若者論を比較してみると 日・中・台の国際シンポジウムに参加して

                            

 若者は社会の鏡ではないかとつねづね感じている。若者というのは、自分たちで独自の価値観をつくりあげていき、それが前世代の顰蹙をかったりもする。けれども、そこには社会全体が抱える希望や悩み、願望や失望などがにじみ出ている。むしろ、若者はそのときどきの社会が作りあげようとしている方向性を先鋭に表現するといってもいい。若者の動向を理解しようとするとき、こうした見方は外せない。

 去る十一月十日、一風変わった国際シンポジウムが開かれた。テーマは「現代の青年は何を求めているか」というもの。アジア太平洋フォーラム主催、国際宗教研究所後援のこのシンポジウムは、東京市ケ谷の国際協力センターで開かれ、日本、中国、台湾の研究者とジャーナリストが集って、丸一日活発な議論を重ねた。この三つの地域の若者の価値観を比較考察し、東アジアの将来を予測しようという、やや大胆な企画であったが、はからずも、若者の求めるものと、社会の状況がいかに即応しているかが如実に示された。

 中国側の発題者は、中国社会科学院世界宗教研究所副所長の戴康生氏ら三人で、台湾側の発題者は、台湾大学教授の許介鱗氏ら三人。また、日本側も作家の森田靖郎氏など三人であった。私は日本側発題者の一人とシンポジウムの議長とを兼ねた。個々の事例報告も興味深いものがあったが、全体として、中国、台湾、日本の社会状況の違いが、それぞれの若者の価値観に明確な差異を与えているという点が、もっとも印象に残った。

 中国の若者の間では、現在「商売ブーム」であるという。一九八〇年代の「参軍ブーム」「政治ブーム」がやや様変わりしてきたらしい。ファッションにめざとくなり、個人生活の質を高めることに大きな関心が寄せられている。生き方が多元化し多方向を目指すようになっているが、その理由として、市場経済の発展や外来文化の流入が挙げられていた。また上海の若者を例にすれば、彼らが希望する職業のベストスリーは、外国企業の代理人、医者、個人経営の企業家であるという。

 これらは、まさに現代中国の目指す方向とほとんど変わらない。そしてまた、発題者たちの分析には、若者の今後の動向に対する希望的な観測が多かったのも、経済発展をはじめとして、中国が二一世紀に上昇を期待できるという社会的背景を強く感じさせた。伝統と近代の望ましい結合、言うなれば「温故知新」的な発想が満ちあふれていたのが特徴である。

 台湾の場合は、若者の将来に対するやや不安な要素が強まっているのが特徴であった。それは端的に言えば、主体性や公共性の欠如が目立ってきているということへの懸念である。理想が後退し、個人的な「愛情物語」が重視されるようになりつつある。また、新宗教に関心をもつ若者も増え、外来の新宗教に入信するものも少なくないという。ニューエイジ運動も一部に広まっているとか。さらに、女性の間で一時山寺の尼僧になるのがブームとなったということも紹介された。一人の発題者は新宗教に惹かれる学生は、十人に一人ないし二人の割合にのぼるのではないか、という推論を示した。

 こうした動向もまた、最近の台湾社会の変化を如実に反映している。政治的・軍事的緊張がほぐれる中、大家族主義から小家族主義へと社会構造も変化し、伝統文化から現代文化への移行過程にあるというのが、台湾側発題者の一人の解釈であった。中国側から、悲観的な見方が強いというコメントがあったが、ポストモダンの議論を経験した日本側としては、台湾の研究者の言わんとするところは、きわめて容易に理解できた。

 日本側は、モデルなき社会における若者の漠然たる不安と価値観の変化、霊的な話や呪術、占いに関心を寄せる傾向の強いことを指摘した。また、さまざまな分野における女性の進出、国際感覚がやや方向性を見失っている点なども論じられた。若者のつかみ所のなさという点は、目標として目指すべき社会モデルを喪失してしまった日本社会の反映としても捉えられるのではないか。

 言うまでもなく、それぞれの社会は固有の歴史と社会構造をもつ。経済発展の段階のみを基準に、日本の若者の価値観が、直ちに台湾の若者の今後の動向の予測になるとか、台湾の若者の価値観が、今後の中国の若者の予測になると即断はできない。それでも、こうした国際比較は、経済生活の目標や国家目的など、社会全体が目指す方向の違いが、若者の価値観にきわめて大きな影響を与えていることを浮かび上がらせてくれた。こうした会議はもっと増えて欲しいものである。

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