YAMASHITA

「 化粧師の徒然 バックアップ(1)  」


「最新版に戻る」

作 : てぃが こと ハッキネン山下




「世界をひろげてこそ…」 vol.21  (2002年 12月17日UP)


 最近、無事に出産を終えた梅宮アンナさんが見事に体型を戻してCMなどに復帰されてますね。今後もお母さんとタレントを 両立していかれることでしょう。ですがお母さんとしての彼女には若干の不安を感じる点があります。よけいなお世話を承知の上で 語らせてください。

 以前、テレビで「とんねるず」の番組を見てました。両チームに別れてゲストの嫌いな食べ物を当てる、あの番組です。その日の ゲストは梅宮アンナとスティーブン・セガールでした。セガールの苦手はまぐろのたたき(むこうではカツオではなくマグロでやるんで しょうか。)そして梅宮アンナの嫌いなものはブロッコリーでした。アンナ曰く、『わたし御野菜ほとんどだめなんです。』

ええ?! って思いましたね。梅宮アンナと言えば自らも「食通」とか「料理の腕は玄人はだし」と公言する梅宮辰夫の娘ですよ。その アンナが野菜はほとんど食べられないってどういう事かと思いましたね。そして辰つぁんの腕もその程度かとも。だってそうでしょう。 娘に野菜のもつ美味しさ一つ教えてあげられないんですよ。情けなくないですか。どうしても食べられないものがひとつやふたつ あってもいいと思いますよ。でも野菜全部だめっていうのはひどくないっスか?!

 それで「うちのお父さんは何かあると河岸に買い出しにいってた」って自慢されてもねぇ。ネタがいいだけの寿司屋なんて、金さえ かければ誰でもできるってんだい。(これじゃあ「ポスト」のビートたけしのコラムだな。)きっと彼の料理とは、好きなものを、高い金を かけていい材料買ってきて好きな味付けで作ることなんでしょう。まあ、要するに「趣味」ですね。「料理好き」であって「料理上手」とは 言わないと思います。もしかしたら自分の好きなものを作ることに関しては上手かもしれませんが、それでもそれはあくまで「趣味」 でしょう。どこにも義務を負ってませんから。

 では、どういう人をプロと言うのでしょう。

 僕がはじめてブルーチーズを食べたのは福岡のとあるバーでした。そのファーストインプレッションは「セメダインくせぇ!」でした。 しょっぱいし、正直言って美味しいとは思いませんでした。でもそのバーのマスターがこれはチーズの王さまだ、今おまえさん達が 呑んでるワインと合わせると最高だろう!、みたいなことを言うんです。そういわれるとそんなもんかなあと思うわけです。そこで止めると 何だか本物の味もわかんないガキンチョみたいだから。

 で、次ぎ行った時もいっぱしのつもりで「ロックフォールを!」なんて言うんですよ。マスターにも「わかってきたな」なんて思われたい もんだから。それにマスターがまたうまくて「おまえ達どこでそんな贅沢覚えてきやがった」みたいに言ってもち上げてくれるんです。 自分がこないだ奨めたくせにね。するとカウンターの向こう端の、一人でグラス傾けてる素敵な女性があらっ、て感じでこっちに視線 送ってくれるのもうれしかったりしてね。

 で、「やっぱこれだよね」なんて言いながら口にすると、おやっ?!前回と違うんです。確かに保存のために塩気は強いし香りに癖も あるんですが、今回はその奥にある味を舌と脳が感じとったようです。そして脳の「ロックフォール」のファイルを開いて「セメダイン臭く・ 味はしょっぱい」というところが「複雑な風味、癖になる味。適度な塩気が酒のつまみとしてよし。特に赤ワインとの相性は最高」と上書き されるまでそう時間は掛かりませんでした。ぼくはこのバーでいろんな事を学びました。酒や食べ物についてね。

 それで思うんですが、味覚も練習できるんです。一回目に例えばブルーチーズの癖の強さとか、香りのきつさしか感じられなかったと します。でも2度目はその奥に隠れたキャラクターを感じることができるかもしれないじゃないですか。2回目でだめなら3回目とかね。 スポーツやゲームだってそうでしょう。くり返しチャレンジすることで、段々できるようになりますよね。パワーとかの問題じゃなくて動き とか反応の部分でも。たとえば野球で以前手が出なかったコースでも練習次第で身体が反応するようになりますよね。それといっしょです。 1回目でダメだと思ったものを2回3回とチャレンジするように仕向ける。それも飴と鞭の両方を使い分けてね。特に食べ物なんて 子供のうちにやっとかないと難しいでしょう。

 うちの子供も例によって野菜が好きではありません。だから色々やってます。例えばこれだけ食べて欲しいと思う倍くらい、あらかじめ 子供の皿に盛っておきます。それで子供は「え〜っ、こんなに食べれない」とか言うじゃないですか。そこで、じゃあおまけで半分にして やるからこれだけ食べろって言うんです。そうすると向こうもシブシブ「わかった」って言うんですよ。場合によって本当に嫌いなものだと 2段階に分けて減らします。こっちは2回も譲歩したぞっていう姿勢を示すんですね。

 でもそんなに強制してばかりでもだめですよね。本来は野菜の味を解って、美味しいと思ってもらわないといけないわけですから。 だから同じ食材でもいろいろな調理法で出すようにしています。それとなるべくいろいろなものを食べさせる。そういうことは味覚の トレーニングにもなると思いますから。最近の家庭ではあまり出てこなくなったものもチャレンジします。高野豆腐やヒジキなんかね。 高野豆腐は食感が面白いのか結構好きで、学校に行く前にリクエストしていったりします。(最近の高野豆腐は戻さなくてもいいし、 煮る時に使う出汁もついていてとても簡単です。)で、それを食べてる時に『高野豆腐っていうのは普通の豆腐より何倍も蛋白質が 豊富で・・・。』なんてレクチャーもします。食べ物に興味を持ってもらうことが大事ですから。すると「蛋白質ってなに?」っていう質問が かえってきました。そこで蛋白質が筋肉などを構成していることなどが解ると、食べ物っていうのはただ腹がふくれりゃいいってモンじゃ ないんだ、ということが解ります。すると好き嫌いをしてはいけない理由も、そのうち解ってくれるんじゃないかなあ、と期待してるんですが。

 子供の好き嫌いは飴と鞭が使えますが、仕事だとそうは行きません。まさかお客さん相手に鞭はちょっとねぇ。(SMクラブの女王様じゃ あるまいし)そこでなだめたりすかしたり持ち上げたりということになります。どうしたっていつものメイクと違う事されると、それがいいのか どうかの判断は自分ではつけにくいですよね。

 まあ、これも自分がどうありたいというイメージがないまま、そして化粧および化粧品に対する生活のなかでの価値判断ができてない まま化粧品売り場にいらっしゃる方が多い事と無関係ではないと思います。

 そして結局は、私たち自身がお客様からいかに信頼されるかなんでしょうね。自分ではいいのか悪いのか正直言って解らないけど、 この人が言うならきっと間違いないはず、とお客様に思ってるいただけるくらい。

 きっと自分の仕事を通じて世界を広げてあげられてこそプロなんだろうと思います。日々精進いたしますです、ハイ。

 ところで梅宮アンナさん、おかあさんになったんだからせいぜい好き嫌いのないお子さんに育てられることを御祈り申し上げます。

 ・・・続く・・・



「口紅の法則」 vol.20  (2002年 12月10日UP)


 最近仕事の関係で、いろんな企業の人事担当者に会う機会が増えました。そこで改めて感じたのは、コミュニケーションの 能力がなにをするにも大切だと言うことです。希望する職種に対するキャリアはあるに越したことはありませんが、特にサービス業の 場合はお客さんとのコミュニケーションが取れることが一番求められるスキルです。

 また、面接という限られた時間の中で、自分を最大限にアピールしなければならないので、その日のファッションやしぐさも とても大事になります。昔のように「まじめで実直で礼儀正しい」なんて言う印象だけでは勝ち残っていけません。自己アピールで 「まじめで誠実」なんていうのは「趣味=読書」と同じですね。古い体質のところはそれでいいかもしれませんが、最近は金融にしろ 流通にしろ外国の資本が入ってきてますから、そういうところは求める人物像も違います。なにができるかしっかりアピールできない ようならどうせ会社に入っても求められる能力は発揮できないと判断されるわけです。そうなると「積極性」や「バイタリティー」を アピールする必要もあるわけです。簡単にいうと「動」と「静」ですよね。

 ではこれをメイクで表現する場合どうなるんでしょうか。一言で言うとマットに仕上げると「静」、つややかに仕上げると「動」の イメージになります。雑誌のグラビアなんかだとベースメイクから全部つやを残してそのイメージを作ってたりしますよね。 ですが実生活においてベースメイクをグロッシーな状態できれいにキープしておくのは難しいです。ではなにが一番その差が出るかと いうとリップメイクなんです。とういうことで今回はリップメイクについてです。

 口紅というのは顔色に最も影響するアイテムです。ですから慎重に選ばなければなりません。色というのは大きく言って黄色が 基調になっている「イエローベース」のもの、青が基調になている「ブルーベース」のものに分かれます。人間に肌の色も同じで、 色白、色黒、赤ら顔、いろいろあってもブルーベースの肌とイエローベースの肌に分かれます。ですから自分の持っている肌色の ベースと口紅の色のベースを合わせることが大切になります。もしあわないものをもつけると肌色がくすんで見えたりシミが濃く 見えたり、くまが深く見えたりします。

 それから着ている服にも合わせなきゃいけません。これも単に服の色に合わせるなんていうことじゃだめなんです。だってもし 間違って自分に合わない色の服を選んでたらどうします? 二重のミスを犯すことになるんです。

 そうではなくて、お召しになってらっしゃる服の生地の質感に合わせていただきたいんです。これは色味そのものではなくて、 色の濃さですけれども。これを考えると自然と季節にもマッチした色選びにもなってくるんですね。それから・・・とこれ以上細かい こといろいろ考えて口紅買わなきゃいけないのかと思うと、口紅買いに行くのもイヤになりますよね。だから最大のこつを教えます。 それは何も塗っていない状態の唇の色、これに近いものを探すといいんです。肌色もきれいに見えるし、顔がぼけることもありません。 それでちょっとだけ濃いもの、薄いものを探してみるとヴァリエーションが生まれますね。これでシーズン対応は大丈夫。そして イメージコントロールはツヤでやっていただけばいいんです。

 落ち着いた、清楚な、誠実な、そういうイメージにしたければ口紅をマットに仕上げてください。もともとは艶やかなものでも、 ティシュオフしたり、それで足りなければルーセントタイプのフェイスパウダーを掛けてあげるのもいいと思います。逆に積極的な、 アクティブな、バイタリティーのあるイメージにしたいときはつやを出します。買ってきてそのままの状態で物足りなければ、グロスを 足していただけばいいと思います。グロスにもパールの効いたものとヌメり感だけを重ねるものがありますから、両方あると ヴァリエーションが広がりますね。ただしどちらもやりすぎは禁物です。マットにするのをやりすぎると寂しく暗いイメージ、 グロッシーな感じにしすぎると品がなくなってしまいます。

 それから塗るときの注意なんですが、なんでみなさんあんなにベッタリ口紅塗っちゃうんですか?お客様も美容部員も そうなんですけど、女性は(って言うのも変だけど)一般に口紅塗りすぎです!仕事によっては僕が色だけ選んで美容部員に つけてもらうこともあるんですが、ものの見事に僕のイメージとは違う仕上がりに塗ってくれちゃいます。ファデーションをつける ときと同じようにメリハリが必要です。といっても難しいことはありません。

 まず、筆にしっかり口紅を含ませてください。これがリップラインがにじまないコツなんですが、口紅が紅筆にのっかってるだけの 状態ではなくて、毛と毛の間に口紅がはいるように丁寧に含ませます。それから紅筆をなるべく唇にピタっと当てます。筆が唇に 対して立ってしまうとスムーズにラインを引くのが難しくなります。それで引くときは口角にブラシを当てて、唇の外側から塗って いきます。そのあと筆に残っているものでなかを塗るくらいでちょうどいいんです。このときわざわざ口紅を足したりするから ベタっとした唇になって、品がなくなって顔も大きく見えちゃうんです。もっと厳密に言うと口角から唇の中心に向かうにつれて、 徐々に力を抜いていくといいんです。唇も口角より中央のほうが前に出ているわけですから、そのほうがリアルな立体感が出ます。 同じように塗ると唇がフラットに仕上がります。まあここまでは一般の方は拘らなくてもいいかもしれませんが、なかと外くらいは 塗り分けましょうね。

 ・・・続く・・・



「チークのコツは『チー』と『クー』!」 vol.19  (2002年 11月12日UP)


 メイクを教えるときに厄介なもののひとつがチークです。チークってできてないとか、難しいというイメージがないと思いませんか? 『何が苦手ですか?』って尋ねた時に「チーク(頬紅)」ってお答えになる方ってほとんどいらっしゃらないんです。そのくらい皆さん 意識してらっしゃらないといえると思います。

