21世紀へ残す本残る本
『日本語の文法を考える』大野晋(岩波新書)

文学作品や詩を読むのは好きであっても、文法が好きだという人には滅多にお目にかからない。受験時代を連想し、品詞分解とやらで、ずたずたにされた文章を思い出して、不快感さえ抱く人もいるだろう。あるいは、文法なんか教わらなくても、会話にも手紙にも、さらにはレポートを書くにも不自由しないと豪語する人もいるかもしれない。
このように、文法の学習はおそろしく人気がない。生きた文章がバラバラに解体されて、面倒な分類箱に並べられてしまうような違和感とか、退屈さがあるのかもしれない。
とはいえ、言語を介したコミニュケーションに、適切な文法の能力は欠かすことはできない。本書の魅力は、一見面白味のない日本語の文法を、ある理由をもった構造によって説明しようとしているところにある。助詞の「は」と「が」の使い方の違いは、そういうことが関係していたのかとか、係り結びなどという決まりは、なるほどこうした歴史的経緯があったのか、などと、あらためて日本語の歴史的変遷についての理解を深められる構成になっている。
著者の説明はまた、たんに語法や語彙の歴史的変遷をたどるだけではない。日本人の思考法、文化的特徴が、文章の構造にも深い影響をもたらしているという発想が根底に横たわっている。そこには、一種の文化論が展開されているのである。
たとえば言葉を選ぶにあたって、相手を親・疎によって分ける、つまり「ウチ」と「ソト」という基準が用いられるとする。また話の内容は、相手がまだ知らないこと(未知)と、すでに知っていること(既知)に区分される。語の選択に際し、こうした区分原理が働くことが、欧米の言語などと大きく異なる点であることが再三指摘されている。
そういえば、欧米の文法の理論をただちに日本語にあてはめて学習することは、日常的に観察される。能動態と受動態もそうである。時制についてもそうである。それが実はしばしばつまづきをもたらしているのである。
著者は日本語の構造に即した理解を勧めている。欧文を日本語に訳したり、日本語を欧文に訳したりするときに感ずる翻訳の難しさの一因は、日本語の特徴を日本人自身がよく自覚していないことにあるいうことを、この書は教えてくれる。
本書で主張されている説の細かな点については、専門的な議論があるだろうと思われるし、すべてが通説ではないかもしれない。しかし、ここに提示された諸問題は、日本語の特徴を考える上で、きわめて肝要であることは疑うべくもない。
本書は、中等教育において国語を担当している教師が、一度は読まなければならない書であろう。昨今は、言語にもグローバル化の影響が押し寄せはじめ、「国語」を「日本語」として相対化して捉えることの必要性がいちだんと増している。こうした時代にあって、ますますその価値が増してくる本である。
エッセイ・トップへ