情報化時代の「師」

                                           

 数年前、古巣の東大宗教学研究室の年報に「師の不在」と題して、短いエッセイを書いたことがある。やや刺戟的なタイトルの内容と感じた人がいたとみえて、反論が掲載されたり、個人的にブツブツ言う声を聞いたりした。それで反論への反論的なものを次の号に書いた。しかし、それが「師の不要」というタイトルであったため、余計疑惑が広がった。研究室批判ではないかということである。でもちゃんと読めば、そんなこせこせした話ではないことに気付く筈なのだが、いかんせん、タイトルがよくなかった。それで三回目は「師の不滅」として、これで終わりにした。折しもこれが恩師の急死と重なって、どうにも妙な具合になってしまった。

 主旨はこうであった。学問を学ぶ上で師が必要なことは言うまでもない。だが昨今の情報化時代である。師と弟子の関係がどうやら古典的なスタイルだけでは立ち行かなくなりつつあるのではないか。師が師たり得なくなる構造的問題が起こりつつあり、それをどうやって乗り越えるかが今後の課題である。しかも、それは学ぶ側の方に、より重くのしかかっている課題である。こんなことを書くと、東大の宗教学研究室は古い徒弟制度でも残っているのではないかと誤解されそうだが、実際は正反対である。あまりに自由すぎて、学び手の側が戸惑うほどである。自分の先生を批判できない学科があるという話や、ながく丁稚奉公的に仕えなければならない学問領域の話を聞くにつけても、あの宗教学研究室の風通しの良さ、自由さをあらためて有り難く思いかえすのである。

 それなのに、なぜこんな問題意識をもったのか、理由はこうである。学問の継承発展というものが、教師の質、学生の質、それぞれの学問の性格といった、さまざまな要因に左右されるのは言うまでもない。ところが昨今のすさまじい情報化の進行である。これにより教師と学生の関係に、従来にはなかった厄介な問題がもちあがってきているということを感じとったからに他ならない。情報ルートの構造変化は、情報化社会の必然的結果である。企業をはじめ多くの組織体でも、それはじわじわ進行している。コンピュータが使えるか使えないかで、上下関係が心理的に逆転するといったような話はよく聞く。だが、そんなことはどちらかと言えば枝葉の問題である。より本質的なのは、例えば役職が上であるほど、必要な情報について把握しやすいといった構造が、さまざまな形で挑戦を受けているということである。教育・研究の場のみが、ひとりこうした動向と無縁でいられる筈もないのである。それは実はとてもコワイ話なのである。

 戦後もしばらくまでの時期は、欧米に二、三年留学してくれば、その後数年、はなはだしくは生涯、そのとき学んだ知識や理論を学生たちに解説していれば、大学教員が勤まったという噂は、以前はよく耳にしたものである。実際そんな例がどれほどあったかは別として、そういう噂がもっともらしさをもつような情報ルートの構造が、当時は確かにあった。つまり外国で何が起こっているか、何が研究されているかなどについての情報は一般に乏しく、ましてそれを体系的に説明するような情報を入手することはなかなか困難であった。けれども今日、自然科学の分野などでは、自宅のコンピュータと電話回線によって、世界の最新の研究成果にアクセスできるという例も少なくないという。また、現地に滞在した日本人より、日本にいてテレビニュースを見ていた人の方が、ある事件の全貌をより正確に把握できることがあるが、これと似たことが学問でも起こり得る。長年フィールドワークを重ねた人類学者といえども、学生たちを前にして、以前ほど圧倒的な情報量の豊かさを誇るわけにはいかない。

 そんな時代には、たとえその専門分野のことであっても、教える側が学ぶ側に対し、優位にたつことがだんだん難しくなる。これは教える側にはなかなか辛いことである。もっとも、大海も知らず、また空の高さも知らない井の中の蛙のような教師と、井戸の中だけに安住したがるような学生の組み合わせなら、情報化時代も怖くはないが。それは論外としても、人文科学などでは、この情報ルートの変化が急激には表面化していないので、今述べたようなことを、あまり実感として受け止めていない人も珍しくない。しかし、変化は着実に進行している。尊敬する先生の言ったことであるから、間違いないであろうなどといった姿勢は、リスクの大きいものになっていかざるを得ないだろう。教える側も学ぶ側も、いわば戦略転換を迫られつつある。その意味では従来の学問の権威の構造が変わりつつあるという言いかたをしてもいい。一部には口伝的な教授法によって継承される学問分野もあるから、そこでは情報化がさほど関係ないことになろう。けれども、たいていの学問は情報革命が巻き起こす暴風雨圏に、しだいに近付きつつあるというのが私の認識である。

一九九四年執筆(『国学院雑誌』より再録。)

 

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