 だから「チークをつける」という工程は経てるんですが、顔に対する効果が出るほどには効果を発揮してないというか、毒にも薬にも ならない程度にしかついてないんです。料理で言うと「ん、これ塩入れた…?」「「ちょっと入れてはみたけど、味しないわねぇ。」と いう状態です。

 せっかくお金を出して頬紅を買って、朝の貴重な時間を使ってチークを入れるなら、それだけの効果が出るようにしたいものです。 そこで今回はチークを入れるコツについて書きましょう。

 その、前にチークって何のために入れると思ってらっしゃいますか? 血色をよく見せるため、と言うのがよくある答えなんですが、 それも確かにあります。ですが顔色に最も影響するのはむしろ口紅のほうです。チークは顔に立体感をつけるとか縦横のディメン ションを変えるとかといった働きがありますが、最も大きいのは顔に表情をつける効果です。

 例えばチークを入れてない状態では口紅がすごく目立ちます。と、いうことはその周りにある頬はよりフラットに見えると言うこと なんです。口紅をつける前はファンデーションをつけた上からでも感じられたもともとの顔の立体感も、口紅をつけたことによって、 感じられなくなったりします。ここで皆さんは『だから立体感でしょ』と思われるでしょう。ですが立体感がないことが問題ではなくて、 そのことによって顔が無表情=冷たい人、気味悪い、何考えてるかわかんないと思われかねないわけです。(前に『メイクは コミュニケーションの手段』ということをこのコラムで書いたと思うんですが、覚えてらっしゃいますか?)これは対人関係において マイナスになります。景気のいい話題が少ない世の中ですからせめて女性くらいは、明るく美しく朗らかな顔して歩いていただいた ほうがいいんじゃないかと思います。

 では、そういう「優しい」「明るい」「健康的」「人当たりのよい」なんでもいいんですがそういった印象を持ってもらうためのチークの 入れ方はどうすればいいか。 鏡の前で微笑んでみてください。この時頬の筋肉が盛り上がりますよね。この膨らんだところの 一番外にブラシをあて、そこから頬の中心に向かってチークを入れていきます。必ず外からに中心に向かってです。そうすると自然に 柔らかい表情のチークが出来上がります。 間違って内から外に向かって入れると、同じ場所でも田舎っぽいというか、頭悪そうな 顔ができちゃいますから気をつけてください。でも多いんですよね、この向きにチーク入れてる方。

 それからもうひとつ「クールに決める」とかシャープな感じ」にしたいこともありますよね。その場合は口をすぼめてみてください。 頬から口角に向かって縦長のくぼみができますよね。そのくぼみに沿って入れていきます。ただし上から下に一直線に入れるん じゃあないんです。 これも外側から内側に向かって高いところから低い位置という順で入れていきます。どちらの入れ方の時も ブラシを持った手首を返さず、肘の動きでブラシをコントロールしてください。手首を返すとブラシのコシが効いて、一箇所に色が 強く出てしまい、色味の強弱のコントロールが難しくなります。

 さーもう今回のタイトルが意味するところわかっていただけましたね。チークを入れるときソフトにしたければ「チー」と言う時の 口をしてもらい、シャープにしたいときは「クー」と言う時の口をしてもらうと比較的入れやすいと言うことなんです。

 まあ、冗談交じりではありますが、女性は往々にして正面を向いたまま無表情にメイクすることが多いようです。男がひげを そるときなんか顔の皮膚が一番伸びてる状態にする必要があるから、結構向きを変えたりするんですがね。ですから明るい 顔に仕上げたかったら明るい表情をしてメイクをしてくださいと言うのがもうひとつの今回のテーマです。

 ・・・続く・・・



「ヴィンテージ」 vol.18  (2002年 10月15日UP)


 とある夜、とある酒場で、僕は個性的な面々とグラスを合わせながら語らっていました。メンバーは著名な皮膚科医、考粧学者、僕、 それにこの庭の管理人などなどです。話題は多岐にわたります。そのうち料理に「うちわ蝦(エビ)」が出てきました。どうやらそこにいた 5〜6人のメンバーの中で、以前にそれを食したことがあるのは僕だけのようでした。「うちわ海老」とは九州から四国に掛けての海で 取れる、薄茶色をした海老で、頭の部分が伊勢海老や車海老と違って幅広く平べったいのが特徴です。大きさは小ぶりの伊勢海老 程度です。かつて初代ウルトラセブンに出てきた「ビラ星人」のモデルにもなりました。九州では「ぞうり海老」とも言います。

 で、その夜はおそらく蒸しあげたものだと思いますが、薄いピンク色になって、縦に半分に切ったものが出てきました。出てきたとたん 一同は、『なにこれ?』 『気持ちわる〜い!』などと、決してポジティヴなものではありませんでした。僕は子供のときによく魚屋さんの 水槽で泳いでいるのを見てましたし(あれって、前向きに泳ぐんですよ。他の海老って泳ぐとき後ろ向きですよね?!)、食べたこともあった ので、これは「ぞうり海老」もしくは「うちわ海老」というもので、素朴ながら間違いなく甲殻類の味わいのあるものでありますぞ、ともうし あげました。すると某メーカーの香料担当の僕と同い年の科学者だけがニコニコしながら、うちわで扇ぐまねをしながらうなずいて くれました。彼は少なくとも見たことがあるか、名前ぐらい知ってた様子です。がそれでも頑としてネガティヴだったのは、フランス在住の 皮膚科医です。彼女は『え〜、コレ食べるの?なんだかジュラ紀だかカンブリアだかの…』カブトガニ?っと僕、『それそれ、それじゃ ないの?』。すると、さすがはサイエンティスト、ここの管理人が『アレは蟹じゃなくてどちらかというと蜘蛛とかそういうものの仲間だから』と アカデミックな発言。

 ただし、ここに来て彼女の中では「うちわ海老→カブトガニ→蜘蛛→気持ちわるい!」という図式が出来上がったみたいで、ついぞ箸を お付けになりませんでした。普段なら食わず嫌いはいかんと、一喝するところですが、なにぶん相手はめちゃめちゃキュートなお顔立ちの トランジスタグラマー、あとで見た彼女のサイトのプロフィールにあった 「△人の○○を育てながら」というくだりが信じられないほど 美しく若々しい女性だったので、それも許してしまいました。おかげで僕は2人分食べたし。

 で、その場では当然美容関係のネタも出てくるわけです。面子が面子ですから。その中でシミの話になりました。僕は日本人はシミ・ そばかすを気にしすぎるのではないか、というようなことを申し上げました。すると例のフランス在住の皮膚科医が、「そうね、フランス人 なんかぜんぜん気にしないし、むしろコレだけ跡が残るほどバカンスしてきちゃったのよ!って自慢してたりするし。」というEUでの常識を 披露してくださいました。それにしても何で日本人はあんなに気にしすぎるのかねえ? という話になりました。それで僭越ながら (考粧学者の先生もいらっしゃいますから)前回ここにアップした内容について語りました。するとみなさん一様にご賛同くださいました。 そして「大体なんでシミって言うんだろう?」、「違うかっこいい名前にすればみんな気にしなくなるかも」、「ではどんな名前が?」という ことでシミに変わる新たな固有名詞を考え始めました。

 いろいろ考えた挙句「ヴィンテージ・スポッツ」ではどうだろうかということになりました。「ヴィンテージ」本来の意味はワイン作りに かかわるぶどうの収穫を意味します。しかし現在では「ヴィンテージ・カー」「ヴィンテージ・ジーンズ」のよう「熟成された」、「年代物の」と いった意味に使われることが多いのではないでしょうか。ここではその円熟とワインにおける意味の両方に引っ掛けてあります。 いいワインは年数が経ってくると「澱(おり)」がたまったりしますよね。いくらいい年のワインでも、まさか2年目から澱がたまるはずは ないし、かといってどんなワインでも年数が経てば澱がたまるというものでもありません。かといってまた、澱があるからいいワインとも 限らない。

 この辺がどうもシミ・そばかすと相通ずるものがあると思いませんか。

 いま美白に関してものすごく研究が盛んです。化粧品の効果もかなりなものですし、皮膚科や形成外科ではいろいろな方法でシミを なくす処置が行われています。いいコンシーラーもあります。だからといってすべてないほうがいいのでしょうか。そりゃないほうがいい ですよね。じゃあ、言葉を変えます。絶対あってはいけないものでしょうか。そのひとつを気にしすぎるがために、全体の美しさをスポイル していることって、実は結構あるのです。たった一つの薄くて小さなシミのせいで、瞳の輝きを曇らせたらもったいないと思いませんか。 ワインだって澱は決しておいしいわけではないけれど、「あ、このワイン澱があった!」なんてうれしくなったりすることないですか。 そんな風に考えられたら 「エイジング」そのものをもっと前向きに受け入れられると思うのですが。

 うちわ海老も「東京では珍しいうちわ海老のスチームでございます。九州・四国あたりでは伊勢海老以上に珍重されております。」 って最初に言われてから出てきたら、素直に食べられたのかもしれませんね。ねぇ、マナ先生!

 ・・・続く・・・



「穢れ(けがれ)」 vol.17  (2002年 10月 1日UP)


 前回はコンシーラーについて書きました。僕がコンシーラーを使うのはクマを隠すときがほとんどです。シミ・そばかすの 場合はあまり使いません。僕がメイクの際シミを隠すのにコンシーラーを使うと、メイクされてる方は『やっぱり隠さなきゃ いけないくらいのシミなんだ』と思われそうでイヤなんです。それにそばかすを自然に隠そうと思ったらきりがないですから。 なんで黒子はそんなに気にしないのにシミ・そばかすは気になるんでしょうか?それについて前々から自分なりに考えていた ことがあります。今回はそのことに触れてみたいと思います。ただし、これからここで述べることは、いくつかの根拠はある もののすべて僕の推論、仮説、はっきり言ってしまえば思い着きであることを最初にことわっておきます。

 シミ・ソバカスのある方は「私は顔が汚い」とおっしゃるんです。そういう時僕は「今朝顔洗われましたよね、だったら汚くない ですよ。」と申し上げることにしてます。ですが、シミ・ソバカスは洗っても顔の上に残っています。こういう「水に流せないもの」 にたいして日本人は特別の感情をもつようです。これについては作家の井沢元彦氏が、彼の多くの著書のなかで日本人の もつ独自の宗教観からきていることを語られています。

 その内容を要約すると『日本人は「水に流す」ことを最大の美徳と考えている。だから水に流せないものを「穢れ(けがれ)」 として汚い物と考える。これは仏教でも儒教でもない日本古来の宗教的思想に基づくものである。』ということです。

 で、どういうものを穢れとして捕らえているかについて「箸と茶碗」が具体例としてあげられています。例えば昨日までお父さんが 使っていたお箸を、きちんと洗剤を使って洗い、消毒したからといって中学生くらいの子供に「これを今日から使いなさい」というと どんな反応がかえってくるか。きっと「え〜、汚い」といって使うのを拒むでしょう。こういう感覚が「穢れ」だということです。 同じような理由で茶碗も各人の物が決まってますよね。ところがカレーを食べるときの洋皿やスプーンに対してはそれがないん です。そういうことからも日本古来の物に関しても日本古来の宗教観に基づくものといえるんでしょうね。ただし最近の女子校生 なんかがお父さんのと一緒に洗濯するのは嫌だ、なんてふざけた事いうのとはまったく違いますからね!

 その詳しい成り立ちその他にについては実際に井沢氏の著書をお読みになることをお奨めします。

 で、シミ・ソバカスは水に流せないので、それを一種の「穢れ」と考え、毎日クレンジング・洗顔をしてる人でも「顔が汚い」という 表現をされるんでしょうね。またそれは日本人が黄色人種であることにも関係していると思います。なぜなら黄色人種には白人の ように、ソバカスがたくさんある人はさほど多くありませんから。まあ、いわゆる色白の方には結構あったりするんですが、それに しても白人のようにほとんどの人にあるというわけじゃないですよね。つまり肌は基本的に白いものだというのが日本人の常識 としてあるんでしょうね。それに遺伝子にその要因をみいだせるソバカスは大体5〜6歳から、紫外線などの後天的な要素が 多いシミにいたってはさらに成長してから現れます。だから無意識に経年による劣化と思いがちです。そのせいかきれいな物が 汚れてきたという印象をどうしてももってしまうんだと思うんですね。

 でも、そういうもんじゃないわけですよ、、本来。まあ男性の髭みたいなもんですかね。(髭にも確かに「汚い髭」ってのはあり ますけど)髭で顔が黒くなるのは汚れてきたわけではなくて、伸びてきただけですよね。ですが、日本の女性はものすご〜く気に します。

 そこへいくと欧米の人は、みんながそんなだからあってあたりまえ、汚いなんて思ってもいません。ソバカスだってあってあたり まえくらいに思ってます。紫外線によるシミだって日本人ほど気にしませんでした。むしろ『シミができるくらい長くバカンスに行って たのよ』なんて具合に自慢の種にするくらいですから。ですが段々紫外線が人体に及ぼす影響が分かるに連れて、変わりつつ あるようです。とくに白人は黒人や黄色人種にくらべてメラノーマなどの皮膚ガンにかかる率が高いですからね。

 とにかく、やたらとシミ・ソバカスを日本人が気にするのはこんな背景があるんじゃないかと思うんですよ。

 ・・・続く・・・



「コンシーラー」 vol.16  (2002年 9月24日UP)


 朝晩やっと涼しくなってきました。そろそろファンデーションの切り替えも全開モードに突入といった感じです。毎日百貨店の 店頭には、多くのお客様にきて頂いてます。まあ、お店の立地上権にもよりますが、多くが仕事を持ってらっしゃる女性、つまり OLさんです。(それから看護婦さんというのも多いんだよねぁ、なぜか。)最近のオフィスはパソコンを使うことが多いせいか、 多くの方に目の下の所謂「クマ」が目立ちます。女の人って恐いですねぇ、クマは出るは角は植やすはで。しかも最近じゃあ 呑んでトラになる方も結構…。失礼!

