女 性 の 発 想
ここ何年か宗教心理学に関する講義をしていて気づいたことであるが、フロイトのエディプス・コンプレックス理論に関心を寄せるのは、圧倒的に男子学生である。フロイトは宗教の起源についても、エディプス・コンプレックスを適用した。人間(男性)の心の深層に潜む、父親を殺し母親と結ばれたいという無意識的願望の存在と、兄弟団の結成によりこの願望を実現した後の同族の女たちの放棄(近親相姦のタブー)が、父なる神のイメージが形成されるに当たっての決定的要因であったというのは、お馴染みの理論である。
フロイトの一連の理論を聞いて、男子学生たちは、自分と母親との無意識的結びつきに目を開かされたという感じなのである。フロイトという男性が、恐らく自分の心理をも内省しながら築いた理論は、やはり何がしかの真理を言い当てているということになるの
かもしれない。
一方、この理論は、女性には必ずしも受けがよくない。フロイトの娘のアンナ・フロイトは、エディプス・コンプレックスに対応する女性的な無意識として、エレクトラ・コンプレックスというものを想定したが、これもまた女子学生には人気がよろしくない。「私は母を殺そうと思ったことは一度もありません」などと言う、早とちりの反発は愛嬌としても、一般に反応は鈍い。
これは別に女性の方が無意識的なものの自覚化に心理的防備が固いわけではなく、エレクトラ・コンプレックスが、エディプス・コンプレックスの単なる鏡面図であることに問題がある。つまりそもそも女性の発想に立って生まれた理論ではなく、男性の発想を線対称にして借用しただけであるから、女性がハッとする理論にならないのではないかということである。
ユンク派の心理学者ノイマンは、女性の無意識について、かなり面白い考察をしている。母親のもつ二面性、すなわち育て慈しむ慈母の面と、すべてを呑み尽くす恐るべき母の面とを分析したあたりは秀逸である。しかし、これも男性による分析である。最初から女性の発想に立っても、やはりこういうことになるであろうか。
日本の新宗教には、女性教祖が多い。だが新宗教の研究者も圧倒的に男性である。例えば、女性教祖が宗教的世界に関わっていく際の心理的変化の過程で何が起こっているかについての解釈も、男性の目からなされたものが大半ということになる。
日本の宗教には、女性原理が強く働いているという説がある。その場合、天照大神が女性神であることや、観音が日本では女性的にとらえられていることなどが例として挙げられる。これもおおかた男性研究者の説であるから、女性原理といっても、たいていは母親のイメージでそれを代表させることになる。
女性が男性者の発想をまったく無視して、宗教史の解釈に向かったらどうなるであろうか。女王蜂願望が女性の宗教的活動の無意識的部分にあるとか、マゾヒズムが宗教の源泉であるとか、男性がギョッとするような理論を出してくれたら面白い。とくに新宗教では女性の占める比重が大きいだけに、男性の発想に従うことをいさぎよしとしない女性研究者が増えれば、宗教運動の発生などについても、議論はもっとダイナミックになってくる筈だと考えている。(1987年7月執筆) 【エッセイへ戻る】