週刊おさる

 

「突然」10月25日 第57号

  健康で当たり前のように毎日起床を繰り返し、時には不摂生をする。そんな生活が一瞬にして損なわれる場合もある。自分の周りに病人が急に多くなって、入院をしている人が数人いる。何れも深刻な病気で、入院して治療を施せば健康に戻れる訳ではない。皆普段はとても元気で、一緒に酒を飲んだことも何度となくあったが、もうそれすら出来ないと思うと寂しいものだ。
  一瞬にして人生が変わってしまう。自分もその可能性があるのだと痛感している。当たり前だと思っている健康も、そうは思えなくなったし、体は大切にしなくては、と心底思う。外的ストレスがたまりやすい現代社会においては、昔よりも病気そのものが複雑になっているようにも思える。必要以上に長生きしたいとは思わないけど、体に無理をさせるのはもう止めようと決めた。

 

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「障害物」9月30日 第56号

   前回9月2日に書いているから、なんだか久しぶりの週間おさる。中旬に長い休みをもらって旅行にいったりしていたので不在だったのです。
  さて、先日、近所の店まで自転車でいって、店先に自転車を止めようとしたところ、すでに2台くらいが先に並んでいた。店には駐輪場がなかったので、歩道に置いたのだが、その歩道のちょっと先に目をやると一人の女性が車椅子でこちらに向かってきた。当然のことながら、歩道に自転車を止めてしまうと、その車椅子の女性はまったく通れなくなってしまう。歩道と車道の境には段差があったし、避けようがないのだった。仕方なく私は自分の自転車と先に止めてあった2台の自転車を側に寄せて、なんとかその女性が車椅子で通れる様にした。その女性は「どうもありがとうございます」と言ったと同時に「こんなところに自転車おいて」と吐き捨てるように言った。健常者にとっては、歩道の自転車は邪魔でも避ければそれで済む。しかし、車椅子には通せん坊になってしまう。それ以上進めなくなってしまう。普段は平気でやってることが、時としてすごく迷惑になるんだなぁと思った。

 


「実りの秋」9月2日 第55号

   今年もまた実りの秋がやってきた。家の前の田んぼも日に日に実を大きくしているようで、その曲がった穂先が風に大きくゆれている。昼間はまだ暑い日もあるが、夜になれば鈴虫が涼しげに鳴き、秋を感じさせる。四季がはっきりした日本に生まれてよかったなぁと季節の変わり目にはいつも思う。そして、その四季をはっきりと感じられる今の住処もなかなか居心地がいい。そろそろ引っ越しでもしようかと考えてはいるが、環境のことを考えると離れがたいものはある。便利さをとるか環境をとるか、両立はなかなか難しい。


「今年最高の会話」8月23日 第54号

  先週末、久しぶりに草野球に行った。とかく熱かった。メンバーが子供を一人連れてきていたのだが、その女の子は会話をしてるとなかなか楽しい子だった。聞けば来年小学校とのことだったが、色々なことを実によく知っている。その反面知らないことに対しては、とても好奇心を持って質問してくる。子供って純粋で好奇心旺盛で実にいいなぁと思った。特に彼女とその父親の会話は、文句なく今年一番の笑いを取った会話だった。彼女は最近「サラリーマン」という言葉を覚えたのだが、どうもそれが何だかは知らないらしい。
  娘「サラリーマンって飛べるの??」(スーパーマンやウルトラマンと同類と思っているらしい)
  父「飛べないけど、飛ばされることがあるんだよ」
  娘「・・・・・??・・・・・・」
  実に面白い質問に対して、その上を行く父親の答え。爆笑だった。子供は何がおかしいのか、さっぱり分からなかっただろうけれど、この親子の会話には脱帽だった。また、会って一緒に話をして、今年最高の会話の記録を更新したい。

 


「幻のCM」8月16日 第53号

  今年6月あたりの話。阪神タイガースは新生野村監督に率いられ予想外の快進撃を続けていた。阪神狂の私としても嬉しい限りであったが、阪神ゆえにハンシン半疑な思いで見つめていた。あれから2ケ月。優勝の如く沸いていた周辺のトラ吉達は、いまや定位置に沈着していてる阪神に対してナリを潜めている。
  ところで、キリンラガーのCMに今年ノムさんが登場していたのを知っているであろうか?私の記憶では1回しか見ていない。知人に聞いても、見たことがないという人が圧倒的だ。CMの設定は、単身赴任のノムさんが一人家に戻ると、留守電が入っている。留守電から、あのサッチーの声が「もしもしぃ〜。あなたぁ?」と聞こえてくるや否や、ノムさんは途中で留守録を切って、冷蔵庫からビールを出し、ゴクリゴクリと飲む・・・というものだった。サッチーが世を騒がせ始めたせいか、そのCMは早々に打ち切られてしまったようだ。あの幻のCMのように、阪神の快進撃もまるで幻のようだった。残りまだ30試合位あるのだから今年は違うぞ!と思わせるタイガースを最後まで見せてほしい。


 

「夜毎の音」8月9日 第52号

  毎日暑い日が続くが、この寝苦しい中、もし夜中に近隣の音に悩まされ睡眠不足が続いたら、まさに地獄。車のエンジン爆音、テレビや音楽、楽器の音、どれも夜中には勘弁してもらいたい音だ。特に他人の音は気になりだしたら、うるさく感じて仕方ないのは自分だけだろうか?幸い我が家には上記のどの音の被害もない。しかし、毎夜嫌でも耳に入る音がある。それはカエルの声と蝉の声。カエルは初夏に比べればその数も減っているが、最盛期にはテレビのボリュームを2段階くらい上げないと聞こえない。深夜を超えても大合唱だ。最近では、街灯があるせいか、短い地上での人生を謳歌するが如く、蝉が夜中も鳴いている。カエルと蝉のダブルパンチはかなりの音量となるが、不思議なことにテレビやエンジンの音のように耐え難い音ではない。なぜカエルの大合唱には耐えられるのか?どうしてだろう??そんな疑問を抱きつつ、今日もカエルと蝉の声に包まれて、熱帯夜を過ごす・・・。

 


「7月終焉まじか」7月30日 第51号

  7月もあっという間に終わってしまう。気がつけばもう30日だ。1999年の7の月といえば、かの有名なノストラダムスの大予言の月でもある。特に何もなく終わりそうな7月。平和な話題も悲惨な話題もいつもと変わらず溢れいてる。これといって、「これがあの予言か」と思えるようなことは何もなかったように思える。しかし、本当の予言は9月に起きるという説もあるが、あまり関心のない私は、食料を備蓄することもなく、普段と変わらぬ生活をしている。それより、コンピュータの2000年問題の方が断然、真実味たっぷりの世紀末地球崩壊への第一歩の要素をふんだんに含んでいるように思える。対応は済んでいると豪語している企業もあるがこればかりは蓋を開けてみないことには、結果は分からないはずだ。企業内でシステムテストを既に済ませたと言っていても、その関連企業、取引先企業など末端まで対応済みとはとても思えない。それに2000年対応されていないマイクロチップが世界中に未曾有にあるとなると、やはり何か起きるのではと思わざるを得ない。もし、何かが起きたら、ちょっとずれたけどノストラダムスの予言も当たったではないか、というオチになるのだろうか。笑って新世紀を迎えるには、まだまだ難関有りの気配。

 

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「閉店」7月19日 第50号

  不景気の折り、デパートの閉店のニュースを何度か耳にした。日本橋東急デパートの閉店の時には、皮肉なことに空前絶後の売上だったとか。東京での閉店のニュースはわざわざ遠くから来た人や列を作る人を報道していた。一方、福岡の玉屋の閉店のニュースは、列をなす人ではなく、山笠が入り口で止まり、手拍子で締めている様子を映していた。伝統あるお祭りの中で、その足を止めてまで最後を見送る博多っこの心意気は本当にかっこいいと思った。私自身、福岡は馴染み深いところで、玉屋にも何度も足を運んだことがある。いまでこそ、東京でも見かけるデパートが進出しているが、昔は福岡のデパートといえば、玉屋。そういった意味では地域に根づいた百貨店であったはずだ。他店の進出、景気、色々なものが影響したと思うが、山笠に送られた玉屋は本当に有終の美を飾ることが出来たように思う。

 


「おさる水に浮き沈む」7月1日 第49号

  先日生まれて初めて、ダイビングプールにて、フィンダイビングというものを体験した。ダイビングすらやったことがないのに、泳いで素潜りなんて大丈夫かと心配しつつも、興味本位で講習会に参加してみた。水圧とはすごいもので、ちょっと潜るだけでとたんに耳がひどく痛くなる。鼻をつまんで耳に空気をいれる「耳抜き」をしないとならないが、これがなかなか上手くできず難儀した。それでも徐々になれてくると一緒のダイビングプールにいる人達を観察する余裕も出てきた。皆、魚のようにイルカのように自由自在だ。水中5mのところで、宙返りをしたり、体をひねったり、とても綺麗だった。足にはヒレを付けているので思ったより楽に水中を移動できるのだが、5m近くになると耳の痛みと息が続かないのとですぐに浮上してしまった。2時間弱の講習はあっという間に終わってしまい、また次回挑戦したいという欲望も出てきた。
  帰り道、巨大な水圧の中に棲む深海魚はすごいとつくづく思った。環境に適応して進化をする生物の生命力にも感心した。人間は2足歩行で地上での生活を選んだが、鳥のように空を飛びたい、水中を魚のように泳ぎたいと欲望だけは、どの生物よりも進化しているようだ。