 で、このクマはは目の下の部分の血行が悪くなったり、その部分が窪む事によって影ができるせいです。どちらも疲れた 時におきやすいんですが、寝不足などをすると顕著に見られます。疲れると全身の代謝が悪くなり肩が凝ったり、腰が はったり、足がむくんだりしますが、これが目にくるとクマになるんですね。あと、疲れた時というのはエネルギーを消耗 してる時でもあります。通常人間の身体では筋肉中のグリコーゲンをエネルギーとして使い、それが足りなくなると脂肪を 分解して使います。で、その脂肪のなかでも目の下にある脂肪が最初に使われると聞いたことがあります。残念なことに おなかの脂肪ではないのでした。そこで、脂肪が減った分、落ち窪み、クマになるのですかね?

 とまあ理由原因は色々あるのですが、僕の専門はこれをうまく隠すことなのです。そしてそのためにはコンシーラーを 使います。皆さんも気にして結構使ってらっしゃるようなのですが、結果として旨くいってる方は少ないんですねぇ、これが。

 まず選び方ですが、これには大きく分けて2つのポイントがあります。1つは色であり、もう1つは硬さです。まず最初に 色ですが、これはみなさん結構気にしてらっしゃるようです。だからといってOKって方はなかなかいらっしゃらない。最初に 言っときますが、白いのなんか塗っても消えませんからね、クマは!修正液とは勝手が違いますから。各メーカーとも ピンクやベージュ、オレンジなんかが出てますが、僕としては低いトーンのオレンジ色、これがお勧めです。あまり明るいより、 むしる肌色より1トーン暗いくらいでちょうど良いです。

 それから硬さについてですが、これを気にしてる方はほとんどいらっしゃらない。というより重要性があまり知られて いないと言った方がいいのかもしれません。たとえば頬にシミを隠したい場合、これは色のみで選んでもそう不都合は 起きません。しかし、目の下のクマとなるとことは重大です。選び方を間違えるとひどいことになります。目の周りはとても 動くところなので、硬いコンシーラーをえらんでしまうと、そこがヨレてきたり、ファンデーションごと溜まってきたりします。 ですから、目の下に使う場合はなるべくサラサラにちかい軽いものを選んだ方がいいと思います。シミに関しては不都合は ないと言いましたが、もちろん固めのものの方がカバー力はあります。個人的にはなるべく滑らかな手触りの、ゆるめの クリームタイプが好きです。最初に緩いものは、手の甲に水分を吸わせたりして、硬さの調節が効きますから。最近は形状も 多様化しています。一見パレットに入れた口紅のようなもの、アプリケーター容器のもの等色々です。以前はペンシルタイプ などもありましたが、これはつけたところが光ったりして、あまり評判は良くありませんでしたね。

 最後につけかたですが、これも見てると、勘違いが多いんです。クマのところ以上に、広くつけたら無意味ですからね。 いいですか、クマの部分と頬の部分の色のギャップを埋めることでクマを消すんですから。広く塗ってしまったら全体が明るく なるけど、両者の色の差は変わらないままですからね。クマとその周りの境目をシッカリ、そして細心の注意で塗ってください。 それから使うのは薬指!人差し指はメイクでは使いません。量が多かった時のみ親指でクリアしてください。

 もちろんパウダーファンデーションの時は先に、リキッドやクリームの時は後での方が使いやすいですね。

 ・・・続く・・・



「選んでますか?」 vol.15  (2002年 9月 3日UP)


 暑い暑いと思っていたら、いつの間にか立秋。朝晩はすっかり涼しくなって・・・

 なんて思ってたら、またこのごろはすっかり暑さがぶり返してますね。

 ですが、化粧品売り場にはこの秋冬の新色・新製品が出揃いました。ポイントメイクだけでなく、ベースメイクも新しいものが たくさん出てますね。ベースメイクはポイントメイクのように、新しい色、発色、質感を楽しむというより、機能面で新しいものが 多いようです。それも大きく2つありますね。スキンケア効果に振ったものと、化粧もちカバー力といったメイクアップ効果を 追求したものと。まあ、それは雑誌やパンプレットを読んで確認してください。僕自身、あまりそういった点に重きをおいてないんで。 だいたい化粧もち・カバー力といったものは正しいつけ方をすれば皆さんが思っている以上のパフォーマンスを発揮できます。 (前項参照)

 スキンケア効果はメイク前のスキンケアでコンディショニングすべきだと思ってますから。朝のお手入れ後の状態をなるべく 長く維持するという目的であれば、それはベースメイクに課せられた使命かなとも思いますがね。では、僕がファンデーションに 求める要件の最たるものは何か?それは「なめらかさ」です。リキッド・クリーム・パウダーとタイプにかかわらず一緒です。 さっわてなめらか、下地の上に伸ばした感じがなめらか、仕上がりを触ってもなめらか。こういうファンデーションはレーシングカーに たとえて言うと(よけいわかりづらかったりして…)「セッティングの幅が広い」「素性がいい」ということになります。『セッティングが 決まれば一発の速さはあるんだけど、いいセットが見つからない』こういうクルマはドライバーも大変だそうで、メイクも同じです。 肌の状態はいつも同じではありませんから。肌と下地と白粉にあわせやすいことが一番です。ただし、これは多くの方をメイク しなければならない立場の人間が言うことであって、人それぞれ悩みが違えば、求める要件も違いますからいちがいにはいえ ませんけどね。

 そこで今回ここでは、色の合わせ方について言及しようと思います。 ファンデーションの色選びにもさまざまな迷信(?)がありますからね。『年配の人はピンク系がいい』だの「黄色いほうがくすまない」 だの。つけた瞬間はそれでいいかもしれませんが、時間とともに変わってくるんですよね、肌色って。

 最近のファンデーションは質がいいので8時間やそこらで、使ってる油脂類が酸化して色がくすむことは少ないと思います。 ところが人間は起きてメイクして8時間も仕事してたら、間違いなく肌はくすんできます。そうすると肌色と、上に乗っかってる ファンデーションの色のギャップが大きくなります。そうすると、いかにも肌に合ってないものをつけてる感じできたな〜くなります。 よって本当の肌色に近いものが、当たり前ですけど最もきれいに仕上がるはずです。ここで気をつけてほしいのは「現状の肌色」 ではなく「本来の肌色」です。

 ですから、本来もっときれいなはずなのにトーンが下がってるな、と思えばコントロールカラーを使えばいいわけです。あるいは 僅かであれば白粉でニュアンスを足すとかね。それでその肌色を見極める場所は、よく言われる頬の下、あごの側面です。 合わせる方法ですけど、実際つけてみるに限ります。そのときたくさんつけちゃいけません。美容部員でも頬の部分全体に着けて、 『どうですか?』っていうのがいますけど、そんなにつけちゃったら違っててもわからないって。実際にメイクするときと同じ膜の 厚さで、指先の幅で3センチ程度でいいんです。これで、周りとどのくらいなじんでるか、ちょっと周りより黄色いなとか、白いな とかみてください。で、1色つけて大丈夫と思っても、必ずそれに近い色2色くらい、その横につけてみるんです。すると案外OKと 思った色よりもフィットする色があったりします。

 それから、正面だけ見てないで顔の向きを変えて鏡を見るのも、違いがよくわかる方法です。

 ・・・続く・・・



「『ファンデーションを塗る』をやめよう」 vol.14  (2002年 8月20日UP)


 残暑お見舞い申し上げます。

 「ビューティーサイエンティストの庭」ならびに「化粧師の徒然」のファン(読者?視聴者でもないだろうしなんて言うんだろ?)の 皆様お元気ですか。私はつかの間の夏休みを九州の実家で過ごしてきました。今の時期、飛行機の割引運賃はないし、空港から クルマで3時間もかかる辺鄙なところですが、毎年必ず帰ります。東シナ海からエネルギーをもらうために。水平線の向こうから湧き 立つ南の海独特の大きな雲、沖の方まで広がる遠浅の白い砂浜、その間を埋める青く透き通った水。180度目を転ずれば、そこは 鬱蒼と木々が茂る山が迫っています。山の木々、雲、空の、緑、白、青のコントラストがとても強く、空が間近にある感じです。 きっと都会で見るよりも空が格段に青いせいでしょう。空と大地の間で、生命の源といわれる海に漂い、日差しを背中に感じていると 『また1年働いて来年もここに戻ってこよう!』と思いますね。(もちろん日差しは感じるだけで、あとに残すことのないよう日焼け止めは ばっちり塗ってるんですが)

 それから東シナ海がくれるものはこれだけではなくて文字通りの海の幸も堪能してきました。正式には「アイゴ」というのですが、 大阪以西では「バリ」といわれる魚のあらいに舌鼓を打ってきました。背びれのとげが特徴のこの魚は、死んでしまうとすぐに臭くなる ので、必ず生きたものを料理しなければなりません。(きっと他の魚とはアミノ酸の組成が違うのでしょう。これと逆にクルマエビは、 おどり食いが有名ですが、実際は一度冷凍して解凍し、自家分解が進んでからのほうが格段に甘味がまします。)よって、都会の 魚屋さんのショーケースには絶対載らない魚なので、これも帰省のおきな目的のひとつです。それからお米。この時期九州では もう新米が出てるんです。少し多めの水加減でやわらかめに炊くと甘味くておいしいんです。ところでこの米、本来研いでから炊くもの でしたけど、最近は研がなくてもいいものがでてます。そしてその名前が「無洗米」。水で流してきれいにする作業は確かに洗うですが、 米や小豆なんかは慣習として「研ぐ」というのが正しい日本語がったはずです。ところがいつの間にか「米を洗うになってしまいました。」 そのせいでしょうか、最近では家庭科の時間に、洗剤を入れて文字通り米を洗ってしまったお嬢さんもいたとか・・・。本来は米と米を こすり合わせて余分なぬかを落とすから研ぐだったんです。洗うものだと思うからやること間違っちゃうんですよ。

 これと同じことがメイクにも言えます。もう「ファンデーションを塗る」のをやめてはいかがでしょうか。勘違いしないでください。ファン デーションを肌につけるなと言ってるんじゃないんですよ!ファンデーションを「塗る」という表現をやめようということなんです。これも メイクレッスンをしてるときのことなんですが、ファンデーションの着け方をデモンストレーションした直後にもかかわらず、リキッド ファンデをすり込んでる方がいらっしゃいました。そのとき僕は言いましたね、「そんな、背中に日焼け止め塗るみたいなやり方で、 ファンデーションをつけるのやめましょうよ」って!そのとき思ったのはクリームも日焼け止めもファンデーションも、どれも同じ「塗る」 という表現を使うから、同じ動作になるのではないかということなんです。だから今後僕としては「ファンデーションを塗る」という表現を やめようと思います。でもつける動作まで表すいい表現を思いつかないので、とりあえずは単に「着ける」という表現にしたいと思います。 白粉はこれに比べると「叩く(はたく)」という言い方があって、これはその正しい着け方まであらわすいい表現だと思うんですね。

 で、折角ですからここでファンデーションの正しい着け方をもう一度簡単に復習しておきたいと思います。それから先に言っときますが、 パウダーであれリキッドであれ、はたまたクリームタイプであれ、基本的に着け方は一緒です。とにかくスポンジの面がなるべく肌と 平行に、広い面積が当たるようにすることが一番です。(よく折り曲げて人差し指の先くらいの面積しか当たってない方がいらっしゃい ます。しかしこれはいけません。当たる面積が大きければ面圧は分散し、ファンデーションが均一に手早く伸びます。逆に当たる面積が 小さいと面圧が一箇所に集中するためムラや筋になりやすくなります。)そのためには顔の、ファンデーションをつけている部分が 鏡の正面に来るようにするといいと思います。ただ真正面だけ向いてても右半分と左半分でかおに対してのようなもスポンジの角度が 違ってきます。それからここが大事なところなんですが、正面を向いたままだと、顔の外側に行けばいくほどスポンジのエッジの部分しか 当たらなくなります。そうするとこれはもうファンデーションをつけているというより、こそげ落としてるようなもんですね。あとはスポンジを 肌の上で弾ませるようにしてもらえばいいと思います。そのときスポンジの自然な弾力に任せて弾ませると、力加減のムラがなく、 仕上がりもきれいです。

