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田中敦子

 日々の手仕事

大分 青竹細工 桐山浩実

自給自足的手仕事から見えてくるもの

 竹の恵みはひとかたならない。生育が早く、しなやかで丈夫で、細工しやすい性質であることから、生活道具、農具、漁具、武具、楽器、文具、建築材、土木材など、幅広く用いられてきた。古の中国の賢者は、竹を「凡草衆木の及ぶところにあらず」と賞賛したというが、納得の言葉である。

 中国や東南アジアの国々を旅すると、市場や田畑で手編みの竹籠を今も見かける。かつて、日本の農村や漁村でも、手編みの竹籠がふんだんに使われていたが、仕事道具の首座から消えて久しい。

 農具や漁具としての竹細工は、〝青物〟と呼ばれる。伐り出したばかりの青々とした真竹で編み上げる、質実剛健な籠だ。竹の伐採から仕上げまで1人でこなさなければいけない大変な仕事だが、この青物作りを、暮らしの中心に据えた若き職人がいる。竹細工師・桐山浩実さんだ。

 制作と生活の拠点は、大分県庄内町の山里。湯布院から車で約40分。道中、竹林や竹藪が鬱蒼と続く。ここは、古くから真竹の産地として知られる土地なのである。

「伐った竹がすぐ材料になるのが青物。だから、近くに竹林があり、材料を把握できる土地がいいんです」 

 桐山さんは、自宅の裏手にある竹林に向かう細道を上りながら、そんな風に説明してくれる。

 大分県では、今も竹細工が盛んに作られているが、白物と呼ばれる、漂白した竹を使った籠が中心だ。そんな中で、なぜ桐山さんは、敢えて青物を選んだのだろう。

いちばん緊張するのは、竹の伐採作業

「材料の最初の状態から責任を持つのが、手仕事じゃないかと思うんです。白物は、竹を伐る人と編む人が別々、分業なんです」

 裏山の竹林は、杉の人工林の中に竹が生え、寺の庭や竹の子のための竹林とは趣が異なる。「竹は日が当たりすぎると、固くなって折れやすいんです。杉の木があると、適度に日よけ、風よけになって、いい素性の竹になるんですよ」

 素性。竹のコンディションである。桐山さんは、竹をゆすってしなり具合を確かめ、あるいは竹を叩いて音を聞き、硬さを判断する。

「これで、粘いか、固いか、だいたい分かります」

 そして、必要なものだけを伐採する。竹の命をもらうのだ。無駄な伐り出しはできない。

「いちばん緊張する作業ですね」

 やがて一本の竹を選び、桐山さんはのこぎりを入れる。ほどなく、ざわざわと音を立てながら竹は倒れる。

 獣を屠るのとは違うけれど、竹が切り倒された瞬間、胸が締め付けられた。日々、こんな感覚を全身で受け止めていればこそ、謙虚な気持ちで竹と向き合えるのだと、実感する。

 桐山さんは、竹を選ぶ目や、竹を編む技術を、ほとんど独学で身につけた。竹に対しての慈しみや感謝の気持ちもまた、自ら感じ取り、籠作りに込めてきた。竹と関わるようになって15年。奈良生まれの桐山さんは、紆余曲折あって、大分にたどり着いたのだが、「ひとつひとつの経験があって、今があるんだと思います」と、静かに語る。

 

最も大切なのは

技術ではなく、

もの作りの精神性

 

 今に結びつく、初めの一歩は、肩の故障で体育大学を中退した後に就職した福祉施設だった。

「ここで農業の技術を学びました。このころから、農業をしながら生きることを考えるようになって」

 しかし、組織の中ではひずみも出てくる。個人単位、家族単位で、農業を営む暮らしはできないものかと、7年間勤めた施設を辞め、全国放浪の旅に出る。各地の手仕事に触れ、

農業の手伝いをした。屋久島で、半農半著の翻訳家と出会い、影響を受けもした。が、なかなか将来の方向が見えない。大分の竹細工の知ったのは、しばらく滞在していた屋久島を出るときだった。

「別府の訓練校に一年通いました。修了後、ある青物の職人さんに弟子入りしたかったのですが、その方は、弟子が誰1人育たなかったと、こりごりしていて、断られました」

 孤軍奮闘が始まった。師は、暮らしの中で用の美を育んだ民具の竹籠。

「使う中で足し算引き算して完成した民具の形は、本当にきれいです」

 例えば奄美大島の魚籠や、山の民が煮干しの長期保存に使っていたいりこ籠。

「竹林で竹に導かれ、籠を作りながら技術を身につけた感じです。ただ、指針が全くないから、どうにでもできてしまうのが恐ろしくなって」

 そして、思い至った。ものを作る以前に、生き方、精神性を大事にしなければいけない、と。暮らしの中から生まれた竹籠である。昔に立ち戻り、田を耕し、野菜を育てながら、竹籠の歴史と意味を受けとめて、自分の欲を最優先しないもの作りをしていきたい。

 今、桐山さん一家は、築90年の一軒家に暮らし、自給自足に近い生活を送っている。

「精神的な意味を伝えなければ、技術だけ残ってもだめだと、この頃よく思います」

 竹籠がなくても生きていける。けれど、「それでも自分の作るものに振り向いてくださる人がいるのは、何か意味があると思うんです」。

 美しい造形は、時代を超えて人の心を捉える。要は現代の暮らしにあった使い方を見出せばいいのだ。しかし、青物の仕事に従事する人は、ごくわずかで、40代の桐山さんの上は、いきなり70代、80代だ。

 その昔、青物細工は、貧しい民のつらい生業だった。ゆえに、積極的に子に継承する伝統を育めなかったところもある。しかし、桐山さんは、息子の大空くんに、仕事をつなげたいと考えている。中学生ながら、すでに籠編みはマスターしている。

「親が仕事に誇りをもっていれば、自然と受け継いでくれるのではないでしょうか。青竹細工の暗い歴史の部分もきちんと認めて、未来につなげていければいいですね」

(2005年 ニコスマガジン6月号「ニッポンの職人」原稿より)

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