アンダーグラウンドの出口

一九九一年秋に、上九一色村を訪れたことがある。ちょうど上祐史浩が、いわゆるアンダーグラウンド・サマディを行ったときであった。密閉された地下の部屋で瞑想修行し、通常より長くそうした状態を維持できることで、超能力を証明しようという目的であった。私が到着したとき、彼はすでに地下であった。地上には小屋がしつらえてあり、中にはコンピュータがあった。モノクロのディスプレーには、修行者のいる地下室の酸素や二酸化炭素の濃度が刻々と表示され、それをじっとみつめる信者がいた。ほとんど同じ数値を繰り返し表示するその画面が、アンダーグラウンドで起こっていることの奇妙さを象徴するようであった。地上もまた、それ以上に奇妙な空間であったが。 

一、「見逃す」

 私の記憶するところでは、オウム真理教事件をめぐるマスコミ報道は、地下鉄サリン事件の発生後ほどなくから約八ヶ月の間、圧倒的なボリュームで放出され続けた。そしてその年の末、つまり一九九五年の十二月には、またたくまにフェード・アウトしていった。事件の全貌がほぼ見通しのつくものとなり、あとはおおよそが法廷にゆだねられることになろうという時点で、「事件としてのオウム真理教」は、人々の関心から遠のき始めたことを、敏感に察知したのかもしれない。

そもそもこうした衝撃的な社会問題についてのマスコミの処理の仕方は、いつもほとんど同じパターンである。本質的な問題へ糸口をつけようとする姿勢が多少みられなくはないのだが、結局はほとんど突っ込んだ議論は展開することなく、次の「事件」へと人々の関心を誘っていく。実はそれは理由のあることだと思っているが、そうなった段階で、「オウム真理教って、いったいなんだったんだろう?」とあらためて自問し始めた心あるジャーナリストも、ごく一部ながらいる。また、「にわか新宗教評論家」が次なるターゲットを求めて去り、人々の過剰な反応が薄れてしまうと、大騒ぎの中心には何があったのか、オウム報道の洪水の中では見えにくかったものが、冷静に考えやすくなっている。

『アンダーグラウンド』の執筆動機の一つには、これほどの事件をあっさりと風化させてしまうことへの抵抗もあったのではないかと感じている。ただし、本書ではオウム真理教に絡む問題は、どちらかと言えば背景に引っ込んでしまっている。村上氏がこの事件から嗅ぎ取ったと思われる濃い靄のような不安は、巻末に記述された「目じるしのない悪夢」から読みとれる。実際に何が起こったかを知りたいという執筆動機も、十分説得力をもっている。

しかしながら、本書に織り込まれた一人一人の「ストーリー」がもたらすものと、そもそもの村上氏の問題意識との間には、どこか違和感もあるのはいなめない。平和な日本の首都東京で、思ってもみなかったテロ行為に遭遇した人々の、心と体の苦しみ、あるいは事件後の周りの反応への戸惑いといったものは、読み進めて「ストーリー」が積み重なると、しだいに圧倒的な重力をもってくる。同時に、ひょっとしたら、このような本は、事件がオウム真理教によって起こされたものでなくても、執筆が可能ではなかったかという思いがよぎった。

つまりは工場における薬品の大爆発でも、混雑する道路での地面の陥没でも、飛行機の住宅地への墜落でも、似たようなアプローチができたのではないかということである。本人はまったくいわれのない災難は、生きている人間誰にでも起こりうるものである。そのようなときに、どのように対処し、事件後それをどう振り返るかをとおして、現代日本人の心のありようや、人間関係を探るといったことはできる。宗教団体によるテロという事件であるがゆえに、作家としてはかなり大掛かりなといえるであろう、このような調査に着手したのかどうか、そこまでは私にはよく分からない。

ただ、地下鉄サリン事件は、あれほどの事件であったにもかかわらず、オウムの一連の事件の奇怪さゆえに、その被害者の視点が相対的に希薄化されたのは確かである。代わりに、特定幹部の素性、饒舌な上祐の言動、麻原と女性信者との関係、さらに背後の陰謀などと、かなり興味本位の報道が花盛りになったことは周知のとおりである。どちらかと言えば、事件の枝葉、あるいはスキャンダルめいた部分に多くの光が当てられ、考えるべきことに適当なスペースが割かれていなかったという印象はきわめて強い。