 まあ、とにかくファンデーションをかおにすり込むのはやめましょうよ。

 ・・・続く・・・



「テーマを探せ」 vol.13  (2002年 7月30日UP)


 先日化粧品とはまったく関係のない会社からそこのスタッフの方々のメイクレッスンを頼まれました。その会社は海外の 伝統的な、そして由緒ある家庭用品のブランドです。レッスンといっても2時間で16人くらいの皆さんを相手にするわけですから、 全員の方にメイクをして差し上げるというわけには行きません。まあ、ワンポイントタッチアップがせいぜいですね。じゃあどう するかと言うと、そのブランドからイメージされる言葉を挙げ、それを実現するにはどこをどうすればいいかといったメイクの ポイントを説明します。ですがこれだと具体性にかけますから、それにふさわしいイメージフォトを探して持っていくことにしました。 といってもモデルにそれらしいメイクをして、プロに撮ってもらったものをパネルにして、なんてことはまさかできるわけはありません。 (時間とコストの両面からね) そこで勢い雑誌の中からそれらしいグラビアを探して色画用紙にスプレーのりで貼り付けて作る ことになるんです。今回は先に述べたようなブランドなんで「上品で健康的な、多くの人に受け入れられる華のあるメイク」が テーマでした。多くの雑誌でこの1〜2ヶ月化粧品特集組まれてましたんで、5〜6冊ざーっとページをめくってみました。 するとないんですねぇ、イメージぴったりの写真って。それどころかそのまんま一般ユーザーに提案できそうなものもそう多く ありません。いったいどういうことなんでしょう。

 現在の女性誌は化粧品に多くのページを割いています。もちろん雑誌によって特徴がありますが、売れてるものはそのほとんどが 広い意味での「ビューティー」に重きを置いているものと言ってもいいでしょう。かつて出版業界では『化粧品担当の編集者は 副編まではいっても、編集長にはなれないと』言うのが定説でした。今全然そんなことないですからね。特にここ2〜3年で新たに 創刊された雑誌は毎号「きれいになること」をテーマにすべく、雑誌のタイトルもそれっぽいものがあったりします。今回もそういう 雑誌も含めていろいろ見てみました。その結果、「上品で健康的な、多くの人に受け入れられる華のあるメイク」と思える写真が まったくないのです。

 理由はいくつかあります。1ページ丸まる顔の写真になってるものを探したせいかもしれません。時期的に「夏のバカンス」とか 「サマーバケーション」という切り口のものが多かったこともあるでしょう。こちらのオーダーにも「夏らしい」なんて言葉は入って ませんが、今の時期提案するんだから当然そういう色使いをするわけです。ですから実際には「この夏らしい健康的で親しみ やすい華のあるメイク」のイメージで探しました。それでもこれはと思えるものはありませんでした。一番の理由はコスメに特化した 雑誌の多くは、最新の化粧品を如何に紹介するかにポイントが置かれているからだと思います。毎月のようにたくさん出ますからね、 色物って。雑誌は情報だからより多くの情報をより早くのっけたいんです。するとできたものがメーカーのカタログを使って コラージュしたようなものになることもあります。なにもこういう編集方針が悪いといってるんじゃありません。いつも使ってる 化粧品が『もうちょっとこうだったらいいなぁ』なんて思うことは皆さんもあると思うんです。で、その「もうちょっとこう」なったものが 出てないかなんて、デパートの化粧品売り場を年中探して歩くわけに行きませんからね。それから各社の新色が並んでますから、 どんな色が多いかもすぐわかります。ということはその時期の傾向なんかもわかりやすくなるということですよね。そしてそういう 雑誌のグラビアは旬の素材をどう使いこなすか、という切り口からメイクアップのコンセプトを作ってるんだと思います。

 それとは別にもっと狭い読者に絞り込んで作った雑誌であれば、その絞り込んだ読者向けのアイテムオリエンティッドでない グラビアが作り方もあると思うんです。(今回僕が探してたものとぴったり一致するものがあったかどうかは別にしてね。) 作り手側には作り手側の企画意図があります。受け取り手には受け取る側の思いがあるでしょう。だから自分が参考にする 本を買うとき、そこを考えておくといいと思います。雑誌をカタログとして使いたいのか、マニュアルにしたいのか。要するに そういうことです。自分がどうしたいかって言うテーマがないと、物と情報に振り回されて終わりです。

 ・・・続く・・・



「変身はライダーにまかせて」 vol.12  (2002年 6月18日UP)


 最近はテレビに情報番組でもメイクをとり上げることが多くなりました。TBSの「ジャスト」火曜日の名物コーナー「奥様スターに 変身」でブームに火が着いたようですね。もっとも古くはテレビ朝日の「OLクラブ」でトニー田中のメイクコーナーがありましたけど。 NHKの「趣味遊遊」でも人気のメイクアップアーティストをフィーチャーした「メイクレッスン」というのを放送してます。他局も夕方の ニュースやお昼のワイド番組のなかで特集組んだりしてますよね。それでこれらの番組が結構影響力強いんですねぇ。店頭に いて今日は何だか随分と同じ商品を指名してくる人が多いなあ、と思って何人目かのお客さんに聞いてみると、誰それが○○と いう番組のなかでこれがいいって言ってた、ということがあります。たとえばその商品がアイライナーだったとしましょう。で、その 商品の特徴というのは涙や水につよく落ちにくいという点です。雑誌のグラビアの撮影なんかだと、撮る直前に、充血をとって 白目をより白く見せてくれる目薬をさすことがあります。おそらくこのアイライナーを使うとそういう時でもにじまないはずなんです。 だからそのアーティストは『このアイライナーは長時間の撮影でもにじまないし、粘度が高いので黒さが引き立っていい』という 意味で『このアイライナーはいい』といってるのかもしれないんです。それを『このアイライナーを使うと誰でもそれだけできれいに なるからいい』もしくは『誰がやってもきれいに引けていい』という意味の『このアイライナーはいい』だとかってに解釈してるんじゃ ないかと思うんです。たしかに僕も「このアイライナーは引き易い」とうような表現をする時がありますが、それはちょうど握りやすい 太さだったり、毛の腰が自分の好みだったりという事であって、けして誰が使ってもきれいに引けるということではありません。 どんなにいろんなメーカーが商品開発競争で凌ぎを削っているからといって、昨日までアイラインを引けなかった人がいきなり 引けるようになる物が出てくるという可能性は、今現在ありませんからね!何と行っても化粧するのはあなたですから。

 それから「ジャスト」なんかを見てると、切り口が女優の誰それさんふうにへんし〜んという切り口ですよね。僕はこれにひかかって ます。だってあなたにはあなたなりのよさとか個性があるんだから、それを考えないで安易にほかの誰かになってどうするんですか。 メイクって肌を日焼けから守ったり、シミを隠したりという働きももちろんあります。でも究極にして最大の目的というか役割は別に あると僕は思ってるんです。それはメイクがコミュニケーションの手段だということです。たとえば色白で顔だちは整っているんだけど、 まつげはした向いてて目が暗く見える。頬にはシミもないかわりに血色もなくのぺ〜っとして無表情に見える人がいたとします。 あまり話しかけ易いとは思わないですよね。でも何ら中身が変わってなくても明るい色のシャドーを着け、まつげをしっかり上げて チークとハイライトで頬の筋肉がわずかに隆起した状態、つまり三部咲きの笑みをたたえたようなメイクを施したとします。 するとさっきより全然話しかけ易いと思いませんか?まつげのところでした話と重複しますが、アイライン・マスカラで目を大きく 見せることによって、話してる相手は自分が好意をもたれてることを感じることができます。相手が自分に好意をもって接して くれてるなと思えれば、当然こちらもからもそれを前提とした情報発進をすることができるようになりますよね。こうしたメカニズムで メイクによってコミュニケーションが円滑になるのです。

 また仕事であれば相手を選ぶことができませんが、そうでないソサイエティーのなかであれば、事前に自分と気の合いそうな 相手をセレクトすることにも役に立ちます。人はそれぞれ価値観が違いますし、趣味嗜好が違います。プライベートな仲間と いうのは何かしら共通の話題がある、もしくは相手の言ってることに(たとえ意見の違いが合っても)同じレベルで理解することが できる相手であることが多いと思います。例えば僕個人のことで言うと、今の住居に越してから都内の通勤に2時間くらい掛かる ようになりました。そうすると何かの機会に子供達の親同士集まっても、同じような通勤環境にある人とは色々と話がはずんで、 "じゃあ今度東京駅で一杯"ってなことになって本当に一杯やることになります。そこで何時の電車は空いてるだの、呑んで 帰りに寝過ごした時の話だのでもりあがります。どちらかと言うと辛い部分の共通体験っていうのは仲間意識が生まれ易い ですね。もう「自分がどれだけ大変か自慢大会」って感じですよ。そうすりゃもうお友達って感じです。そうじゃないと○○君の おとうさんですか、どうもうちの子供がいつもお世話になります、それじゃ・・・って具合に終わっちゃいますから。

 あっ、もっとメイクに近い例がありました。神田正輝の襟のボタンです。 いつのころからでしょうか、(多分僕が大学に入った 時はすでにそういう風潮だった記憶があります)男のシャツのボタン、ネクタイしなくても一番上まで留めてしまうようになったのは。 本来ネクタイをしない時はシャツの一番上のボタンは留めずに開けとくのが一般的なマナー、装いのルールです。ですがこの国 ではいつのまにかそうではなくなってしまいました。男の服装には、一見するとレディースほど流行り廃りはないと思われる かもしれませんが、案外そうではありません。確かに男性のスーツの生地や色には、女性のそれのようには、大きな流行は ありません。ですが、襟の幅(これはネクタイの幅ともリンクします)、ボタンの位置と数、それからウエストのシェイプのしかた (これは通常第一ボタンの位置とシンクロしています)などに変化が大きく出ます。またパンツの方でも、タックのあるなしや 渡と裾の幅、裾の長さに流行があります。そして現在のスーツやコートは軍服にそのルーツを求めることができる以上、 当然無視できない伝統に基づいたマナーというかルールが存在するわけです。ネクタイをしない時は一番上のボタンは留めない、 これが決まりです。ネクタイを緩めてボタンを外す、これは確かにだらしないかもしれません。ですが、ネクタイしないのに ボタンを全部留める、これも同じくらいルール違反です。確かにファッションって時代とともに変わるもんだし、なが〜い レンジで見れば常に簡略化の歴史をたどっていることに間違いはありません。ですがそれとこれとは話が違います。 仮に欧米人の女性が着物を右前にきてたらどう思いますか、受け入れられると思います? 着物は男女とも左前っていうのが 決まりですよね。ネクタイをしないのにボタンを全部留めるのは、女性が着物を右前に着るくらいの愚挙です。そして 神田正輝です。彼が土曜日の朝に「モーニングサラダ」という番組の司会を勤めています。その時彼は割とカジュアルな 服装をしています。土曜日の朝という放送時間帯を考えての事でしょう。素材もコットンや麻のような物で、もちろんスーツ ではなくジャケットとパンツです。そしてノーネクタイのシャツの一番上のボタンは必ず空いています。スタート当初、 一緒にやってる田中義剛から「なんで、ここのボタンとめねぇべさ」とか突っ込まれてました。それでも「ええ、ここは とめません。」とあえて理由を述べるでもなく意志表示だけしてたのを覚えてます。おそらく担当のスタイリストとの間で、 留める留めないで事前に一悶着あったのかなと思わせる遣り取りでしたけど。そのときそういったルールを守ろうとする 神田正輝を見ていて『ああ、この人きちんと自分で授業料払って遊んできたんだろうな』と思いました。 そしてそういうものを大事にする彼に、なんとなく親しみと好感をもちました。もちろん神田正輝と僕は一度も会ったことも なけりゃ、話したこともないわけです。でも彼がシャツのボタンに込めたメッセージはきちんと僕のところに届き、そして 僕の彼への認識がかわったことである種の、しかしちゃんと双方向のコミュニケーションは成立してるんです。 そういえば自動車評論家の徳大寺有恒がエッセイで書いてたことを思い出しました。それは服装にこだわるとか、 おしゃれの流儀にこだわるということは自分の周りのほとんどの人にはどうでもいいことかもしれない、ただそれが 分かる人にだけ分かってもらえばいい、というようなことです。

 メイクもこれと一緒です、要するにアピアランスということですから。自分がどういう人でありたいか、もしくは自分は こういう人間です、というのを話す前に自分から外に向かって発信する手段のひとつがメイクであるともいえるわけです。 それなのに最近人気の誰それさんに変身してどうするんですか!

