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田中敦子

 日々の手仕事

東京 手植えブラシ 田中ブラシ製作所

誠実な夫唱婦随の仕事ぶり

 都営新宿線の森下駅下車、清澄通りに面したその店をのぞくと、板の間で黙々と作業をするご夫婦の姿があった。毛を植えるための穴をつぼ錐(中すぼまりに穴をあける錐)で穿った朴の板を万力で固定し、穴にステンレス製の針金を輪にして通したら、毛を指先でつまみ取り、針金の輪が中心にくるように入れ込んで針金を裏に引く。こうすると、用途に合わせて長さを切りそろえた毛がちょうど半分の長さになって、穴の中にぎゅっと固定される。

 丸いブラシなら、中心から外に向かって渦を巻くように。四角いブラシなら、一列一列をジグザグに。針金は、ミシンの下糸のようにつながっている。毛を植える、というより、編み込む、といった方が、特徴を説明しやすいのだが、ブラシの表は、確かに田んぼに植えられた苗に似ている。

 で、ふと気づく。針金の編み目の処理は?

「共蓋をして、釘で止めます。蓋が手植えブラシの証しです」

 手を動かしながら、穏やかに説明するのは、手植えブラシ職人である田中久継さん。祖父の代から始まった家業で、現在は、奥さんの静江さんとともに仕事を続けている。店先で仕事をするのは、「看板代わりですよ」と笑う。同時に、技に自信があればこそ。

 日本におけるブラシの歴史は、そう古いものではない。

「幕末に黒船がきましたでしょ。で、船の甲板を洗うデッキブラシを調達するため、江戸の職人に本国と同じものをつくらせたのが始まりだと聞いてます」

 日本の手仕事のルーツは、舶来品が少なくない。器用な日本人は、工夫を加えてわがものとしてきた。ブラシもまた然り。黒船は、太平の眠りを覚ましただけでなく、新しい道具をもたらす存在でもあったのだ。やがて開国。近代化の波の中、ブラシの需要は広がっていった。

 現在手がけているブラシの一例を挙げてもらった。デッキブラシ、馬を洗うブラシ、靴ブラシ、洋服ブラシ、帽子ブラシ、理髪店用襟払いブラシ、工業機械を洗うブラシ、ボディブラシ、フェイスブラシ、ペット用ブラシ、千社札の糊付けブラシ、エステティックサロンからの特注品だというリンパドレナージュ用ブラシもある。

「だいたい300種類くらいあると思いますよ。うちは特注品も多いですね。図面をもらったり、写真見せられて、こんなのつくれない?ということも。用途に合ったデザイン、毛の種類、穴の間隔、毛の密度や長さ、また薬品を洗うので一切金属を使わない、などを決めて形にします」

 久継さんの説明に合わせ、静江さんが手を止めてさっと立ち上がり、さまざまなブラシや材料の毛を取り出して見せてくださる。

 毛は、馬、豚、山羊など。ほかにパキン(植物繊維)、ものによりナイロンも使うが、基本は天然素材。また、同じ毛でも硬い部分、やわらかい部分を使い分ける。

「たとえばね、馬の毛は水に強くて摩擦しにくいんで、ボディブラシにいいんですよ」と、ひとつひとつ判断していくのは、経験あってのもの。

「中学生のころからお小遣いにつたれて手伝ってました。家内工業ですからね、家族総出です。当時は家族の他に通いの人もいたし、内職さんにも出してました」

 中学卒業後、夜学に通いながら本格的に手伝うようになったが、一年後、父親が逝去、16歳で一家の主となり、親方となった。以来、半世紀以上、この道一筋だ。

 多くの人手を使い、つくるそばから売れていた時代は、機械ものや安い輸入品の参入で終焉した。が、その後も夫婦ふたり規模で誠実な物づくりを続けている人は、「機械もずいぶんよくなりましたよ」と、淡々としている。

「ただね、機械製は毛を多めにしないと抜けやすいし、純毛だと滑りにくくて植えづらいので、純天然毛と銘打ちながらも、油がわりに滑りのいいナイロンの毛を混ぜているものもあるんです」

 多めに植えた毛は蒸れやすい。また、天然の毛は、使ううちに穏やかに摩耗していくが、そこにナイロンが入っていれば、当然摩耗の仕方が違うから、当たりが悪くなる。見た目からはわからない、手仕事との違いだ。

 40年以上向き合って仕事してきた2人の作業が続く。指で毛束をぱっとつまめば、だいたい同じ本数になる。多いと入らないし、少なければ抜けてしまう。

「長年やっていれば、だいたいの感覚でわかるものですよ」

 毛のほとんどは、中国やカナダからの輸入品。最近の原料高で、原毛価格も高騰している。しかし、ブラシは消耗品、だからあんまり高くはできないんです、という。毛を植え終えたら、長さを整え、木地を磨く。簡素な白木に屋号の焼き印を入れたら完成だ。

 ○にタの字。信頼と安心の目印である。

(JR東海、山陽新幹線社内誌「ひととき」掲載原稿より)

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