[近況報告]
現在再び入院しています。
場所は東京大学医学部付属病院北病棟6F(601)です。
今回の入院も別に何か悪くなったというわけではなく、
現在のいい状態を維持するための入院です。
ご心配なく。
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1999年2月15日(月)
突然ですが、正式に明日16日(火)退院となりました。
結局二ヶ月ちょっとの入院となりました。
結構しんどかったです。心構えがなかっただけに。
今日、最初に入院した頃から一緒で、骨髄移植を終えた患者さんと
久しぶりに会いました。すごく元気そうだったのでこちらまで
うれしくなってしまいました、というより感動してしまいました。
生き生きしてたから。結構大変な事だってあったのに。
俺のほうは最近、やれ心機能が低下しただの造血機能が悪いだので、
あまりの運の悪さにふてくされてた面もあったんだけど、
その程度のハンディは当然自分に課せられても仕方ないんじゃないか
という気がしてきて、またガッツが湧いてきました。
今はまた「なんでもきやがれ!」って気分です。
(今頃になってステロイド剤の効果でhighになってるのかな...)
とにかく明日退院。2月中は不本意ながら自宅でリハビリします。
これからが勝負どころです、後ろに下がらず前に進むための。
p.s.M2のみなさま、修論提出おめでとう!!お疲れさま。
俺も負けずに来年頑張ります!
1999年2月10日(水)
突然ですが今週末当たり外泊して病院にいません。
おそらく来週中旬当たりに退院になるでしょう。
「あれだけ気持ち悪がってたくせに突然なんだー!」と
怒られそうだけど、あれは気持ち悪くなる副作用を持つ薬
だったので、逆に白血球が増えてその薬を入れる必要がなくなれば
一気に元気になってしまいます。それが今週末当たりの予定。
かなり苦戦しましたが何とか下界に出られそうです。
正直ほっとしています。ご心配おかけしました。
1999年2月8日(月)
相変わらずファンギゾン地獄が続いているんですが、
ファンギゾンを点滴すると血中のカリウムが減ってきます。
だからオレンジ食べたりバナナ食べたりいろいろ苦心するんですが
結局は徒労に終わり、薬のお世話になります。で、スローケーという
でっかい錠剤をたくさん飲むんです。これがまたファンギゾンの
気持ち悪いのと相乗効果ですばらしいことになります。さらに
これでもかというように、オレンジジュースに塩化カリウムを
混ぜて飲むんですが、これがまた素晴らしく吐き気を誘います。
しかも今日の昼食は天敵「カレーうどん」。
病院のうどんはもうにおいをかいだだけで即アウトです。
看護学生さん達が「あー!カレーうどん!いいにおい!」と言って
歓声をあげていたのを聞いて、この子らと同じ土地には住めないと思いました。
(ちなみにまだ大貧血ですが退院は来週末〜再来週ぐらいとふんでいます)
1999年2月2日(火)
やっと肺からの出血もおさまってきて、レントゲンでも影が
薄くなってきました。でもまだまだファンギゾン地獄が
続きます。最低最悪の場合、退院は2月末になるかもしれません。
今月中旬には同期がみんな修士論文を提出します。
焦りで、もういいかげんストレス爆発しそうです。
退院したらどっか旅に出たいです...なんて悠長なことを
言ってる場合じゃほんとはないんだけど。入院してる期間は
遊んでるのと同じ訳ですから。苦しいか楽しいかの違いだけで。
1999年1月30日(土)
かなり白血球が増えてきて、
相変わらず赤血球と血小板が少ないながらも、
かなりいい調子です....
