『宗教教育の日韓比較』

これは2002年12月に科学研究費の成果として刊行されたものです。目次と私の論文、国際シンポジウムの報告を載せておきます。


目 次

はしがき ................................................................................................ 1

新しい局面を迎えた現代の宗教教育
―日韓の比較を通して― 井上順孝 ....................... 4

世界の宗教教育に関する研究状況  市川 誠・津城寛文  ............ 18

戦後教科書に現れた宗教 
―地理・世界史の教科書の索引に見るイスラム教関連項目数の変遷について
田島忠篤 ....................... 52

国際シンポジウム「宗教教育の歴史と現状」の報告 
井上順孝  ........................ 66

日韓の学生のアンケート調査結果の比較  井上順孝   ........................ 91

質問票     ......................................................................................... 97

関係年表  桑原智子 ....................... 102


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新しい局面を迎えた現代の宗教教育
―日韓の比較を通して―

                  
井上順孝
   
はじめに
1990年代の後半、とくにオウム真理教事件を一つの契機として、宗教教育をめぐる議論がにわかにさかんになった。1995年の地下鉄サリン事件以前にも、社会的に多くのトラブルを起こしていたオウム真理教事件に多くの若者が加わり、しかも自然科学の分野で高度な専門的知識を得ていたはずの大学生や大学院生なども含まれていたことが、宗教界、教育界に大きな波紋を投げかけた。
信者たちから尊師、グルと呼ばれていた教祖の麻原彰晃(本名松本智津夫)の説く教義を、なぜ少なからぬ若者が信奉するようになったか。その一つの理由として、現在の教育のあり方、とくに宗教教育がなおざりにされてきたことがあげられたりした。それまでほとんど宗教問題を扱ってこなかった教育学関係の学会でも、その反省をこめつつ、少しずつ宗教教育をめぐる議論が重ねられるようになった。
しかし、こうしたことはたまたまオウム真理教による事件が衝撃であったから、それだけを契機に宗教教育についての議論の必要性が感じられたというふうにはとらえられない。そうした議論を求める社会的条件が背後にあったと考えるべきである。すなわち、1つには、宗教と教育をめぐる戦後の日本社会のありようが深くかかわっている。2つには、宗教をめぐる世界的な動向の変化がある。こうしたことを教育の現場が無視できなくなってきていたのは明らかである。それがオウム真理教事件を契機にさまざまな形で噴出してきたと捉えることができる。
国内的にみれば、国家神道という言葉に代表されるように、宗教が政治と結びつくことへの警戒感が少なくとも1960年代までは強く持続した。それが教室で宗教について扱うことへのためらいや拒否感の一源泉にもなったといえる。また教育勅語の記憶が、教室の現場に宗教をもちこむことへの嫌悪感を一部の教師に与えていた。(1)しかし、そうした過去の記憶に焦点を当てているうちに、事態は急速に変化をしていた。宗教社会学的には、1970年代は戦後日本における宗教動向がかなり大きく変動しはじめた時期として理解されている。宗教に関わる戦後的課題は姿を消しつつあり、戦後出発した新しい体制下での矛盾や新しい課題があらわになってきたと理解してもいいだろう。
教育の現場がそのことをどれほど認識していたか。公立学校は宗教にかかわる事柄をどう扱うかについては、ほとんど等閑視してきたといっていいだろう。宗教というものを文化や習俗における重要な要素として、正面から取り上げるという姿勢すら乏しかったのは明らかである。宗教の問題を真剣に論じていいはずの宗教系の学校においてさえ、そうした日本社会における宗教動向の変容について適切に把握してきたかどうか、大きな疑問が残る。というのも、宗教に関するカリキュラムを調べてみると、ほとんどが自宗教に関する古典的な概説が大半を占め、現代社会における宗教問題を扱うという視点は、概して乏しいことが分かるからである。
他方、世界的に見れば、20世紀の最後の四半世紀はグローバル化という言葉に象徴されるように、経済、技術は言うに及ばず、文化面でもボーダーレス化が一段と進行した。宗教もその波から自由でありえるはずがない。オウム真理教はロシアでも活発な布教活動をしていて、地下鉄サリン事件直前には、ロシアに3万人の信者がいたとされる。国外での布教を開始してから10年にも満たない短期間で、これほどの外国人信者を得るということは、従来の日本の宗教の国外布教ではきわめて例外的な現象である。そうしたことを可能にする条件が、グローバルに展開しているとみるべきであろう。いわゆる「カルト」あるいは「セクト」と称されるような宗教団体が、オウム真理教と同様に、あるいはそれ以上に短期間で、多くの国へと活動を展開する例は珍しくなくなっている。
日本やアメリカ、ヨーロッパ、韓国、インドなどをはじめ、世界には多くの新宗教がある。これらの新宗教の一部はいわば多国籍化しているが、そうした文化的「越境」は新宗教に限らない。一部の伝統的宗教、あるいは民族と深く結びついてきた宗教習俗でさえ、異文化へ、異なる社会へ、異なる国家へと受容され、相互影響の度合いは増す一方である。チベット仏教がヨーロッパ人に受け入れられたり、禅を実践する外国人が増えたり、あるいはムスリムになる日本人が出てきたりする。
 これらは異なる文化の宗教への入信とか改宗というレベルでの相互影響であるが、人の動きの流動化による宗教の相互影響も大きい。ヨーロッパでは中東や南アジア、北アフリカなどからの移民の増加がイスラム教をはじめ、キリスト教とは異質な宗教文化との接触を日常化させている。日本においてさえ、イスラム圏からの労働者の増加に伴い、それまで日常生活においてはほとんど接する事のなかった宗教文化圏同士が交流し、直接的に異文化を体験する機会が増えた。そこでムスリムの子女のために、学校給食の食材についても神経を使うという事態がすでに生じている。
 このような世界的規模での変化によって、現代日本における宗教を考えようとしたとき、日本という枠内だけで事態を理解させようとしても、無理な状況になってきている。一国の宗教を一国の動向だけで理解しようとする発想では、変化の諸相を適切に読み取れないということになる。
 このように事態は大きく変わっているのに、初等教育や中等教育における宗教教育をめぐる現状は一周りもふた周りも遅れていると言わざるをえない。つまり、いまだに戦前との格闘という発想も残存しているし、ましてこの四半世紀に起こった変化を踏まえてという発想はあまり見受けられない。そのような教育現場での実情を無視して、宗教教育についての議論を重ねても、空理空論に終わるしかないであろう。

