終末予言の世紀末メニュー

                              

一、楽しい恐怖

 終末論(eschatology )は、ギリシア語起源で、「終わりについての学・教え」という意味である。本来、この場合の終わりには、個人的な終わり、つまり死と死後の世界についての問題と、人類・世界の終わりの問題の二つが含まれている。しかし、昨今の日本人がノストラダムスの予言だとして騒ぐときの終末は、もっぱら後者の意味である。しかも、通常は終末と対になっている救いの問題は、いっこうに姿を見せない。そもそも自分が死んだらどうなるのかもあまり気にしていないのに、世界の終末が近いというのを話題にするのもなんだか変な話である。終末という言葉は流布していても、実体はまぼろしに近い。ノストラダムスをはじめとする数々の終末予言は、むしろ「終末予想」として楽しまれていると考えた方がよさそうだ。

 地球規模での危機、つまり環境汚染、核戦争の不安、人口の急膨張予測などが、終末予言を流行らせる素地になっているという見方もある。だがこうした問題への取り組みは、西欧諸国の方がずっと真剣だと言われている。多くの日本人は、モノをどんどん買い換えたり、また、紙を惜し気もなく消費して、環境破壊、森林破壊に熱心である。その日本人が、地球環境の乱れがもたらす破局に脅えて、終末予言のムードに乗せられやすくなっているとしたら、これはブラック・ユーモアの類である。終末へのかすかな脅えは、消費文化の罪意識のあらわれということになる。

 

 二、悪との戦い

 終末論は、もともと一つの歴史観・世界観であった。人間の歴史を決定するもの、つまり神とか絶対的法則とかを受け入れることで出てくるものの見方である。世界の破滅という局面は、その全体のストーリーの中の一部であり、そこだけを取り出して騒ぐというものではないのである。

 終末論は、オリエントの宗教において、とくに発達した。古代宗教で代表的なのは、ゾロアスター教のものであろう。ゾロアスター教は、典型的な善悪二元論の考えを発達させたことで知られる。こういう善と悪の戦いというシナリオのもとでは、終末の意義がはっきりしてくる。この戦いに決着がつく過程と終末とが重なってくるからである。ゾロアスター教では、善を代表するのは創造神アフラ・マズダーで、これに対抗する大魔王はアンラ・マンユである。最後の審判は、預言者ゾロアスターの死後三千年後ということになっているが、彼の生存時期には諸説がある。BC六千年の人物などという伝説もある。学説の中でも、早い時期に想定するものでは、BC一七世紀説がある。BC六世紀説で 計算れば、終末はあと五百年ほど後のこととなる。終末のとき、ゾロアスターの末裔が救世主として出現し、死者は復活し、世界は浄化されて、新しい不滅の世界が始まるということになっている。

 世界中に大きな影響を与えたのは、キリスト教的終末観である。これはイランの宗教思想やユダヤ教の終末思想に影響を受けながらも、固有の歴史観の上に作りあげられたものとされている。新約聖書の四つの福音書のうち、ヨハネ伝を除いた三つ、すなわちマルコ伝、マタイ伝、ルカ伝は、同じような観点から書かれているので、共観福音書と呼ばれる。

共観福音書には、いずれも終末を予測させる記事がある。たとえば、マルコ伝の一三章には、終末が近づくと、偽メシア、偽預言者が数多くあらわれるとし、イエスの再臨のときを示す次のような記述がある。「それらの日には、このような苦難の後、太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は空から落ち、天体は揺り動かされる。そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。そのとき、人の子は天使たちを遣わし、地の果てから天の果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める。」

  三、ラッパを吹くと

 しかし、後世の終末思想をより刺激したのは、新約聖書の最後にあるヨハネの黙示録である。そこには終末に関する比喩的で不気味な予言が並べられている。黙示録の冒頭には、「この黙示は、すぐにも起こるはずのことを、神がその僕たちに示すため、キリストにお与えになり、そして、キリストがその天使を送って僕ヨハネにお伝えになったものである。」と記されている。そして、主が右手にもつ巻物の七つの封印を、子羊が一つ一つ開いていくごとに、暗示的な出来事がヨハネの眼前に展開する。

