煙 幕 の か げ で       

 教室にはいって、椅子に腰掛けるなり、先生はタバコを口にくわえた。火をつけ、何も言わず、ただいとおしそうに煙を吐き、また吸った。一本のタバコが煙と消えるまで、教室には沈黙が漂っていた。ゼミならともかく、講義の最初にひたすらタバコに没頭する先生というのは、それまでの学校教育を通して、初めての経験であったから、あっけにとられた。こうして柳川先生の印象は、タバコの煙と共に刻まれた。

 喫煙のスタイルは、人によりさまざまである。かっこつけのプカリプカリ。粋がってのフゥー。いらいら隠しのプカプカ。だが、先生の喫煙のイメージは、なぜかしきりに頷くあの独特のゼスチャーと一対となって浮かんでくる。相手が初対面の人であれ、馴染みの人であれ、たいていの主張に対して、「はぁー、そうですか」と低い姿勢で応対する、例のゼスチャーである。たとえ学生がくどくどとした話を、三時間四時間続けても、ひたすら聞きに徹するのが先生である。その間、吐き出された煙は、先生と相手の間に、ぼぅーと所在なげに漂い、やがてあきらめて消えてゆく。

 柳川先生はやさしい人だと評判である。指導を受けた学生も、調査地で知り合いとなった人も、それにスナックのママも口を揃えてそう言う。だから、これはマルチ・ディメンショナルに実証された社会的事実ということになる。教授の肩書きをプンプン臭わせる大学教授を、数多く見てきた人ほど、低姿勢で忍耐強い先生と会うや、たちまちファンとなってしまうのである。従って、著書は少ないが、柳川先生は偉大な教育者であると言う人が多い。

 先生は遠視である。東大紛争のさなか、対立するセクトが階段でもみあい、その間に挟まれてしまったしまった先生は、眼鏡を落としてしまった。たまたまそれを拾った私は、見覚えがあったので、先生に返しにいった。そのとき、「老眼鏡ですね」と言ったら、「遠視です」とかなりきっぱりとした口調の答えが返ってきた。老眼鏡にしろ、遠視用の眼鏡にしろ、凸レンズを使用しているから、相手からは、目は実物より大きく見える。それでも通常、柳川先生の目はほとんどつぶったようにしか見えない。口の悪い某嬢は、「眠りカバ」とあだ名をつけた。多くの学生は、陰ですら、決してそんな失礼な呼び方をしなかったが、それが不適切なあだ名だとは思っていなかった。

 遠視は、遠くの様子の方がはっきり見えるということになっている。先生は、思考も遠視型であるようだ。差し迫った問題に判断を下すときも、遠くを見通して選択がなされる。近視眼的な思考の人間は、その見通しの的確さに、あとになって気付く。だから、先生の論文に軽率なものはみられない。短くともピリッとした洞察の込められたものが多い。その代わり、完成するまでに随分時間がかかる場合もあるが、それは致し方ない。ただ、弟子の中には遅れて出すのがいい論文だと錯覚して、常に締め切りを大幅に遅れて出す人も出たが、これを先生のせいにしてはならない。

 遠くが見えて、低姿勢で、忍耐強い人が行なう、他人の人物評価というものは、どんなものだろうと考えたことがある。遠くまで見渡すから、視野が広い。その人だけを見て判断しない。その人物の周りの人間関係を考慮しながら、さまざまな角度から推し測る。低い姿勢から、相手を眺めるから、その人の腰のすわりがよく分かる。そして、その人の欠点よりも、長所をみつけてやろうとする。また、かなり忍耐強いから、一見、見込みがなさそうな人間でも、容易に切り捨てたりはしない。相手がもしかしたら、そのうち花開くのではないかと、時間をかけてじっと待っている。こうなると、かなり豊かな大乗精神の持ち主ということになる。そういえば、先生は、郷里尼崎に帰れは、浄土真宗の檀家総代である。

 それでも、ときには、相手の言い草や態度に腹がたって、我慢しかねるときがあるに違いない。檀家総代とは言っても、出家したわけではない。すべての人を寛容の心で包もうと発心したわけではない。心の中では背を向けている人間がいるのも止むを得ない。苛立たしい出来事もままあろう。そんなとき、むかむかする感情を紛らしたり、ぐっと押し隠したりするのに、役に立つものは何であろうか。前かがみの姿勢と、つぶったような目と、それにもうもうとたちこめる煙幕は、こんなときこそ、欠かすわけにはいかないようである。

 

ハワイ調査の頃の柳川先生(1979年、ホノルル空港)

 

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