1.宗教教育プロジェクトが目指したもの
 このプロジェクトにおける日韓の宗教教育の比較研究は、そうした現状を認識しつつ、現実的な課題の摘出と、その課題への対応についての考察をなしたものである。1990年代から日本と韓国における50校以上の宗教系の学校を調査し、カリキュラムを検討し、教師と生徒との面談を重ねた。(2)他方、1995年からは、宗教系の大学及び宗教とは関わりのない大学に在籍する大学生の双方を対象にした数千人規模の意識調査を7年次にわたって行い、その結果を分析した。(3)このうち、1999年と2000年は日韓で合同の調査とした。また宗教教育のテキストを収集し、教材について調べ、現場でどのような教育上のソフトが蓄積されているのかを調べた。またなによりも現代社会における宗教と社会をめぐる環境を適切に把握することに努めた。
 当初は宗教系の学校における調査が主たる内容であったが、しだいに公立学校における宗教の扱いにも議論が及んだ。宗教系の学校における宗教教育と公立学校における宗教教育の問題を、分断されたテーマとして別個に扱うことは、あまり適切ではないのではないかと考えられるようになってきた。宗教系の学校であっても、生徒の大半はある信仰をもっているからその宗教に関係した学校を選ぶということをしているわけではない。むしろ信仰問題とはまったく切り離して、別の理由、―たとえば受験校、有名校、等々―によって選択するのである。なお、韓国の場合であると、宗教系か非宗教系かの学校の選択さえ許されず、抽選で決まる。(4)したがって、公立学校と宗教系の学校における宗教教育の問題は、切り離して論じること自体が、なかなか困難な現状となっている。
 生徒の立場からすると、以上のような日韓両国の状況のもとでは、公立学校であるか、非宗教系の私立学校であるか、あるいは宗教系の学校であるかは、実のところたいした問題ではない。それゆえ、宗教系の学校においても、たいていは宗教色はなるべく薄めたり、宗教の授業にさほど力を入れなかったり、あるいは全然行わなかったりするのである。信念をもって強い宗派的教育を行う学校は一部にとどまる。
 このような点を充分認識して、現在の日本における宗教教育を考えようとすると、従来のように宗教教育の3つのカテゴリー、すなわち、知識教育、情操教育、宗派教育によって、宗教教育の範囲を決めるという思考法はあまり有効ではなくなっていることに気付かざるを得ない。新しい発想が求められるということである。
 この研究のもとになった宗教教育プロジェクトは、日本国内において10年以上の研究・調査を重ねてきたわけであり、日韓の研究者が協力して研究・調査するようになってからも数年を経ている。そうした蓄積をもつので、そこで生じた議論は、それなりの打開策をもった結論を導きつつあると考えている。日韓の宗教教育の比較研究では、今後の宗教教育を論じる上での一つのキイワードがもたらされた。それは「宗教文化教育」である。これが指し示すことは、日韓でまったく同じというわけではないが、かなり類似した視点になっているのは明らかである。現状をつぶさに検討すればするほど、実際に選びうる宗教教育の方法はそれほど多くはないことが分かってくる。同時にまたどうしても必要なことも分かってくる。
ところで、宗教教育とは何か、その中にどのようなものが含まれるかということは、これまでも繰り返し議論されてきた。その際には、上記の知識教育、情操教育、宗派教育という3つのカテゴリーを、公立学校と私立学校(とくに宗教系学校)での宗教の扱いの違いに直接的に対応させる議論が一般的である。つまり公立学校で許されるのは、宗教の知識教育であり、宗教立の学校では、3つとも許されるということである。
そして対立する見解を生んだのが、宗教の情操教育についてであり、公立学校でも可能とする立場と、許されないとする立場とが議論を繰り返してきた。その場合、個別の宗教とは離れた「一般的宗教的情操」というものが想定できるかどうか、という議論が絡むこととなった。公立学校で宗教情操教育を行えるという立場をとるとすれば、それは特定の宗派とは関わりのない宗教情操でなければならない。そこで「命の尊厳」とか「自然への畏怖の念」といった事柄が一般的な宗教情操のテーマとされたりした。これに対し、特定の宗教と離れた一般的宗教情操というのは想定しづらいとする反対論も根強く、この論争は決着がつくことなく、今日まで繰り返されている。
ここまで用いてきた「宗教教育」という用語は、的確に表現するためには「広義の宗教教育」としなければならない。「狭義の宗教教育」は、宗派教育の意味で用いられ、これは公立学校では禁止されているから、ここでのテーマとなるべきものではない。ただ狭義の宗教教育は宗派教育というふうに表現するやり方がある程度定着しているので、広義の宗教教育をたんに宗教教育と呼ぶのが普通である。ただし、その了解が共通のものとなっていないと、議論に不必要な混乱を招くので、一応言及してしておく。
宗教教育を3つに分けて形式的な整合性を図るやり方が限界にきているというのが、プロジェクトにおける主たる議論の一つであった。そしてその打開策の一つとして、宗教文化教育という考え方を導入しようとするものである。その前にこの3つの区分が繰り返し用いられた歴史的背景を確認しておくことにする。

2.戦後の宗教教育に関する議論
もともと宗教教育の3つの区分は、ある意味で戦後の宗教と教育の関係に整合性をつけるために、頻繁に依拠された分類法という側面がある。戦後の宗教教育は、日本国憲法における宗教にかかわる二つの原則、すなわち政教分離と信教自由と密接にかかわる形で議論された。宗教立の学校における宗教教育の自由を大幅に認める一方で、生徒の信教の自由は保障されねばならないし、特定の宗教を強要してはならないという原則が打ち立てられた。より具体的には、以下のような経緯で、法的な枠組みが用意された。
まず、終戦直後の1945年10月に、私立学校における宗教教育に関して、文部省訓令第8号が出され、課程外ならば、宗教上の教育や宗教上の儀式を行なうことができるとされた。ただし、それには次の3つの条件がついていた。
@生徒の信教の自由を妨害しないような方法によること
A特定の宗派教派等の教育を施したり儀式を行なう旨を学則に明示すること
B実施にあたって、生徒の心身に著しい負担をかけないよう留意すること。
 次いで、1947年に公布された教育基本法では、第9条で宗教教育について触れている。前年公布された日本国憲法の第20条(信教の自由、国の宗教活動の禁止)の精神に沿って、次のように定められた。

第九条(宗教教育)
1 宗教に関する寛容の態度及び宗教の社会生活における地位は、教育上これを尊重しなければならない。
2 国及び地方公共団体が設置する学校は、特定の宗教のための宗教教育その他宗教的活動をしてはならない。

さらに1949年、文部事務次官より、初等及び中等教育における宗教の取り扱いについての通達がだされた。そこでは、国公立の学校にあっては、礼拝や宗教的儀式、祭典に参加する目的で宗教施設の訪問を主催してはならないこと。もし、研究や文化上の目的で訪問する場合には、これを児童・生徒に強要してはならないこと。また、宗教に関する教材については、研究・教育上、必要があるならば、宗教的教材を利用してもよいが、特定の宗教を評価したり、逆に否認したりする結果にならないようにという原則が示された。ただし、児童・生徒が授業時間以外に、自発的に宗教団体を組織することは自由であるとされている。また、以上のことは私立学校には適用されず、宗教教育の自由が保証された。
戦後数年間の間に次々と示されたこうした宗教教育に関する基本方針が、今日に至るまで基本的には踏襲されてきたわけである。宗教系の学校では、授業時間の制約はあっても、かなり自由に宗派教育を実現することが可能になった。しかし、公立学校では戦前のいわゆる国家神道問題もからみ、宗教について扱うことをできる限り避けるようになった。宗教の知識教育に当たるものは、歴史や倫理、道徳などの時間で宗教の創始者、哲学者などの思想の概要、あるいは宗教の展開の歴史などが教えられることで実施されていると解釈された。そこで議論が起こるとすれば、情操教育が可能かどうかということに集中したのである。
しかし、今日のような状況において、実際に、知識教育、情操教育、宗派教育をどこで線を引くかとなると、境界線はきわめて曖昧とならざるをえない。知識教育であっても、宗教の創始者の思想を現実社会にあった形で説明しようとすると、それは情操的な面、宗派的な解釈を無視できない。イエスの教え、ブッダの教えといっても、結局は現代社会の神学、宗学、あるいは宗教学的な成果を踏まえての教えの再構築がなされたものである。むしろ教える側と教わる側が、それを試験や受験に関わるから教えようとか覚えようという意識であるか、それとも人間の生き方の根本的な事柄を教えようとしたり、教わろうとしている意識かで異なると言った方がいいだろう。
それゆえ、公立学校での熱意のこもった知識教育の方が、宗教立学校での工夫のない宗派教育よりも、ずっと宗教に関する洞察力を高めるのに役立つということもありうる。実際、そうした事例を得ている。こうなると、宗教教育の議論の目的は何だったのかということになる。公立学校と宗教系学校の授業内容が違うということに形式的な整合性をつけるため、知識教育はいいが情操教育は問題があるというふうに抽象的な議論を重ねていても、さして展望が得られない。
昨今の初等、中等教育における現状からすると、公立学校と宗教立の学校の双方に必要と思われる宗教に関する教育、言い換えれば双方で利用できる教育、のプログラムが求められていると言っていい。そうしたものではなく、あくまで明確な宗派教育を追求したいという学校には、一定の条件、つまり他宗教、あるいは無宗教者への寛容の原則を踏まえた上での、そうした宗派的教育を行う自由が許されているし、どのような内容のプログラム作りをするかはその学校独自の課題である。あえて今日議論されている宗教教育のなかで議論の対象としなくてもいいだろう。
むろん、多くの宗教立の学校において、現実の課題は公立の学校と大きく重なるとはいえ、異なる面も多々ある。とくに、学校行事、その他に宗教的要素を組み込めるか、礼拝施設を設立できるかどうかなどは、大きな違いである。だが、少なくとも授業の内容に関しては、半分以上は問題を共有している。したがって公立の学校が宗教系の学校が参考にできるような教育プログラムや具体的ソフトを開発できるし、逆に宗教系の学校でも公立学校で利用可能な教育プログラム、ソフト作りを行えるということである。
このような可能性にまったくといってほど目を閉ざしてきたのが、従来の学校の現場である。公立学校ではひたすら宗教の問題を避け、教師たちは自身が宗教について知識教育を行うことさえ困難さを感じるようになっている。一方、宗教立の学校では受験戦争のあおりで、宗派教育をどう行うかについてさほど力を入れなくなり、また社会の動向に目を配ることを怠りがちで、自分たちの宗教に関わる比較的狭い話題に終始しがちである。
こうした事態からの脱却と、グローバル化、情報化をはじめとする現代世界の動向を見据えた上での長期的視野に立った展望が宗教教育に関する現時点での議論には求められている。