 子羊が第六の封印を開いたとき、「大地震が起きて、太陽は毛の粗い布地のように暗くなり、月は全体が血のようになって、天の星は地上に落ちた。」続いて、額に刻印を押された神の僕が一四万四千人という記述が出てくる。第七の封印を開くと、七人の天使が神の前に立ち、ラッパを与えられる。「第一の天使がラッパを吹いた。すると、血の混じった雹と火とが生じ、地上に投げ入れられた。地上の三分の一が焼け、木々の三分の一が焼け、すべての青草も焼けてしまった。」とあり、天使がラッパを吹くたびに、次々とわざわいが起こる。第三のラッパで、「苦よもぎ」という名の大きな星が天から落ちて、水の三分の一が、苦よもぎのように苦くなって多くの人が死ぬ。第六のラッパで、人間の三分の一を殺すために、ユーフラテスのほとりにつながれた四人の天使が解き放される。第七の天使がラッパを吹くとき、神の秘められた計画が成就するのであるが、そのとき、天の神の神殿が開かれて、契約の箱が見え、地震などが起こる。一二六〇日の間、二人の証人が預言。証を終えると、一匹の獣が底なしの淵から上って来て、二人を殺してしまう。

 この後も、まだまだ話は続く。ヨハネの見た光景はいかにも黙示的である。天で一人の女が男の子を産む。竜がその子を食べようとする。女は逃れる。竜は天使たちにより、地上に投げ落とされる。十本の角と七つの頭の獣が海からあらわれる。獣は神を冒涜する。第二の獣があらわれる。獣が六六六という数字で暗示される(通常ネロを指すとされている)。三人の天使があらわれ、教えを守るべきことを説く。七つの災いを携えた七人の天使が出現する。第六の天使が鉢の中身をユーフラテス川に注ぐ。汚れた霊がハルマゲドンに王たちを集める。第七の天使が鉢の中身を空中に注ぐと、かつてないほどの大地震が起こる。サタン=竜が捕られた千年の間に、第一の復活の時期がある。その後、サタンが牢から解放され、人々を惑わす。惑わされた人は火と硫黄の池に投げ込まれる。これは第二の死となる。かなり、複雑な話の展開である。

 イスラム教には、いろんな面で、ユダヤ教やキリスト教の影響が大である。その終末論も、基本構造は、キリスト教のものとよく似ている。しかし、ずっと簡単に述べられる。終末に際して、天使が出現すること、ラッパを吹くこと、天変地異が生じることなどは共通である。たとえば、五二章には、「主の懲しめは必ず起る。・・・この(火)で焼かれるがいい。」とある。また、六九章には、「大地が山々もろとも持ち上げられ、・・・空は裂け割れ、・・・みなむき出しで、何一つ隠せるものはありはせぬ。」とある。こうした記述が数ヶ所にある。

 コーランの記述にストーリー性は弱いが、伝承の中には、よりストーリー性の明確なものもあるようだ。偽預言者があらわれ、その後イエス・キリストが再臨し、イスラム教に改宗したのち、四十年間地上を支配する。そのキリストの死後、天使が最初のラッパを吹き鳴らすと、全世界が破壊され、新しい秩序が形成される。第二のラッパののち、最後の審判が始まるとされる。

 四、待望される終末

 こうした終末観は、以後のキリスト教、イスラム教の神学や宗教思想の展開にも当然影響を及ぼすが、とくにキリスト教においては、終末の前ぶれとなるイエス・キリストの再臨が大きな関心を呼んだ。一九世紀、アメリカに出現したキリスト教系新宗教にはそうしたものが多かった。引金となったのは、農夫ウィリアム・ミラーの予言である。彼は聖書(とくにダニエル書、エズラ書など)を検討した結果、一八四三〜四年に終末が来ると結論した。すなわち、ダニエル書八章に「日が暮れ、夜の明けること二千三百回」とあるのを、二千三百年のことと解釈し、その起点を紀元前四五七年と計算したのであった。一八三〇年代から、この予言は流布し、人々は期待した。しかし、予言ははずれた。にもかかわらず、イエスの再臨を期待する運動は、かえって盛んとなった。