 ・・・続く・・・



「転んでもただではおきない」 vol.11  (2002年 6月 4日UP)


 顔に怪我をしたことは前回このコラムで書きましたね。もう瘡蓋(かさぶた)も取れたんですが、まだ痕が赤くというか臙脂に 色素沈着しちゃってます。それでこんないい機会はないからいろいろとコンシーラーの実験してます。まぁいわゆるコンシーラー だけでなく、ファンデーションとかパウダーなんかも含めてなんですが。特に女性と違って顔全体をメイクしてるわけではない ので、そこだけ何か塗ってるように見えないことにも気を使います。普通にコンシーラー塗って、周りの色に近いファンデーション 塗るだけじゃだめなんです。もうおじさんなんで、本来の肌は結構テカッてるんです。するとコンシーラー塗ったりしたところは マットに仕上がります。どんなに色が近くてもこれでは違和感が大きくなります。また通常こういう色素沈着を隠すときは カバー力のある固めのコンシーラーを使いますが、そうすると厚みがでちゃいます。これも違和感が出る原因になりますね。 で、いろいろ試した結果濃い目のベージュ(カフェオレ色)のコンシーラーの上にゴールドパールの入ったオレンジのアイシャドー 重ね、仕上げにダークなフェイスパウダーをアイシャドーブラシで乗せるということに落ち着きました。ここで皆さんが怪訝に 思われるのは「オレンジのアイシャドー」だと思います。

 いろいろやってみたんですが、赤みというかオレンジっぽい色がないと仕上がりがグレーっぽくなってしまうんです。ただし、 これも僕のもともとの肌色とコンシーラーやパウダーの色との兼ね合いなんで、どなたでも同じということではないと思います。 ですがやはりいろんな色やテクスチャーを重ねるとどうしても、グレーっぽくなるのは否めません。ハードにカバーするときは やはり何らかの赤みを足してあげるべきでしょうね。この場合の赤みとはオレンジ〜赤〜ピンクあたりの血色をプラスする色だと 解釈してくださいね。

 それからマットになりすぎないための工夫として、パウダーの上からさらにウォーターベースのゲルっぽいファンデーションの ダークな物を重ねたりもしました。でもウエットなものはそのときはいいんですが時間とともに斑(ムラ)になりやすかったですね。 するとあとは選択肢としてパールしかないんですが、これはやはり一般的な女性に比べると日焼けもしててダークな肌色なので、 シルバーというわけには行きません。するとゴールドです。

 というわけでこの二つを満たすものとして「ゴールドパールの入ったオレンジのアイシャドー」になるんです。最初はプレスト パウダーの後につけてたんですが、そうすると傷跡とそうじゃないところの境目の処理に、非常にシビアなものが求められるんです。 そこであるとき逆にしてみたら結構いい感じになったんです。

 でも本当はまったく別のところにコツがあったりするんだなぁこれが。それはコンシーラー塗る以外のところ処理です。全体と カバーしたいところの色が近いほうがいいんですよ。で、僕の場合はセルフタンニングローションを塗って顔全体を通常より ダークにしてます。これをやるとやらないとじゃだいぶ違います。シミとそれ以外の部分の色のギャップが小さくなるということですから。 ただ、本当に紫外線を当てて日に焼いてしまうと、紫外線の影響で傷跡が瘢痕になってしまうのでご法度です。女性の場合は全体に メイクすることが当たり前なので、まず色が濃くて付きの薄いファンデーションを全体に薄く塗ることで同じ効果が得られます。 それからいつものファンデーションを重ねるだけでもいいと思います。これは広範囲に雀斑がある人なんかにお勧めですね。 僕は雀斑だらけの白人モデルのメイクのときなんかによくこの手を使います。赤いにきびがたくさんできちゃったときなんかにも使えます。

 ・・・続く・・・



「怪我の功名」 vol.10  (2002年 5月28日UP)


 もう2週間くらいたつのですが、GWの真っ最中に顔に怪我を負ってしまいました。マウンテンバイクに乗っていて前輪を軸にして 投げ出されて、顔から着地してしまったようです。ようですというのはもうそこから記憶がなくて、気がついたら病院で、既に処置も 終わってましたから。で怪我の状態はというと顔面の右側の挫傷と唇の裂傷でした。

 もう張れも引いてかさぶたも取れたんですが、その部分が赤く痣のように色素沈着しちゃってます。頬の部分と唇の横辺りですが、 頬は2X5cmくらいで、唇の横は2X1cmくらいの面積です。これを人前に出るときはファンデーションやコンシーラーで隠してます。 そのまんまだとやっぱり痛々しいって言われちゃったりしますから。まあでも今でこそなるべく他の部分に近い色でカバーするには どのコンシーラーにどの色のファンデーションをたしてなんてやってますけど、絆創膏が取れるまでは結構ブルーでした。 やはり他人から見えるところ、それも顔に傷があるというのは、こんなにも気分がめいるものかと思いました。本当に人前に出るのが いやで、うちの玄関からガレージに行くのさえ、近所の人が居ないか気にしてましたから。別に犯罪者じゃないんだからって言うくらいな 気分でしたね。

 ここでメイクにかかわる話なんですが、今までお客さんのメイクをするときに、ある程度までのシミだったらわざと隠さないで メイクしてました。事前にお客さんから言われた場合は別ですけど、頼まれもしないのにコンシーラー塗りたくるのは、まるで『このシミ 隠さなきゃみっともないですよ』って言ってるようで・・・。 実際日本人はほんの小さなシミでも気にしすぎる傾向にあるので、 ネガティヴをつぶすのではなくて、いいところを活かすというメイクの方向性からいうと間違ってはないとは思うんです。1個のシミに こだわるより、全体の美しさのほうが大事ですから。ですが、自分が顔に傷を負ってその後が残ってしまうと、やっぱり隠したいん ですよね。するとやはりそこは隠してあげるべきなのかなぁとも思います。でも、なくなるわけじゃあないんで、そのこを気にしなく なるような方向性で話を持っていくべきかとも思います。もちろんケースバイケースなんですけどね。

 とするとやはりメイク前のカウンセリングというのを、今まで以上にしっかりとやっていかないといけないんでしょうね。このことに 関してはできればこのコラムを読んでくださっているみなさんからご意見をいただければなあと思っています。よろしくお願いします。 (ご意見はてぃがのメールアドレスに直接送ってください。)

 ・・・続く・・・



「眉は女の命」 vol.9  (2002年 5月21日UP)


 ある朝、いつもの駅のホームから「鍼」の看板を見つけました。依然はよく行ってたんですが、近所でやってた先生が引っ越して しまったもので、最近はちょっとご無沙汰でした。元々凝りやすい体質なうえに仕事で目を使い、電車のなかで本を読み、家に 帰ってから夜中までパソコンいじって目を酷使するので、どうしても眼精疲労とそれにともなう首から肩の凝りに年中悩まされています。 また、仕事の姿勢と移動時間の長さから、腰にも大きな負担が掛かっています。それとこれも移動時間の長さが大きく影響していますが、 アキレス腱や脛の筋肉が張っています。要するに全身の筋肉が凝りまくってるんです。

 そこで治療となるとマッサージか鍼ということになりますが、治療効果の持続性ということで言えば、僕は鍼に軍配を上げたいと 思います。人から『鍼って痛くないの?』ってきかれることも多いんですが、基本的には痛くないです。ただし毛穴に入るとチクッとした 痛みはありますがたいした事はありません。まあそれよりも「響かせる」という表現を使うんですが、治療のためにツボに刺激を 与えることがあって、これがその程度によっては結構きついですね。たとえて言うと歯が痛い時にその歯にあたらないように 注意して注意して物を噛んでたのに、何かの拍子にその痛い歯で思いっきり噛んじゃった時のズゥ〜んとくる痛み、あの感じです。 それも何度か通ってるうちに『ここきっと来るな』っていうのが解るから構えて力入ったりすると余計によくないんですが。 それに響かせ方もあまり強いと俗に言う「もみ返し」がきますから、これも気をつけないといけないんでしょうが、とにかくその鍼の 先生と相談しながら治療してもらってます。それに今行ってるところは、鍼の後にマッサージもやってくれます。で、その間にいろいろ 仕事のこととかも話すんです。そういうことを知ってもらっておいた方がどうしてそこの部分が疲れやすいかとか、凝りの原因を解った ほうが治療しやすいし、何に気をつければいいかのアドバイスもしてもらえますから。これは僕らの仕事でも一緒ですね。 それでその先生が言うには、女性のお客さんは眉を気にするから治療しづらいそうなんです。鍼を打つ時って顔を伏せてうつぶせに なるじゃないですか。その時眉が消えるのが嫌で、顔を完全に伏せないで、首を起こしちゃう方が多いみたいなんですね。 確かに僕がお客さんに聞いても、一番苦手なのは眉って言う答えが圧倒的です。それに何故かこの「あーてぃすとの徒然」ではまだ眉の ことに関して触れてなかったんですよね。という訳で今回は眉についての話です。

 なぜメイクのなかで眉が難しいか、それは「眉」を描こうとするからです。えっ、なに言ってんのあたりまえじゃん、と思われるかも しれませんがそうじゃないんです。描くべきは「眉毛」なんです。何が違うのと思われるかもしれませんが、要するに毛を一本一本 描いていって、その集合体が眉って訳です。ですがほとんどの方がまず眉全体の輪郭を描いてから中を埋めていくような描き方を なさってるんですよね。これって似顔絵を描こうとする時に、輪郭だけ描いてるようなもんです。山藤章二さんあたりがお描きになると それでも誰か解るんでしょうが、ふつうはそうはいきません。やはり目鼻や口を描いた方が本人にに似てきますよね。だからこそ 仕事なんかで大体終わりが読めてくることを「目鼻がつく」なんて言うんでしょうね。

 さて、でも描き方の前に何を使って描くかってところに触れときましょうか。といっても大きく分けてペンシルタイプとパウダータイプの 2種類なんですが、ぼくが奨めるのは断然ペンシルタイプですね。理由はよりリアルに描けるからです。さっきも「毛を描いてください。」 描きましたけど、その毛は数えるとき1本2本って数えますよね。そうであればやはり1本づつ線の引けるペンシルの方が、より本物に 近いものが描けると思います。パウダータイプだと「上手に描いた眉」や「きれいな形の眉」はできても自然な眉はかけないと思います。 まあもっとも上手にかけてれば特に問題はないんですが。

 そして次に色なんですが、皆さんやたらと茶色で描きたがるんですよね。髪の毛の色にそろえたいからとか、そのほうがソフトだからって。 ダメダメ、アイブロウの色だけ茶色にしても。もとの眉毛は黒いんですから。ソフトにしようと思って茶色を持ってきても、もとの眉の黒と なじまないからついつい濃く描いて、結局きつい感じになってる人がほとんどです。それから眉を描いてんだからいいですよ、髪に 合わせなくても。でも前髪が和湯の近くまで来てる場合は確かにその色に近い方がまとまりが出ます。じゃあどうするかって言うと アイブロウペンシルで描く前に、眉用のマスカラで茶色く染めちゃいます。その上だ描くと馴染みやすいし描きやすいと思います。

 それからさあいよいよ描く段階ですが、そのためには眉って本来どこにあるべきかを知らないといけません。ポイントは3ヶ所、 眉山、眉頭、眉尻です。まず眉尻ですがこれは一般的にいわれるように小鼻と目尻の延長線上でいいと思います。ですが、これだけ だと決めにくいので僕はこれにもう一つ眉頭から横にまっすぐ伸ばした線が交差するところというふうに定義しています。眉山の位置が 一番難しくて、雑誌なんかでも「黒目の外側の延長線上」だったり「目尻からまっすぐあがったところ」だったりしますね。でも僕は これまでの経験上、人によってどちらの場合もあり得ると思っています。そして目を基準ににするのは単なる場所の覚え方であって、 位置のきめ方ではないと思います。ではどこを基準にするか?  それは額の側頭線の位置です。側頭線というのは読んで字の如く、 額の正面にあたる部分と、側面にあたる部分を分けている線です。眉も眉頭から眉山までは顔の正面、眉山から眉尻は顔の側面に あるのが理想だと思います。だとしたらそこを基準に眉山の位置決めをしてあげるのが一番理にかなってると思いませんか。 ただこの側頭線、人によって解りにくい場合もあるんですが、タレントの所ジョージさんなんかはっきり出ててよく解りますよね。 この額の折れ曲がり具合と眉の角度もシンクロさせた方がナチュラルだと思いますよ。ですから円顔で比較的平面な顔の方が、 曲率の大きな眉を描くと不自然だし、余計に顔が丸く見えたりしちゃいます。

 あと眉頭ですが、これは目頭からまっすぐ上に延ばした線よりも内側に来てないと間が抜けて見えちゃいます。どこからスタートと いうよりも、両方の眉頭の間が自分の人差し指と中指の2本をそろえて当てたときくらいにしてもらうといいでしょう。

 最後に描き方です。最初に眉ではなく毛を描くつもりでといいましたね。眉毛1本1本の長さっていうのは個人差も在りますが 大体5mmから1cmくらいだと思います。ですからその長さの線を眉毛の植え方に沿って描けばいいわけです。この眉毛の向き というのは皆さんあまりじっくりご覧になったことはないみたいですね。眉頭の方は下から上に、眉中から眉尻にかけては上から 下に斜めにはえています。(これも人種によってちょっと違うんですけどね。)