3.宗教の社会的位置付けとの関係
宗教が教育の場においてどのように扱われるかは、国によって大きく異なる。それぞれの国情を無視した抽象的な議論を繰り返しても意味がない。宗教教育を考える上では、まず宗教がそれぞれの国でどのように位置付けられているかが大きく関係する。世界では宗教と国家との関わりにどのようなタイプがあり、日本や韓国はそれぞれどのようなタイプにはいるのかという大きな位置付けをなすことも求められる。そうした中に個別の固有の問題の考察が深められるべきであろう。そこで、この点についてきわめて簡単に整理しておこう。
国家と宗教のかかわりには、通常次の大きく4つのタイプが列挙されるのが一般的である。
まず、特定の宗教を保護する国教主義(実質的国教主義を含む)の国(タイプAとする)と、政教分離が原則の国(タイプBとする)に分けられる。タイプAには、多くのイスラム国家や一部のキリスト教国家などが含まれる。タイプBはさらに、次の3つのサブタイプに分けられる。
@宗教に対して友好的なタイプ(B-1とする)。
A中立ないし非友好的なタイプ(B-2とする)。
B批判的ないし敵対的なタイプ(B-3とする)。
 B-1タイプにはアメリカ、ドイツなどが含まれ、B-2タイプには日本、韓国、フランスなどが含まれる。B-3には中国や北朝鮮などが含まれる。
Aタイプでは、公立学校の教育においても国教ないしは国教的な性格の宗教について基礎的な学習(教え、儀礼等)がなされるのがふつうである。ほとんどのイスラム国では、コーランの読み方、礼拝の方法などを小学校から教えるのが当然とされている。サウジアラビアのように、小学校においては、週に数時間イスラムに関わる授業がある。その反面、国教でない宗教、公認されていない宗教に基づく教育が事実上制限されることがある。
逆にB-3のタイプでは公立、私立の学校とも宗教教育は知識教育以外は行えないことが多い。社会主義国である中国や北朝鮮のように、初等、中等教育の場では、宗教は歴史の知識の一貫に組み込まれた部分以外は一切触れられない国もある。宗教教団の存在そのものが強い制限のもとにある国では、宗教に関する教育は、むしろ反宗教的教育となることもある。
一方、B-1タイプとB-2タイプの区分は、宗教教育のあり方を議論する上では、それぞれに対応する形態を明確に提示するのが難しい。キリスト教が文明の根底にあるとされる西欧諸国でも、教育における宗教の扱いにはかなりの違いがある。アメリカは一応政教分離であるが、政教分離は"separation of church and state"というふうに「教会」と「国家」の分離として表現されている。つまり「宗教」と「国家」の分離として表現されていないことが着目される。特定の宗教団体・宗派との結びつきには神経を使っても、宗教(といっても基本的にはキリスト教を意味するが)の重要性は逆に自明の理とされている。したがって、教育と宗教は一応分離されているが、日本とはまた異なった問題が生じ得る。たとえば、一部の州で進化論の教えが聖書に反するとして禁じられるといったようなことは、日本では考えられないであろう。
フランスは、ライシテ(「世俗性」あるいは「非宗教性」といった意味)と呼ばれる政教分離の原則が二十世紀初頭に確立した。(5)したがって教育の場でも特定の宗教について触れることを避けるが、この原則がアフリカからのムスリムの移民の増加とともに、新たな問題が生じている。一方、ドイツのように国が教会を経済面で支援し、学校における宗教教育を推進するところもある。税金の一部が教会税として用いられるのである。ルター派やカトリックが多いこの国では、これらの宗教には特別の保護がある。
 また公立学校では宗教の教義に関わることは触れないようにしている国が多いが、その中でも、宗教立の学校を認め、そこで宗教儀礼や教義を教えることを認めている国もある。すでに述べたことで、日本や韓国はそうした国に含まれると考えられる。日本では、国公立の学校では宗教の教義について教えないが、宗教立の学校では大幅な自由が認められている。たとえばキリスト教系の中学校や高校では、クリスマスや復活祭の行事などが学校行事に組み込まれ、事実上全生徒が参加する。仏教系であると、成道会(十二月八日)や、盆行事、あるいは彼岸行事を組み入れ、やはり全校生徒の参加とする。
そして週一時間程度の宗教の時間が設けられており、その時間に自分たちの宗教の歴史や教えの概要について教えるというのが標準的なパターンになっている。そうした時間に授業を担当するのは、神父、シスター、牧師、僧侶などの宗教家であると同時に、教職免許をもっているという人がその類の授業を担当するということもしばしばである。
これらB-1、B-2タイプでは、公立学校の教育では宗派教育はふつう行われず、宗教教育は積極的には行われないが、宗教立の学校の宗派教育は自由であるというのがおおよその傾向といえる。ただし、宗教教育の自由さが、教育の内容、時間数、学校別の相違、生徒の側の選択などのうち、どの面において認められているかはそれぞれ異なるので、一つの尺度で自由度を測るのは困難である。B-1タイプとB-2タイプは、宗教教育に関する限り、一括して扱うのが適切である。
さらに、こうした傾向はあくまで一般的なものであり、具体的に調べてみれば、同じキリスト教圏、イスラム圏に属する国でもさまざまな対応が見られ、また同じ国でも時期によってかなりの違いが生じることもある。宗教を学校教育で扱うというのは、どの国にとってもきわめて神経を使う事柄に属するからである。近年はどの国においても異文化接触が急速に増え、多文化主義ということが大きな課題になってきている。教育の場における宗教の扱いという問題は、こうした世界的に共有されている課題と結びつけて考えていく必要がある。
  
