「理解」という名の「誤解」(二)

 桜島の対岸にある鹿児島港から名瀬港までは約半日の船旅ですが、昨今はほとんどの旅行者が、YS型の東亜国内航空便による一時間十五分の空の旅で奄美を訪れます。鹿児島に育ちながら、一度もいってみたことのなかった奄美の総合調査の一員になったときのことです。ここでの新宗教の展開過程を調べるのが、私の分担課題でありました。

 当時、東京大学宗教学科の大学院生であったN君とS君に協力を依頼して、三人で新宗教調査グル−プを結成しました。昭和五十年の年の瀬もおし迫った頃、われわれは名瀬市内の旅館に集合しました。

 奄美というと、大島紬と共に、ハブの名がすぐ連想されます。調査前ずいぶん脅かす人がおりました。

 「縁側に腰かけて足をブラブラさせていると、ハブは動くものに飛びかかってくるから危ない。」

 「草叢を並んで進むときは二人目が危ない。一人目が通ったとき、ハブは攻撃体制を整え、二人目に噛みつく」等々。

 余り根拠のなさそうな警告もありました。しかし、新宗教の調査は市街地中心ですから、実際はこんな警告も不要でありました。

 神社調査を担当したグル−プは、今はお参りする人もなくなった社を探して、ときに胸まで届きそうな草をかき分け進んだのですが、とうとうハブにはお目にかからなかったそうです。最近は名瀬市街に育った人だと、生まれてこのかた、野生のハブを見たことのないというのがむしろ普通になりつつあります。

 噛まれると命も危うい毒蛇ですが、ハブに対する土地の人々の感情には、ちょっと面白いところがあります。

 名瀬市にはハブセンタ−があって、観光コ−スの一つとなっています。ここの呼びものはハブとマング−スの一騎打ちです。マング−スはハブの天敵ということになっておりまして、試合もまず間違いなくマング−スの勝利に終わります。

 ところがこの闘いに関して、次のようなことをいう人に何人か出会いました。

 「ハブは一匹千円かそこいらで手に入る。マング−スは何十万円もする。ハブに勝たすわけにはいかない。長いこと餌を与えられず、ぐったりしているハブを毒を抜いてから闘わせるんだ。元気なハブとやらせたら、マング−スが負けるかもしれない。」

 真偽のほどは分かりません。でも、ハブに対する複雑な思いが窺えます。あんなに恐ろしい蛇ですが、異国から仕入れたマング−スと戦うとなると、身贔屓の感情が起こるのでしょうか。

 さて、われわれの調査ですが、奄美で布教活動を行っている新宗教の概況を把握する一方で、二、三の教団を集中的に調査することにしてありました。その一つに創価学会が含まれていました。

 名瀬市には奄美大島会館というのがあります。創価学会は各地にこのような会館を作り、地域活動のセンタ−としています。何はともあれ、そこを訪ねよう。以前奄美で調査をしたことのある某教授の紹介状を手に、三人で出かけました。

 事務長のU氏が応対してくれました。同行のN君は、いつもの癖で、さっそくテ−プレコ−ダ−をテ−ブルの上にでんと置き、質問を始めました。ところが、これを見てU氏がかんかんに怒り出しました。

 「いきなり来て話を聞かせてくれというのはまだしも、こちらの承諾もなくテ−プを回すとは何ごとであるか。」

 あわててテ−プレコ−ダ−を引っこめました。でもU氏の腹立ちは収まりません。こうなると一枚の紹介状など何の役にも立ちません。その日はほとんど何も聞けず、とぼとぼ宿に帰りました。

 翌日から、こんな場合もっとも説得役に適しているであろうと選ばれたS君が、単独でU氏の心をほぐす仕事にかかりました。三日ほどの後、調査はようやく軌道に乗せることができました。いい経験でありました。

 奄美の伝統宗教といいますと、これはもうノロとユタへの信仰を抜きにしては語ることはできません。土地の人すら混同するのですが、厳密に言えば、ノロとユタは異なります。ノロは女性のみの祭祀組織を形成しますが、ユタは個人的に霊能力を獲得した人で、男性も少数おります。少なからぬ人が今でもユタを訪ね、霊を呼んでもらったり、占いをしてもらったりします。