 


「つぎはぎ歩道」7月1日 第48号

  商店街や町中の歩道がおしゃれだ。色とりどりのレンガで石畳風になっている。けれども、そう思うのも束の間。これはやっぱりやらない方がいい、そう思っている。なぜかというと道路工事があるたびにレンガの歩道は無残にも掘り返され、そのあとに同じレンガを敷くこともなく、黒いアスファルトがむき出しになっているからだ。もともと黒いアスファルトだけなら、掘って埋めても同じ黒。しかしレンガの歩道の所々が黒いのはなんとも汚らしい。最近では雨水が染み込むアスファルトも開発されているし無理にレンガで綺麗にするよりも、アスファルトでいいのではと思ってしまう。中にはレンガではなくて、ちょっと凹凸のある石が引いてある歩道もあるが、とても歩きづらい。歩道にレンガや石を敷き詰めるために予算を使うならもっと別のところに出資してもらいたいものだ。

 


 

「髭剃りおやじ」6月21日 第47号

   近頃乗り物の中など人前で平気で化粧をし続ける若い女性を目にするが、若い人に限らず・・・といった場面に出くわした。初老のおやじが電車の中で電気剃刀で髭を剃っていた。電車の中に「じじじじじじ」と雑音が流れふと目をやると面前のおやじが髭を剃っていた。私が凝視していると、そのおやじは視線に気が付き、怪訝な顔で私を見ていた。やがて隣の人もその髭剃りおやじをジロジロと見始めた。なにせ髭を剃りつづけている時間が長いのである。最初は遠慮がちだった周囲もやがてその光景に釘付けになったが、おやじは気にする様もなかった。背広という姿から会社勤めなのだろうか?それにしても電車の中であれだけ時間をかけて髭をそっていれば注目されるのも無理ない。私も長い間、社会人をやっていて、毎日のように通勤電車に揺られているが、電車の中で髭をそっている人は始めてお目にかかった。そう言えば今朝の新聞に若者がやたらと地べたに座り込むのは、親にそういう事が恥ずかしい事だと教えられないから、という一説が述べてあった。しかし、いつの時代も恥ずかしさを知らない人は存在するようだ。

 


「新社会人」6月7日 第46号

   どうやら5月病を乗り越えたらしい新社会人を電車で見かける。同じようにスーツを着ていてもどこかぎこちなく、新社会人らしさを醸し出している。思えば私も新社会人だった頃があった。景気もよく、今と比べると何の苦労もなく会社に入れた時代だった。会社では、社会人としての常識やマナーの講習を受けたが、一番苦手だったのは、電話を取ることであった。当時、私のいた部署では、男女区別なく新人は率先して電話に出ていた。気が付くとみんなが先を争って電話を取っていた。私は知らず知らずに苦手だった電話に負けじと手を伸ばしていた。ある日、誰よりも速く電話をとれる装置を作った。その頃、まだダイヤル電話で、外線を取る為には「2」をまわしていた。私は「2」まで回したところで、紙で作ったストッパーをダイヤルのアナに差しておいた。更にストッパーと受話器を「綴じ紐」で結んだ。電話が鳴って、受話器を取るだけでストッパーが外れ誰よりも速く外線電話に出れると考えた。私は自分の妙案に酔いしれ、外線電話を待った。
  電話が鳴った。私はすぐさま受話器を取った。速い、あまりにも速い。外線奪取の勢いとストッパーが外れる様をみて、私は開口一番、爆笑してしまった。私に爆笑された人がいったい誰であったか記憶には無いが、今思えば私の新人時代は、ある意味恐いもの知らずで、奔放であった。
  社会人経験が長くなると、どうも護りに入ったり、計算高かったり、アカにまみれた図太さも身に付いてくる。初めて社会人になった時の、新鮮さは忘れないでいたい。

 


「新参者」6月1日 第45号

   宇宙ステーションの建設がいよいよ始まった。この広い宇宙の中で人間以上に科学が進歩している生物はいるのだろうか?偶然の積み重なりで生物が誕生し、進化が繰り返された。宇宙広しといえども、未だ生物の発見には至っていない。宇宙の隅々まで探せば、もしかすると私たちのような、あるいはもっと進化した生物がいるかもしれない。先日、宇宙は誕生から約140憶年経っているらしいという研究報告を読んだ。私にとっては意外であった。地球が45憶年と言われているので、それから素人考えでその器なる宇宙空間は、さらにさらに途方も無い年月を超えて存在していると思っていたからだ。宇宙が誕生して、45憶年前にやっと地球で出来た。その長い歴史の中で、人類の誕生なんてほんの一昨日くらいのことなのだ。でも、ぽっと出の人類は、色々な面で進歩しすぎて、その地球の環境を壊し始めている。人類は最も優れていて、最も愚かな生物なのかもしれない。

 


「春カゼ」5月24日 第44号

  季節の変わり目か、不摂生か(そのつもりはないが)どうも体調が芳しくない日々が続いていた。春風邪をこじらせて、高熱はでるわ、咳はひどいわ、喉は痛いわ・・・一体何を悪いことしたというのか?と苦痛を紛らわせるためのとばっちりを考えたり。でも先週からようやく体調も上昇気流に乗ってきて、薫風を楽しむ余裕もできた。そう思っていたらもう5月も下旬でもうすぐ梅雨にはいる。梅雨寒でまたまた体調を崩さない様に用心したいものだ。どうも今年は体調が隔月に崩れるという方式が成立しつつある。となると次は7月??夏休みに色々と計画しているのになぁ。

 


 

「虎キチ苦節X年」5月7日 第43号

  虎キチの私としては、この所の阪神タイガースの快進撃は、嬉しいの一言に尽きる。その上、アンチ巨人でもあるので、その嬉しさは倍増している。もともと甲子園の近くで育った私にとって、甲子園球場は遊び場でもあった。自然と阪神ファンになり、現在に至る。今年になってからは、方々から、「野村が監督になったから期待できるねぇ」とか調子のいいことを言われたりもしたが、この所悲しい思いをずっとしてきた虎キチにとっては、過度の期待は禁物であった。開幕の巨人戦は私のスタンドからの応援虚しく敗戦だった。その後連敗もあった。しかし、ここにきて徐々に、期待禁物のこの私にも「ややっ!!??」と思わせる戦いぶり。「もしかして、ひょっとすると?」と期待も芽吹いている。さらに嬉しいのは、周りの人に「今年は阪神調子いいみたいじゃないの」と言われると、まるで自分が誉められているが如く嬉しい。この所調子がいまいちだったので、誰もそんなことは言ってはくれなかった。しかし私の虎キチは周知の事実なので、ここに来て阪神の快進撃が私に悦びの言葉を贈ってくれる。・・・それから日テレ系でありながら嬉しそうな掛布を見るのも、この上ない楽しみでもある。

 


「春から夏へ」4月30日 第42号

   週間おさるも42号になって、50号になったらそろそろ今までのものは別ページに移そうかとも考えている。ま、そんなことはどうでもよいのだが・・・。
   日本に生まれ、はっきりと四季を感じることが出来るのは幸せだと思う。人それぞれに四季折々の感じ方や思い出があると思うが、この季節、気が付くとすっかり日が伸びている。寒さに耐えつつ着膨れた姿ではない。夕暮れ時、家路に向かう途中、商店街などを歩いていると店先から聞こえるラジオのナイター実況を聞くと日本の夏が近いとしみじみと思う。ナイターが外に聞こえる店は、店の主人が暇そうだったり、一杯飲み屋だったりと、だいたい相場が決まっている。小奇麗な喫茶店やレストランからは聞こえてくるはずもない。私はこの時季から夏にかけて、店から漏れ聞こえるナイター実況に耳をすると、歩調を緩めつつ戦況を聞く。店先を通過したと同時に「4回を終わってタイガースの大量リードで・・・」なんて耳にすると心の中で「よしよし!」と拳を握る。せめて夏にかけては、ペナントが混戦状態であってほしい。今年も阪神タイガースを密かに熱く応援する。

 