後はペンシルを軽く握って力を入れないで描いてみてください。まあ練習あるのみですね。何と言っても眉は女の命ですから。

 ・・・続く・・・



「こだわりのブラウン」 vol.8  (2002年 5月13日UP)


 今回も色にまつわる話なんですが、その前にちょっと寄り道させてください。このコラムの原稿は、出張中の新幹線の中なんかで 書いています。ですが普段も通勤時間が長いので、結構長いこと電車に乗ってます。大抵は寝てるんですが、残りの時間は本を 読んでます。(月並みですが)そこで、今回は少し本についてのはなしをしてみたいと思うんですが、皆さんはどんな本を読んで らっしゃいますか。

 僕は大抵鞄の中に雑誌と文庫本の2冊を入れています。雑誌は「CG」「NAVI」(二玄社)、といったクルマ関係のものが多いですね。 カーグラフィックはかなり重いんですが(「25ans」「家庭画報」と同じくらいの大きさ)、読みたいものは読みたい!ということでついつい 持ち歩いてしまいます。でもメインは文庫です。好きな作家は大藪春彦、柘植久慶、大沢在昌、山本甲士、東直巳、外国人では ロバート・B・パーカー、A・Jクィネルといったところです。結構マニアックですかね。このなかで大藪春彦だけがすでに鬼籍に 入っています。このコラムの読者の方で大藪春彦と聞いて彼の作品名がすぐに思い浮かぶ方は少ないと思いますが(ほかの 作家も一緒か)、松田優作のやった「蘇える金狼」(近年香取信吾がテレビでやりましたね)や「汚れた英雄」といった映画の原作を 書いた作家です。下着メーカーの「BVD」のコマーシャルで、プロレスラー2人がつかみあい「野獣着るべし」とナレーションが入るのが ありましたが、これは「野獣死すべし」という彼のデヴュー作をもじったものです。僕はこの人の作品に出会わなければ、違った人生を 歩いていたかもと思うくらいに影響を受けています。

 僕が好きになる作家の基準は、物語の中に「うそ」が入り込まないこと。小説とは所詮作りごとの世界ですから、ありそうも無い話では ありますよね。でもそれをいかにつじつまを合わせるかということが、作家の力量と言うよりも「姿勢」だとおもいます。例えば北方謙三が 『日本人は拳銃をもてないから、徒手空拳での戦いにこだわるんだ。』と言うようなリアルなディティールへのこだわり。こういったものが 無いものはどんなに世間の評判がよくても、僕は認めませんね。例えばいくら日本に拳銃が無いことになってても、暴力団員は 持っている。これは現在の常識であり、小説の中の暴力団員がもっててもいいんです。でも隣の会社員のおじさんがいきなり持ってたら、 えっ、て感じですよね。全体のストーリーがいいのにこういう「うそ」があったりご都合主義の展開をしてしまうものって結構在るんです。 例えば宮部みゆき。ベストセラーを何冊も出して、作品が映画にもなった彼女ですが、もう二度と読まないと思います。だって僕が 一冊だけ読んだその作品で、主人公の釣り具屋のおじさんがいきなりクロロホルムを出してくるんですよ!そんなもんどこから手に 入れたの?その前にはカローラの後席をリクライニングさせちゃうし(するかっ!)、もう興覚めもいいところ。大藪春彦は 「野獣死すべし」のなかで主人公の伊達邦彦が、その後の犯行に使うクロロホルムを手に入れるために大学の実験室に盗みに 入るとこから書いてますからね。しかも瓶のラベルは「飽水クロラール」となってるんです。「クロロホルム」は商品名であり、 薬品名としては飽水クロラールですから。「大藪作品はクルマや銃機の説明を除くと何も残らない」と言った評論家もいたらしいです。 でも彼がメカのディティールにこだわるのはその性能を詳しく語ることによって、その後の展開で、トレーニングをつんだ主人公が それを使えばこんな事も可能なんだというリアリティーを持たせるのに必要なことなんです。われわれ読者がストーリーをうそっぽく 感じないための一種の暗示ですね。そういうところをいいかげんににする作家をぼくはまったく評価できませんね。

 一番ひどかったのは海外の翻訳物でした。これは強烈でしたよ。散弾銃の条痕検査をするんですから!条痕検査というのは、 刑事ドラマで弾丸のレントゲン写真みたいなのを重ねてるあれですね。銃身のなかには弾丸をまっすぐ飛ばすための線条という 溝が彫ってあるんですが、弾丸は銃身の中をこすれながら通過するので、溝とこすれた跡がつくんです。それは同じ銃から 発射されると、必ずおなじ傷なんです。まあ、銃の指紋みたいなもんでしょうか。でもこれって拳銃やライフル銃には在っても、 散弾銃にはないんです、1部の例外を除いて。その場合でも普通散弾は小さな鉛の玉がかたまって銃身を通り、50メートル先で 1メートル四方に広がるというようなものなので、絶対に条痕検査なんかありえないんです。例えばクルマを走らせるシーンの描写で 『オートマティックのセレクターレバーを「D」にいれ、静かにクラッチを繋いだ』なんて書いてあったらどう思われます。そのくらい 間抜けな文章ですよ、これは。

 こういう事実誤認はともかく、細かな設定にこだわるかこだわらないかは、作家の姿勢というより感性の違いだけかもしれません。 全体のストーリーとして面白ければそれでよいと言うのもわからないではないですから。

 さてそれでは、メイクの中で僕がこだわっているものについてお話しましょう。それはアイライナーの色です。僕は90%以上の 確率でブラウンしか使いません。もうほとんど茶色です。何故か。黒は強すぎ、青は目立ちすぎるからです。つまりブラウンが一番 自然に仕上がるから。瞳のことを別名黒眼と言いますよね。黒眼とはいっても、実際は真ん中の部分と一番外のほんとに縁の 部分だけが黒で、全体の80%は茶色なんです。ということは大きく捕らえると瞳は茶色と言って差し支えないんですね。すると そのすぐ脇に来るアイラインを黒にしてしまうと強すぎるんですよ。眼そのものよりアイラインの方が目立ってしまう。で、アイラインが 目立つということは、顔よりメイクが強いということであり、そういう強いメイクのことを一般に「厚化粧」とか「ケバい」というのであります。 まあ、これメイクの距離感にもよるんですけどね。結婚式やなんかである程度距離のあるところから見られるのが前提であれば、 黒でも一向にかまいません。メイクにおいてこの距離感というのは大変重要なんです。どのくらいの距離を設定するかによってメイクが 変わってきますから。ここでは通常生活における距離感、数十cmから数メートルまでのメイクで話をし進めています。時々いらっしゃる んですよ、メイクしてもらったあと、鏡に数cm、そう鼻がくっつきそうになるまで近寄って「濃い」って言う方が。そんなに近きゃぁ何でも すごいわ!大体そんなに近づく時ゃぁ、口は半開きでも眼は閉じとるっちゅうの!

 ええっと、どっからだっけ?ああ、他の色いきましょうか。まずブルーは、黄色人種の場合補色に近いのでやはり目立ってしまい がちです。とくにオレンジやイエロー、ブラウンのシャドーなんかを使ったときなど、シャドーから瞳に掛けての流がブレイクされたように 感じますね。まあ、ネイビーや濃い紫のシャドーのときはよいかもしれません。あと、ライナーの色としては、ダークグレーなんかは OKだと思います。とにかく黒っぽい色。黒じゃあないですよ、「黒っぽい」これです。基本的にはやはり茶色と覚えてくださって良いと 思います。
 ・・・続く・・・



「ブルーブルー、ブルシャドー」 vol.7  (2002年 4月30日UP)


 「どうしてっ?」、て思うんですが皆さんつけたがりますよねブルーのアイシャドー。つけてどうなりたいと思ってらしゃいます? って訊くとそんなことは特に考えてないんですよね。は〜ぁ。あのぉ、いいですか「醤油が好きだから今日は刺身につけて食べよう」 っていう思考パターンは一般的にあまり成り立ちませんよね。どちらかというと「刺身食うならこの醤油だ」って方が一般的だと思うん ですよ。現に刺身醤油って存在しますから。

 それに僕自身いわゆるパウダーのアイシャドーを選ぶ時、ブルーにしようと思ったことはほとんどありません。嫌いなんです正直言って、 ブルーのシャドーって・・・。

 とはいうものの、現につけたいという方は多いんで、今回はそこいら辺の話をさせていただこうかと思います。

 まずブルーのシャドーをつけるということと、目許にきれいなブルーが入ってるということは違うんですよ。どうなってもいいから ブルーのシャドーをつけたいだけの方はともかく、目許をきれいなブルーにしたい方は、パールの効いたペンシルか、リキッドタイプの アイカラーを選んでください。そしてこれが僕がブルーのシャドーをセレクトしない理由でもあるんですが、ブルーのパウダーアイシャドー ってつけるとほとんどグレーになっちゃいますから。

 その事を理解していただくために、色の見える仕組みを簡単に説明します。例えばトマトは赤く見えるしバナナは黄色に見えますよね。 これはトマトが赤以外の光の成分を吸収し赤い光だけを反射してるので赤く見えます。バナナは黄色以外の光を吸収し、黄色い光を 反射するので黄色に見えるんです。光の成分っていうのは中学の理科の時間かなんかにプリズムを通すと太陽光線が赤・橙・黄・緑・ 青・藍・紫の七色に分光して見える実験をしましたよね。あれです。あれを光のスペクトルといいますが、この光の成分は太陽光(自然光)と 人工照明(蛍光燈の光)でもちがいます。このスペクトルの違いが室内と屋外で同じ物が違った色に見えたりする原因でもあります。 最も最近は蛍光燈でも太陽光とほとんど変わらなくなっています。それから白熱電球は基本的に自然光と同じです。

 人間の肌色の見え方も同じですが、簡単に言うと肌の奥の方、中程、それに肌の表面の3ヶ所での反射が重なりあって、肌の色 として見えています。そしてまあ我々日本人は黄色人種であるので、こういう黄色っぽい肌色に見えてる訳です。アイシャドーやチークも 同じで、ピンクのチークはピンクの光だけを反射しており、ブルーのシャドーは青い光を反射してるから、ブルーに見えるんです。 それで、ブルーのシャドーがまぶたにつけた時も青い光だけ反射してくれれば何の問題もないんです。でも実際はそううまくいきません。 アイシャドーが完全に光を遮ってしまえばいいんですが、どうしてもそこを透過して肌にも(この場合はまぶた)光があたります。 ということは肌色とシャドーの色がミックスされた形で現れます。そうすると黄色とブルーが混ざった色=グレーになるというわけです。 ということは裏を返せば、光が肌まで透過しなければシャドー本来の色に近い色が出るということになります。

 で、ペンシルや、リキッドのシャドーは、パウダーのアイシャドーにくらべて密度が高く、光を透過する率が低いので本来のシャドーの 色が割合きれいに出ると思います。特にパールは光を透過せず、ほとんど反射してしまうのでよりきれいに発色します。サングラスの、 普通のカラーレンズとミラーコートされたレンズの違いを思い浮かべてもらうといいでしょう。

 こういう訳で、僕の使うパウダーアイシャドーにほとんどブルーという選択はありません。ですがブルー自体はオレンジやピンクと 組み合わせるととてもキュートなイメージになるので、ペンシルタイプのパールの効いたものはよく使います。アイホールに鮮やかな ピンクを軽く入れ、二重の部分にパールブルーをしっかり入れます。口元はピンクかオレンジのグロスをたっぷりのせて、淡いチークを やや頬の内側にふんわり入れる。これでキュートメイクの基本パターンはでき上がるんです。

 要するに目許のブルーは全部ダメといってるわけじゃなくて、ブルーのシャドーつけてもグレーぽくなって、何だかあまりきれいじゃ ありませんよってことなんです。でも「森戸 泉」さんなんて名前の方がお客様でいらしたら、絶対ブルーのシャドー使うと思いますけど。

(注;「森戸 泉」さんとは、60年代に活躍したグループサウンドのバンド「ブルーコメッツ」の代表曲「ブルー シャトー」からきています。 今回の表題「ブルーブルー ブルシャトー」は歌詞の印象的な部分で、更に「森と泉に 囲まれた 静かに眠る ・・・」という最初の歌詞 から洒落でとっても青が好きな人のことを言うそうです。てぃがさんの友人、岡部より。)
 ・・・続く・・・



「醤油とむらさき」 vol.6  (2002年 4月23日UP)


 先日出張で大阪に行き、定宿の新大阪のホテルに泊まっていました。朝食を摂るために1階のレストランに降りていくと、梅雨明け前 にもかかわらず、大きな窓から夏の陽射しが降り注いでいました。それだけですがすがしく晴れ晴れとした気分になります。だからと いって窓際のテーブルに席をとろうものなら、暑くて朝食どころじゃないのでそんなところには座らないんですけどね。で、真ん中あたりの 席に着いて食事をしていました。テーブルには塩・胡椒や楊枝とともに切子の硝子に入った醤油が置いてありました。そこに太陽光線が 当たると、ボトルの下の方の醤油が紫色に見えるのです。なるほどと思いました。