と思いきや
今朝5時頃、時代劇みたいに血痰を吐いてしまって、
今日はえらい騒ぎになってしまいました。
体調は全然今のところ自覚症状がなくて、
熱なんて1ヶ月半ぶりの36.5度です。
どこが悪いのか全然分かりませんが、
どこも悪くなかったら血は出ないでしょう。
お医者さんのお話では肺に影があるとのこと、
「ファンギゾン」という薬を入れるかも知れません。
この薬を入れると高熱が出るわ気持ち悪くなるわ
へろへろになるので、しばらくhomepageの更新はできないかも。
あしからず。
2月中旬には元気に皆さまとお会いできると思います。
1999年1月27日(水)
まだ感染がおさまっていなくて、
背中の筋肉が痛く何となくだるいけど、
とりあえず骨髄が回復基調に乗ってきたようです。
血球を作る量と血球が減少していく量が
トントンで、輸血が必要なくなってきました。
まあ自分の場合、これから退院までが結構長いんですが。
1999年1月23日(土)
また何かに感染してしまったようです。
ほんとついてないけど、退院までの最後の試練でしょう。
別によくあることなのでご心配なく。
これも長い目で見れば必要なことなんでしょう。
(何言ってるんでしょうか、ちょっとラリってます)
1999年1月21日(木)
月曜、昨日と赤血球・血小板の輸血をしました。
以前は輸血する度に肝炎とかいろいろな病気に
感染するんじゃないかといちいち心配していましたが、
もう慣れてしまって何とも思いません。
と同時に、献血してくれた人からもらってるんだという
感謝の気持ちも薄れがちです。罰当たり。
知ってる患者さんが亡くなっても以前ほどショックを
受けなくなったし、感性が摩耗しています。
今のところまだ全然血球が増えてきてなくて、
退院のめどは立っていません。
1999年1月18日(月)
やっと完全復活です。まだ血球は少なくて、
輸血が必要なくらいですが、とりあえず痛いところも
なくなって、食欲も出てきました。
少しは文化的な生活が営めそうです。
↑血小板が減ると紫斑が出ます 輸血用血小板 輸血用赤血球
髪がもうごまかしが利かないくらい抜けたので、
髪を洗って、今日を持ちまして、きれいさっぱりツルっぱげにしました。
洗髪前 洗髪後
元理UV11組のH.Tさん、A.Oさん、頂いた粘着ローラ、
抜け毛取りに大活躍でした。謝謝!
1999年1月15日(金)
やっと寝込んでなくても平気になりました。
まだ胃腸が本調子ではなくて食欲不振ですが
何とか点滴でなく口から栄養を取れるようになってきました。
今回の入院は予想以上にハードになってしまいました。
出られるのもおそらく1月末か2月あたまでしょう。
当初の予定より1ヶ月遅れです。
1999年1月13日(水)
先週当たりから変なウイルスかなにかに感染してしまい、
グロッキー状態です。
やっとキーボードを打てるくらいにまで回復してきました。
1週間後には元気になってると思います。
1999年1月8日(金)
やっぱり人生そう楽には行きませんね。
白血球が減ったせいか、口の中が痛いです。
口内炎じゃないみたいだけど、とにかくしばらくは
固形物を口に入れられなそうです。
熱も微熱程度なのに体の節々が痛くて
体感的には38〜39度台のようです。
体温計壊れてるんじゃ?と疑ってしまいます。
1999年1月7日(木)
昨日の晩当たりからちょっと何かに感染したような
気がします。熱もそれほど上がってないし、
口ものどもおしりも大丈夫だから、大したことはないでしょう。
しばらくモダシンとアミカシンという自分にとってはお馴染みの
抗生剤を点滴して安静にしてます。
せっかく出た七草粥も食欲不振でパスです。
1999年1月6日(水)
何の変化もありませんね、この閉ざされた空間の中じゃ。
鼻血がずーっとちょっとづつ出てるような気がします。
血小板が減ったせいです。
(1立方ミリメートルあたり7000コ、普通の人の1/40くらい!)
そういえば昨日の晩に一番はじめに受け持ってくれた先生
(病名告知をうけた)が様子を見に来てくれました。
その先生は珍しく「俺についてこい(自信満々)」型の
先生ではなく、「あれ?」「しまった!」「まずい...」等の
医者の禁句をポロッと言うような先生です。
俺だけかも知れないけど、そういうこと言ってくれるほうが
なんか一緒にがんばろう!っていう気になります。
あんまり「大丈夫ですよ、私たちに任せてくれれば」みたいに言われると
「ああ、じゃあ煮るなり焼くなり好きにしてくれい!こんちくしょー!」
っていう具合に下町入ってきます。生来あまのじゃくだから。
すいません、書くことなくて。
1999年1月5日(火)
昨日の晩から「クリーン」状態に入りました。
要するに白血球が薬の作用で減ってきて、
免疫力が落ちるので、あまり病室からウロウロ出たり
生ものを食べたりできなくなります。
この状態から解放されるのはおそらく再来週ぐらい。
一応、面会禁止って事になっています。
関係ないですが、今「第2次結婚ブーム」が到来しています。
俺の周り限定かもしれませんが。
JuneWeddingにしようとか思うと今頃の時期から