「ネット愛用者」4月13日 第41号

  パソコン通信をする身としてはコンピュータウィルスは要注意だ。ウィルスバスターなどを入れていても、新種のウィルスは次々と発生するので、撃退ソフトとウィルスのいたちごっこ状態だ。私はたまにウィルスチェックをしているが、常時チェックするとパソコンの力量的には重過ぎて、他の作業に支障をきたすので、気が向いたらソフトを作動させてチェックするといったマニュアルな方法をとっている。もちろん、身に覚えのないメールは開かないようにしているし、まして添付ファイルは出所が分からない場合は開かないことにしている。幸いなことに妙な添付ファイルは送信されて来たことはないが、通信をする以上、注意するに超したことはない。けれど、つい先日の新聞に、出荷したばかりの新品のパソコンからウィルスが発見されたと出ていた。どういうことなのか詳細はしらないが、通信しなかったらウィルスに対して無防備でいられるという事は絶対にない。フロッピーからの感染もありうるし、なんせ新品商品にも存在してしまった。
  パソコン通信は非常に便利だし、インターネットも情報収集に多いに役立つ、今後ユーザーも今以上に増えるだろう。それと同時に、ネット犯罪も増える傾向にある。
  ネットの中にウィルスをばら撒いたり、猥褻画像や不法な情報を流していても、犯人を特定することは困難だと思っていたが、先日のウィルス「メリッサ」にみたFBIの捜査から逮捕までの速さには驚いた。日本でもネット警官が24時間監視をしているようだ。ネットの中は無法地帯という従来の考えはまかり通らない。

 


「お花見」4月4日第40号

   4月4日、東京の桜は満開であった。その日、私は桜が奇麗な住宅街を歩いていた。いつもは閑散としているのに、桜の季節は遠方からも人が来るのか、大変な賑わいようだ。住宅街とあって、地元の住民が家の前に椅子を出して抹茶をサービスしたりしていて、なんともアットホ−ムな雰囲気だ。私は毎年その桜並木を歩くのだが、いつもはお茶や甘酒はご馳走にならない。大抵素通りしてしまうのだが、今回は抹茶を頂いた。その時隣に座っていた白髪の老女2人組みは、桜の下、写真を見ていた。写真といっても写っているのは赤い振り袖の女性で、どうやら見合い写真のようだった。そういう光景を見るとついつい桜も抹茶もそっちのけで、老女の話に耳を傾けつつ、視線はついついお見合い写真に・・・。老女の話は親戚、知り合い始め、どこそこの誰それは、本当にいいお嬢さんになられてねぇ、とか終始他人の話で盛り上がっていた。桜の下で、さんざんネタとなったいた写真のお嬢さんを考えると、「もう!こんなところで噂にしないでよ!」という声が聞こえてきそうだった。老女の平和な世間話はつきず、抹茶を飲み干した私は再びのんびりと桜の下を散歩した。

 


 

「おさるの風格」3月31日第39号

   世の中、ボスになりうる奴は、格好がよくて、どこか強そうで、信頼のおけそうな雰囲気を漂わせ、凛々しい感じがするものだ。おさるの世界も同じだ。人間と違ってごまかしやワイロも効かないので野生の社会の方がボスになるのはそれなりの人材(猿材?)が必要だと思う。
   野生の猿が温泉にはいると有名な長野県の地獄谷温泉に行った時のこと。そこには野生の猿が人間に餌付けされて暮らしている。彼らは人間が見学に来ることに関してはさほど困惑した様子もなく平然と温泉に浸かり、ノミを取り合い、遊歩道の真ん中であろうが、手すりであろうが座り込んで寛いでいる。そこでは、猿達が優先権を持っていてる。視線を合わせ続けると猿は威嚇してくる。視線を合わせつづけることは猿に対して「挑戦の意志」を放つに等しい。飽きずに大好きな猿を眺めているうちに、餌の時間となり、山から谷から今までどこにいたのかと思うような数の猿が集まってきた。皆が夢中で餌にありつく中、少し遅れて後光の差しているサルがやってきた。ピンと立った尻尾、毛並み、体格、顔(非常にハンサム)、のっしりのっしり歩くその風格はまさにボスそのものだった。ボスが近づくと周りの平民サルはさっと引く。あまりにかっこいい光景で、私は更に長い時間サルに釘付けになった。

 


「花粉」3月22日 第38号

   去年あたりから、私の体は花粉を感じるようになった。今まで花粉が飛んでいても、まったく何の変化もなかった私の体は、花粉を感じると目がかゆくなったり、鼻水が出たりしている。花粉症なんてとずっと他人事としか思っていなかったのに、突然体に変調があった時には、何度も風邪ではと疑った。しかし、ほんの2、3日すると目も鼻も大丈夫になった。きっと体の中で戦いに勝ったのだろうと思っているのだが、あまり詳しく体の仕組みをしらないので実際のところ、どうなのか良く分からない。この所、現代病とされる病気や新種のウィルスの話を聞くたびに心配になる。いつまでも体の戦いに勝算はない。
   最近、人間は弱くなったのではないかと思うことがある。医学は発達したし、薬も豊富だ。日本人は清潔を好み、抗菌商品が売れている。でも薬や抗菌商品に頼れば頼るほど、いざという時に菌と戦う力を失うような気がする。適度な野蛮さが健康の為にはいいのだ。何事も摂取過剰はよくない。私は普段からあまり薬を飲む事はないが、花粉に勝てたのもそのおかげかもしれない。
  ちなみに、風邪か花粉かどちらかなと思った時、喉奥の上のイガイガ感、目のかゆみ、くしゃみ、鼻水このうち3つが同時に発生していればほぼ間違えなく花粉症だろう。

 


「閻魔大王の嘆きと輪廻崩壊」3月15日 第37号

  地獄の三丁目では閻魔大王様が困っている。下界から地獄にやってくる人間どもの目玉をくり抜こうとしたら、もう目玉がなかった。それでは、と思い口から手を入れて肝をつかもうとしたら肝がなかった。一体どうしたんだと思い、下界の様子をさぐると、最近では人間の臓物もリサクル活用されているのである。閻魔様の楽しみも人間界の医学の進歩とともに、なくなってしまいつつある。そこで、閻魔様は天国の神様に「お宅ではいったいどうしているのかな?」と問い合わせたところ、「私のところでは、ここに来た者の姿を変えて、もう一度下界に戻しているのだが、最近では体のパーツが足りない者もいて、どうにもこうにも・・・輪廻崩壊といった感じかねぇ・・・。やれやれたいした時代になったもんだ。」どうやら地獄の三丁目と同じく悩んでいたのであった。
  先だって、日本初の脳死移植なるものが行われた。移植技術は今後ますます進むだろう。私は臓器提供には賛成の口であったが、初の脳死移植のニュースを見ていて、考え直した。やはり脳死での提供は私に関しては止めよう。それを待っている人がいるのは分かるが、提供するか否かは個人の問題である。個人の自由である。なぜ私が提供することを止めたか。それは輪廻というものを信じているからである。

 


 

「不況な日本」3月2日 第36号

   日本が不況に陥ってすでに何年だろう。市民生活の様子見状態は依然続いているように思える。先日ふと思ったのだが、そうは言え、日本人はとても奇麗な車に乗ってる人が多い。奇麗な車比率は間違いなく日本は世界一だと思う。地方の友人に言わせると、地方だと家を持っている人も少なくないので、車好きだとかなりのお金をつぎ込んでしまうとの事。なるほど一理ある。
   ふと、皆の洋服に目が行く。それなりにこざっぱりした格好をしている。お店に行くと商品が溢れ、中にはディスカウントされた商品もある。「ああ、日本って先進国なんだなぁ・・・。」改めて思った。日本橋のデパートが閉店するともなれば、その店舗の半年の売上が閉店セールの間に上がる。なんだ皆お金持ってるんだ・・・そんな思いでニュースを見ていた。もしかして、出し惜しみしてるだけで、それなりに貯えていて、流通していないだけかもしれない。
   ベースアップゼロ、リストラ、減俸という言葉は不況の風をまともに受けるサラーリーマンにとっては、切実なもの。でもこの先進国の企業は、何か見えない無駄な物で着膨れているように思えてならない。雇用者の賃金をカットする前に改善しなくてはならない課題はたくさんあると思う。バブル景気に浮かれて課題を見失った結果、気がついたら、人員整理でしか打つ手がなかったのかもしれないが。

 


「過去を見る」2月22日 第35号

   ハワイの山のうえに「スバル」という巨大な望遠鏡が完成した。なんでも富士山の上のテニスボールが見れるくらいの性能というから、漠然ときっとすごいのだろうと感心してしまう。もっとも天体望遠鏡だからテニスボールの識別くらい朝飯前でないと使い物にならないとも言える。私は小学生の頃、星の観察をして以来、星を眺めることが好きで、宇宙の神秘、未知の世界に興味を持つようになった。光の速度を持ってしても何万年とかかる気の遠くなるような距離にありながら、まだその先には宇宙が広がっているかもしれないと思うと、どうなっているのか知りたくてたまらない。今私達の目に見える星は、すでに何万年も昔の光であって、今時点、その星自体が存在しているとも判らない。私達がみている星空は過去なのかと思うとなんとも不思議な思いがする。「スバル望遠鏡」の宇宙での新たな発見に期待したい。

