21世紀へ残す本残る本
『内村鑑三日録』全一二巻・鈴木範久(教文館)
内村鑑三の思想を示すキイワードとして、常にあげられるのは、二つのJ、すなわちイエス(Jesus)と日本(Japan)である。誠実なクリスチャンたらんとする意志と、愛国者たらんとする意志を、ともに貫ぬこうとした内村の一生には、近代日本の思想的課題がぎっしり詰まっていると言えよう。
内村は無教会主義をとる人々にとっては、あえて言うなら教祖にも近い存在である。国内のクリスチャンのみならず、韓国のクリスチャンの中にも、根強いファンがいる。その影響力のゆえ、一部には神聖化の傾向もなきにしもあらずである。他方では、あえて批判的側面を強調することで、ユニークさを示そうとする研究も出てきている。
しかしこのように多方面に大きな影響を与えた人物の生涯を研究しようとするときには、対象を等身大にとらえようとする姿勢に貫かれたものが不可欠となる。本書はまさにそうした類のものである。長年にわたる地道な、しかし壮大な展望をもってなされた研究の成果である。
「日録」という題が示すように、内村の日々の行動が記録されている。むろん、記録のない日もあるが、誰に会い、どのようなことを言い、何をしたかが、事細かく分かるのである。しかし、たんなる時間軸に沿った整理ではなく、各巻には「青年の旅」「一高不敬事件」「再臨運動」などといったタイトルが付けられ、その時代その時代における中心的テーマがにおわされている。
著者は、内村を学生のときから研究対象にしてきた。三十年以上の「つきあい」が本書に結実したわけである。その間、丹念に集められた事項を書きとめたカードは、時系列にそって整理された。それらは膨大な量となっており、著者ですら、整理にとまどうほどであるという。この十二冊の本が、背後にどれほどのデータに支えられているかの片鱗が、注記された内村に関する細かな資料・史料によって分かる。
それにしても、ここまで生前の言行を細かく調べられたら、内村も墓の下で苦笑いしているかもしれない。
最後の巻には全巻の内容索引がある。これは内村がその生涯で関わった人々の一覧というふうに見ることができる。通常の本の索引と比べて、その重要さは何倍、いや何十倍にもなる大変貴重なものである。なにせ生涯の言動に関わった人物、書籍、事項等の索引であるから、どのような人々が内村に関わりをもったのか、その関わりはどのような性質のものであったのかといったことを知る手がかりになるのである。意外な人間関係も浮き彫りにされたりするわけで、活用の仕方によっては、著者すら予想していなかった資料的価値が出てくるかもしれない。
本書は、今後の内村鑑三研究にとって必読書となることは言うまでもない。だが、このような重厚な研究は、それ以外の多くの人にも、ぜひその成果を共有して欲しいものだと感じる。
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