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![]() 上信越国境 三国峠
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1998/10/31
使用自転車:RAIZIN MTB
使用タイヤ:26x1.75
三国街道は高崎から北上し、国境の三国峠を越え、寺泊に通じる道
である。上杉謙信の関東入りの合戦や、戊辰戦争における三国戦争
の古戦場の碑が建てられている。
☆行程☆
赤谷湖(相俣ダム)−後閑駅=(上越線)=越後湯沢−
−三国峠(旧道入り口)−旧三国峠−永井宿−赤谷湖(相俣ダム)
三国峠の旧道は、三国トンネルの入り口から三国峠を越えて、永井宿までの区
間ハイキング道として昔のままの姿で残されている。永井宿側の入り口にある説
明によれば、昭和34年にR17の三国トンネルが開通するまでは現役で使われ
ていた道である。越後湯沢駅から三国トンネルまで旧道を辿りつつR17を走ってきた我々(私
と「けぇ〜原氏」)は、仲間が待っている峠に向けて休憩もそこそこに出発した。
峠道は約1.5m幅くらいあり、ジムニーだったら走れそうな雰囲気である。多
少雨水で道は掘れぎみで、石がごろごろしていたりするが、自転車を押してゆけ
る。トンネルの周りは紅葉の盛りで、赤や黄色に染まっていた。道は緩やかに登ってゆくのだが、ここまでの走りが足に来ていて、なかなかペ
ースが上がらない。ちょっと油断すると、太股がつりそうになる。ごまかしごま
かし、ゆっくりと上がる。時間が遅いのか、ハイキング客もいなく、静かな道で
ある。しばらく行くと、水場にでた。「三国権現御神水」の看板。なにやらご利
益がありそうな名前である。湧き水か流水かはよく判らないが、手ですくって飲
んでみる。昔の旅人もここで喉を潤したのだろう。ここで小休止。登山口から半
分くらい来た頃だろうか。上にみえる峠もだいぶ近くなってきた。峠に近づくに
つれ、木々の葉は散ってしまっていて(台風の影響だろうか?)、初冬の様相に
なってきた。結局峠には約30分で到着。峠では仲間が昼寝をしながら我々の到着を待って
いた。峠は小さな広場になっていて、三国峠の名前の由来になった三国権現と数々の
石碑が並んでいた。峠の東側には三国山に通じるなだらかな笹で覆われた稜線が
見える。峠の向こう側は上州の山並みが続く。なかなかいい峠である。そんな峠
の雰囲気に合わせる様にランドナーが一台。K野氏がわれわれを驚かせる為に、
わざわざ持ってきたようである。石作りの灯篭に何気なく立てかけられたランド
ナーはいい味を出していた。
三国峠 仲間は我々が来るまで食事を待ってくれていたようである。すまん、すまん。
峠の見物は後回しにして早速昼食にする。空もすっかり晴れ上がり、ぽかぽか陽
気になっていている。峠の雰囲気を楽しみながらの昼食はいつもながら楽しい。
今回はS木氏がインターネットで知り合ったKさんがゲストで参加している。な
んとKさんは私とS木氏の会社に以前いたそうで、今回のツーリング中にそれが
判ったとのこと。奇遇である。そんなことで、初めて会ったとは思えないKさん
を交えて会話が弾んだ。昼食後、早速峠を見てまわる。峠には灯篭があり、おおきな鳥居があり、石仏
があり、石碑があり、そして三国権現の社殿がある。社殿の引き戸をあけて中に
入れば、両側にベンチと奥に祠があった。これが三国大権現であろう。拝礼。中
は暗く陰気なので、早々に外に出る。外に出れば、黒い石碑が目に付く。これに
は「三国峠を越えた人々」という題で歴史上の著名人がずらりと並んでいた。江
戸時代の参勤交代の大名も河井継之助も弘法大師も与謝野晶子も川端康成も名も
無い庶民も越えた峠である。峠の風景はそんなに変わってはいないであろう。ど
んな思いでこの風景を眺めたのだろうか。峠で1時間ほどのんびりして、永井宿に向けて出発となった。しばらくは、山
肌を横切るようにアップダウンを繰り返す。登りではほとんど押してゆく。45
分もそれを繰り返しただろうか。途中、雪崩で亡くなった長岡藩士の墓の前を通
過。雪深い時期にこの峠を越えなければならなかった時代の苦労が偲ばれる。やがて、大きな石碑と東屋がある大般若塚に到着。傍には案内板があり、ここ
が戊辰戦争の戦場だったことが判る。木々に囲まれた静かな場所なのだが、この
場所で多くの人の血が流れたと思うと、その静けさでさえ不気味に感じてくる。
ここに夜独りで来るには勇気が要りそうである。とはいえ、ここで小休止。ここから、峠道は下る一方になる。道は整備されていて走りやすい。ぐんぐん
高度を下げてゆく。調子に乗って走っていけば、つづらで前輪が滑り転倒。今日
はツーリング用に細いタイヤを履いていたことをすっかり忘れていた。膝にちょ
っと擦り傷を作った程度ですんだ。その後は峠道を楽しむようにゆっくり降りる
ようにする。紅葉の木々の間を行く至福の旧道下りは約25分で終わってしまっ
た。ここで車を回収に向かう仲間と別れて、私と「けぇ〜原」氏はさらに旧道探索
に向かうことになった。旧道はR17をほんの少し下ったところに永井宿に向か
ってついていた。R17沿いに降りてゆけば、道は直角に曲がる。そこに永井宿は今でもかつて
の姿を残して佇んでいた。永井宿は坂の斜面に作られた宿場で、まっすぐに伸び
た街道の両脇にかつての宿が並んでいる。一部の家は今でも民宿として泊まれる
ようである。街道は宿場の出口でさらに直角に曲がる。けぇ〜原氏に聞けば、こ
れは街道から本陣を直接見えなくする為の物で、宿場には必ずある物だそうだ。
最近旧街道マニアでもあるけぇ〜原氏に感謝。この後は標識に導かれながら、旧道をたどってゆく。旧道沿いは相変わらず、
石碑,石仏のたぐいが多い。しばらく行けば、R17に合流してしまった。旧道
はここからR17に吸収されたと思った我々は、そのままR17を猿ヶ京に向け
て走り出した。(あとで旧道がR17合流地点のすぐ傍から分岐しているのが分
かったのは猿ヶ京に着いた後であった。)猿ヶ京に到着した我々は、最後に関所跡を尋ねようと地図を広げた。地図から
もう少し先にあると判断した我々はそのままR17をダム湖に向かって降りたの
だが、どうも様子がおかしい。もう一度地図を見てみれば、先程地図を広げた場
所のすぐとなりが関所だったようである。
「もどります?」とけぇ〜原氏に聞いてみれば、
「目の端で見たような気がする。」
とのこと。かなりいいかげんだが登り直す元気も無いので、そのまま進むことに
した。この後しばらく走れば、今朝自動車を置いた公園はすぐそこであった。
コースタイム
旧峠登山口(三国トンネル) 12:08
旧峠 12:40−13:50
大般若塚 14:30−14:50
永井宿 15:16
赤谷湖デポ地 16:00
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