4.各国の宗教教育の傾向
 以上のことから、現段階において、日韓の状況を中心的課題にしながら、宗教教育に関わる問題を議論する上では、上記のB-1及びB-2タイプの国々を主たる視野に収めるのが適切となる。Aタイプは議論が別になるものが多い。むしろ、そういう国との基本的な違いを認識することの方が重要なこととなろう。B-3タイプはソ連の崩壊、ベルリンの壁崩壊などにともない少なくなる傾向にある。中国における宗教教育の動向は、近い将来大きな課題となるであろうが、日本や韓国の状況を考える上では、参考となる点は比較的少ない。
 B-1タイプ、B-2タイプの国々における宗教教育の現状についての調査は、まだそれほど蓄積されてはいないが、近年はいくつか見られるようになっている。各国の宗教教育についての日本の研究の概要については、本書に紹介してあるが、なかでも江原武一編『公教育の宗教的寛容性および共通シラバスに関する国際比較研究』は、最近の資料・データが数多く紹介されており、本プロジェクトにとっても参考とすべき点が多い。同書には、先進諸国における宗教教育の事例として、アメリカ、イギリス、オランダが、また発展途上国における宗教教育の事例として、中国、レバノン、タイ、トルコ、マレーシアにおける事例研究が紹介されている。とくに先進諸国の例は、日本や韓国の事例を考える上でも、有効な比較のパースペクティブを与えてくれている。
アメリカにおける宗教教育については3点の特徴が挙げられている。第1は公教育から宗教を分離させようとする傾向が伝統的に強いこと。第2は裁判所の判断に強く規制されていること。そして第3に公教育では宗教教育は厳しく規制されているが、私立学校では宗派教育が認められており、公立学校で宗教知識教育ないし宗教学習が認められている。また、多文化社会であることを背景に、価値教育の必要性が強く認められるようになっている。(江原武一「公教育における宗教の位置―アメリカを中心に」)
 イギリスは国教会が国教であるが、事実上は政教分離になっているとされる。しかし、教育のなかに宗教ははっきり組み込まれている。公営学校では宗教教育が必修である。これは1944年教育法以来である。もっとも1870年基礎教育法が制定されて以来、事実上宗教教育はほとんどの公営学校で行われてきた。なおその具体的実施法は各地方にまかせられている。
 しかし、宗教教育の内容が有名無実になる傾向も強いなか、1988年教育改革法は宗教教育についての見直しも行ったが、そのポイントは@基礎教育課程としての宗教教育の位置付け、A宗教教育のキリスト教化、Bマイノリティに対する配慮の明記とされている。
 この背景には、生徒がキリスト教徒であるというのが前提となっていたような状況が崩れ、移民の増加により非キリスト教徒が増えたことなどがある。1995年時点の統計では、国教会2610万人、カトリック570万人に対し、イスラム教120万人、シク教60万人、ヒンドゥー教40万人で、かなりの比率を占めるようになっている。そして、宗教教育の内容も、キリスト教を他の宗教とともに相対化して教えるというものになっている。(鈴木俊之「英国の宗教教育―その歴史的展開と現状について」、木原直美「多文化社会における宗教教育の葛藤―英国の事例を中心として」)
 オランダでは、19世紀末にはカトリック35%、オランダ改革派教会46%、再改革派教会7%、ユダヤ教・その他10%という宗教人口構成であり、絶対的多数を占める教派はなかった。第二次大戦後、世俗化が急速に進み、1950年代以降は無宗教の人が急増した。また移民の増加でヒンドゥー教徒やイスラム教徒も増えた。第二次大戦後、世俗化が急速に進み、1994年時点ではカトリック31%、オランダ改革派教会14%、再改革派教会8%、イスラム教4%、その他(ユダヤ教・ヒンドゥー教など)4%、無宗教39%となっている。
オランダは「教育の自由」(学校設立の自由、学校方針の自由、学校組織の自由)を原則としており、親の学校選択も自由である。そこでキリスト教系の学校が数多く設立された。現在でもキリスト教系の私立学校は、初等学校で63%を占める。また近年はイスラム系学校、ヒンドゥー系学校も設立されている。(30校余)このように宗教立の学校の比重が大きいので、公教育における宗教教育も、この影響を大きく受ける。なお、近年は価値の多元化に対応して、「公衆道徳」「市民としての自覚」を促す市民教育の必要性が主張されるようになった。(松浦真理「価値多様化時代における公教育の行方―オランダにおける『教育の自由』を参考に」)
 発展途上国における事例もなかなか興味深いが、以上の二、三の事例をみるだけても、国ごとにかなり激しい論争があったことが分かる。制度的にもしばしば揺れ動いている。その背景には、それぞれの国において、宗教が歴史的に占めてきた位置や社会的な影響の大きさということがかかわっている。それと同時に世界的な規模で生じている宗教を取り巻く変動とも関わりをもっている。
とくに、1970年代以降に議論された世俗化論に逆行するような事態の進行、宗教的原理主義(ファンダメンタリズム)の隆盛、ハンチントンのいう「文明の衝突」と理解されるような各地の紛争・葛藤の続発、労働移民の増加に伴う文化接触等々、現代社会が生み出した新しい状況を背景にしたこととも関わりをもっていることが分かる。
宗教教育をめぐる問題は各国の文化的伝統、宗教史の展開、現在の社会状況によってそれぞれ独自の問題を抱えていると同時に、こうした世界的な動向のなかで眺めることによって、共通した課題、相互に比較して検討すべき課題が浮かび上がってくるということである。

5.世界的動向を視野に入れて
そうすると、日本や韓国の宗教教育の今後を議論する場合には、これまでの宗教と教育をめぐる歴史的経緯を踏まえると同時に、こうした世界的な動向との関係についても目を配ることが必要不可欠になってくる。では世界各国の宗教教育の問題に混入しているグローバルなテーマはなんであろうか。これまでのプロジェクトの研究成果、及び関連する研究成果を参考にして、ここでは、次の4点を指摘しておきたい。
1.伝統宗教の影響力の弱化
2.いわゆる「カルト」問題
3.異文化宗教との接触増加に伴う問題
4.新しい情報メディアのもたらす影響
これらは別個に掲げられているが、その基底部分では相互に深く関連していると考えられる。第1に、伝統宗教の影響力の弱化は、とくにヨーロッパ、東アジアにおいて大きな問題である。ヨーロッパの場合、キリスト教は、人々が所属するのが当然として捉えられていた位置から、個人によって選択される宗教へとシフトしてしまった。文化や習俗の基底にキリスト教があるのは変わらないとしても、その教えや倫理観、社会生活における慣行などの面では、当然のものではなくなった。意識して教えないと伝わらないものになったと言えばいいだろう。同様のことは日本の伝統仏教、神社神道にもあてはまり、韓国では儒教にその兆しが生じている。
従来はとくに学校教育の場で、伝統宗教の基本的知識やその国の宗教習俗の意義や継承の仕方について教えなくても、家庭や地域社会、その他を通して自然にその基本的知識や習俗的側面は伝えられていた。そうした伝達ルートがきわめて希薄になってきた現代社会において、学校教育において宗教を扱うことの意味が従来とは異なった課題を担うようになってきたと言える。
 第2に、いわゆる「カルト」問題もヨーロッパや東アジアをはじめ、かなりの国で問題になっている。日本やアメリカでカルトと呼ばれるものは、イギリス、フランス、ドイツなどではセクトと呼ばれることが多いが、いずれも学術的概念ではなく、社会的にトラブルを引き起こすことの多い新興の宗教運動を指している。(6)「カルト」問題が宗教教育に関わるのは、カルトとして警戒される団体に引き入れられるのは若者が多く、宗教の基礎知識が充分得られていないからではないかという議論につながるからである。
実はこの点は充分に検証されたことがらではないし、またカルトという概念自体が学術上はかなり問題の多いものであるから、日本でも一部のジャーナリストによって提唱されているカルト対策の宗教教育(対宗教安全教育)というような議論は安易になされるべきではないだろう。(7)それにこの問題は、現代宗教について教師がどれほどの洞察力を養っているかという点が大きく問われることになる。しかし、伝統宗教の影響力の低下とあわせて考えると、宗教についての判断能力という面で、やはり留意すべき点となる。
 第3の異文化宗教との接触増大は世界の多くの地域で起こっている。「キリスト教ヨーロッパ」においては、イスラム教徒の増加がもっとも大きな問題となっているが、アジア宗教全般との接触が増大している。とくにイギリスではインド系住民の増加にともない、ヒンドゥー教徒その他、インド宗教も増えている。
 アメリカはもともと多民族社会であるから、そうした問題はことさら取り上げるべきではないようにも思われるが、しかし、アメリカは1924年の移民法案により、アジア移民には厳しい制限を課しており、それが事実上撤回されるのは、ベトナム戦争の頃である。したがって、アジア宗教との新しい形での出会いが1960年代以降さかんとなった。アメリカの新宗教の一部にアジア宗教の要素が色濃く反映するようになるのである。(8)
 異文化宗教の問題は地域によってはカルト問題と重なるときもある。ヨーロッパやアメリカでは、アジア宗教一般が異文化宗教問題というよりカルト問題ないしNRM(New Religious Movement)問題として捉えられることもある。
移民による宗教移動は古くからある問題であるが、今日では国際的な労働力の移動の急増によって、人の動きに伴う宗教問題はより複雑に、そして変化の激しいものとなっている。
第4に新しい情報メディアの影響があげられる。マスメディアから流される宗教情報が、教師が教室で教える宗教についての情報よりも、いくつかの点で大きな影響を与えていることは、本プロジェクトで実施した意識調査の結果によっても示唆されている。とくにオカルト、神秘現象、超常現象といった事柄についての知識や、関心はもっぱらマスメディア情報によって喚起されたり、増幅されたりする。
さらにインターネットの普及によって、教師以上にさまざまな情報にアクセスできる生徒が増えた。当然宗教に関する知識も、場合によって教師よりも的確に必要なものを探し当てることができる。ここにいたって、情報収集能力は逆転しつつあるといってもいい。この点を宗教教育においても考慮することが必要になる。
これらのことが示しているのは、現代世界において宗教は非常に多くの地域で、さまざまな形で接触し、その影響や展開は今までになく速度を早め、かつ多様になっているということである。そして言うまでもなく、生徒自身がまさにその渦中にある。場合によっては、こうした変化を推進する当事者にさえなりうる時代になってきている。(9)
そうした状況であるとするなら、宗教にかかわる教育が従来と同じような発想で行われていては、まったくの時代遅れであることは明らかである。戦前的状況を念頭においての議論などはほとんど意味をもたない。
日韓の宗教教育について論じる場合にも、これまでのプロジェクトにおける調査結果を踏まえつつ、グローバルな観点を導入して、議論を行う必要がある。日本と韓国は宗教教育に関して、それぞれ固有の課題を有しながらも、かなりの部分で課題は共有されている。何が共通する課題か、どこが固有かを比較することは、宗教教育の問題を掘り下げていく上で、有益な視点を提供するだろう。そしてその共通する課題は、多くの部分でグローバルな課題とつながっていると考えられるのである。
宗教系の学校における宗教教育の現状については、調査の結果、日本も韓国も同じような問題を抱えているということが分かった。宗教系学校の置かれた条件はほぼ同じで、公立の学校が宗派教育の類が禁じられているのに対し、宗教立学校はかなり自由な宗教教育を行うことができる。しかしながら、形式的には日本の方が自由度が高いといえる。というのは韓国は教科書作成にあたっての制約などがある。それは韓国の受験システムと直接的に絡んでいる。韓国では1974年にいわゆる教育平準法というものが制定されて以来、中学・高校が自分の希望ではなく、抽選で決まるようになった。抽選の結果、たとえば仏教を信じる家の子どもであってもキリスト教の学校に行かなくてはいけないといったケースがしばしば出てくる。合同結婚や霊感商法問題で、日本で一時期社会的批判を浴びた統一教会系の学校もあり、この学校もこのシステムの中に置かれている。
このように宗教系の学校も公立学校と同じように入学時の配置先として並べられるということが、逆に宗教系の学校にいろんな制約をもたらすことになった。入学する側からすると、どの学校にいくかわからないわけであるから、仮に自分の信仰とは関わりのない宗教、あるいは信仰をもたない生徒が宗教系の学校に行くようになった場合、一方的に宗教教育をされることへの警戒感が生まれる。韓国の宗教教育を考える場合に最も厄介な問題の一つはこの点にある。政府と宗教関係者との葛藤が、日本にはない形で展開する。つまり、教科書の内容とか授業方法とか、それらに関して政府はなるたけ宗教色を抜きたい。しかし、宗教側はもっと宗教色の強いものをやりたいという対立が、日本では生じないような形で生まれる。
とはいえ、このシステムが維持されているということは、日本に比べて韓国社会では宗教への信頼度が高いということを推測させる。日本であると、憲法上の問題を抜きにしても、こうしたシステムの導入を社会が支持するとは考えられないからである。
現代世界の動向への対応という点では、日韓とも、教師の側の意識に大きな問題がある。宗教立の学校の場合、日本では他宗教に対する言及と現代宗教に対する言及の乏しさが顕著である。現代宗教についてのカリキュラムが充分でない。この点は、歴史教育で古代や中世などは詳しく教えるが、近現代になるとそれほどでなくなるという今日の学校教育一般の傾向にある程度呼応している。キリスト教系の学校であればイエスの教え、仏教系の学校であればブッダの教えと宗祖の教え、たとえば親鸞、法然、道元、日蓮といった人々の教えについてかなり詳しく触れる。聖書や仏典、その他の歴史的文書にも若干触れる。しかし、現代宗教についてはあまり触れない。
 韓国ではこの点は少し工夫が見られる。教科書が検定制度であるため、他宗教への言及や現代社会との関わりについて触れることが義務付けられているからである。ただ、実際の授業でそうしたことにどれほど言及するかは別問題で、もっぱら自宗派の教えの解説に終始している例も少なくないようだ。
さらに、日本の場合、公立学校において教師が宗教について知識が乏しくなっている。これは宗教問題には触れないようにしてきた戦後教育の姿勢の必然的結果と考えられるが、教師が宗教問題を扱う視点を失っている。この点は、今後もいっそう進展すると思われる文化のグローバル化状況において、教育上も好ましくないことと考えられる。