 お寿司屋さんなんかに行くとお茶のことを「あがり」、生姜のことを「がり」なんて言うように、醤油のことを「むらさき」といいますよね。 醤油の名前にも「○○むらさき」とかっていうのがありますね。でも、どう見ても醤油って黒いですよね。あるいは茶色っぽいというか。 (僕は九州の出身なので、かなり色の濃いいわゆる『溜』−味はかなり甘い−を愛用してます)白いTシャツにシミつけてもやっぱり むらさきにはなりません。切子の硝子が光を屈折させたせいで、底の方がむらさきに見えたんだと思います。きっと昔の人はこういう 状態のお醤油を見て「むらさき」と言うようになったのでしょう。

 このように色の表現には生活の中の、ある一部分を切り取ったものが結構あります。

 たとえば「真っ赤な太陽」といえば間違いなく夕日のことですよね。昼間の太陽はとてもじゃないけどまぶしくて、何色かな? なんて見てるわけにはいきません。そこで海に沈む間際の大きくて赤い夕日を、太陽の色をいうときの代表にしてるわけですね。

 ついでに色の表現や色名についての、いくつかの代表的な例を挙げてみましょう。

 「新橋色」という表現があります。今はもうこうゆう表現を実際にする事はなくなりましたが。具体的にはセルリアン・ブルーというか 空色だと思って頂いていいでしょう。それを昭和初期あたりは新橋色といったんだそうです。で、どうしてかっていうと、当時新橋あたりの 芸者さん達が競ってそういう色の着物を着たからなんです。その色の染料というのは当時大変高価で、新橋色の着物を着ている= いい旦那を捕まえているということで、芸者さんのステイタスシンボル(これも懐かしい言葉ですね)だったんです。

 それから「笹まぐろの法則」というのがあります。これも冷蔵庫がなかった当時にできた言葉だと思います。いまスーパーに行こうが、 魚屋さんに行こうが、まぐろってパックにいれられて売られてますよね。ところが昔は経木とか笊にのせて売っていたと思うんですよ。 ところがある人が笹の葉にのせると、同じまぐろでも新鮮に見えることに気付いたのです。新鮮に見えれば、当然売り上げも良くなります。 そうしてるうちに魚屋さんの業界では、「マグロは笹の葉にのせるに限る!」ということになって。「笹マグロの法則」が定着していったんだと 思います。ちなみにこの時のマグロは「赤身」なので、お間違いなく。トロなんて食べるようになったのは戦後ですよ。昔はマグロといえば 赤身の「ヅケ」ですからね。

 この「笹マグロの法則」色彩学的には「補色対比」ということになります。つまりいろいろな色のなかでもっとも色の差(色相差といいます) が大きいもの=もっともコントラストが強い=もっともお互いを引き立てあう色の組み合わせということです。

 この原理を応用して、最近は挽肉のトレイにはじめからパセリを印刷したものもあったりしますね。中の挽肉をより新鮮に見せようって 魂胆ですな。そんなもんで誤魔化されるもんか、と思うか涙ぐましい演出と思うかは、皆さんの判断にお任せしますけどね。ただ誤魔化 されちゃまずいのは、肉や魚のショーケースの照明ですね。ここに取り付けてある蛍光燈は特殊なもので、皆さんの家の天井から ぶら下がっているものとはちょっと違ってます。光には「演色性」というものがあって、これは色をよりその色らしく鮮やかに見せる度合い というか、能力のことなんですね。その演色性は演色評価数で表わされ、太陽光が100です。駅のトイレなんかにある蛍光燈はそれが 60くらいですが、「年末は○○に取り替えましょう」なんてコマーシャルをやってるような、最近の蛍光燈は演色評価数も98くらいあり、 ほとんど自然光と変わりません。で、生鮮品のショーケースの照明っていうのは、赤がより鮮やかに見えるような演色効果を持って いますので、少々鮮度が落ちたものもキレイに見えます。僕は肉やマグロの策を買う時は、必ずショウケースの照明からはずして 吟味します。(って俺は主婦か?!)

 それから「セピア色の思い出」なんていって、ドラマの回想シーンなんかで色褪せたモノクロ映像が出てくる時ありますよね。あの 「セピア」ってイカ墨のことなんです。でも真っ黒なイカ墨と、我々が知ってるセピア色って、必ずしもイコールではないですよね。 僕もなんとなく変に思ってました。ところがある日、イカを捌いていて、珍しく墨袋をつぶしてしまいました。それで墨を落とすために、 水で流していたら、アルミのシンクに流れる水に薄められたイカ墨は、間違いなくセピア色だったんです。ああこれかぁ、と思いましたね。

 今たまたま色についてでした。だけどそれにかぎらず、知識って調べるのは比較的簡単ですよね、今は。それこそインターネットもあるし。 でも、それがどういうことか具体的に身につくには、実生活のなかでいろんな経験しないといけないんでしょうね。

 ・・・続く・・・



「ヌーベル・マキアはまだか?」 vol.5  (2002年 3月26日UP)


 皆さんはもう春の口紅はお求めになりましたか。のっけからなんですが、化粧品業界では春は口紅と相場は決まっています。 ちなみに秋はアイメイクの方がよく売れるんですが。だからテレビのコマーシャルもいろんなタレントを起用して口紅を中心にした プロモーションを展開してます。店頭にも、新色を見にきてくださるお客様がよくいらっしゃいます。きっと皆さん雑誌やテレビを見て 『新色出たんだ、見に行かなきゃ』と思って来てくださるんでしょう。だけどちょっと待ってください。「春の新色が出たから買う」のと 「春になったから新しい色を買う」というのは、似てるけど随分違うことなんです。

 かつてフェルンナン・ポワンというフランスの料理人がいました。彼はかの辻静雄氏との交流のなかから、日本料理の手法を とりいれた『ヌーベルキュイジーヌ』というスタイルをつくり上げました。ブリアサヴァランやエスコフィエが体系づけたそれまでの、 ソース重視のフランス料理から、素材の持ち味を活かす料理へと転換したのです。最もそれは、その時期に交通手段や冷凍技術と いった、流通に関する社会環境も大きく変化したことが大きな要因でもあるんでしょうが。

 で、今の日本の化粧や化粧品の様子を見ていると、まだまだヌーベル・キュイジーヌ以前のフランス料理のような状態じゃないかと 思うんですね。まず初めに化粧品ありき、なのです。そりゃこれだけ次から次へと新しい化粧品が出てきて、雑誌でもテレビでもいろんな ところから情報が流れてくれば欲しくなって当然ですよね。だけど、そのなかでも大勢に影響のなさそうなものに皆さん血道を上げて らっしゃる。例えば著名なアーティストが○○という雑誌で下まぶたにゴールドのラメかなんか入れたとします。するとこぞって皆さん それをお求めになるんです。確かにかわいいのかもしれませんが、それって料理でいうと最後にちょっと散らしたパセリとか、ゆずの 皮を刻んで香りづけにしましたって言うような部分です。まあそれもひとつの大切な要素には違いないんですが。

 それで結局「コスメフリーク」は生まれても、メイクの方法をひたすら追求する人というのはあまり聞きません。こういうコスメフリーク みたいな人たちがいて我々の生活がなり立ってることは重々承知の上で申し上げるんですが、何か新しい化粧品が出たから買う、 買ったからつけるというのでは、化粧品をつけるための顔になってしまっています。まるで洋服をつるすためのハンガーのよう。 何だか顔の存在意義を落としめてしまっているみたいです。

 前にも書いたように、メイクする前にどんな顔にしたいか考えて来て欲しいなぁと思いますね。もっと大きく言うと自分自身の演出の しかたを考えて欲しい。その上で春になったし、まあ春というのは色々と環境が変わり易いじきですから、こんな自分になってみたい。 そうするとメイクはこんな雰囲気かな。だとするとこういう物が欲しいな、なんてね。こういう流れだとメイクって必然、素材重視にならざるを 得ないと思うんです。

 昔と違って、今はまず雑誌やテレビやインターネットでめぼしい物をあたっておいて、店頭で実際に思った通りの物かどうか確かめる ことができます。何もいちかばちか買ってみて合わない物を無理に使いつづける必用はないですから。もっと自分のもってる素材を 大事に活かしましょうよ。

 ・・・続く・・・



「メイクは素材」 vol.4  (2002年 3月18日UP)


 メイクしてると、「顔の上に絵を描いてるみたい」といわれることがよくあります。ブラシを使って色をつけたり、ペンシルで線を引いたりする のでそういわれるんだとおもいます。確かに行為というか作業としてはそうでしょうね。ですが、僕自身はむしろ、頭の中の作業としては 料理に近いと思ってます。どちらも素材に向き合うことになりますから。例えば魚だって、活きがよければ刺し身でいこうとか、それほど じゃないから煮付けにしてしまおう、とかね。メイクだって顔立ちがキレイで肌もツルツルのお客さんだったら、あまりゴテゴテ色をつけてたり せずに、なるべくその目鼻立ちを活かすようにします。さしずめこれは「刺し身メイク」といったところでしょうか。時にはころもをつけて、油で 揚げるようなメイクをすることもありますけど…。でもここで勘違いしてもらっちゃあ困るんですが、どんな時でも素材の個性を殺してしまう ような、そんなメイクはしません。それにかならずしも新鮮だったら生でというわけではないですからね。例えば、素材がカサゴでテーマが イタリアンだったら「アクアパッツァ」にするでしょうし、フレンチだったら、「カサゴのグリル ソース・ベルシー」かなんかになると思うんですよ。 そう考えると、テーマに合わせて素材に手を加えていく、というのもメイクと料理の共通点でしょうか。

 だからもしアーティストが、あなたのメイクに時間や手間を掛けても、それは少しも心配しなくてもいいんです。むしろ、これは料理人も 同じでしょうが、素材がいい時の方が気合いが入りますから。

 それから一人の人をメイクするというのは、アラカルトじゃなくてコース料理なんです。ということは全体の構成が大切だということですね。 ここら辺に一般の方は考え違い(というか、考えてらっしゃらないような…・・)があるような気がします。全体のコーディネートが考えられて ないんですね。口紅を塗るときは、さっきにやったアイメイクの事は、もう忘れられてる。かといってアイメイク、口紅、チークをすべて同じ 色でメイクしてらっしゃる方もいらっしゃいますが、これもどうかと思います。(どうも皆さんがやってらっしゃる事にケチつけてばかりいる ようで、気がひけるんですが。)  だけど、前菜がビフシチュー、メインディッシュがビーフステーキ、デザートがビーフカツレツなんていう コースメニューはやっぱり嫌ですよね。すべてのポイントメイクを同じ色でやってしまったメイクって、料理にたとえるとこんなかんじです。

 以前テレビでやってた「料理の鉄人」という番組ご存じですか?あの番組、テーマ食材が決まっていて、それを使って何を何品作っても いいはずですが、それでもメインを4品5品と作る人はいませんでしたよね。やはりきちんと全体の構成を考えて、アラカルトの集合体では ない、ストーリーも持ったコースメニューに仕上がってたと思います。メイクも同じで、目をどうしよう、口紅何塗ろう、の集合体ではなく、 まずどういう顔にしようというのがあって、そのためにはアイメイクはこのくらい、口紅はこんな色という風に、大きいところから小さい ところへ、考えを落とし込んでいくといいんです。積上げ方式だと、いきあたりばったりになってしまいやすいんです。いま、ここでメイクの 話としてしてますけど、一般の主婦の方って、日々の夕飯のメニューも同じようになってる人が多くないですか。「献立」という考え方が スコーンと抜けているんです。だから何と何にしようっていう、積上げ方式のいきあたりばったり。まずメインを決めます。これは「昨日 お魚だったから今日お肉」でも、「子持ちカレイが特売だから、煮魚に」でもいいでしょう。で、ここからさきです。何の脈絡もなしに、 あと何にしようと思ってませんか。この時に家族の体調等を基に、メインの料理に足りない栄養素等を考えます。そうすると他に食べる べき、食材の候補がが決まります。そこで後はそれを使って、調理法が重ならないように、全体のまとまりを考えながら献立を考えれば OKです。カレイにはビタミンと食物繊維が足りない、そこで小松菜のお浸しときんぴらごぼうをプラスしよう、なんてね。でもこの時に、 「野菜食べなきゃ!野菜といえばサラダね」と、イタリアンサラダを組み合わせたような、そんなメイクの人って結構見かけるんですよ。 いいんですよ、別にカレイの煮付けにイタリアンサラダでも。一人で食べる分にはね。でもおもてなしの時にはちょっとつらい。メイクは別に おもてなしでなくても、人の目に触れるものですから、ある程度キチンとしておくのがマナーかなともおもいます。