 


 

「欲望」2月15日 第34号

  なんかすごく美味しいものが食べたい。キャベツたっぷりの広島焼き。お寿司+熱燗をひっかけながら・・・。表面が少しパリっとしていてい中がトロリとしていて、程よい硬さのタコが入ったたこ焼。カニ鍋。伊勢海老のグラタン。新鮮野菜のサラダ+手作りドレッシング。フカヒレラーメン。トンコツラーメン。大きな餃子。挽肉の味がたっぷりのミートソース。テールシチュー。ぜんぜん油っぽくなくカラリと揚がった天ぷら。ブロイラーじゃない鶏肉と無農薬のふっといネギが交互に刺さった焼き鳥。
  あーー食べたいなぁ。でも本当に美味しいものって自分で素材から作るか、高いお金を出さないと味わえなかったりする。本当に美味しいものは手間がかかるかお金がかかる。普段何気に口にしているものも、意外とまがい物が多く、私達はだまされていることが多い。最近では、それだけでは済まされなくて毒が入っていたり、異物が入っていたり、ダイオキシンに汚染されているというデマまでおまけについてくる。やれやれ。

 


 

「すずめ〜続編」2月5日 第33号

   私は相も変わらず、たまにすずめに餌を撒いているが、先日、家にあったみかんが腐りかけていたので切って残りをベランダに置いてみた。すると今度はすずめではなくて、もっと大きな鳥がやってきた。多分ヒヨドリだと思うが、騒がしく奇声上げながら、近寄っていた。なんとも騒がしい「ぎゃー」とも「ぎょえー」とも聞こえる鳴き声。すずめとは違ってドスドスと歩いて、愛らしさには欠けることは言うまでもない。しばらくすると半分のミカンは皮すらも残ることなく、きれいさっぱり無くなっていた。おまけに糞が3つ並んでいた。その糞も体同様でかい。あんなデカグソをされたんでは、割に合わない!!ヒヨドリのこないものを撒くことに限る!と決め、今日に至る。ヒヨドリ並みの糞がたまったら掃除も大変だ。もっともめったに掃除をすることもないので、自然に風化し、すぐに無くなるスズメの糞ならこっちも楽だ。それにしてもヒヨドリの糞を見たら、どうも我が家で食べたものではないものを脱糞している。他所で食べて家で糞するとは・・・ヒヨドリのヤツ・・・。

 


 

「すずめ」1月17日 第32号

   すずめは、人を見るとすぐに逃げてしまうので、普段じっくりその姿を観察することはないけれど、今冬に入って、すずめでも来ないかなと家のベランダに以前知人にもらった極小粒の穀類を撒いてみた。話は外れるがその極小粒穀類はお米に混ぜて炊くとカラダに良いということで、数年前にいただいたが、あまりに小さすぎて電気釜の蓋に沸騰した時に噴き上がってしまって、食べることができない。名前もたしかケッタイな横文字だったような気がするが・・・。
   そんな訳で、処分に困った穀物を前にどうしたもんかと考えた末、これはすずめにはもってこいの食料になるに違いないと思った。さっそくベランダに撒いて、しばらくすると「チュンチュン」と大きな声を上げて、5〜6羽がついばんでいるではないか。その姿は何とも可愛くて最近では休日には餌を撒いては、バードウォッチングもどきを楽しんでる。幸いハトは来ないので、フンに悩まされることもなく、小さなすずめ達を目の前に、なんだか妙に和やかな気分になれる。最近では、餌がないとベランダの中を歩きまわっては、「チュンチュン」と鳴き、まるで「餌くれー」とねだられているようで、ついついまたベランダに餌をまいてしまう。人間愛らしいものに頼りにされると期待に応えたくなってしまう。先日は、夜帰宅後に「朝ご飯」と称して撒いたら、奴等は早起きなので、私が起きてみた時には餌はなく、ちいさなウンチがパラパラと残っていた。なんだか虚しかった。せめて私の目の前で食べてもらえる時間に撒くこととしよう。そしてすずめの野生を尊重して、餌撒きは冬の間だけにしたい。

 


 

「小銭の歳月」1月6日 第31号

   年明けに小銭入れの硬貨をバラバラと机に並べてみた。新しいもので平成9年の10円玉。古いもので昭和40年の1円玉。昭和40年といったら随分前。年号が新しくても、とても汚れている硬貨があれば、何十年も前でも、比較的奇麗な硬貨もあった。普段あまりじっくり小銭を眺めることはないのだが、ひとつひとつを見てるとなんとなく不思議な感じがした。30余年たって私の手元にたどり着くまで、この小銭は人から人の手に渡り使われていたのだ。どんな風に?良いことに?悪いことに?普通に??どこで?どんな人に?お札と違って連番もないし、見た目にはどれも同じである。でも違う、そんな感じがした。もし、小銭に感情があるとしたら、きっと一晩二晩では語れない「小銭の人生」があるのかもしれない。机の上の硬貨たちは無言で長い歳月を渡り歩いて来た。すぐに私の財布からは出て行き、また寡黙な旅を続けることだろう。

 


 

「ことし」12月24日 第30号

   もうすぐ1998年も終わりで新しい年を迎えるわけだが、年を追う毎に一年一年の重みが薄れていくような気がする。しみじみと年を越す一時を味わう事もなく、特に新年だからといって、それらしい事をするわけでもない。新年に対する気持ちは、何かと慌ただしい最近の時代の流れに同調しているのか、いまいち盛り上がりに欠ける。でもせめて年明けには初詣位行こうと思っている。
  今年は社会全体が様子見、客観的な傾向があったし、出し惜しみをしているような気がしてならない。膿もまだまだあると思うけど、好転のチャンスだってまだまだあると思うので、明るい未来を信じてまた来年も頑張ろうと思う。

 


「桜」12月17日 第29号

   初冬を迎えた東京で、今年の紅葉は奇麗だとふと思った。10月末くらいに一足先に紅葉狩りに行ったときは、今年は暖かすぎたせいか、紅葉の名所の染まり具合は今一つであった。しかし、この所、急に寒さが増し、例年より遅れているものの、東京方面の紅葉は意外にも奇麗である。建て込んだ街中にマーキングされたように、赤や黄色の木々を見つける事が出来る。その中で、ひときわ奇麗な赤を見つけた。「桜」である。桜といえば、春満開の頃のイメージが強いが、秋の桜も、なかなか捨てたものではない。初冬の都心で静かに赤く染まる桜を見て、ただただ慌ただしく過ぎていく月日の中に、はっきりと季節の移り変わりを確認できた気がした。気がつけばもう師走、早いものだ。

 


「大人の為の・・・」11月30日 第28号

   「大人の為の・・・」という妙な限定商品を目にするが、最近は、「大人の為の絵本」が静かなブームらしい。なんで、敢えて大人の為の、と断りを入れるのか、別に絵本なんだからと思ってしまう。それは、別として、小さいころに読んだ絵本を今になって読み返すと、また新たな発見や、子供の頃には感じる事のなかった穏やかな気分になれる。私のお気に入りは、岩波文庫の絵本シリーズで、特に「ちいさいおうち」という話が好きだった。主人公は「家」である。とても手短にストーリーを書くと、「ちいさいおうち」は田舎に建てられたが、長い時間を経るうちに、周辺に道路が出来、ビルが建ち、だんだんと環境が劣悪になってくる。そしてとうとう、建物ごと片田舎へ移転する。移転した先には、緑があふれ子供が庭で遊ぶ、何とも平和な絵が描かれエンディングとなる。ほっとした締めくくりで、なんとも温かさの残る内容で大好きな作品の一つだ。大人の為の絵本は、精神的にリラックスさせたりするヒーリング要素がみえみえだったり、、妙に哲学めいていたりする。普通に普通の絵本に接したいと思う。
   見方を変えれば、大人の為の絵本が出回るくらい現代社会の大人は疲れているということにもなるけど・・・。世の中病んでいるってことなのかな?