準備に入らないといけないからでしょうか。
それにしてもあと何年学生やるか分からない自分にとっては
ものすごいRealityのない話です。
「火星探査機MarsPathFinderが火星表面の土壌を採取しました」
っていう話のほうがまだRealityがあります。
Realityがない故に
「みんなお幸せに! HappyWedding!!」
という晴れ晴れした気分です。
(少し焦ったほうがいいだろうになあ...。)
どうでもいいことたくさん書いてしまいましたが、
とどのつまり、今日で今回の治療についての抗ガン剤投与が
終わり、これから数週間カーテンで仕切られた空間で
感染を恐れながら細々とやっとります、ということでした。
1999年1月3日(日)
今日あたりから血球が減ってきました。
また献血のお世話になります。
どこからかハトの声がします。
しかも室内...半径5m以内から。
新年の挨拶でしょうか。
1999年1月1日(金)
サトウの鏡餅@病院
明けましておめでとうございます、月並みですが。
正月は患者も可能な限り退院or外泊するので
病院の中はたいへん静かです。
お医者さんや看護婦さんも今日はさすがに
時間に余裕があるようで、詰め所からおしゃべりが
常に聞こえています。
いつも話しかけるのも申し訳ないぐらい忙しそうで、
同年代の人たちがそれだけ働いているのを見て
少なからずプレッシャーを感じずにはいられなかったから、
今日はすごく気分的に楽でした。
できればいつもこれぐらいのハードさならいいんですが...。
とにかく思ったより晴れ晴れした病院でのお正月です。
p.s.やたら豪華な昼食(そのしわ寄せがあとで来ます)
1998年12月31日(木)
ついに今年も今日で終わってしまいます。
あたりまえですが。
今年は夢を見てるような毎日でした。
おそらく来年・再来年が本当の闘病生活のような
気がします。なんのために闘病してるのかを
強く意識しなくてはダメになるでしょう。
みなさまよいお年を!月並みですが...。
年忘れ企画 「これが骨髄だ!!」(あまりおもしろくない)
骨髄液そのもの(どろどろ) プレパラートにして顕微鏡で細胞を見ます
今度は骨髄取られるところもぜひ記録しておきたいものです。
1998年12月30日(水)
おかげさまで強烈二日酔い状態から脱出しました。
26〜28の3日間はほんとしゃべれないくらい
ゲロゲロ状態でした。参りました。
今回は弱い薬だからと余裕かましてたら
とんでもない逆襲を食らいました。
結局、以前使って効果覿面だった吐き気止め
「セロトーン」を点滴して落ち着きました。
でもほんとセロトーンが効いてよかった...。
セロトーンの点滴に向かって「お願いだから効いてくれ〜」と
泣きついてしまいました。セロトーンを発明した人、
大変感謝しています。
このご恩は一生忘れません
1998年12月26日(土)
昨日の晩当たりからキてしまいました。
なんとなく気持ち悪いです。
薬は弱いはずなんですが。
明日からしばらく更新をサボるかも知れません。
気持ち悪くなるのは別に悪いことではなく、
至極当然なることなのでご心配なく。
1998年12月25日(金)
今日から抗ガン剤投与が始まりました。
でも今までの薬に比べたら全然らくらく...のはずです。
前みたいに写真を載せてもおもしろくない、無色透明の
点滴です(生理食塩水みたいなのに粉末の薬が混ぜてある)。
しかも今回はCV(首の静脈へ入れる、点滴用の管)がいらなくて
腕から点滴ができます。らくらくです。
そういえば昨日の晩はクリスマスディナーでした。
病院食としては確かに「ディナー」って感じでした。
(ちゃんとケーキもあります↓)
1998年12月24日(木)
今日、結局治療をすることで決まりました。
ということで明日から「気持ち悪いウィーク」が始まります。
クリスマスに抗ガン剤、正月に吐き気とは、
来年もいい年になりそうです。
どうやら地球上に50億人以上いる人類の中でも
俺に骨髄くれる人はいないようです。
なんかすごいことだなあ、などと他人事のように感じてしまいます。
「みんなのやりたがらないことをやる」というのが人生訓なので
まあよしとしましょう。誰に向かって言ってるんでしょうか。
1998年12月23日(水)
今日は休日なので何もありません。
昨日骨髄穿刺したところを消毒してるとき、看護婦さんが
「1.5ミリくらいの穴が開いています」
と言ったので
「一輪挿しでも生けられそうですね」
と言ったら、ノーリアクションでした。
今日は暖かかったけどその瞬間だけは厳冬でした。
1998年12月22日(火)
今日骨随をとって、これで退院の話が...と思ったら
なんと思ったより骨髄が回復してきているので
治療しようかっていう話になりそうです。
まだ本決まりじゃないんだけど、いやはやびっくりしました。
もし治療となるとあと1ヶ月は入院することになります。
なんか裏目裏目だよなあ...。
あと1ヶ月で出られればギリギリで今学期の単位を
取れるかも知れませんが、ちょっとでも伸びたら
全滅になるでしょう。
(ちなみに俺の場合1ヶ月と言われて1ヶ月で
