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田中敦子

 日々の手仕事

砥部焼 大東アリン

 伝統の地に咲く可憐な花

 いくつになっても乙女心を揺さぶるものってある。

 私にとっては花柄で、微妙な色使いの、この世の花とはちょっと違う夢の中に咲く花のような、そんな図柄に出合うと、もうドキドキして手に入れずにいられなくなる。

 大東アリンさんの器との出合いも、そうだった。。

 砥部焼を中心に扱っているギャラリーを訪ねたとき、他の砥部焼とは一線を画したエレガントにして邪気のない平和な花の絵つけに引き寄せられた。

 私が日々つかっている器とはまったく違うタイプ。いや,お気に入りのリンドベリの皿など、北欧のものと近いかもしれない。いやいや、松下高文さんの水中花みたいなガラスに近いか。いずれにしても、一見、衝動買い的危険性を感じながらも、でも、やっぱり好きのツボのストライクゾーン。よし、と両手でしっかりもってうなずいたのだった。

 アリンさんはフィリピンのミンダナオ島出身。大学の研究員だったとき、海外青年協力隊でやってきた愛媛県は砥部の出身の直行さんと出会い、恋に落ちた。結婚はフィリピンで。そして日本に一緒に行くことになった。砥部焼の窯元の息子だったご主人。アリンさんは、自分が日本の伝統的な焼き物に関われるはずがない、と最初は英語教師をしていたが、三番目の子供が生まれたころからご主人の仕事を手伝うようになり、絵つけぐらいはできるようにと考えた。

「鉛筆で絵を描くのは好き。でも、砥部の一筆描きみたいは流暢な線、筆ではとても描けないよ」と、ご主人と一緒にアリンさんでもできる技法を探して探して、見つけたのが和紙染めというもの。和紙を切り絵状にして素焼きの器の上に乗せ、その上から絵筆で顔料をしみ込ませていくと、和紙を通してじわりと絵の具が染みわたる。水墨画のような感じ、といえばよいか。じかに絵つけしては生まれないぼかしが白昼夢のような明るい儚さを生み出す。中間色の色合いは、アリンさんが好んだ色の中から砥部焼にふさわしいものを直行さんが選んでくれたもの。2人の出会いがあって、美しい花は開花したのだった。

 が、直行さんは7年前、突然亡くなった。なんの前触れもなかった。

「どうしてなの、ってちょっとおかしくなった時期もあったよ」とアリンさんはいう。夢と現実が混乱するような、喪失感。

 でも、三人の息子さんがいたから、アリンさんは頑張ってこれたのだ。

「今は息子たちが旦那さんみたいでね、きびしいよ(笑)」

 工房は、砥部の市街から少し離れた見晴らしのいい土地にある。その一帯は陶里ヶ丘と呼ばれていて、洒落た工房が集まっている。その中でもひときわ雰囲気いいのが、アリンさんの工房、nao東窯だ。

 ガラス面をたっぷりとったナチュラルな木造の開放的なアトリエ。ショールームも明るくて、ガラスの向こうには濃い緑。南国風の植物が生い茂り、白いハンモックが掛けられている。そして眼下には、砥部の里山が広がっている。

 ご主人はきっと、アリンさんと濃密につながっていた美しい南の島から彼女を引き離してしまったため、ずいぶん心をくだいたのではないだろうか。

 そしてアトリエとアリンさんの作品、なんてなじみがいいのだろう。白昼夢の花は、薔薇、木蓮、木瓜、アネモネ、桜。アリンさんのイメージの中で像を結んだ花々だ。実物を写実することはないという。

 アリンさんは小柄で、日本語はかなり上手ではあるけれど、やはりネイティブではないから可愛らしく聞こえる、でも、伝えようとすることは知的で、鋭い。

 ランチをしながら、子供時代の面白い話を聞いた。

「食事に出た料理がおいしくて、どうやってつくるの?と聞いたら、食べればわかるでしょってママにいわれてね、凄くショックだったけど、それから一生懸命自分で訓練したの」

 だから、今では食べたものはすべてどう料理するかわかるから、美味しかったものはすぐ自分でもつくってみる。味覚がとても発達しているのだ。味覚の発達は、焼き物をつくる彼女の大切な才能のひとつだろう。そして、ミンダナオ島の豊かな自然が育んだ美的感性も作品から滲み出ている。

「轆轤は旦那さんの担当だったから、亡くなってから始めたので、まだまだ」というが、器のフォルムは、砥部焼だけでなく東洋陶磁の歴史から学び、伝統的なフォルムと自らの個性的な絵つけを組み合わせる。

 砥部の地に根付いて咲いた花は、この先、もっともっと大きい花を咲かせていくにちがいな。

 

 

 

 

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