6.宗教文化教育という発想―むすびに代えて
 公立学校と宗教系の学校との共通する課題、また21世紀の世界の状況を想定した課題として、日韓における宗教教育を考えるとき、「宗教文化教育」という考え方が浮上してきた。
 韓国においては、これは平準化という条件のなかで、宗教をどう扱うかという中に提起された一つの解決策である。平準化政策のなかで宗教立の学校における宗教教育を一般の生徒が受けるとすれば、その宗教教育は宗教文化教育的なものがふさわしいという議論である。
日本においては、異文化教育の一環としての宗教教育という発想をより広げたところに出てきたものである。教育基本法の第9条2項では公立学校における宗教教育は行えないことになっている。そしてこの場合の宗教教育とは宗派教育であるという了解がある。しかし、第1項では、宗教の社会生活上の重要性に配慮すべしという内容になっている。しかし、今日のような状況では、伝統的宗教や宗教習俗についての知識を与える場合、異文化の宗教との比較において教育することが、より効果的であり、生徒の関心も高まると考えられる。そしてこれをより一般化すると、宗教文化教育につながる。
そうすると、この日韓で提起されつつある問題意識をより一般化した上での宗教文化教育という考え方の洗練が求められる。ここでいう「宗教文化教育」とは、文化としての宗教についての理解を深める教育というふうに言い換えることができる。文化としての宗教とは、日本及び近隣諸国、そして世界の主な宗教の習俗、伝統的宗教についての基礎知識、日本人の宗教に対処する態度の特徴、世界の諸宗教の現状についての理解を深めることを目指すものである。宗教情操というような曖昧とした概念ではなく、個別の宗教について、その文化的側面についての理解を深めるということである。知識と言ってもいいが、宗教知識教育という場合にはすでに固定した解釈がある。また、文化の理解には知識だけでなく、共感とか理解しようとする態度とか、判断力といったものが求められる。そうした幅広い意味をこめて宗教文化教育という新しい用語を提起するのである。
 そしてこの宗教文化教育を実施するには、それなりの新しい仕組みが必要になる。もっとも重要なことは教師個々人の努力だけでは太刀打ちできない現状があるということの認識である。宗教について公立の学校でいささかでも扱おうとするとき、もっとも問題になるのは、教師の訓練の欠如であり、教材ソフトの欠如である。そのための対応策が欠如したままの宗教教育議論は、ほとんど意味をなさないと断言できよう。
 たとえば、世界の諸宗教に関する宗教文化教育をいささかでも行うには、現代世界での生きた宗教のあり方を知るための映像なり、資料・データなりがシステマチックに収集されており、それが多くの教師にとって利用可能な状態になっている必要がある。現在の日本の宗教学、人類学・民族学、民俗学、社会学、地理学、博物館学、国際関係学等々の蓄積、さらにマスメディア所蔵の映像ライブラリー、多国籍企業におけるデータの蓄積を配慮すれば、こうしたことはさほど困難とは思われない。国家的プロジェクト、ないし地方公共団体のプロジェクトとして行えば、比較的短期間である程度のソフトの作成は可能なのである。
 なお、公立学校における宗教文化教育と宗教系学校における宗教文化教育は、まったく同一でいいということにはならない。それぞれ特色が出てもいいが、双方からのプログラム提起を可能にするシステムが考えられよう。つまり、公立学校を中心に宗教文化教育のソフト作りを行い、それが受け入れられるかどうか、個々の宗教立の学校が判断するルートと、宗教立の学校が共同で開発したソフトが公立の学校でも使いうるようなものになっているかどうかを判断するルートの両方向が保証されていることが好ましい。
 日本や韓国は、複数の宗教的伝統の混在し、かつ宗教的価値と世俗的価値とがそれほど厳密に区別できない社会となった。宗教教育に関する問題は、もはや抽象的議論、建前的議論をいくら重ねてもほとんど進展がないことは明らかになってきた。現代世界の特性を充分認識した上で、具体的なプランとそのために必要なツールを集めることである。そうしたことは個々の学校、また教師の努力では明らかに限界がある。国なり地方共同体なり、あるいは複数の宗教系学校の共同なりによって、推進されることが強く求められている。
 

