変わらぬアイツ―穏やかなる五期の面々                              

 五期は、同期で比較的まめに集まっている。一年に一回は、東京近辺に在住のものが中心になって、忘年会、新年会の類を開く。集まっても、たいした内容のある話をするわけではない。髪が薄くなったの、白くなったの、肥ったのと、互いを肴にして、若干ののしり合い気味に、旧交を暖めるというのが通例である。

 皆それなりに、少しずつ社会的に重要な地位についていくのではあるが、基本的なパーソナリティのようなものは、案外と変わらないものだと思う。学生時代にズボラだった者は、今でもやはり何となく締まりがなく感じられる。生真面目だった者は、やはり実直に仕事をこなしているという印象が強い。社会に出てから驚くほど変貌したな、という印象を抱かせる人物は、少なくともわが五期にはいない。

 学生時代に派手さが感じられなかったのは、上田智昭、沼生哲男、野田肇、村井穏曜などである(以下敬称略)。彼らは今も仕事ぶりは堅いようだ。上田は、東レの研究部門でこつこつと仕事をしている。沼生は、五期で現在ただ一人の国家公務員だが、霞ケ関界隈では、けっこうな顔だそうである。野田は安田信託で、信用度抜群の仕事ぶりらしい。村井は古河電工での地味な仕事をこなしている。

 学生時代のムラ気の多さでは、増沢恒禎が抜群で、佐伯義文、熊島俊二、成田諭士がこれに続いた。増沢は職を転々とし、今は会計士をやっているが、屏の上を歩いていると自ら告白している。自覚症状があるので、救いはある。佐伯もすでに確立された評価を挽回するような噂は、なかなか聞こえてこない。熊島は腰を痛めたというような風評ばかりが伝わってくる。成田は共同通信に勤めたと聞くが、居所は定かではない。

 遊び人で鳴らした下坂陽男は、今でも優雅な生活で、特定の妻を持たない。それでも、勉強すべきところはしていたから、明治大学の先生になって、生田の丘で学生を顎で使っているらしい。他方、悩み出すと真剣に悩む癖のあった小坂文人や坂上幹雄は、五期にあっては、波乱万丈に近い人生を歩んだ。でも今は落ち着きをみせている。

 凝り性のところがあった高野夏樹は、その性癖が続き、一時期は馬に凝り馬主になった。体に似合わぬ大胆さを秘めていた高藤真澄は、やはり大胆な設計をしているようだ。二一世紀にも彼の設計した建物は堅固であろうか。かなりアブナイ志向をもちながらも、道を踏み外さないタイプの山田正純は、協和埼玉銀行に勤めている。社内での評判は知るよしもないが、首にならないのだから、不祥事は起こしていないのであろう。軽さはあるがツボは外さないという鈴木憲治は、交通公社にはいったので、同期の連中の切符予約係をする羽目になった。彼の手配に満足した者もいるが、ぶつぶつ言う者も皆無ではない。

 経済学部時代は、あまり成績が良くなかったという噂の松浦宏文が、証券会社で、億単位の投資顧問をやっているのは、いささかの驚きである。社会にはいれば、知能ではない、人柄だと結論するのは、彼にとって名誉なことか、不名誉なことか判然としないので、やめておく。剽軽な語り口ながら、その中に社会性を感じさせていた浅野憲一は、弁護士になり、紀尾井町の偉そうな場所に事務所を構えている。浅間山荘事件を担当したのは、社会派の片鱗であろうか。

 最後に私自身であるが、大方の予想を裏切って研究者となった。しかも宗教学などという神秘的で魅惑的な学問である。教壇における物静かな語り口を想像できる者は、五期にはいない。変わらぬのはひたむきさであると、臆面もなく言っておこう。

 二十才前後には、その人の基本的性格が決定されているというのは、その後の付き合いの上では、気楽でもあり、つまらなくもある。学生時代こんな奴だったから、今もそう変わらないだろう、と考えて付き合えるのは、気楽な面である。気心が知れていると表現される側面である。反面、それぞれの人間の孕む意外性、可能性について、それほどの期待が持てなくなるというのは、少しつまらない。次にはどんな顔を見せてくれるのであろうかという夢が薄れるからである。

 でもこれは、少林寺拳法部の四年間を経験したからこそ言える贅沢でもある。パーソナリティが決まってしまうといっても、それを知る得るだけの付き合いがなければ、話は始まらないからである。そうした密な人間関係を持ちうる場は、大学からしだいに消えつつあると聞く。わが拳法部は、この面では、なかなか捨て難い味をもっていたと回顧する。今でもそうであって欲しいと願っている。

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