そのことが逆に語っていることは、人々は、やはり「事件」に関心を示すということであろう。興味深いデータがある。本年(一九九七年)四月から七月にかけて、全国四十一の大学、専門学校で、約五千七百名の学生を対象としたアンケート調査の結果である。実施したのは「宗教と社会」学会・宗教意識調査プロジェクトである。その中には、現在のオウム報道について、どのような関心をもっているかという質問がある。

回答をみると、一番多いのは「裁判のなりゆき」という選択肢を選んだ者で、六九%にのぼった。次いで、「いまでも信者である人たちの様子」が四七%、「麻原彰晃の言動」が四〇%であり、「サリン事件の被害者に関すること」は三一%であった。(複数回答)サリン事件への関心が特別に低いとは言えないだろうが、きわだって関心が高いのは、若い世代でもやはり現在進行中の「事件」的側面のようである。

出来事の「意外性」に、より強い関心をもち、出来事の「悲劇的側面」については、あまり深く考えないという、多くの人々の傾向があれば、マスコミもそれに対応した内容を報道する。それは否定すべくもない今の日本人の現実であるが、そうした一般的動向へのアンチテーゼが含まれていたとするなら、地下鉄サリン事件への着眼は、とりあえず得心がいく。

 二、「避ける」

オウム真理教事件から何を教訓として得るのか。これを真摯に考えようとするなら、オウム真理教では何を教え、何がなされていたか、数多くの一般信者はどうしてこの運動に魅力を感じたのか、そして、数々の犯罪はどのような社会的影響を及ぼしたのか、そうしたことが緻密に検証されていく必要がある。とはいうものの、オウム真理教の被害を被ったり、トラブルを経験したような人々についての研究は、基本的に研究者の手にあまる。とくに本書のような取材は、村上氏も正直に告白しているように、作家なればこそというのが現実である。

さて、本書はオウム真理教そのものを扱うのではなく、そのテロの被害にあった人々に細やかな目をむけている。一般社会の側、つまり「こちら側」を丹念に眺めることで、この特別な集団、すなわち「あちら側」を探ろうとしている。今の日本のマスコミの多くが、発想だにしたがらないアプローチである。そして、この視点は、宗教を研究する者にとっても、やや虚をつかれたような感じがある。

 オウム真理教をめぐる一連の事件は、宗教研究者、ことに新宗教運動を研究する者にとっては、実は深刻な問いを投げかけたのであり、それは時とともに忘れ去られるような一過性のものではない。これまでの研究のあり方に大幅な修正を迫るものである。新宗教研究を長く続けてきた私自身にとっても、それまでいくらか避けて通ることの多かった厄介な問題を、退路を断つような形でつきつけられたという気がしている。

 新宗教教団は、人々の思っている以上に数が多い。数少ない新宗教研究者が総動員に近い形で一九九六年に作成した『新宗教教団・人物事典』には、三百四十ほどの教団が収録されているが、これとてすべてを網羅したわけではない。研究が着手されていないだけでなく、名前さえ知られていない教団もある。あまた存在する教団のどれを研究対象にするか。それはまったく個人の自由に任せられているといっていい。

なぜある教団ないし宗教運動を研究対象に選んだかは、その人なりの理由がある。研究発表や論文などでは、一応の説明がなされるが、隠された理由があったとしても、それはいっこうにかまわない。だが、教団・運動を選ぶに当たって、実際上多くの研究者が斟酌せざるを得ない一つの条件がある。それは対象となった教団なり運動なりが、研究されることに対して、どのような態度を示すかである。新宗教に限らず、現代宗教をフィールドワークの対象とする場合は、相手側から研究に対する、少なくとも暗黙の了解がないと、調査は非常にやりにくい。このことは、少しでもこの分野に足を踏み入れたなら、いやがおうでも実感することである。

げんに、『新宗教教団・人物事典』を作成のときは、資料の公開をめぐって、裁判沙汰にすることをちらつかせながら、クレームをつけてきた教団があった。そもそも事典に掲載することがけしからんという恫喝じみた抗議もあった。論文発表の際にも、小さなトラブルは少しも珍しいことではない。歴史的宗教を研究するときとは、別種の緊張が漂う分野である。

