空間が曲がっていることを直接に捉えることは困難である。われわれはジオメトリーの変化を介してそれを捉えている。
 ジオメトリー、不変空間計量はどこにでもある。時に物理的な実体と結びつき、また時に観念の領域に数学的にのみ存在する。そしてそれは唐突に姿を変える。ネットワーク・リスニングではそのきっかけを与えるものを特にカプタと名づけた。
 Kは重要なことに気づいた。心のありようが変わればジオメトリーは変化するのだ。この谷間が場所であることを知れば、単に緑の光が反射、散乱されているだけでないことがわかる。それは生命の輝きの一部であり、いつかさえずりを響かせる小鳥たちの卵であることがわかる。
 谷間を緑の光が満たしている。光は勝手に行き交っているのではない。そこにはKがいるのである。それによりジオメトリーは変わり、光は明瞭に位置づけられる。Kを取り巻く緑の光はジオメトリーを明確にする一種の測地線となる。
 ジオメトリーは意識されなくても存在し、多くの場合それは無意識に捉えられている。それは間違いない。だが――Kは思った。わたしは彼らにジオメトリーについて語らなければならない。ほかでもない、わたしはネットワーク・リスナーなのだから。ネットワークのささやきに耳を傾け、それを意識するものにほかならないのだからから。
「彼らに何を話すべきか、わかりました」
「それでは行きますか」
 副所長が先頭に立って歩き出す。今やKにももと小学校だった建物がしっかり見えていた。彼らはそこに集い、彼らのためにコーディネイトされた人びとと出会い、体験を重ねているのだった。Kは彼らにとって自分は何ものなのだろうかと考えた。伝達者――それがふさわしい呼称に思えた。
 近づくにつれ、彼らの姿がひとりひとりはっきりと捉えられるようになる。あせらずのんびりと、それでも生き生きとした伸びやかさが感じられる。「屈託がない」という形容そのものに見えた。
 Kはそこで彼らだけではなく、ほかの伝達者たちとも出会うことになる。歴史家、音楽家、言語マスター、気功師、パフォーマー、そういった人びとがさまざまな体験を彼らに提供している。そこでなされるのは伝達だけではないのだが、とりあえず自分自身は伝達者と心して彼らとの対面に臨んだ。
「わたしはネットワーク・リスナーとしてここに呼ばれたのですが、本質としてはインフォマティクス・エンジニアというのがふさわしいでしょう。ジオメトリーを頼りに仕事を進めるという点では、技術的には測量士のようなものかも知れません」
 彼らはKのことばに耳を傾けた。なじみのないジオメトリーの用語に加え、ある種のことばはすれ違う。それでも彼らなりの理解を得ようとしている。
「ネットワークは大きな倉庫のようなものだと思っていたんですが違うんですか?」
 ひとりが訪ねた。
「きっちりとすみずみまで箱を積みあげられるのが倉庫のジオメトリーです。そこには曲がりはなく、積め込むという意味で効率的です。積め込まれるという意味では受動的なジオメトリーです。カプタが顕れる、カプタに注目する、気づくことによってジオメトリーは変化します。直線的なものは多かれ少なかれ曲がるでしょう。倉庫に一輪の花が置かれました――ジオメトリーが変化したことがわかりますか?」
「あなたがその花のようなものなのですか」
 別のひとりがKに訊ねた。
「わたしとってはみなさんが、この緑の谷間に色彩と活力を与える花ばなにほかなりません。それをわたしが発見したのです。ここからは物語が語られることになるでしょう」