 


「最強の券売機」11月24日 第27号

   先日、仕事の出先から電車に乗る為に切符を買った時の出来事。いつもと変わらぬ、どこにでもあるような券売機にお金を入れようとしたその時!私の目は小さくも誇らしげに書いてあった文字を見逃さなかった。ちょうどお札を入れる部分の少し上に「お札は20枚まで投入できます」と書いてある。私は誇らしげでありながら、まったく空回りと思われるメッセージが大好きなので、切符を買った後、さらに考えた。20枚お札をいれるような状況が果たしてあるのか??一番やすいお札といえば、1,000円。それが20枚で20,000円、新幹線の券売機ならともかく、せいぜい1,000円を2枚も入れれば、事は足りてしまう在来線なのに・・・。無駄だとおもえる様なあの券売機をなぜ導入したのだろうか?20枚までお札が入るといわれたところで、その機能は無用の長物のような気がしてならない。導入費用が同じならお札が沢山入るものにしようと意気込んだのか?ついつい、突っ込みたくなる性分の私は、ホームで「そんなタクサンお札は入れんちゅーに!」と心の中で呟いて、可笑しさが込み上げてしまった。

 


「国旗はためく」11月15日 第26号

  ちょっと前に韓国のキム大統領が来日した時、飛行機が空港についた映像をニュースで見て、長年持ち続けている疑問が再度甦った。いつも外国の要人が来日すると、飛行にのてっぺんに国旗がはためいている。あの旗はいつ取り付けるのだろうか?韓国を出るときにもう付いていたのか、それとも着陸した時に、整備員が即効で取り付けるのか?もし、最初から付いているなら、長い時間マッハの強風にさらされ、絶えてきた強力素材の国旗なのか?いや、もしかすると、特別機だから、国旗自動昇降機が付いていて、着陸と同時にお出まし、離陸と同時に格納するのだろうか?素朴な疑問だが、私は長い間いつも、どうしているのかなぁと思っている。つまらない事でたくさん疑問を感じてしまう私である。

 


「恐怖のレディースコミック」11月2日 第25号

   レディースコミックなるものをご存知でしょうか?その名の通り、女性向の漫画なのだが、内容はかなり過激な???性描写モノである。その存在は知ってはいたものの、特に興味もなく見る事もなかったのだが、先日その数ページを見る事ができた。
   先日、昼下がりの電車に乗っていたときの事。人もまばらで私の隣の席も空いていた。そこへ40を超えるおばさんが座った。手には百科事典なみの厚さの本をもっていた。さっそくウォッチングを始めた私の目にはその本が漫画であり、タイトルに「恐怖のXXX」と書いてあったことを確認。XXXの部分は不覚にもチェック漏れしてしまった。座るや否や、栞を外し(ちゃんと栞がしてあった)おばさんは食い入るように、読み始めた。私は膝の上に広げられた漫画に嫌でも目が行ってしまう。そこには、男女や女性同士が、赤裸々に絡まっていて「おーー、おばはん、昼間の電車でやるやん!」と思ってしまった。レディースコミックは女性の間で密かに人気があるとは聞いていたが、今まで電車の中などで読んでいる人を見た事がなかった。やっぱり家でこっそり見るのかな?その時ってどんな感じなのかな?とスケベ心丸出しで考えた事はあったが、おばさんは、さすが恐いもの知らずというか、電車でおおっぴろげで・・・ちょっと「おえっ」て感じだったかな。

 


 

「野焼き」10月26日 第24号

  最近は、たき火ひとつにも気を遣わなくてはならないのか?ダイオキシンの問題をニュースや新聞では盛んに取り上げている。都心の焼却場近くでは、住民の体内のダイオキシン濃度を調べたり、自治体を相手に闘争を繰り返している様子も目にする。さすがにあれだけ問題視されれば、実際自分のうちの近くに焼却場があって、毎日モクモクと煙が上がっていたら「健康が侵される」と言う不安も募るだろう。都心では、煙と自分の位置関係が近すぎるから余計に問題が表面化する。実は田舎にいけば、ゴミの収集さえもままならない地がたくさんあるし、そういう場所に住む人は庭先で、ごぉごぉとゴミを燃やしているのである。隣との距離もあるし、確かに他人に迷惑がかかっていないとも思われるが、実際は地球環境そのものには、害を与えるということになる。私の田舎でも庭先で燃やすことは、いたって普通のことなのだが、先日その実家で豪快に燃えたタイヤの後を目にして、なんだかなぁ・・・と思ってしまった。

 


「おさるなマシン」10月18日 第23号

   前回9月28日に第22号を発信してから、3週間近くが経っている。これでは月間おさるになってしまうが実は、これには訳があるのです。我がパソコンがぶち壊れて、最終的にはハードディスクを取り替えるという惨事に至った。一度はWindowsを入れ替えて、3日くらい安定したように思われたマシンが、ある日突然電源を入れたら「Windowsを再インストールしてください」と悲しいメッセージ。ハードディスクをフォーマットしようとしても、フォーマットすらかからない=ハードが破損??チェックディスクをかけたら「分かったよ・・・もういいよ・・・」とニヒルな笑いが出てしまいそうに、クラスタの破損オンパレード。結局、ハードディスクを買ってきて、入れ替えた。前のディスクは580メガくらいしか容量がなかったのだが、今回は一気に2ギガである!OSもきっと居心地がいいだろう。だから当分は私を悩ますことなく、安定していてね!
  本日のお教訓「ハードディスクは、意外ともろい奴。バックアップは万全に!」以上。

 


 

「KOBAN」9月28日 第22号

   最近街を歩いていて気が付いたのだが、「KOBAN」なる看板が建物からひょいと出ているのをちらほら見かける。このKOBANは、小判ではなく、実は交番をローマ字で書いたもの。その看板の下には、なるほど交番がある。しかし、これほど無意味な看板があるだろうか?「交番」や「こうばん」ならまだしも、なんでも横文字で書けば良いってもんじゃない。せめて横文字なら「POLICE BOX」の方がまだ許容範囲。ローマ字を読めないお年寄や子供だっているだろうし、まして外人には「KOBAN」=「POLICE BOX」という知識がなければ、それが何であるか辿り着くまで理解できないだろう。あえて「KOBAN」にした理由でもあったのだろうか?


「車中〜続編」9月18日 第21号

   前回、車中はおもしろい人がいるのでチェックは怠れないと書いたところ、「特に女子高生のパンツは見逃せない」というメールを頂いた。ぢょしこーせーのパンツ??これって、非常に見えそうで実は見えない事の方が多いと思うのだが、如何なもんでしょう?駅の階段で超ミニの制服で上がっていく高校生を幾度となく見上げたことがあるが、見えないのである。この謎?を解明すべく、とある雑誌で階段の角度とスカートの長さとパンツの関係を科学的に分析した特集を目にした。結果からすると、かなり短くても見えないものであるという結果であった。階段に這いつくばって見上げればいくらか効果はあるが、ちょっと勇気がいるし、踏み潰されかねない。
   町行く女子高生は、見える見えないの境を勘で覚えているのか、地べたに膝をたてて座っていても、微妙な位置にカバンなどを配置して防御している。階段を上がる時も、これは絶対に見える!と思うミニの制服を着ているコは決まってお尻をカバンで隔している。そこまでするなら、もうちっと長くすりゃ苦労もないだろう!と思うのだが、それは彼女らのステータスであり、私にとっても楽しみなのでよしとしよう。若いっていーねー。


「車中」9月7日 第20号

   携帯電話といえば、最近電車やバスでは「使用しないで下さい」とアナウンスがあったり、張り紙がある。おいおい今回もマナー話かよ?とお思いの方。違いますので安心下さい。携帯電話を電車でかけようがバスでかけようが、おいらのしったこっちゃない。それより、先日おもしろい現場に出くわしたので書こうと思う。現場は電車の中。例の如く、すし詰め車内で電話が鳴った。遠くで鳴っているというカンジだった。すると、何を思ったのか私の前にいたおばはんが、慌ててカバンの中を漁り出した。私は「・・・向こうで鳴ってるんだから、おばはんのぢゃないだろう・・・」と思っていた。するとカバンの中から小銭入れを出して耳に当てている。そして、またカバンにしまった。「そいつは鳴らんだろう??」と思いながら、唐突なおばはんの行動がおかしくて、退屈な満員電車で思わず笑いそうになった。
   退屈といえば先日、電車で前に座ったおねーちゃんが終点までの1時間あまり、ひたすら鏡片手に化粧していた。「なんかスゲー光景だなぁ・・・」と思いつつ退屈凌ぎに見ていた。人目を跳ね除け化粧に没頭し、1時間たってもさほど代わり映えしないというオチもなかなかよかった。
   車中はたまにおもしろい人が出没するので、チェックは怠れない!!??
  