 ミラーの思想を継承している運動は、セブンスデー・アドベンチストと言われる。その他にも、終末論を大事にするものがあらわれた。代表的なのはエホバの証人である。エホバの証人は、旧約聖書や新約聖書を厳密に解釈しようという立場で、当初、一九一四年に終わりの日が来るとしていた。確かにこの年は第一次大戦の始まった年であり、終末を予感させるものではあったが、終末そのものではなかった。今は、ごく近い将来としている。終わりの日には、神軍団と悪魔軍団の間で「ハルマゲドンの戦い」が行われ、イエス・キリスト率いる神軍団の勝利ののち、人間の運命も決まるということになっている。

 五、違ったタイプの終末論

 体系だった終末論は、オリエントや西洋の宗教が本家本元である。では、東アジアの宗教ではどうなのだろうか。終末論をもっと広い意味で考えてみると、末法思想もその一種ではないかとも考えられる。あるいは、末法より、法滅の考え方の方が、終末論に近いと言えるかもしれない。法滅とは仏法が滅することである。法滅の有様については、『法滅尽経』に記述がある。一般には、末法が一万年続いた後に法滅になるとされている。末法が始まる時期には三説あったが、日本では一〇五二年説がとられて、平安時代の人々は恐れおののいたわけである。この出来事を尊重するなら、西暦一一〇五二年が法滅のときということになる。まだまだだいぶ先である。だから法滅になると、どうなるかは、まだそんなに気にされていない。

 日本の宗教の中で、神道には終末論などはない。だが、神道系の新宗教となると、広い意味での終末論と呼んでもいいようなものが、少数ながら見受けられる。日本の新宗教には、シンクレチズムが顕著であるから、キリスト教などの影響も見られる。戦前の新宗教においては、大本教、及びこれに類似する運動の終末論に、日本の破局を想定して、この世の秩序の改編が差し迫っていると説く類のものが多かったが、昨今のものは、ヨハネの黙示録や、ノストラダムスの予言をベースにしているものが目立つ。

 世界真光文明教団の創始者であり、崇教真光でも教え主と仰ぐ岡田光玉も、終末論的議論を展開している。彼は「火の洗礼」という言い方をした。一九六二年八月五日になされたという神示には、「神天降りの為には、濁れる土玉を火玉によりて、焼き払い致さねば相成らぬ仕組み覚悟致させよ。」という箇所がある。この「火の洗礼」を避けるために、「主座」と呼ばれる神殿の建設が説かれ、これに基づいて、世界真光文明教団は中伊豆に、また崇教真光は飛騨高山に、それぞれ巨大な神殿を建設した。

 オウム真理教は、教祖麻原彰晃が終末予言をしている。機関誌「マハーヤーナ」に記されているところでは、一九九六年に、日本沈没の危機があり、一九九九年には、世界大戦の開始がある。もっとも危険なのは、八月一日であるとされる。また、二〇〇三年、核兵器による決定的な破局が訪れるとしている。もっとも、一九九六年から九七年の間にボー

ディーサトヴァ(菩薩)が一万人以上となれば、この破局は避けられるとしている。また

、ハルマゲドンも、三万人の阿羅漢が出たら回避可能ということになっている。

 ほんみちは、天理教の分派であるが、天理教教祖中山みきのお筆先や、ほんみちの創始者大西愛治郎の書いたものを解釈し、近い将来に破局が訪れ、人類のかなりの数が滅びることを説いている。この終末は「世界の大掃除」と譬えられているが、なぜそれが必要かについて、次のように説明されている。親が子供のために終生かけて立派な住居を造ったのに、住んでいる子供等が好き勝手な心で無茶苦茶に荒しまわって、親の意志と正反対の結果となったとする。親としては、情けなさで、すっきり破壊して、元の何もない状態にしてしまうか、大修繕して、住んでいる子供達を再教育し、親の意志通りの心にして住まわせようかということになる。これと同じ事で、こうなれば当然子供の心の立て替えをせねばならず、これが世界の大掃除である。