 創価学会は御存知通り、日蓮正宗のみを正しい仏法、真の宗教と主張しますから、教義的にも、このようなノロやユタへの信仰を認める訳にはいきません。しかし、長い間培われた観念や信仰は根強い力を持ちます。創価学会の調査に当たって、われわれが抱いた関心の一つは、こうした新来の宗教教団は、伝統宗教にどのように対処していくのであろうか、ということでありました。

 U氏は、昭和三十年代、創価学会がこの地へも激しく折伏攻勢をかけたときのいわば斬り込み隊長的存在でありました。当然、学会の教義も学び、理論武装を行いました。彼において、ノロやユタへの信仰は斥けられました。

 「われわれ学会員は、このような迷信をなくすために戦わなければならないのです。」

 そのように語ってくれました。

 調査が一段落し、第一回の調査は一応終了ということになりました。厳しい局面からスタ−トしたわれわれでしたが、次第に打ち解けてきたU氏は、帰る前日の夜、三人を自宅に招いてくれました。さとうきびを原料とする焼酎の酔いごこちは快いものがありました。U氏も段々興にのってきて、得意の喉の披露も始まりました。かなり夜も更けた頃だったでしょうか、ふとU氏は、

 「これは女房にも話したことのない話なんですよ」

 と前置きして、若かりし頃の一つの思い出を語り出したのです。

 U氏には、高校時代つき合っていた彼女がいました。でも田舎のことですから、人目を忍ぶ仲。双方の両親もそのことを知りませんでした。ところが、その女性は病気で短い生涯を終えてしまいました。土地の慣習に従い、彼女の両親は、四十九日目にユタを呼び、マブリアワシを行いました。死後の霊を呼び話をさせるのです。

 ユタは、「亡くなった娘さんが、かくかくの姿をした高校生に逢いたがっている」と告げました。両親は、ユタの説明の仕方から、娘の霊が逢いたがっているのは、U氏らしいと思い当たりました。

 彼女の両親がU氏のところへやってきて、事の次第を話しました。U氏はびっくりしながらも、彼女の家に行き、霊前で手を合わせたそうであります。

 「霊の世界というのは、やはりあるんでしょうね。」

 U氏は相槌を求めるかのように、奥さんの、次いでわれわれの方を向いてつぶやきました。

 話の不思議さに聴き入っていた私ですが、心の中でアッと思いました。U氏はノロ・ユタへの信仰をはっきり否定した筈ですが、心の奥底には、また別の判断が潜んでいたのです。

 伝統宗教の重さということかもしれません。打ち消すことのできぬ体験の鮮明さということかもしれません。あるいは、たとえばハブに対して、恐怖の目が注がれ、撲滅対策が図られる一方で、同じく奄美を塒(ねぐら)とするものという親しみの情がどこかにあるように、ノロやユタへの信仰に対しても、かすかな、郷愁にも似た感情が去りやらぬのかもしれません。

 それにしても何ということでしょう。もし、U氏に招待を受けず、このような打ち明け話が彼の口から漏れなかったら、われわれは次のように結論づけていたに違いありません。

 「奄美においては、ノロやユタに対する信仰は根強いものがあるが、最も熱心な創価学会会員にあっては、このような信仰は棄て去られ、新しい教義が受け入れられている。」

 酒席におけるほんの二、三分の話が、この考えをひっくり返しました。だから聴き取り調査にはお酒が必須である、という言い方もできるでしょう。それは間違いではありません。でもそういって済ませられる事柄とは思われません。

 建前と本音の違いだとすることは可能でしょう。仮に、酒を飲んで喋ったことの方が本音だとしても、問題はむしろ、なぜ本音を語る気になったか、ということの方です。

 最初の衝突が結果的に心の壁を破る役を果たした可能性があります。よそ者のわれわれには、かえって語りやすい内容の話があるという考え方もありましょう。まったくの偶然の所産である、と片づけるしかないのかもしれません。

 しかしながら、あのときわれわれ三人とU氏との関係が、そういう段階に至っていたということが一番重要な点のように思えます。

 「人は、問いかける相手と状況次第で、同じ問に対して、異なる答を用意する。」

 この考え方は、その後、私の心の中で、強まる一方となっていったのであります。

(1982年10月執筆) 

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