstak
- makearg
makearg(args)
REG STRING args;
{
args->argnxt=gchain;
gchain=args;
}
v7unix/stak.c at ed636a47207476db76d53b7869447889dee3bbad · v7unix/v7unix
STKPTR locstak()
{ /* set up stack for local use
* should be followed by `endstak'
*/
IF brkend-stakbot<BRKINCR
THEN setbrk(brkincr);
IF brkincr < BRKMAX
THEN brkincr += 256;
FI
FI
return(stakbot);
}
STKPTR endstak(argp)
REG STRING argp;
{ /* tidy up after `locstak' */
REG STKPTR oldstak;
*argp++=0;
oldstak=stakbot; stakbot=staktop=round(argp,BYTESPERWORD);
return(oldstak);
}
重箱の隅?
…えーとどこからこんな訳が?(推測できなくもないけど)
Crystal言語がRuby構文リリース1.0でCパフォーマンスを目指す
原文はこう。 Crystal Language That Aims at C Performance with Ruby Syntax Releases 1.0
怖くて本文は読んでません(笑)
長かった…
ファンの皆様お待たせ致しました。この冬「MOONLIGHT MILE 」の物語を再開します!再び吾郎、ロストマン、歩に会いに行きますので皆様お付き合い下さい!
— 太田垣康男 (@ohtagakiyasuo) May 13, 2021
10年ぶりくらい?
cal(1)
ncal は対応していました
— HARUYAMA Seigo (@haruyama) May 20, 2021
% ncal -s IT oct 1582
10月 1582
日 17 24 31
月 1 18 25
火 2 19 26
水 3 20 27
木 4 21 28
金 15 22 29
土 16 23 30
cal のデフォルトの出力では、1752 年 9 月 3 日をグレゴリオ暦への改暦日としている。他のロケールでの歴史上の改暦日は、 1582 年 10 月におけるその最初の導入も含めて、実装されていない。
SunOS リファレンスマニュアル 1 : ユーザーコマンド cal(1)
1752 年の 9 月のカレンダ出力は、通常のものと異なります。この月は、うるう年の調整の欠落を補うために 11 日分とばされています。
ちなみに 1752年9月に、ユリウス歴からグレゴリオ歴に (イギリスが) 移行した。そのため、1752年9月3日~13日は表示されない。
あれ。locale 設定見て暦の切り替え時期を変える cal(1)があったような気がしたんだけど勘違い? あと「伝統的な」cal(1)だとイギリスのそれだったような。
グレゴリオ暦の制定後、実施日である1582年10月15日に即座にこの暦を導入したのは、カトリックを奉じるイタリア諸国、スペイン、スペインに併合されていたポルトガル、ポーランドである。フランスは2か月ほど遅れたものの、1582年中に導入を果たした。1583年には神聖ローマ帝国のカトリック諸邦で、1584年にはスイスのカトリック諸州で導入され、カトリック諸国の改暦は数年を経ずして完了した。
1752年にはイギリスが帝国全域においてグレゴリオ暦を導入、1753年にはスウェーデンが独自暦だったスウェーデン暦を廃止してグレゴリオ暦に完全移行し、全てのプロテスタント諸国がグレゴリオ暦を導入することになった。
日本では、ほぼ西暦1872年に当たる明治5年、「太陰暦ヲ廃シ太陽暦ヲ頒行ス」とする改暦ノ布告(明治5年太政官布告第337号)を布告した。
この布告では、明治5年12月2日(1872年12月31日)をもって太陰太陽暦(天保暦)を廃止し、翌・明治6年(1873年)から太陽暦を採用すること、「來ル十二月三日ヲ以テ明治六年一月一日ト被定候事」として、グレゴリオ暦1873年1月1日に当たる明治5年12月3日を改めて明治6年1月1日とすることなどを定めた。したがって、明治5年まで使用されていた天保暦は、明治6年以降は旧暦となった。これが明治改暦である。
history - Is cal
broken? What happened in September 1752? - Unix & Linux Stack Exchange
どっかのドイツ人
Not only is the Internet dead, it’s starting to smell really bad.:2021年05月20日分
それをいったらどっかのドイツ人に鼻で笑われた記憶があるけど
「あの人」かな😄
話が前後するけど
さてどうでもいい話はおいといて、
そういう、「どうでもいい話」(を読むのが)割と好きです:)