 

「自転車」9月1日 第19号

   駅前に放置自転車。自分が歩くのに困らなければさほど気にしない。自分もたまに置いてしまう。ここならきっと邪魔にならないからいいかな?と1台くらいの気持が積もり積もっての大量の放置自転車。そして、ここはないだろう?と思える細い道に2重の駐輪。私でさえもここには置かないぞと自分のことを棚に上げてしまうのは問題だが、それにしても、歩行の妨げになるところにも平気で放置する人はたくさんいる。思わず「鍵を壊してご自由にお持ち下さい」と張り紙したろか!と思う。
   前にこのページで書いたゴミの問題じゃないけど、一人一人の心がけ、と言うものの、私も公営の置き場が溢れると路上駐輪な訳で、その罰?として、たまの雨降りに傘を忘れてズブヌレの刑に遭う。でも駅から遠いから自転車は欠かせない・・・。

 


「熱戦」8月26日 第18号

   最近、暗いニュースばかりで明るい話題は何かないものかと思っていた矢先、私を久しぶりに盛り上げてくれたのは、高校野球だった。もともと自分は野球好きで、プロアマ問わず観戦するが、このところ高校野球はあまり見ていなかった。今年は記念大会でもあり、各チームともこれぞ高校野球という熱血プレーで甲子園はおおいに沸いていた。とにかく精一杯、一生懸命そんな彼らのプレーを見ていると、羨ましくも思える。一生に何度もない晴れの舞台で選手達が力の限り戦う姿をみて、「入魂できるものを見つけられたのだから君たちは幸せ者だ」と思った。なかなかこれだと思って入魂するものさえも見つからないまま、大人になってしまう子供の方が多いと思う。
  それと、もう一つ嬉しかったのが、高校球児は何かと「高校生らしく」といわれ、かえって制約がありすぎて窮屈そうだったが、最近はオーバーアクションも塁上のガッツポーズもキマっていて、若さ溢れてこれまた羨ましく思えるのであった。

 


「科学の進歩に期待」8月6日 第17号

   先週、遺伝子操作のことを少しかいたが、どんなに科学が発達しても、時空を操ることは不可能なのだろうか?私はつねづねタイムマシンというものがあったら絶対利用してみたいと思っている。宇宙旅行を公募する時代だからそのうち可能かも、と期待を寄せているのだが、時空を飛び越えるのはバイオテクノロジーでもないし、宇宙に飛び出す科学技術とも違うような気がするので、実現には程遠い物かもしれない。しかし、この広い世の中で、日夜タイムマシン開発に没頭する人もきっといる訳で、研究成果が出るまで私はただ待つ身である。
   タイムマシン落成の暁には、教科書で出てきた太古や戦国時代に行ってみたい。案外、まったく違っていたりして・・・。ある歴史家の言葉「歴史は歴史家によって作られる」。時代が古いほど発掘された物だけでは真実をすべて解明できない。想像して作り上げて補う。でも実際、本当にそうなのか?と思うとやはりタイムマシンのお出ましに期待してしまう。

 


「遺伝子を操作する人間」7月31日発  第16号

   最近、何かと話題の多いクローン牛。今やクローン人間も作ろうと思えば作れる時代なのだ。一昔前には考えられないようなことも実現できてしまう時代である。クローンに関しては、倫理問題が論点でもあるが、本来、自然では起こらないことを人間の力で作り出してしまう。そんなことをして、ツケが来ないのかと心配してまうのは、私だけだろうか?工場で作り出されるように次々と生命体が誕生していいのであろうか?
   少し前に頭のないカエルを作り出すことに成功したというニュースを見た。将来、人間に当てはめれば臓器提供するために使うことも可能だという。一種、奇形のような生命体を内臓提供の為に生産(?)しヒトが延命の恵を受けたとしても、それは正しいことなのだろうか?
   長い長い時間を経て、進化の果て生まれたヒトがあっというまに、生命体の秩序を変えてしまうのは、45億年の歴史を刻んだ地球に申し訳ない気がする。あまりいじると、瞬時に地球がぱかっと滅びてしまいそうに思う。そして、もうすぐ世紀末・・・。

 


 

「カラスその2」7月23日発 第15号

   前々回、カラスについての話題を書いたが、そもそもカラスを町に呼んでしまったのは、まぎれもなく人間だと思う。町に散乱する食べ物のゴミなど、カラスにとって快適な環境を与えてしまっているとも言える。食べ物がなければ、町中はカラスにとって、ネグラさえもままならない無縁な場所になるだろう。私の住居近くではゴミを必ず朝出すことになっている。なのに前日夜や収集のない日にまで捨てる人がいるので、早朝、休日はカラスの乱舞でゴミ集積所に近寄るのも恐ろしい状態。一人一人のモラルでカラスを山に戻すことが出来るかもしれない。しかし、しかし、それにしても数が多すぎる。個人的には嫌いではないが、あーもデカイ態度で君臨(?)し、その上、襲われた日には、やっぱ山にお帰りなさい・・・って感じでしょうか・・・。最近では夜中にカーカー騒ぐことがあるのだが、君らに鳥目はないの?と問いたくなる。夜はこうもりとバトルで昼はゴミの物色なのか。奴等は何気に多忙なのだ。
  いずれにしても収集のない日は、ゴミは(得に生ゴミ)は出さないように一人一人が心がけてほしい。

 


 

「七夕」7月7日発  第14号

    今回は、前回に引き続き「カラス」話第二弾を書こうとしたが、せっかく7月7日だし、七夕話題をひとつ。先日街を歩いていたら、子供たちが笹を持って歩いていた、きっとこれから軒先を飾るのだろう。短冊にはお願い事が書かれ、なんとも微笑ましい風物詩である。そうそう先日苦笑いしてしまうの笹に出くわした。七夕にはまだ早い時に、とある店先にが笹が飾られてあった。奇麗に飾られていたのだが、ふと短冊のお願いごとが目にはいった。「ティファニーのリングがほしい」え??まぁ、お願いだけどね、それも。その他「やせますように」「シャネルのカバンがほしい」「ダイヤのネックレスがほしい」等々・・・。その笹は女の物欲に覆われ、重そうに枝先を垂れ下げていた。
   今年お願いしたいこと。景気の回復かなぁ。シビアな願いだ。今後回復するのかな?選挙でなにかが変わるのかな?物欲も湧かない今日この頃、笹に欲しい物を書く元気もない。

 


「カラス台頭」6月29日発  第13号

   最近どこにいても目に付くのがカラスである。町で郊外でやたらと幅をきかせている。カラスによる被害もたまに聞くが、実は私もカラスに後ろからふいに襲われたことがある。通勤途中の非常に往来の激しい道で、一瞬なにが起きたのか分からなかった。その襲撃は音も無く、突然後頭部を鷲づかみという信じられないものだった。カラスに頭をつかまれるなんて、全く予想していなかったので、前方を低空飛行する黒い物体を唖然と見ていた。「あ・・・カラスに頭つかまれたんだ」冷静に考えると私の頭を「踏み台」にして、更なる飛行体制に移行したようにも思える。「お、おのれぇ〜」。
   カラスがいつも我がモノ顔でいるのも癪である。弱者を見極め、子供などを襲ったり、ずる賢いので集団リンチを仕掛ける。以前、公園でオナガドリがカラスの集団リンチにあっているのを目撃したことがある。1対1だと負けるかもしれない相手でも集団なら勝てることをカラスは知っている。何か人間でもそういうヤツがいるなぁ。更に更に、先日、高原でトンビに集団リンチを仕掛けるカラスを目撃した。大きさも飛行技術もトンビの方が一枚上手。そのトンビがまるでツバメのようにクルクル切替えしながら、懸命に逃げていた。たまにカラス達が追いつくと攻撃しあってキリモミ状態になる。上空で繰り広げられるバトルに私は釘付けとなった。おそるべしカラス。トンビは早々に退散するのだが、その後、しばらくして、トンビがその場に戻ると、森に隠れていたカラス達が「くわーくわー」とけたたましく鳴きながら激しく追う。カラスはよほど縄張り意識が強いのだろうか?人間から見るとただ「態度がデカイ奴」なのであるが。
   生き物とはいえ、あまりに目に余れば人間に駆除されてしまう運命だが、どこかの町では、あまりに被害がひどくて、カラスを捕獲し、焼き鳥にして売っているというニュースを見たことがある。被害が減って利益も出る?とはいえ、あまり食べたいとは思わない。あの町ではまだカラスの焼き鳥を販売しているのだろうか???カラスの焼き鳥を売っている町にお住まいの方ぜひ連絡下さい。


「勝手に知られる自分」6月22日発  第12号

   真夜中の怪、ならぬ現代の怪。自分が勝手に第三者に知られている・・・。見知らぬ会社から突然ダイレクトメールが来たり、電話がかかってきたり。最近では海外からのダイレクトメールも届くようになった。自分の情報は知らない間に売られている可能性もある。名簿業者から流出する情報。銀行の預貯金残高だって、自分の趣味だって知られている(ような気がする)。それも自分が無意識に?蒔いた種から事は始まる訳で、例えば懸賞に応募したとか、アンケートに答えたとか、その中の情報が知らず知らずに身に覚えのない所に広がっている。
   最近の事。知人がネット上で私のことを書いているという話を耳にした。別に関与するつもりもないが、ネット上で架空の名前を背負った自分の事が知人の手によって発信されている。それを読んだ人は、たびたび出てくるその架空の名前を覚えることもあるだろうし、何やら想像を巡らすこともあるかもしれない。おかしな話だなぁと人ごとのように思い、ネット上で登場しているだろう自分を確認する気もさらさらないが、知らないところで知られている自分という不思議なようで当然の事実を噛みしめたのであった。世の中あるようでないモノ=プライバシー、なのかもしれない。侵害さえされなければ問題ないのだが。