それに加え、新宗教の一部には、しばしば社会的批判を浴びたり、またトラブルを起こしたりするものがある。それは教団ぐるみと思われる場合もあれば、ごく少数の信者がかかわっただけで、教団が批判されるのは酷である場合もある。いずれにせよ、社会はこうした教団・運動に対し厳しい目を向ける。研究者はそうした批判とは、異なった視点から研究するのがつねであるが、けっしてそうした社会的批判を無視しているわけではない。

宗教に限らず、あらゆる団体・組織にはその光の部分と影の部分とがある。政党、病院、大学、スポーツ団体等々、それぞれに、社会に評価されるような面と、目を背けたくなるような面とがある。しかし、それらについて研究なり評論なりを行うとき、どのような視点に立つかは、それぞれの個人の考えによる。ただ、政党のように、みにくい部分が見えても、多くの人がさもありなんと感じる組織と、本来そうしたものが滅多になくてしかるべき、という前提をもたれがちな宗教団体とでは、影の部分への風当たりもおのずと異なってくる。宗教が絡まる不祥事に対しては、通常厳しい目が注がれることになる。

これらのことが重なって、新宗教は一般には批判的に見られることが多いが、研究者はなるべく先入見を捨て、事実を冷静に観察して、バイアスがかからないように分析してきた。それでも、結果的には、教団や運動に対して、その存在を肯定するような記述が多くなる。それは教団・運動からの目を意識するということもある。だが、研究を重ねるうちに、程度の差はあれ、いくらかは対象に対して共感的になってしまう、という自然のことわりもある。

実はこうしたことは、別に新宗教研究に限らない。研究者が対象とする宗教に対して、他の人々よりは共感的になる現象はしばしばみられる。ユダヤ教を研究すればイスラエルの人々に共感的になるし、イスラームを研究対象とすればアラブの人々に共感的になる。仏教を研究すれば仏教に、キリスト教を研究すればキリスト教をというのは、宗教研究者のあいだでは、自然なこととして受け取られている。新宗教を研究対象とする人々もまた、新宗教に対して、他の人々より理解を示すようになるのである。

それでも、社会的な批判を浴びる、あるいはトラブルを多発する教団・運動に関して、それをどう研究に反映させるかは、絶えず自省しなければならないことの一つである。自分のことを言えば、私がそれまで、暗黙の研究姿勢としてきたのは、自分の価値観に照らして、きわめて否定的にとらえざるを得ないような教団・運動は、事典や概説書において記述することは別として、中心的な研究対象には据えないということであった。それらに対しては、通常の資料・データ収集以上のことを、あまり積極的にしないできた。研究者の良心に従って記述する際に、多大の困難が予想される教団や運動には、積極的な実態調査をやや控えてきたのである。

しかしながら、事件後、こうした態度も考え直さなくてはいけないと感じてきた。そのようなときに、『アンダーグラウンド』が示した手法は、ある突き付けとも感じられた。「こちら側」から「あちら側」を見るやり方があるではないかと。これは当然発想される視点なのだが、新宗教研究の分野ではほとんど使われてこなかったやり方である。避けられてきたというのが正確であろう。

この手法が一つの本の中で成功しているかどうかは別問題であり、研究者がこの方法をどこまで使えるかも依然として疑問である。だが、このような具体的産物から目をそむけるわけにはいかない。投げかけられた球は、ずしりと重くこたえる。

 

三、「潜む」

『アンダーグラウンド』は、一見まどろっこしいやり方を通して、オウム真理教という運動がもつ「闇」を照らし出そうしている。しかし、「闇」への関心は、実は人間すべてがその道に通じていることを意識してでの上であるから、その行き先は、これまた「目じるしがない」ことになる。

一連のオウム事件の本質を考えようとすると、おそらく人間のなしてきた、またなしているさまざまな所業を想起せずにはいられない。とりわけ、以前は善人と表現すべき人間であったのではないか、とさえ思わせる信者でも、麻原の命ずるままに、何の関係もない人を殺してしまったことの本質を考えようとすると、いやおうなく、戦争に引き込まれていく人間の心のありようが浮かびあがってくる。村上氏も巻末でノモンハン事件への連想に言及しているが、それは実によく分かる。

いざ戦争が始まれば、人々はまったく面識もなく、個人的恨みもなかった人間を、大量に殺戮していく。与えられた国家目的を信じることで、自分の行為を正当化しようとする。多分、大半の人は正当化しているのだという意識さえもたないであろう。日本人にとっては半世紀前のことかもしれないが、少なからぬ国において、それは、現在の話である。また、勝った戦争であれ、負けた戦争であれ、その戦いは正義のものであったという信念は、おそらくどの時代のどの国においても、強固に存在することであろう。