(1)この点についてのより詳しい議論は、井上順孝「教育は『宗教』をどう扱うのか」(国際宗教研究所編『教育のなかの宗教』新書館、所収)、1998年、及び同「中等教育・高等教育における宗教の扱い―教師ができること・できないこと」(『基督教研究』63-2、同志社大学神学部基督教研究会、所収)、2002年、を参照のこと。
(2)この結果については、平成5年3月15日国学院大学日本文化研究所編『宗教教育資料集』鈴木出版、1993年、同『宗教と教育』弘文堂、1997年、を参照。
(3)この調査の結果はそれぞれ次の7冊の報告書にまとめられている。
『「宗教と社会」学会・宗教意識調査プロジェクト第1回アンケート調査報告』、1995年
『「宗教と社会」学会・宗教意識調査プロジェクト第2回アンケート調査報告』、1996年
『「宗教と社会」学会・宗教意識調査プロジェクト第3回アンケート調査報告』、1997年
『「宗教と社会」学会・宗教意識調査プロジェクト第4回アンケート調査報告』、1998年
『日韓学生宗教意識調査報告』(「宗教と社会」学会・宗教意識調査プロジェクト第5回アンケート結果/第1回韓国学生アンケート結果)1999年。
『日韓学生宗教意識調査報告』(「宗教と社会」学会・宗教意識調査プロジェクト第6回アンケート結果/第1回韓国学生アンケート結果)2000年。
『「宗教と社会」学会・宗教意識調査プロジェクト第7回アンケート調査報告』、2001年
また、この調査に関連してすでに発表された著書・論文として、次のものがある。
井上順孝「学生における宗教および超常現象・神秘現象への関心」『国学院大学日本文化研究所紀要』78、所収)、1996年。
井上順孝・磯岡哲也・葛西賢太・川又俊則・熊田一雄・佐々木裕子・永井美紀子・松本由紀子・弓山達也「学生の宗教意識―一九九五〜七年のアンケート調査の分析」(『国学院大学日本文化研究所紀要』82、所収)、1998年。
磯岡哲也「大学生の宗教意識―1995〜98年調査結果より」(『白山社会学研究』第7号、所収)、1999年。
井上順孝編『現代日本における宗教教育の実証的研究』國學院大學、2000年。
井上順孝「警戒される『宗教』と維持される『宗教性』―七年にわたる学生への宗教意識調査アンケート調査から」(国際宗教研究所編『現代宗教2002』東京堂出版、所収)、2002年。
(4)これは平準化と呼ばれる制度によって生じた仕組みである。これについては本書所収の「国際シンポジウム『宗教教育の歴史と現状』の報告」の韓国側の発表者の紹介を参照のこと。
(5)ライシテのもつ意味については、大石眞『憲法と宗教制度』有斐閣、1996年、を参照。またその考えに起源については、手戸聖伸「フランス第三共和制におけるライックな道徳と宗教についての試論」(『宗教研究』332、所収)、2002年、を参照のこと。
(6)カルト問題(もしくはセクト問題)の背景を手際よく整理したものとして、中野毅『宗教の復権』東京堂出版、2002年を参照。
(7)対宗教安全教育については、菅原伸郎『宗教をどう教えるか』朝日新聞社、1999年、を参照。菅原は宗教教育について、宗派教育、宗教知識教育、宗教的情操教育、対宗教安全教育、宗教的寛容教育の五種類を提起した。これはジャーナリストとして国内外の宗教教育の実情を取材した上での提起である。
(8)この点については、J. Gordon Melton, "Anti-cultists in the United States: An historical perspective," Bryan Wilson and Jamie Cresswell (ed.), New Religious Movements: Challenge and response, Routeledge, 1999.を参照。
(9)たとえば、インターネット上の「2ちゃんねる」という巨大掲示板には「心と宗教」というコーナーがあり、ここではさまざまな宗教情報が交わされる。ネット世界であるから、中学生や高校生もそこに容易にアクセスでき、また考えを表明できる。全体としては、現段階では社会的影響はほとんどないと言っていいが、こうしたルートでやりとりされる情報の影響は、宗教教育を考える上でもやがて無視できないものへと転換していく可能性が高い。

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国際シンポジウム
「宗教教育の歴史と現状」の報告


井上順孝

T.はじめに
 2001年2月26日より3月1日まで、韓国釜山市の東西大学校において、日韓宗教教育国際シンポジウムが開かれた。テーマは「宗教教育の歴史と現状―日韓の比較を中心に」で、日韓の宗教教育の比較研究を進めている両国の研究者が集まって開催されたものである。このシンポジウムは、日韓の宗教教育について共同研究を進めていた研究者が中心となって開催したものである。本研究に調査結果の一部であると同時に、10年にわたる宗教教育の調査研究の成果を踏まえて行われたものである。以下にそのシンポジウムの概要を述べる。
まず、発表者、コメンテータは以下のとおりであった。(日本語表記の五十音順・敬称略。なお所属は当時のもの)

基調発表者
井上順孝(国学院大学)
金鍾瑞(ソウル大学)
個別テーマ発表者
(日本側)
磯岡哲也(淑徳大学)
市川誠(立教大学)
岩井洋(関西国際大学)
佐々木裕子(白百合女子大学)
田島忠篤(天使大学)
永井美紀子(国学院大学)
(韓国側)
康煕天(延世大学校)
金貴聲(円光大学校)
申光徹(韓神大学校)
コメンテータ
(日本側)
川瀬貴也(東京大学)
黒崎浩行(国学院大学)
(韓国側)
孫于正(釜山女子大学校)
朴承吉(大邱カトリック大学校)
司会
  金大植(東西大学校)
趙誠倫(済州大学校)
李元範(東西大学校) 

基調発表・個別テーマ発表のタイトルはそれぞれ次のとおりである。
基調発表
井上順孝「日本における宗教教育の歴史と現状」
金鍾瑞「韓国における宗教教育の歴史と現状」
個別テーマ発表
磯岡哲也・佐々木裕子「キリスト教系学校の概要」
岩井洋・田島忠篤「日本の宗教系学校における宗教教育の現状」
市川誠・永井美紀子「学生に対する宗教意識結果の分析」
康煕天「韓国キリスト教学校の教育の現況と課題」
申光K「韓国における高等学校<宗教>科目の教科課程の現況と展望」
金貴聲「円仏教の宗教教育の課題と展望」

 基調発表・個別発表のそれぞれについて質疑応答がなされ、その後総括討論がなされた。以下、基調発表、個別発表の概要を紹介し、総括討論でどのようなことが主たる話題になったかについても短く紹介する。

U.基調発表
 まず日韓双方から基調発表を行った。日本側からは筆者が「日本における宗教教育の歴史と現状」と題して発表した。その発表の概要は以下のとおりである。
<発表の概要>
(1)近代日本における宗教教育の歴史
近代日本における宗教教育の歴史は次の4つの時期に分けて考えるのが適切である。
@第1期:明治前期(1868〜1890年頃)
A第2期:明治中期〜昭和初期(1890頃〜1930年頃)
B第3期:昭和前期(1930年頃〜1945年まで)
C第4期:戦後期(1945年〜)

1.第1期
 第1期は、宗教教育をめぐる行政がめまぐるしく変わった時期である。明治維新直後は、宗教的教化と学校教育とがいくぶん未分化な面があった。政府は1869年に宣教使、次いで72年には教導職の制度を置いた。この2つの制度の目的は、国民の啓蒙、天皇制と結び付いた皇国思想の普及、キリスト教の広まりに対する防衛策などであった。教導職制度のもとで、東京に大教院、各府県に中教院が設置された。各寺院や神社は、小教院としての機能を期待されたのである。しかし、この制度はうまく作動しなかった。1872年に設立された大教院は、浄土真宗の反対で、早くも1875年には解散することになった。中教院や小教院での活動もたいした成果をあげることはできなかった。そして、教育制度の整備とともに、宗教と教育とは急速に分離していく。
1879年の教育令では、学校が、小学校、中学校、大学校、師範学校、専門学校、各種学校に区分された。師範学校は教員養成が目的で、専門学校は一つの専門的学術を授業するところとされていたから、宗教的な理念に基づくものは、その他の各種学校ということになった。したがって、宗教主義の学校は私塾的な存在ということになった。一般の学校においては、宗教教育に関わらないという基本方針が出されたが、これはキリスト教の進出を意識してのことであったとされる。
キリスト教の宣教師は学校を創立したり、既設の学校に招かれたりして、教育に関わり、そこで伝道も行おうとした。こうした動きに仏教側も対応して、従来の僧侶後継者の養成だけでなく、一般の子弟の教育をも始めた。男子教育が中心であったのが、しだいに女子教育をも手がけるようになった。
教育制度が整うと、国民教化を目的としていた教導職制度はその意味を失い、1884年に廃止となった。しかし、教導職制度の目的の一つであった、天皇崇拝や皇国思想の国民への浸透ということは、別の形で強められていくことになる。1879年に明治天皇から政府要人に内示された「教学聖旨」(教学大旨)は、儒教主義の復活を目指し、仁義忠孝の精神の必要性を強調している。以後の教育政策には、「教学聖旨」の主張が大きく影響した。つまり、天皇制や皇国思想の浸透は、明治中期以降の教育制度において、大きな意味をもっていたのである。また、神社非宗教論、すなわち、「神社は宗教に非ず」という主張が台頭してくる。教育の中に神道的な理念を導入する傾向が次第に強くなってきた。

