この物語は死の告知からはじまった。――すべての読み手に普遍的にそうである保証はないのだけれど、少なくともKにとってそうであるかぎり、書き手はそこからはじめるべきではないか。
 Kが死の告知を受ける場面から、この物語ははじまる。

〈看守〉は事前の予告もなく、Kの仕事場に姿を現した。Kは研究所と契約しており、そこの職員の〈看守〉がおとずれることは問題するに当たらない。
 ただKにとっての疑問は、いったい誰がいつから彼に〈看守〉というあだなをおくったかである。およそジェネレイティヴ・メトリックス関連の研究所の職員にふさわしい呼称とは思えないからだ。彼は管理者ではなく、一介の職員にしか過ぎない。にもかかわらずKの想いとは別に彼は〈看守〉なのである。
「今日の検体はこの一点ですね」
 Kは添付の資料に目を落としながら検体を受け取る。ふつう一点くらいしなく、資料もいつもと同じく、二十代前半の女性。ジェネレイティヴ・メトリクスの検査を受けるほとんどは女性である。
 ジェネレイティヴ・メトリックス、世代間計量は遺伝子診断で下された結果が自分の子どもにどれくらい継承されるかを「計量」する技術である。男女の差異のない遺伝環境では確率要因が大きく検査の意味が少ない。
 性染色体X上に鍵があるとき、遺伝型がXXである女性に世代間計量がもたらす数値的な結論は大きな影響を持つ。男女は条件的に対称的ではない。
「実は、所長が亡くなりました」
 所長と自分は親しかったのだろうか、そもそも会ったことはあったのだろうか。Kは心のなかで自問したが結論はでなかった。
「計量の結果はいつもどおりで?」
 Kの問いに〈看守〉はだまってうなずいた。そして話題をもどして問いかける。
「コーディネイターからの連絡は?」
「特にはない」
 彼のその問いにKは事情が理解できたような気がした。所長と親しかったかどうか、面識があったかどうか、それ以上に明らかなのは、所長がいなければ看守ともコーディネイターとも出会っていなかったという事実である。明確なのはただそれだけだった。
「ちょっとやっかいだ」
〈看守〉はうなずいてKに同意をしめしたが勘違いであることは明白である。誤解がないように付け加える。
「色覚第四原色の発現に関係したDNA情報単位は変異が大きい。解析はやっかいだ」
 振り返ったKに〈看守〉のさみしそうな表情が映った。自分は取り残された、そんな表情だった。――それは見事に的中した。結局「緑の谷間」を訪ねることになるのはKだけだったのである。
「所長が研究所とは別に非組織を運営していたことはご存じですね」
 コーディネイターはそう云ったが、Kに確信はなかった。コーディネイターが本来そうであるように彼女は組織に属していない。その点は〈看守〉と違い、Kと同じである。
「今年はゲートが開かれていることを知っていました? 所長はそのむこうがわに場所を用意していたんです。わたしがコーディネイトを頼まれていて、ぜひ、あなたにもいらしていただきたいんです」
「そこでわたしは何をしたらいいんです?」
「自由に考えていただいてけっこうです。そのための非組織です」
 唐突な申し入れにさすがのKも戸惑っていた。〈看守〉はこの事態を予想していたのだろうか?――それはない、彼は組織に属しているのだ。
「あなたはほかでもない、ネットワーク・リスナーなのですから、ぜひ」