「速さの限界」6月15日発 第11号

  おいらのマシンが絶不調!マシンとはパソコンくんのことであるが、最近すぐメモリ不足のエラーが出る。メモリはそれなりに積んでいるのだが、ハードディスクがかなりパンク状態でその影響は大である。思えば3年前、いつも会社で向っているから家にはいらない・・・と思っていたのに、ついに購入。当時としては、ハイスペック高速マシンだったのにそろそろ引退かなぁ。チューンアップもしてあげたのに。
  世の中どんどん、早くなる。電車のスピードも通信も。人間だって走ったり、飛んだり、泳いだりすれば新記録樹立だとか、早くなっている。早くなるといっても、限界があると思う。行き着く速さは一体どのくらいなのか?ただでさえ目まぐるしい世の中なのに、そんなことをじっくり考えると結構疲れてしまった。
  早くて便利な世の中だから、便利さに負けて、近場でもついつい車を使ったり、電話で済ませたり。でも、電話より手紙の方が心に響くときもある。こんな梅雨時でも、仕方なくトボトボ歩いていると、あじさいの葉にカタツムリを見つけることもある。乗り物に乗っていたら見つけられないもの。早くて見落とすこと。きっと自分の周りにはそんな事の方が多いと思う。たまには、ゆっくりになろう。


「立ち会い」6月4日発  第10号

   生まれて初めて手術の立ち会いをした。手術室ではなく控え室であるが。手術されるのは私の父であった。命に別状はないとはいえ、朝から夕方まで実に7時間に及ぶ手術であった。そこで私はおもしろい?経験をしたので書きたい。その日一番の長丁場であった父の手術の間、何人もの他の患者が手術室へ運ばれ、出ていった。控え室にも数人の立会人が出入りした。その中に、患者を手術室に運ぶ際、5人組でドヤドヤやってきて、内2人のビデオカメラ担当は患者の運搬車にビデオ片手にまとわりつく。おかしな光景で思わず釘付けになった。そして、「いよいよねー」と喜びと不安の入り交じる言葉を交わしながら、これまたドヤドヤと控え室に入ってきた。なんでも帝王切開の妊婦らしい。そして、いきなり私に「そちらもお産ですかぁ?」と聞いた。太っちょのおばはんで見かけお品がよろしーのって感じだった。「いえ」・・・・。「オッサンです」と言いかけたが、ギャグを言う元気もなかった。
   人間こういう時って自分のことしか考えないんだなぁ、とつくづく感じた。我が父は生死を争う手術ではなかったものの、もし、一刻を争い、生死に関わる手術を待っている気性の激しい人だったら、ぶんなぐられるぜ、おばはん!と思いながら、おばはんと親戚縁者の延々に続く身内話をぼんやり聞いていた。帝王切開の手術は2時間足らずで成功のうちに終わり、ビデオを片手に嵐のように去っていった。


 

「音声入力」5/31発  第10号

   私はキーボードを打つのが早い方だと思うけど、結構間違えも多くて、おかげでバックスペースの早打ちも身につけた。このキーボード打ちは、マウスと並んでパソコン初心者にはと悪戦苦闘の第一歩でもある。しかし、最近ではここまで来たか!の最新技術で音声入力パソコンが発表された。ちょうど商品化に向けての紹介をニュースでみたのはつい最近のこと。更に香取慎吾氏がパソコンのCMで音声入力しているではないか!はっえぇなぁ!これからパソコンにチャレンジしようとお考えの方には朗報かもしれないが、わたくしはふと、不安を感じた。会社でオヤジがパソコンを前に「間違えたー!」「あれ?」とかデカイ独り言を吐いている。時には誰かに話しかけてんのか?と振り向いてしまう程。そんな人達が音声入力したら、作成中にDELやBackSpaceの連打は必須である。更に更に、途中で電話でも入るものなら、マイクを外す事もわすれ、話に夢中になり、画面に立錐の余地もなく文字が並んでいるだろう。おそろしー!全員がそうなるとは思えないが、どこでも一人は対象者が存在しそうだ。音声入力だったらきっと部長にもできるわ!なんて思う前に考えた方がいいかもしれない。
   音声入力の場合、普段方言ではなしている人は標準語で話さなくてはならない場合もある。みんながパソコンに向い標準語ではなしている姿は、関西弁を操る私としてはかなり滑稽極まりない。笑うしかない。音声入力中の人にはうかつに「今日、飲みいこか?」なんて大声で誘えない。必死にパソコンに話し掛ける人は画面の「今日、飲みにいこか」の文字に「あほ!文字入ったやんか!」とついつい返してしまい、それもしっかり画面に入力されてしまうのである。
職場でなく、家だったりすると夜な夜な一人でパソコンにむかって話続けなくてはならなかったりする。音声入力者は喉が乾くのである。そのうち、音声入力時にこの一本!なんていう清涼飲料水が発売されたりして。
   操作が楽になるか否かは、多いに個人差がありそうだ。果たして根づくか音声入力!?

 


「徐々に修正」5/20発 第9号

    昨今、世界標準という言葉をよく耳にするが知らない間に標準化され、世に出回っている固有名詞が多々あることに気が付いた。世界の地名、人物名がそれだ。最近では「現地の発音、呼び方」が標準とされ、いつの間にか変っている。
   事の起こりは友人の出張から始まった。「インドネシアのカリマンタンに出張にいく」と聞いて、耳慣れない場所だ、何処だろうと思って聞いたところ、どうもピンとこない。さほど気にすることもなく、きっとそういう地名があるのだろうと新しい地名「カリマンタン」を私の頭に刻んだ。ところが、それから暫くして、カリマンタンとは旧ボルネオのことだと知った。ボルネオといえば、野生動物が多く生息するジャングル地帯である。ボルネオと聞けば分かる。しかし現地の呼び名を尊重し、英米読みから現地読みの標準化を進めているらしく、いつの間にか変っていた。知らぬは己だけかも知れないが、インドのムンバイ=インドのボンベイ、タイのクルンテプ=タイのバンコク、耳慣れた地名が全く別の名称に変っていく。マガリャネス海峡は、マゼラン海峡のこと。マゼランとはそもそも人名だが、ポルトガル語の発音に近いマガリャネスとなっている。地図は刻々と変っている。かつては、他国の支配化にあり、支配された国に地名を付けられ、昔からの現地の名称は影が薄れた。支配化になくとも英米読みが標準とされていた。しかし今またこうして変っていく地名は、実は「戻っていく地名」と言った方が正しいのかもしれない。現地読みの標準化。平和な標準化である。

 


 

「ホルモン」5/8発    第8号

   最近、ちょっと疲れ気味なのに、食欲右上がり傾向。スタミナをつける為にホルモン焼きでも食べたい今日この頃。ホルモン焼きと言う食べ物が全国区かどうかはいざ知らず、ホルモンと聞くとなんとなく体にいいイメージがある。ホルモンを広辞苑で調べてみたところ、「内分泌腺から分泌され、体液と共に体内を循環して、特定の組織の活動に一定の変化を与える物質の総称」。男性ホルモン、女性ホルモン等よく耳にする言葉だ。ところが最近新しいホルモンが頻繁に報じられている。「環境ホルモン」その言葉を聞いた時、環境によい働きをする新しい物質だと思った。しかし、その逆で人体へ有害な影響を与えるとされている物質で、正式には「内分泌撹乱化学物質」という。とても体にわるそうな名前である。ニュース、新聞等でも盛んに報道されている「ダイオキシン」などは代表的な環境ホルモンの一つだ。エコライフが良しとされ、市民レベルでCO2の排出量を減らそうとか、川にやさしい洗剤を使用したりと努力しても、自治体のゴミ処理で住民の健康が一蹴されるとあっては、地球にやさしく・・・なんて生活してる市民の立場はあったものではない。
   と、こんな風にホルモン焼きが食べたいと思いながら、ホルモンとその関連について考えてみた。

エコライフ付録:環境庁の環境家計簿sr_sml.gif (1231 バイト)

   項目       ・        単位 合計 係数 CO2排出量    金  額
電気                    kwh            ×0.12=               kg

都市(LP)ガス       m3            ×0.64(1.8)=         kg

水道                    m3            ×0.16=               kg

灯油                    リットル            ×0.69=               kg

ガソリン                リットル            ×0.64=               kg

アルミ缶                 本            ×0.05=               kg

スチール缶             本            ×0.01=               kg
ペットボトル             本            ×0.02=               kg
ガラス瓶                 本            ×0.03=               kg
紙パック                 本            ×0.04=               kg
食品トレイ               枚            ×0.002=             kg
ごみ                       kg            ×0.24=               kg
 

CO2排出量                      kg

※表中の電気からガソリンまでの5項目はCO2の排出量と金額で増減をみる。
この環境家計簿を1年間つけて提出してくれる方に無料(送料実費)で配布中。
お問い合わせ:(社)環境情報科学センター   рO3−3265−3916