 六、終末サバイバル

 終末を防ぐにはどうしたらいいのか。あるいは、終末のとき救われるのにはどうしたらいいのか。ノストラダムスのような予言者は、できごとの予測だけでいいわけだが、宗教の終末論は、人々に信仰深き生活をせまる手段でもある。終末のとき、誰が悲惨な運命に直面するのか、どのような人がそれから逃れられるのか、教えなければならない。つまり、救いの道が示されなければならないのである。

 あっさり言ってしまえば、それぞれの宗教の教えの通りに生きていればいいということになる。神や預言者、あるいは教祖の言葉を信じて、正しいとされる道を歩めばいいのである。これが由緒正しい終末のサバイバル法ということになる。だが当然のことながら、その具体的方法は宗教によって異なる。きわめて厳しい信仰生活を送らなければならない場合もある。エホバの証人は、世俗的誘惑を退け、輸血拒否も貫いて、この世での快楽など振り向きもせず、終末のときに備える。これこそ徹底したサバイバル追求である。また、最後のところで、救いの道を残しておくという場合もある。ほんみちでは、「南無甘露台様」と一言なりとも称えて願うならば、その場での難は逃れることができるとしている。

 このように、信者たちにとっては、預言の言葉は重い。だから、自らなした予言が外れたとき、割腹した教祖もあったわけなのである。それは一元の宮の教祖、元木勇である。彼は一九七四年六月一八日に、関西に大地震が起こると予言し、外れるや割腹自殺を図った。一命はとりとめたが、さすがに信者は激減してしまった。

 宗教における終末予言はこれくらいの迫力があって当り前である。これに比べて、ノストラダムスの予言ブームはずいぶん軽いノリである。予言者を信じるなら、それはもう一種の宗教である。ノストラダムスを教祖に、また、その予言を教典に仕立てようとする神学者群から放たれた、この形なき宗教は、情報社会の乱気流に乗じて、あちらこちらを徘徊しているということか。

 ところで、宗教にはタタリとオカゲ、あるいは煽りと鎮めが、組み合わされているという社会学者がいるが、終末論もたいていはこの両者の要素がある。怖い終末の状況を一方で示し、他方でそこで救いにあずかる可能性を示す構造はまさにそうである。終末論を否定することで心を安らげるか、終末論を受け入れた上でそのサバイバル法を実践して心を和らげるか、さて、あなたはどちらを選びますか。まさに「究極の選択」である。

 七、果てしなき終末予言

 ノストラダムスの予言のような、恐怖の予言が好まれるのをみていると、人間はある種の恐怖を必要とする存在かもしれないと思いたくなる。地獄の描写に比べ、天国の描写は淡白で、それほど感激させるものではない。黙示録のは、「命の木があって、年に十二回実を結び、毎月実をみのらせる。そして、その木の葉は諸国の民の病を治す。もはや呪われるものは何一つない。」という程度である。コーランは、「ずらっと列になって臥牀に身を凭せ、目すずしい美女を妻にいただく」とか、「一面の緑の園、見はるかす葡萄畑」と述べる。終末のときに人間を襲う災いとか地獄は、これらに比べると、ずっと念入りに描写される。サディスティックな生々しさが感じられたりする。

 ということで、終末予言は今後も果てしなく続くに違いない。一九九九年のあとには、何が流行するのであろうか。用意周到な神とその配下のものは、もうその策を練ったに違いない。さもないと、人間は退屈しのぎに、みずから終末を演じてしまうかもしれないからである。

 

【終末予言一覧】

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・宗教・教典・ 予言の概要            ・   サバイバル法    ・

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・ゾロアスタ・預言者ザラスシュトラ(ゾロアスター)・善思、善語、善行を実行し、・