2.第2期
 1899年8月に出された文部省訓令第12号は、一般の教育を宗教と関係なくすることを命じていた。官立公立学校、及び学校令に準拠する高等学校以下のすべての学校学科課程に関しては、課程外であっても、宗教上の教育を施したり、宗教上の儀式を行うことを許さないというものであった。これは、一見、宗教と教育の分離を徹底したように見える。しかし実は、教育勅語を教育の中心理念にすえつつ、他方で、キリスト教主義の学校の進出を抑えることが本当の狙いであった。教育勅語を中心とし神道的要素を含む教育は、宗教教育とは区別され、特別な位置を与えられた。
 訓令第12号と同時に、私立学校に関する規定を示した20条からなる私立学校令が出された。一般の私立学校は、訓令第12号の適用を受けるので、教団立の学校であっても宗教教育は行えないが、私立学校令の適用のみを受ける各種学校であれば、同令には宗教教育を禁止する規定が設けられなかったので、宗教教育が可能であった。
 天皇制を中心とする道徳観の確立は、1880年代後半から意図されていた。そして1890年に出された「教育ニ関スル勅語」すなわち教育勅語は、教育の場における天皇制の影響を強める上で決定的な意味をもった。教育勅語の内容は、基本的には儒教的倫理に基づいており、君主、夫婦、兄弟などのモラルを説いたものであった。しかし、実際にこれを活用する場面で、勅語であるから絶対に守るべきものであるという形になり、教育勅語の内容よりも、それ自体を神聖化するという傾向が生まれた。
 教育の場への天皇制イデオロギーの持ち込みは、御真影の下賜という形でもあらわれた。御真影、すなわち天皇皇后の写真を学校で掲げ、それに拝礼するということは、1880年代から90年代にかけて盛んになり、1910頃にはほとんど百%近くとなった。また修身の教科書が1900年にでき、1902年には国定化された。

3.第3期
1920代後半から、教育に対する介入が強まった。学校教育が知識面に偏っていて情操面が欠けているとの意見が強くなり、宗教的情操教育の必要性が叫ばれるようになった。1932年には、文部省が先の訓令12号の解釈に関する通牒を出し、宗教教育の禁止は、宗教的情操教育を妨げるものでないという見解を示した。さらに、35年には「宗教的情操の涵養に関する留意事項」という文部省次官通牒が出され、教育勅語を徹底することや、滅私奉公の精神を推し進めることなどが主張された。また、教義や儀礼については教育してはならないが、宗教的情操の涵養まで禁止したものではないことが、あらためて強調された。

4.第4期
戦後はこうした状況が一変し、自由な宗教教育の時代の幕開けとなる。公教育における狭義の宗教教育の排除と、私立学校における宗教教育の自由とが、戦後の変化の基本点である。終戦直後の1945年10月に、私立学校における宗教教育に関して、文部省訓令第8号が出された。1899年の文部省訓令第12号が改正され、課程外ならば、宗教上の教育や宗教上の儀式を行なうことができるとされた。ただし、それには次の3つの条件がついていた。
@生徒の信教の自由を妨害しないような方法によること
A特定の宗派教派等の教育を施したり儀式を行なう旨を学則に明示すること
B実施にあたって、生徒の心身に著しい負担をかけないよう留意すること
 1949年、文部事務次官より、初等及び中等教育における宗教の取り扱いについての通達が出された。そこでは、国公立の学校にあっては、礼拝や宗教的儀式、祭典に参加する目的で宗教施設の訪問を主催してはならないこと。もし、研究や文化上の目的で訪問する場合には、これを児童・生徒に強要してはならないこと。また、宗教に関する教材については、研究・教育上、必要があるならば、宗教的教材を利用してもよいが、特定の宗教を評価したり、逆に否認したりする結果にならないようにという原則が示された。ただし、児童・生徒が授業時間以外に、自発的に宗教団体を組織することは自由であるとされている。また、以上のことは、私立学校には適用されず、宗教教育の自由が保証された。この基本方針は、大筋において、今日に至るまで踏襲されている。

(2)宗教教団と宗教教育との関わり、及び意識調査の結果
 次に宗教教団が現在宗教教育にどのように関わっているかの概略を示した。全般的な特徴としては、キリスト教系の学校が極めて多いということが挙げられる。宗教系の学校のうち、おおよそ3分の2を占める。次いで仏教系が多い。これに対し神道系は新宗教系よりも少ない。
戦前の宗教立の学校は、教育に宗教的理念を生かそうとする傾向はかなり強かった。しかし、戦後は、そうした創立時の宗教的情熱は一般に薄れる傾向にあり、また戦後新しく設立された学校においては、当初から宗教的な目的は弱いという傾向がある。中学や高校においては、年に2、3回ないし数回の宗教儀礼への参加の他、週に1時間程度の宗教の授業において、それぞれの宗派・宗教の簡単な紹介があるというのが一般的である。
 他方、「宗教と社会」学会・宗教意識調査プロジェクトと国学院大学日本文化研究所の宗教教育プロジェクトによって行われた1995年〜2000年の調査結果の一部を紹介し、学生の宗教に対する意識の動向について紹介した。それは次のようにまとめられる。
@「家の宗教」として仏教がもっとも多かった。他方、神道、新宗教、キリスト教が家の宗教と考えている学生はきわめて少なく、すべて合わせても10%に満たない。家の宗教というのは、先祖祭祀と深く関わっているということを、多くの学生が感じていると考えられる。
A宗教的習俗に関しては、初詣も墓参りも約半数の学生が行っていることが分かった。また、神棚・仏壇が家にある割合は、神棚は44〜46%台を推移しており、仏壇は47〜49%台での推移である。
B宗教が関係する社会的出来事への意見では、学生は一般的に、宗教、とくに宗教団体にあまりいいイメージをもっていないことが分かる。宗教団体への印象が悪くなった一因は、1995年のオウム真理教による地下鉄サリン事件である。宗教に対するイメージはあまりよくないが、オカルト、占い、神秘現象などへの関心はかなり高い。おおよそ半数がそうしたものに関心を示す。また、死や死後の世界についての関心も高い。死後の世界を信じる者は半数を超える。各種の占いも人気があり、とくに女性は強い関心を示す。星占いや手相などになると、6割以上が「かなり当たる」とか「当たることもある」と答えている。

(3)今後の課題
最後に今後の課題について言及した。宗教について触れる場合、教師の側に現代社会に対する感覚が乏しいと、マスメディアを通じて国内外のさまざまなニュースを見慣れた日本の若者にとって、教室で与えられる情報は陳腐に感じられることになろう。宗派教育の場合でも、また宗教情操教育の場合でも、高度情報化時代は、宗教にかかわる教育を行う上で、教師の側にきわめて困難な課題をつきつけている。
 他方、公立の学校においては、宗教に関わる事柄を授業で取り上げること自体に、教師の強いためらいがみられる。それはどこまで扱っていいのかという境界線の問題もあるが、むしろ多くの教師がもはや宗教についての的確な基礎知識を持ち合わせていないという、より厄介な問題があるからである。これは個々の教師の努力を超える問題であり、この問題に抜本的に取り組むには、新しいメディアの利用や、学校を超えた教師間のネットワークの形成といったことも必要とされるであろう。
 公立学校における宗教情操教育ということについては、おそらく発想を変える必要がある。特定の宗教に偏らない宗教的情操が可能かどうか、といったことをいつまでも議論してもあまり意味はない。宗教は人間性に関わるという抽象的な立場も具体的な方法を導き出せない。むしろ異文化教育の一環として宗教教育を位置付け、各宗教と文化、習俗などの生きた関係を学び、それによって自分の文化や宗教的伝統を見直すということを目標とし、そのプロセスで具体的な方法を考えるのが現実的である。個々の宗教の正しさを議論することは、少なくとも公立の学校の教室においてはできない。とすれば、こうした取り組みをしながら、各人が宗教に接する態度を養う、ということを目指すべきではなかろうか。