 


 

「魔除け」5/1発  第7号

   5月といえば、田植えの季節。昔も今も豊作を願ったり、春の祭りの結果でその年の作柄を占ったりしています。5月5日には昔から「菖蒲湯」に入る習慣がありますが、いつも何の意味があるかも分からずに葉っぱが浮いてる・・・と思っていました。その菖蒲、実は悪魔ばらいの意味があるそうです。田植えの時季に神を怒らせると秋の収穫が不作になると言われ、菖蒲を軒にさしたり、お風呂に入れて魔除けとしました。5月に悪いことが起こることは多いに不吉とされ、「禁欲の忌み月」とされていたようです。
   まだ、科学がさほど発達していない時代には、せめて祈るしかなかったことが沢山あったと思います。今でこそ「明日のx時x分より日食があり、xxの部分よりxx%太陽が欠けるでしょう」という情報が当たり前のように入りますが、科学的に解明されていなかった頃は、神に通ずる太陽が欠けるということは不吉の前兆以外の何者でもなかったと思います。恐怖感に襲われ、無我夢中で祈ったことでしょう。現代はそんなストレスこそありませんが、現代にしかない様々なストレスは、気がついたら心や体が虫食まれているような悪性種が多いようです。会社の机に「魔除け札」を貼ればストレスが解消されれば楽なのに。4月に新学期、新年度が始まり1ケ月経ちましたが、菖蒲湯で悪魔はらいをして、今一度、身辺の見直しを図りたい時季でもあります。

 


「ジャマイカン・トリップへのお誘い」4/23発  第6号

   めっきり、春らしくなった東京方面です。天気がいいと本当に家にいるのがもったいなくて何か野外でぱぁーーーっと気晴らししたくなります。そんなある日、友人から誘いのメールが舞い込んできました。「多摩川の河原に集まって、勝手にバーベキューなどやって、勝手に酒をのんで、勝手にレゲエで踊ったり、まったりしたりしましょうというパーティです。レゲエのDJがグッドなサウンドシステムでレゲエをかけまくってくれて、青空の下、完全にトリップできるでしょう。」
なるほど、それではおいらもジャマイカン・トリップしよう、という気軽な乗りで即参加の返信。tamagawaスプラッシュ’98・・・れっきとした、河川でのイベントです。4/29春風に誘われてレゲエでトリップしたい方はぜひ!

過去の内容がのってます。
http://www.nmt.co.jp/~dotechin/tamasp.html

地図
  http://www.nmt.co.jp/~dotechin/tsvol11.html

 


「常識・非常識」4/15発  第5号

   先日とある都市でバスに乗った時の出来事。「前から乗車」と書いてあり、バスが到着した時に並んでいたオバサンが前の扉から乗り込もうとした。すると若いカップルの男性が「降りる人が先なんだよ!!常識ってもんを知らねぇのかよ!」と怒りながら降りてきた。私は一瞬何だかよく分からなかったが、そのバスは乗り降りする扉が同じらしい。北は北海道、南は九州まで、割とあちこちの路線バスに乗ったことがあるが、出入り口が同じ都市部のバスは、その時が初めてであった。その青年は、バスは同じ扉から乗降するのが常識であると思っているからこそ、降りる人が先!と怒鳴り、乗り込もうとしたオバサンは「なんで同じ扉からなの?」非常識だわ!と言わんばかりにブツブツ言っていた。(どうも私と同じく地元の人ではないようだ。)これが常識だと思っていても、状況等が変われば非常識になることがしばしばある。これが電車となると同じ扉からの乗降や降りた人の後に乗車することは常識的、一般的なことである。それがバスとなると、降りる所と乗るところは別と思い込んでいて電車のような訳にはいかなかった・・・と言った所だろうか?「常識ってもんを知らねぇのかよ!」という青年の主張も理解できるが固定観念がもたらす弊害も恐いもんだ、と思ってしまった。   実のところ、私もオバサンにつられてバスの入り口に足を掛けようとしたが、慌てて引っ込めた。その後、青年は降りて尚もバスを睨んでいた。何が常識で非常識か?しばし考えてしまった。
   しかし、乗り降りの激しい都市部のバスで1つだけの扉というのも問題だ。それを手配した会社が一番非常識だったりして・・・。

 


 

「XXXくらいなら死んだ方がまし!」4/2発   第4号

  そんなんだったら、死んだ方がまし!人それぞれの『そんなん』があるだろうけれど、まぁ死ぬとまで行かなくても入魂している事物は誰にでもあるものです。「太るくらいなら死んだ方がまし!」そいう言ったのは、名ジョッキー武 豊です。彼の場合特別な環境にいる訳で商売がら太るわけにはいかないのは簡単に想像できます。そんな武 豊はダイエットの為にお腹が一杯になったつもりになれる方法を実行しているようです。ずばり「カールにコーラ」。私も試してみましたけど、胃の中でかさ張ってます!と言わんばかりの満腹感が得られます。4月になったし、年度始めで何かをしようと思っているのでいっちょ体を動かしてカールにコーラでダイエットしようかな??サラブレッドな体を目指して!!でもカールにコーラも度が過ぎると太りそうだな・・・。サラブレッドな体になったらまた経緯&詳細ご報告申し上げます。


第3号「お江戸八百八丁−よろず商売天国」

   先日、急須が真っ二つに割れてしまった。接着剤でつけたものの、どうも接着剤が溶けて口に入りそうだし、張り合わせた所をこすると尚もポロポロと破片が出てくる。結局は捨ててしまったのだが、ふと江戸の街を思い浮かべた。江戸の街には多くの「専門」業者がいて、欠けたり割れたりした茶碗を回収する専門業者もいた。そして、それを買って粉にして割れた陶器を継ぎ接ぎする「焼き接ぎ師」という人がいた。今は割れた茶碗は捨ててしまうことが多いし何かと使い捨て製品が多いが、その点江戸時代は超リサイクルシステムが発達していたと言えるだろう。商売もマルチ商法より一点商売、それにいかにも薄利といった感じが多い。これが商売?と思える職業をひとつ紹介しよう。「わいわい天王」・・・黒紋付き羽織に袴のいでたち、顔には天狗の面。「わいわい天王さわぐがおすき〜」などと自らはやし立て、子供達がおもしろがって追いかけまわすと紅摺りの張り札を撒き散らし、後で家々をまわっては銭を貰うという商売だ。こ、これが商売??「あなたの職業は?」と聞かれたら「わいわい天王でござる」とか言うのであろうか?それに家々では銭を払っていたのか??不思議な世界だ・・・。子供をあやして(?)もらい、更にありがたい(?)御札を手にしたので家族円満かな?
  江戸の街は様々な商売が行き交う大都市だったに違いない。その一つ一つを追うと今尚庶民に根強い商売もあれば、わいわい天王のような商売?もある。厳しいながらも日銭を稼ぐ為に知恵を絞った結果が奇才な一点商売に結びついているのかもしれない。


創刊第2号「師匠」

   私は大学時代ずっとスキーをしてきたが、大学卒業と同時に東京に出てきてスキーもそれと同時に止めてしまった。といっても、競技に出ることを止めて会社仲間とのリゾートスキーは年に数回行っていた。自分がスキーを止めたきっかけは、師匠を失ったからであった。富山県大会2位の実力者で全日本選手権にも出場していた、私にとってまさに「お師匠さま」だった人だ。
   師匠は私がまだ在学していたシーズオフに土木作業中事故に遭い足を失った。その後あまり連絡も取らぬまま、上京し数年がたったある日、私は新聞のスポーツ欄の片隅に「日本人障害者スキーヤー国際大会を制す」という記事をみつけ衝撃が走った。日本人代表高村俊彦!チェアスキーに乗った師匠が新聞に出ているではないか!!大会を制した驚きよりもスキーを続けていた彼の姿があまりに衝撃的であった。
   それから更に月日が流れ、長野パラリンピックという大舞台でまた高村さんの名前を見つけた。現在38才。ただでも体力のいる回転という種目に挑戦し続けていた。高村さん以外にもパラリンピックに出場していた選手達は、体に何らかの障害を持ってるが、健常者にない力強い精神、(・・・という言葉では片づけられない何か)を持っている気がした。
   時と距離を超えて「師匠」はスキー以外でも私の師匠であった。きっと失ったもの以上に得たものもたくさんあったに違いない。これからも影ながら応援したい。   by  kz


「一匹のおさる」創刊号

インターネットの世界におさるは何匹いるんだろう?きっといっぱいいることぐらいわかっているけど、別に調べたところで・・・。
他のさる達はきっとここにいる一匹のおさるとは違って、クレバーでスマートなサルなんだろうなぁ。でも他を知らなきゃ、このおさるはお山の大将でいられるからとりあえず、お山の上に座ってみました。タイトル表示の使命を背負って今日もおさるは鎮座する。

次号からは、超つれづれショートを連載します。お楽しみに!

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