・ー教   ・の死後三千年(彼の生存年に諸説あるの・悪と戦う。これは各人の自由・

・     ・で時期を特定できない)たつと、最後の・意志にまかされている。  ・

・     ・審判が行われ、死者は復活し、世界は浄・             ・

・     ・化され、更新される。        ・             ・

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・キリスト教・時期は特定されていない。イエスの名を・戦争や戦争の噂を聞いても慌・

・(共観福音・名乗る偽預言者が数多くあらわれるのが・ててはいけない。それはまだ・

・書)   ・前兆。大きな苦難があったのち、太陽は・世の終わりではない。イエス・

・     ・暗くなり、月は光を放たず、星は空から・の名において、最後まで苦難・

・     ・落ち、天体は揺り動かされる。キリスト・に耐え忍ぶ。偽メシア、偽預・

・     ・が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って・言者があらわれて、不思議な・

・     ・来る。キリストは、天使たちを遣わし、・業をみせても、それに惑わさ・

・     ・地の果てから天の果てまで、彼によって・れてはいけない。     ・

・     ・選ばれた人たちを四方から呼び集める。・             ・

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・キリスト教・時期は特定できない。キリストの死後ま・「おくびょうな者、不信仰な・

・(ヨハネ黙・もなく、第一の天使がラッパを吹くと地・者、忌まわしい者、人を殺す・

・示録)  ・上の三分の一が焼ける。一匹の獣が底な・者、みだらな行いをする者、・

・     ・しの淵から上ってくる。悪魔が閉じ込め・魔術を使う者、偶像を拝む者・

・     ・られた千年ののち、         ・、すべてうそを言う者」は地・

・     ・                  ・獄に落ちるから、これらのこ・

・     ・                  ・とをやらない。      ・

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・エホバの証・ごく近い将来に終わりの日が来る。(か・悪魔に誘惑されず、イエス・・

・人    ・つて一九一四年説があったが、訂正)。・キリストを信じる。姦淫、同・

・     ・神と悪魔の間のハルマゲドンの戦いのの・性愛をしない。嘘を言わない・

・     ・ち、人間の運命は決まる。      ・。盗み、泥酔、殺人をしない・

・     ・                  ・。エホバの証人以外の宗教を・

・     ・                  ・説かない。人を惑わす組織に・

・     ・                  ・はいらない。抑圧的政治体制・

・     ・                  ・の指導者とならない。   ・

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・モルモン教・アダムの堕落から約六千年後に、福千年・悪魔の誘惑に惑わされて、異・

・(末日聖徒・の時代が来る。この期間には多くの復活・教を信じない。邪悪な行いを・

・イエス・キ・がある。このあと、短期間の「しばらく・しない。酒類や、コーヒー、・

・リスト教会・の間」という機関が来る。このとき、悪・紅茶など「熱き飲料」を飲ま・

・)    ・魔が再び解き放たれ、人間たちを誘惑す・ず、煙草も吸わない。教会に・

・     ・る。誘惑に従った者は、地獄に落ちる。・収入の十分の一を献金する。・

・     ・最終的には、「日の光栄の王国」に至る・             ・

・     ・のが目的。             ・             ・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・イスラム教・ある時、天使がラッパを吹くことに始ま・まず、ムスリム(イスラム教・

・     ・る。天変地異が起こる。コーランには明・徒)になることが大事。アッ・

・     ・記されていないが、伝承によれば、まず・ラーと預言者ムハンマドを信・

・     ・偽預言者があらわれ、その後イエス・キ・じ、イスラムの教えに従った・

・     ・リストが再臨し、イスラム教に改宗した・信仰生活を送らなければなら・

・     ・のち、四十年間地上を支配する。   ・ない。毎日神に祈り、ラマダ・

・     ・キリストの死後、天使が最初のラッパを・ン月には日の出から日没まで・

・     ・吹き鳴らすと、全世界が破壊され、新し・断食をする。貧しい人には喜・

・     ・しい秩序が形成される。第二のラッパの・捨をし、一生に一度はメッカ・

・     ・のち、最後の審判が始まる。     ・への巡礼をする。     ・

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・仏教   ・末法が一万年続いた後、仏法が滅びると・法滅は避け難いものではなく・