終わったためしがありません。)
別にそこまで単位にこだわらなくても卒業は可能です。
でもこの2ヶ月間無理にでも講義に出ていたので、
意地でも単位を取りたいのです、博士課程の分まで。
最初は治療しようと思って入院したくせに、治療できないと
聞いたらちょっとホッとしてしまって、完全にリラックスモードに
入ってたから、これからモチベーションを高めていかなくては。
1998年12月21日(月)
昨日の夜、病院に戻ってきました。
ほんと病衣を着ると急に病人になった感じがします。
明日骨髄を取って、おそらく退院の予定も立つことでしょう。
どうせ大してよくなってるとは思えませんが。
先週の金曜にオーケストラがくる、と書いたのですが、
弦楽四重奏の間違いでした。
演奏も上手だったんですが、それよりも印象残ったのは
病人の多さです。病院なんだから当たり前なんだけど。
演奏の途中で点滴のポンプが電池切れになって
やむなく病室に戻る人とか、何とかならないのかなと
思ってしまいます。
工学部の学生なんだから他人事ではありません。
コンサートを見てて、一番楽しそうなのが演奏者と
準備をしてくれたボランティアの人たちのように感じました。
きっと自分も障害者の人たちから見たらこういう風に
見えていたんだろうなあ...。
1998年12月18日(金)
突然ですが今日から日曜の夜まで家に戻ります。
退院ではないですが、週末は家にいます。
今日の晩には東京芸大のオーケストラがチャリティコンサートを
病院内でしてくれるらしいので、それを聴いてから帰ります。
ほんとお気楽なもんです。
ただし今日の採血ではまた血球数が伸び悩んでいて、
先行き不安です。
昨日は「確実に増えてる」って書いたのに、うそでした。
まさに一喜一憂しています。
1998年12月17日(木)
今日の教授回診で「とりあえず退院しましょう」と
言われると思いきや、「来週骨髄を検査してその結果を見て
決めましょう」と言われました。要するにもうすこし
様子を見るということです。
もう当然のように退院準備をしてたので、
ちょっと肩すかしでした。
ただ確実に末梢血(腕から取った血)の血小板や白血球は
増えているので、いい調子になりつつあります。
1998年12月16日(水)
今日の血液内科のカンファランスで決まるのですが
どうやらなにもせずこのまま退院しそうです。
現在の状態から治療ができるくらいに骨髄が
回復するまでに1ヶ月程度かかるそうです。
ということは1月一杯様子を見て、
2月ごろまた入院ということに。
今週末にはもう病院にいません、おそらく。
1998年12月15日(火)
治療が先送りになることで(まだ未定)
予想外に年末年始を病院外で迎えられそうな
雰囲気になっています。マクロに見れば全然
いいことではないんだけど、ミクロに見れば病院から
早く出られるのでラッキーとも言えます...かなり無理が。
最近、病気自慢というかなんというか、そいういうのが
多くなってきて困っています。誰と何を話してても
ふと気がつくとそういう話になってるんだよなあ。
もっとクリエイティブな話はできないもんかと...。
入院する度に病院食の写真をとっとこうと思うんだけど
食事がくると反射的にまず食べてしまって、
未だに撮れずにいます。食欲おそるべし。
1998年12月14日(月)
入院してもうすぐ1週間、まだ何もしていません。
というのも骨髄の調子がいまひとつだからです。
原因はよく分からないんですが、とにかく今はダメージを
与えるような治療は無理だそうで、今週1週間
様子を見ます。どうもうまくいかないなあ...。
何もせずこのまま一旦退院するかも知れません。
ほんと根性のない骨髄です。
やらなきゃいけないことは山ほどあるのに、病室の
暖かさのせいかボーッとしてしまいます。
病院の中は季節に関係なく暑すぎです!
p.s.今回の入院はデジカメが活躍するような
おもしろい場面がありません...
1998年12月10日(木)
12月8日から入院しました。今までhomepageの更新を
サボっていました。というかまたキーボードをバチバチ
たたくとうるさがられそうな環境なもので...。
静かに打っています。
今回も7F・8F(血液腫瘍内科)に空きがなく、6F(呼吸器内科)に
入院となりました。特に僕のいる部屋は血液疾患は自分一人です。
昨日骨髄をとり、その結果から治療のメニューが決まって
今日から治療のはずだったんですが、諸事情により
どうやら先送りになりそうです。来週からという説も...。
もしかしたら今週末は病院にいないかも知れません。
入院してからはレポート書きに追われていました。
みんなが修士論文書いてるってのに、単位取るのに
あくせくしてるのも不本意なんですが。
修士を卒業するのも目途がたってないのに
とりあえず博士課程分の単位も取ってしまいます。
「誕生日・クリスマス・正月」という3大式典を
全部病院で迎えるかという危機に立たされましたが
12月7日の誕生日は何とか家で迎えられ、
ぎりぎりでグランドスラムだけは阻止できました。
前回(1998.9.〜10.)の入院記録