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田中敦子

 日々の手仕事

津軽こぎん 弘前こぎん研究所

乙女心の文様

 以前、米沢にある東北の民芸資料館で裂織に刺し子をした着物を見たことがある。使い捨てなど思いも寄らないその昔、切れ端や残り糸も大切に大切に利用されてきた。浴衣は寝間着に、そして襁褓に、雑巾に、そうして役目を果たしたら、風呂や竃のたきつけとして灰になり、その灰がまた畑の養分になった。

 裂織も、古くなった着物を裂いてつないで糸にして、緯糸として織り込んでつくる布地。その再利用の知恵に、さらに刺し子。裂織の着物がもろけてきたから、刺し子で補強したのだろう。いらなくなったTシャツを裂いて雑巾にする程度しか再利用しない現代人には衝撃的な歴史の証人で、モノを粗末にしない、できない暮らしぶりに根付いたモノとの親密さを感じながら、その一方で東北の過酷な冬を、知恵で乗り切った人たちへの畏敬の気持ちで目頭が熱くなった。 

 こぎん。これもまた刺し子の一種で、刺し子が芸術的に進化したものといえようか。子どもの頃、「こぎん刺繍」というタイトルの手芸本が家にあったが、フランス刺繍みたいに可愛い模様ではないためか、積極的に手に取らなかった。あれは大人のもの。そう思っていた。

 大人になった今は、とてもとても愛しいと思う。

 こぎん刺しの菱模様は、ハナコ(花)、マメコ(まめ)、猫のマナグ(まなこ)など、ひとつひとつ具体的な名前があるけれど、とても高度な意匠化を感じる。それは直線縫いの連続で生み出して行く幾何的文様ゆえだろう。平織りの規則的な布地の目を拾って、ちくちく、ちくちく。ただひたすら。時代が下れば下るほど、びっしりと刺し子されていく。なんでこんなにと、と驚くほどだが、理由がある。

 江戸時代の中頃、ようやく日本にも木綿が普及するようになる。育てやすく、扱いやすく、暖かくて吸湿性も高い木綿は、それまで寒い冬でも麻衣だった庶民の救世主となり、瞬く間に普及したのだった。徳川幕府の奢侈禁止令により、町人や百姓は絹物を着られなかったことも拍車をかけた。しかし、そもそも木綿は熱帯性の植物。品種改良の積み重ねで、温帯の日本でも育てられるようになった歴史がある。だから育てられる土地にも限界がある。永らく栃木県の真岡市が栽培の北限だった。

 つまり、庶民の味方である木綿も、北限のさらに向こうにある東北では贅沢品で、木綿の衣類は御法度となった。相変わらず麻の衣類で冬を過ごさなければいけない農民たちは、自家製の麻の布を織り、少しでも暖かく丈夫に、と麻の糸で刺し子を加えたのが始まりだったという。やがて、僅かに手に入る木綿の白糸を藍色の麻に刺すようになり、娘たちは小さい頃から手ほどきを受けた。雪に閉ざされる長い冬、津軽の娘たちは、春の訪れを待ちながら針を動かした。暗い囲炉裏の火を灯りに、手の感覚を頼りに、目に心に写るものを模様にしていったのだろう。

 華やかに、そして暖かく、その思いが木綿糸で縫う面積を増やしていった。こぎんは娘たちの嫁入り道具にもなり、祭り着、晴れ着にもなっていた。凝った模様、新規な模様、そしてきれいな仕上がりは賢い娘の証しともなった。明治以降は、木綿糸が自由に手に入るようになったから、ますます文様はたっぷり、そして凝ったものになったという。

 

 6月、前から訪ねたかった「弘前こぎん研究所」へ。建築界の巨匠、ル・コルビジェの弟子である前川國男が最初に手がけたという建物も見てみたかった。白壁の直線的なビルは、しとしとと降りしきる霧雨の中、時を経て、静かに土地になじんでいた。

 電話では何度か話したことのある須藤さんが迎えてくれた。

 地色は麻色、木綿糸は白やシュガーパステルという私の片寄った好みを、快く受け入れてくれて、アイテム、木地色、刺し模様を決めていく。そんなことをしている間も、女性たちが仕上がったこぎん刺しを持ってやってくる。津軽こぎんは、地元女性の内職として定着しているのだった。

「そういえば、どんな風に刺していくんでしょう」という私のいまさらな質問に、須藤さんは「あ、やってみましょうか」と笑う。

「簡単なんですよ。直線に目を拾って縫うだけですから」

 設計図はない。平織りの布は、いわば方眼紙で、何目飛ばして刺して、次は何目、と考えながらちくちく縫っていく。ある程度刺したら糸をしごくが、ふっくらと余裕を持たせる。布地がつるような引っ張り方はしない。だから立体感があり、ほっこり優しいのだ。こうして刺せば、糸と布の間に空気が籠って、着たときに暖かいという効果もありそうだ。

 現岩手県の南部藩には、南部菱刺という刺し子があった。津軽は奇数目を拾い、南部は偶数目を拾うという違いがあるのが面白いのだが、その南部菱刺の作家の方から、ただただ針を動かしていると、嫌なことを忘れて乗り切ることができるの、という話を聞いたことがある。遊び歩いてなかなか帰ってこない夫を、日本刺繍をしながら待ち続けたという人もいる。針仕事は、心を無にしてすごせる、凪のような時間でもある。

 きものの半襟を縫うのもひと苦労な、裁縫下手な私ではあるが、それでも針を持つ女心はしみじみ沁みてくる。 

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