・     ・いう「法滅」の時期を迎える。末法が始・、衆生を教化することによっ・

・     ・まる時期には大きく四説あるが、日本で・て避けられるという考えもあ・

・     ・は一〇五二年説がとられたから、さしあ・る。したがって、仏法を信じ・

・     ・たって、一一〇五二年とするのが一貫性・る人が多くなるよう努力する・

・     ・をもたせることになる。       ・ということになろう。   ・

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・ほんみち ・時期は公にされていないが、やがて決算・神の心にそった生活をする。・

・     ・期がくる。大洪水その他の天災地変、最・「南無甘露台様」と一言なり・

・     ・後の大戦、疫病の流行、思想の混乱など・とも称えて願うならば、その・

・     ・が起こり、人類がこれまで積んできた因・場の難は逃れることができる・

・     ・縁の総決算が行われる。       ・とされる。        ・

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・崇教真光 ・一九六二年より、「火の洗礼期」にはい・「真光の業(わざ)」によっ・

・     ・たとされる。天変地異、大地震、火山の・て、罪穢、邪悪を浄め、神の・

・     ・爆発などが多くあらわれる。     ・子としての本来の力を復活す・

・     ・                  ・る。           ・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・オウム真理・一九九六年に日本沈没の危機。一九九九・一九九六年から九七年の間に・

・教    ・年(もっとも危険なのは、八月一日)に・ボーディーサトヴァが一万人・

・     ・、世界大戦の開始。二〇〇三年、核兵器・以上でなければならない。ハ・

・     ・による決定的な破局がある。     ・ルマゲドンは、三万人の阿羅・

・     ・                  ・漢が出たら回避可能である。・

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[経典・伝承篇]

エホバの証人

 悪魔の支配以来六千年後に、終わりの日が来る。当初、一九一四年がそうであるとして

いたが、今では、ごく近い将来としている。終わりの日には、神軍団と悪魔軍団の間で「

ハルマゲドンの闘い」が行われ、イエス・キリスト率いる神軍団の勝利ののち、人間の運

命も決まる。

黙示録

 「おくびょうな者、不信仰な者、忌まわしい者、人を殺す者、みだらな行いをする者、

魔術を使う者、偶像を拝む者、すべてうそを言う者」(二一ー八)

コーラン

 「ある時、天使がラッパを吹くことによって始まる。天変地異が起こる。あるときとい

うのがいつか、コーランには明記されていないが、伝承によれば、まず偽預言者があらわ

れ、その後イエス・キリストが再臨し、イスラム教に改宗したのち、四十年間地上を支配

する。そのキリストの死後、天使が最初のラッパを吹き鳴らすと、全世界が破壊され、新

しい秩序が形成される。第二のラッパののち、最後の審判が始まるとされる。

 

 52章:主の懲しめは必ず起る。・・この(火)で焼かれるがいい。・・・ずらっと 

列になって臥牀に身を凭せ、目すずしい美女を妻にいただく。

 69章:いよいよ喇叭が一吹きりゅうりょうと鳴りひびき、大地が山々もろとも持ち上

げられ、・・・空は裂け割れ、・・・みなむき出しで、何一つ隠せるものはありはせぬ。

 

 78章:まこと、裁きの日は定めの時ぞ。りゅうりょうと喇叭の音の一吹きで、汝ら群

なして集い来るその日。・・煮えたぎる熱湯にどろどの膿汁ばかり・・・一面の緑の園、

見はるかす葡萄畑

 

→ムスリム(イスラム教徒)となり、信仰に励む。

ゾロアスター教

 西暦二千三百五十年頃となる。ザラスシュトラ(ゾロアスター)の出現により、世界は

第四期にはいる。この期間には、善と悪との分離が行われる。これが三千年続いたあと、

最後の審判が行われ、死者は復活し、世界は浄化され更新される。

 善思、善語、善行を実行し、悪と戦う。これは各人の自由意志にまかされている。

 