 そしてメイク、料理ともに素材を活かすためには、素材の良さ・持味をしっかり把握できないといけませんよね。で、メイクに限って言えば、 皆さんはほとんど自分でメイクをするわけですよね。そうすると素材=自分です。ということは、その良さや持味を知るに常に鏡に自分を 映しておく必要があります。内面外見共にね。それから、覚えておいてほしいのは素材が自分であれば、素材を自ら磨いていくことも できるんです。さあ、もっとご自分と向き合ってみてください。

 ・・・続く・・・



「目は口ほどに」 vol.3  (2002年 3月12日UP)


 先日「化粧師」という映画が公開されました。昔のメイクアップアーティストというべき化粧師(けわいし)を描いた作品です。 これはもともと漫画で原作はあの「仮面ライダー」や「ゴレンジャー」と同じ石ノ森正太郎さんです。まだ見てないんですが、 どうにか時間を作って見に行きたいと思ってます。

 でも、メイクのシーンが印象的だった映画というと「ニキータ」です。組織によって殺人者として訓練を受けたニキータという女性を描いた 作品なんですが、なかに印象的なシーンがあります。アンヌ・パリロー演じる主人公のニキータが朝、メイクをしているのですが、 この時彼女はボーイフレンドと話しながら、延々マスカラをつけているのです。このシーンを始めてみた時は、結構驚きました。 知識としては知っていたんです、欧米人にとってのメイクの肝がマスカラであることは。それにしたって向こうの人のまつげは元々長い ですからね、ここまでやるかと思いました。ベースメイクとかはたいしてやってませんから。日本でおなじようなシーンを撮ると、おそらく 口紅を塗ってたりします。で、これってもちろん映画の中のだけのことじゃなくて、一般的に見られる違いなんです。それは何処から 来てるのかというと、誰のためにメイクするのかの違いによるものなんです。どういうことかというと、日本女性のメイクには主張がない (この辺りはこのコラムの第1回をご覧頂けば納得して頂けるものと思います)、つまり「他人や社会に対しての身だしなみ」、というと 聞こえは良いのですが、一種のエクスキューズですね。それに対して欧米の女性は自分のため、できるだけ自分を魅力的に見せるための メイクをしますから。

 どうしてそれがマスカラかって?。諺にもあるじゃありませんか、目は口ほどにものを言うからですよ。(フランスにも同じ諺があるのか 知らん?!) 

 アイメイクって言った時に、ほとんどの皆さんが思い浮かべるのはアイシャドーだと思います。そしてマスカラやアイライナーは、 厚化粧の代表のような扱いを受けてきました。いまだに「アイラインやマスカラを使うとタヌキになる」っておっしゃるお客様が結構 いらっしゃいます。そんな時、決まって僕は「尻尾が生えてくるんですか」って返すことにしてます。こういう事はマスカラやアイライナーに とって、濡れ衣以外のなにものでもありません。

 それはさて置き、何故「目にもの言わせるメイク」がアイシャドーではなくて、マスカラなのでしょうか。それはアイシャドーでは目の 大きさも、形も変わらないからです。

 アイシャドー選んで欲しいといわれて、どういう感じがいいかを聞くと目を大きく見せたいっていわれることがあります。これ正直 言って無理なんです。これまでの日本人の意識ではアイメイク=アイシャドーでした。でも厳密に言うとアイシャドーってアイメイクで はなくて、まぶたメイクなんです。(まあ眼球そのものにメイクをすることはないので、まぶたのメイクが、アイメイクの範疇に入ることは 間違いないのですが。)

 目の上にあるまぶたに色つけたって、まぶたが目立って終わりです。よく「ピンクのシャドーつけるとはれぼったくなる」って言いますよね。 (これも半分ホントで、半分言いがかりなんですけど…) ピンクに限らず、紫だったらまぶたが派手に見える、ダークブラウンだったら まぶたが暗く見える。それだけです。目そのものは何も変わらない。それから「目」っていいますけど、要するに「瞳」です。フレームラインを 大きく見せることも大事ですが、瞳をキレイにするのが、アイメイクのいちばんのポイントです。

 では、瞳をキレイにしましょう。瞳の周りにはなにがありますか?白目がありますよね。で、それに対して瞳は黒目とも呼ばれます。 「黒」と「白」。お気づきになりましたか。

 真ん中にある黒目をキレイに見せるには、その周りの白目をより白くしてやればいい。コントラストが強くなりますからね。それでは 白目をより白くするにはどうすればいいと思いますか。そう、さっきの逆ですよね。周りを暗くしてやればいいんです。そうした場合、 人の目の周りにはまつげがありますから、それを使わない手はないですよ。まつげも人によって、長さや濃さが違いますが、まったく 一分の隙もない、なんてことはないので隙間を埋めてあげる。これがアイライナーの役割です。それから長くてボリュームもある方が 存在感がはっきりしますから、そこでマスカラを使います。まつげの存在感があるということは、同時に相方(あいかた)の目の注目度も アップするということです。しかも幸いなことに、まつげは元々黒いですから、黒いマスカラを重ねてもちっとも不自然じゃない。 肌色のまぶたに、ピンクやブルーの色をつけたりするより、よっぽどね。もちろんその時はビューラーで上向きにすると、目の錯覚で 大きく見えます。それにまつげが下向きに被さってるより、上を向いて光が入るようにしてあげた方が、瞳の中の星の輝きも違ってきます。 ホントですよ!実際、夜空に輝く星も自ら光を発してるんじゃなくて、太陽の光を反射してるのとおなじです。って言うと信用して もらえますか。それにほら、夜空の星もネオンのない、より暗い田舎の方が、大きく明るく見えるじゃないですか。

 ニキータって外人がやってるから、瞳は黒くないんじゃないかって?そのとおりです。でもご心配なく、ブルーでも、エメラルドグリーンでも やっぱり周りが白ければ白いほど、キレイに見えるんです。現在のかたちの化粧の歴史が長い、欧米の人達は経験的にそういう事も 知っていて、マスカラへのこだわりが強いんでしょうね。

 最近は日本でも若い方を中心に「マスカラ命!」みたいになってきてます。これって理論的な裏付けがあってのことではないので、 ちょっと過激すぎる気もします。ですが、一段落すれば今よりもマスカラが正しく評価されることにつながると思ってます。何事も一回 限度を超えてみないと。宿酔したことない人は、自分の適量分かりませんからね。ただし、僕は忘れっぽいのか、年に何度も自分の 適量を再確認してます。ハハハ…。

 ・・・続く・・・



「メイクの進め方」 vol.2  (2002年 3月 5日UP)


 最近雑誌その他の取材を受けることが多いのですが、その時よく聞かれるのが 「メイクする時に一番気をつけていることは何ですか?」なのです。

 そこで技術的なことを答えてもいいのかもしれないけど、僕は少し違う角度で答えます。 いわゆるメイクのポイントや、技術論を語ると長くなってしまうというのもありますが、技術や メイクのトレンドは、時代や季節によって変わっていきます。でも、僕としてはその記事を読んだ方に、 いつも変わらずメイクする時にいつも思い出して欲しいことがあって、そのことを伝えたいと思うもの ですから。

 ではどう答えるかというと、「僕がメイクをしてる間、お客さんにできるだけ笑顔でいてもらうこと。」 僕がいつも百貨店の店頭でメイクさせて頂いているのは、一般のお客様です。女優さんやモデルであれば、 役のイメージやクライアントの要求もあるのでそれに沿ったメイクもあるんでしょうが、一般の人の場合は その方の一番いい顔を作ることになります。そうするとほぼ間違いなく、笑顔がその人の一番いい表情です よね。だからメイクで、そのお客さんの笑った時の顔に近いものをつくってあげるといいわけです。それを 知るためには、実際にそのかたに笑っていただくのがいちばんです。そこでメイクしてる最中はどちらかと いうと僕は、メイクの話はしませんね。一方的になっちゃうんですよ、こっちがメイクの仕方の説明なんか 始めちゃうと。全部仕上がってから説明してもおそくないでしょ、チャート書き込んだりしながら。でも その人の、人となりや趣味趣向、生活環境などはメイクの後で分かったのではおそいんです。その人らしい メイクをするにはそのお客様自身を理解しないとできないんです。仮に一言も会話が無くてもできますよ、 ただメイクするだけなら。でもその時によりどころとなるのは、肌の色であったり、その時の服装であったり するんでしょうか。そうするとそれは、「こういう肌色に合うメイク」「こういう服装に合わせたメイク」と いう一般論であって「その方にあったメイク」というパーソナルなものにはなり得ないんです。雑誌の特集や セミナーで「入園・入学式のための失敗しないコーディネイト」なんてやる時は、それでいいと思うんです けどね。でもせっかく電車賃かけて時間の予約をして、僕のところまで来て頂いてるわけですから、ここは ひとつ他の誰でもない、「私のための、より私を引き立ててくれるメイク」をしないと申し訳ないじゃない ですか。

 そのために差し障りのないところから、お仕事やご家族のことをお伺いして、お客様の食いつきが (などという言葉を使ってしまっていいのでしょうか)よさそうなところの話を広げていって、その過程で 僕なりにその方のイメージをふくらませていきます。あいだに結構冗談もいれて(世間ではオヤジギャグと 言われますが…)笑って頂いて(いつも聞かされてるスタッフは笑えないらしい)笑顔も研究させてもらい ます。してみると僕は、「その方がいちばんステキに見えるメイクをしなさい」という問題に対して、 お客様の「笑顔をカンニング」して答案を出しているようなものかもしれません。

 ・・・続く・・・



「化粧師の徒然」 vol.1  (2002年 2月26日UP)



はじめまして(じゃない人もいるかな)。このたび「ビューティーサイエンティストの庭」に小さな花壇を作らせていただくことになりました。 日々化粧に関わる仕事をするなかで思うことを書き綴っていきたいと思います。宜しくお願いします。

 僕は百貨店の化粧品売場で、一般のユーザーを対象にメイクをしています。北は北海道から南は九州まで、いろいろなところの百貨店で メイクをしています。様々な出会いや、驚きがあって、本当に心の底から楽しんで仕事させてもらってます。(最近スケジュールきつくて 身体しんどいことも多いけど…。) だけど、ここ何年もの間いつも、「どうして?」となかば呆れながら、疑問に思っていることがあります。 それは世の中の女性が、自分がどうありたいか、人からどう見られたいかを、あまりにも考えてないんじゃないかってことです。

 お客さんに売場に来てもらって、メイクをする前に今のメイクがいつも通りかどうかを訊きます。なかにはどうせ落とすからと、普段より 軽めにして来てくださる方もいらっしゃいますから。そして今日はどんな感じにしましょうか?と訊ねると、大体ここで会話が止まってしまうん です。そこで、メイクをどうこというより、全体としてどんな感じのイメージになりたいかを言ってください。と言い換えてみるのですが ほとんどの人が「自然な感じに」とか、「似合うように」とかっておっしゃいます。まことに恐縮ですが、そんなことは言われなくても 「不自然で似合わないようなメイク」をする積もりは毛頭ありません。ましてや「イメージ」をお訊ねしてるのに「自然に」ではコミュニケーション も成立してないような気がします。だって人を見た時に「あの人自然な人ね」なんていいます? まあ、相手がC・Wニコルさんなら分から なくもないけど。

 それに「似合う色」というのも困ります。世の中に存在する色の少なくとも半分は、あなたに似合うのですから。 そういう事ではなくて、自分が他人から見られる時に、どういう人間に見られたいかってありますよね。で、メイクというのは洋服と一緒で、 そんなあなたらしさを演出してくれるものなんです。例えばある女性が、華やかな色のフワッとしたワンピースを着て髪はウエーブの かかったロング、バッグは淡い色のハンドバッグを持っていたとします。

 まあ、イメージとしては「エレガント」ですよね。ところがこの人が、髪をショートにして、ダークグレーのパンツスーツにインナーは大き目の シャープな衿のブラウスで、黒のショルダーを肩に掛けて、大股で歩いてると「アクティヴ」という言葉がぴったりですよね。「キャリアっぽい」 なんていう言い方もしましたっけ。いまは例としてわかりやすく2つ挙げましたけど、こういう人物像としてのイメージを考えてきて頂けると、 メイクする側としては非常に助かるのです。まあ、あまり多くを望んでもいけないので、ある程度若い方だったら、「かわいくキュートな感じ」 「大人っぽい感じ」のどちらかで選んでもらったりしますけどね。でも、考えませんか?今の自分をどう見せたいとか、理想はこうなりたい とか。僕なんか毎朝、その日着ていく洋服選ぶ時に「ちょっとハードなイメージにしたいからスーツとシャツは黒にして」とか、「今日は華やかさ も必要だからパープルと黒でコーディネイトしよう」とか考えるんですが。もっとも「ダンディズム」という言葉や、「ハードボイルドは生ざまだ」 なんていう文庫本の帯に惹かれるくらいだから、こういう事には、男の方がこだわるのかも知れませんが。

 まあとにかく同じアイテムを使っても、ビューラーのあて方ひとつで目が丸くなったりキリっとしたり、ということはかわいい顔になった りシャープなイメージなったりします。 ですから簡単でいいから、どんなイメージになりたいかを決めること。これが、メイク上手への 第一歩です。

 ・・・続く・・・




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