地下鉄サリン事件における実行犯の行為は、戦時における戦闘員の行為としてみることによって、もっとも分かりやすくなるというのが、事件後ほどなくから、私が抱くようになった個人的意見である。村上氏の憂鬱―と私が勝手に推測しているだけだが―の一つは、こうした行為を起こさせるものが、人間のDNAに組み込まれているではないか、という点にあるように思われる。「彼らは私である」とでも表現できようか。現実には彼らは私ではないとしても、彼らと私は同じ可能性の上に存在しているという見方をする人間と、そのように夢想だにしない人間とでは、この事件がもつ意味は決定的に異なる。

オウムの教義を保持し、麻原への帰依をいまだに表明する信者に対しては、世間からは、不可解でしかないといった表現が与えられる。一方、いち早く転向した元信者に対しては、安堵の表現が付与される。しかし、両者の差は実はほんの紙一重であることが、当人たちには十分分かっているのではないか。それほどに人間の心はあやうく、かつ頼りないものである。

本書に収録された多くの証言を読むと、被害者たちの一部には、一種の諦観とでも呼ぶべき雰囲気が漂っていることに気づく。事件により味わった苦しみに耐えて生きていくということは、口には表現できないストレスの連続であろうことは推測できる。だが、結局起こってしまったことは、これ以上あれこれ考えても仕方がないという境地も、いくぶんか伝わってくるのは確かである。そのような心持ちに至った人でなければ、インタビューにはなかなか応じなかったであろうということもあろう。また、短時間のインタビューで口に出したことと、常日頃、心の底に漂っているものとが、必ずしも相似形をなすとは限るまい。

にもかかわらず、そこに一種の運命に対する諦めのようなものが、何人かのインフォーマントから伝わってくるということは、あらためて考えてもよさそうな事柄を含んでいる。それは震災や津波といった天災によってもたらされたものに対する諦めと、そう遠くない印象を抱かせる。

われわれは、天災にはなぜ諦めをもつか。そこには、人間の限界の表明があるのではなかろうか。自然の力の底知れなさと、それが災いとして、ある人間にふりかかってきたという偶然。それはともに本質的に人間の努力とか能力とかを超えている。地下鉄サリン事件に巻き込まれたことにも、それに類似したことが感じられたのであろうか。

偶然性については、確かに同じである。たとえば、ほんの数分、あるいは数十秒の違いが生命を分けてしまうことを、人間は「たぶん」予測できない。たぶんというのは、こうした事件への遭遇を回想するとき、たまに「虫のしらせ」とか「夢見」などに言及する人がいて(本書にもいた)、それを完全に排除してしまう明確な根拠を、私は有していないからである。

では、そのような「出来事」を引き起こした人間の存在にも、「どうすることもできない」という感じを抱いたのであろうか。もしそうした人がいたとすると、その人は村上氏の人間洞察とかなり近い所に位置するかもしれない。運命として諦める対象の中には、人間性の暗闇も含まれるということであろうから。

この事件から何を教訓にすべきかを、社会は根底のところではたぶん学ばない。いや学べない。この種のことは、つきつめて考えると自己否定につながるのは目に見えている。そのような恐ろしさをもつ闇である。マスコミの報道が、こうした事件にどこか中途半端になるのは、むしろ社会の自己防衛心理の反応とみなせる。あれを自分の可能態だと思える人は、そうそういない。また思ったところで、解決の道はとうてい見えきそうにない。

それは道が闇に通じている、目じるしがない、ということと関係しているだろう。本書は問いかけであって、回答集ではないと個人的には受け取った。その意味でもともと出口のない「アンダーグラウンド」であったかもしれない。 

今年の春、解体直前の上九一色村のサティアンを訪れた。おそらく警察に追われていた幹部が潜んでいたとされる地下室にはいってみた。そこはまるで忍者屋敷の仕掛けのような場所であった。ふだんは床の一部に見える一角がせりあがると、そこに地下室がある。中は上下が窮屈で、はいってしまったら最後、二度とは出れないという思いにかられる空間であった。手にしていた懐中電灯を消したとき、ここでは、おそらくモノローグに近い饒舌だけが、自分の存在を確認する手段ではないかとふと感じた。

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