新約聖書

[黙示録]

 「この黙示は、すぐにも起こるはずのことを、神がその僕たちに示すため、キリストに

お与えになり、そして、キリストがその天使を送って僕ヨハネにお伝えになったものであ

る、」

8章:「第一の天使がラッパを吹いた。すると、血の混じった雹と火とが生じ、地上に投

げ入れられた。地上の三分の一が焼け、木々の三分の一が焼け、すべての青草も焼けてし

まった.

 

10章:「第七の天使がラッパを吹くとき、神の秘められた計画が成就する」

1260日の間、二人の証人が預言。証を終えると、一匹の獣が底なしの淵から上って来

て彼らと戦って勝ち、二人を殺してしまう。

第三の災い

千年後、第一の復活。→彼らは神とキリストの祭司になって、千年の間、キリストと共に

統治する。

千年後、サタンが解放される。

 

[マルコ伝、マタイ伝、ルカ伝]

 マルコ伝13章:偽メシア、偽預言者が数多くあらわれる。

「それらの日には、このような苦難の後、太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は空から

落ち、天体は揺り動かされる。そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って

来るのを、人々は見る。そのとき、人の子は天使たちを遣わし、地の果てから天の果てま

で、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める。

 

仏教[説一切有部など]

 法滅:末法が1万後続いた後。末法が始まる時期には四説あるが、日本では一〇五二年

説がとられたから、西暦一万一〇五二年ということになる。

 仏法が滅びてしまう。

 

ほんみち

 近い将来に大変動、世界の人口も激減する。

 ほんみちの信者になる。

 

モルモン教(正式名称は末日聖徒イエス・キリスト教会)は、アダムの堕落から約六千年

後に、福千年の時代が来る。この期間には多くの復活があるとされる。このあと、短期間

の「しばらくの間」という機関が来る。このとき、悪魔が再び解き放たれ、人間たちを誘

惑する。このとき誘惑に従った者は、地獄に落ちることとなる。最終的には、「日の光栄

の王国」に至るのが目的となる.

 

天照皇大神宮教のように、輪廻的な世の移り変わりを述べたものもある。紀元二千六百五

年(西暦一九四五年)で崩れた世の中が終わり、その後、二千三百年の神の世、一千九百

九十九年の月の世、千五百二六年の星の世とある。それからまた天照皇大神宮のみ世にも

どるとされている。

 

起源についての神話・伝承は数多い。それに比べると、終末についての神話・伝承は少な

い。起源は現実を説明するものであるから、起源がどうあれ、現実は現実である。人類が

怪物から生まれようと、神の子であろうと、石から作られようと、現実の人間のありよう

に変化が生じるわけではない。

これに比べて、終末をめぐる話は、まさに人間の生き方に直接的に関わることが多い。ど

 

う生きるかが、終末のときの運命に関係するのが普通だからである。どう生きようと、そ

の運命に差がないのなら、宗教的努力は無駄であるから、

 

オウム真理教

ノアの箱舟構想もある。

 

ほんみち

「ほんみち概観」

世界の大掃除:譬えば、親が子供の為に終生かけて立派な住居を造ったとする。住んでい

る子供等が、何時迄も頑是知らずで、好き勝手な心で無茶苦茶に荒し廻って、親の意志と

正反対の結果となったとすると如何か。親としては、情けなさの為、一層の事すっきり破

壊して、元の何もない状態にしてしまおうか、それとも大修繕して、住んでいる子供達を

再教育し、親の意志通りの心にして住まわせようかと言うのと同じ事で、こうなれば当然

子供の心の立て替えをせねばならん。これが世界の大掃除なのである。世界の大掃除につ

いては、御筆先に数多くの御予言があって、ここに其の一部を摘記させて戴く。

(1991年BOX所収)                                        

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