次に韓国側を代表して、金鍾瑞氏が「韓国における宗教教育の歴史と現状」と題して講演を行った。その発表の概要は以下のとおりである。
<発表の概要>
韓国の伝統社会の教育は、ほとんど仏教と儒教を基盤としており、世俗的教育と宗教的教育の区別がない。近代教育は19世紀末にキリスト教がはいってきてからである。すなわち、1894年の甲午更張(=政治制度の近代化改革)以来、「洪範14条」(文末の注記参照)で近代教育の受容が公式に発表され、翌年小学校ができた。
 これによって、郷校と書院を中心とした伝統的な儒教教育は大きく変わり、一部の郷校のみがその機能の一部を担当するようになった。また、講院と禅院を中心としていた伝統的な仏教教育も、講院が禅家大学や教養仏教大学などに一部形式的に変化した。
 韓国の宗教教育は大きく公教育と宗教団体自体の教育という2つの領域に分けられるとし、それぞれについて、概略が説明された。

(1)一般学校の宗教教育の問題点
日本からの独立後、憲法は改定されたが、宗教に関連した条項はそのままであった。憲法20条では、「すべての国民は宗教の自由を持つ。国教は認められないとともに同時に宗教と政治は分離される。」とある。また教育基本法6条では「国家及び地方自治体が設立した学校では特定の宗教のための宗教教育を行ってはならない」とある。
これによって、国公立、非宗教立の私立学校まで、宗教教育を禁止すると誤解されてきた。「特定宗教のための宗教教育」とは、布教などの宗教活動としての教育を意味している。しかしながら、学問、人間教育の次元で教えるのはかまわないと理解されてきた。
 1980年代に、高校と大学校の国民倫理教科書の宗教関係の記述についての論争が起こった。近代教育がキリスト教的な背景が前提とされてきたことに対し、仏教界がこれを強く批判しはじめたからである。論点は大きく2つあり、1つは、キリスト教に比べ、仏教の内容が相対的に少ないということであり、もう1つは、キリスト教を伝統思想に入れるべきかどうか、ということである。
 一方、キリスト教側からは、檀君神話など、歴史的でないもの、あまりに国粋主義的なものへの批判がだされた。一部の根本主義的キリスト教側からは、民主主義の思想などに代えるべきとの改正案が出されたが、これには民族宗教団体が反対した。そして、一部の民族宗教団体は、小学校に檀君像を建立する運動を広げたので、キリスト教界の強い反発が生じた。

(2)宗教立学校の問題点
宗教立学校は約400校であり、これは全体の約10%を占めるとされる。そのうち、仏教系の中高は、20余、キリスト教系の中高は250余にのぼる。宗教系の学校においては、1970年代までは、宗教行事や宗教関連科目を週に1時間以上、生徒たちに義務的にやらせてきた。キリスト教系であれば「聖書」、仏教系であれば「仏教」という科目を教えてきた。
1980年代から「宗教」の科目を正規教育科目に編入しようという動きが起こり、1989年に実現した。1992年の第6次高校の教育課程のなかに含まれ、1996年から、すべての高校で、「宗教」が正式な教養選択科目として採択できるようになった。すなわち、その他の教養科目である哲学、倫理学、心理学、教育学、生活経済、進路と職業などの1つに加えられた。ただし、教養科目に「宗教」を入れる場合、それ以外の科目も含めて、生徒が選択できるようにとされている。
 つまり、新しい科目ができたことになる。既存の「宗教」科目を教えていた教師で資格がなかった人たちに一年間の「臨時集中研修」コースを設け、3次にわたって、約300人余りの宗教教師に教師としての資格を与えた。しかし、それまでのやり方を無視できないので、伝統的教育と新しい考え方の二つを考慮して次のような領域が設定された。
1.人間と宗教
2.世界の文化と宗教
3.韓国の文化と宗教
4.宗教経験の理解
5.現代社会と宗教
6.特定の宗教の教理と歴史
最後の6章で、それぞれの教団において宗教教育ができることとなったが、これは折衷的手段である。また、第7次教育課程では、領域が次のように改正された。
1.人間と宗教
2.宗教の経験の理解
3.異なる宗教的な伝統
4.世界の宗教と文化
5.人間と自然に対する宗教的な理解
6.韓国の宗教と文化
7.宗教共同体
8.特定の宗教の伝統と思想
 この構成で分かるように、公教育的な宗教教育と宗派的教育の二重の面があらわれている。では実際の運用はどうかというと、非宗教系で「宗教」を教養科目にしているところはない。その理由は面倒であるということと、独自の教科書を作れないことによる。逆に宗教系で「宗教」を教養科目にしていないところはない。また他の科目はほとんど設けられていない。
 現在は生徒が中高のどの学校に行くかはコンピュータによって決められる。本人の意志と関わりなく、宗教系の学校に行くことになる場合もある。それゆえ一般の高校でも使えるような非宗派的な「宗教」の教科書が必要とされる。

(3)宗教教育の今後の展望
現在の状況を見ると、講院、禅院、郷校、書院、神学校などにおける宗教の専門家のための宗教教育よりも、教養仏教大学、伝統の礼儀講座、聖書大学などにおける一般信徒を対象としたものが活発になっている。また1980年以降は、マスメディア、とくにラジオとテレビの役割が重要になっている。
 一般の大学で、宗教学が人文学の一部として成長しており、1970年代まではソウル大学だけに宗教学科があったが、その後、相当の大学に宗教学関連の学科ができた。
 あまりに厳しい政教分離の原則は宗教が多元化した社会では逆に霊的な福祉への無関心をもたらす可能性があり、宗教も国民的な資産として理解すべきである。

V.テーマごとの発表
個別テーマについては、日本側と韓国側が交互に発表したが、ここでは日本側の発表、韓国側の発表の順にその要旨を紹介する。

1.日本側の発表
 基調発表についで、各テーマごとの発表が行われ、討議がなされた。まず日本側の発表について紹介する。磯岡哲也氏と佐々木裕子氏は、「キリスト教系学校の概要」と題して、日本におけるキリスト教学校の概要を紹介した。磯岡氏はプロテスタントについて、また佐々木氏はカトリックについて説明した。
 まず、磯岡氏の論点を要約する。
<発表の概要>
プロテスタント系学校は、日本の宗教学校のなかで大きな位置を占めているが、すでに明治初期の1870年代からその基盤を築いている。とくに明治前半期におけるプロテスタント系学校の特徴を概観した上で、その後の変化の一側面を指摘する。
 プロテスタント各派は、1870年代教育事業にかかわる。明治前半期から教育事業に着手したのは、聖公会、長老教会・改革派教会系、アメリカン・ボード系、メソジスト系、バプテスト系、基督教会系、キリスト友会系などである。
 これらのミッション・スクールの特徴として、次の点が挙げられている。
@多くは伝道または伝道者養成を目的として設立された。
A一部の学校を除き、外国人宣教師による私塾の形態から開始され、その後も海外ミッションによって経営されたものが多い。
B多くは1880年代後半から90年代に設立された。その後は、増加に陰りが見られた。
C校数、生徒数とも女子校の方が多い
D東京、横浜、函館、神戸、長崎、大阪など大都市を中心に、地方都市にも設立された。
E聖書、英語、伝道活動、奉仕活動、礼拝などが熱心に行われた。
 しかし、明治後半からキリスト教にとって宗教教育の条件は悪化する。1899年に、すべての学校における宗教教育・宗教儀式の禁止を規定する文部省訓令12号が出され、多くのプロテスタント系中学校や女学校は宗教教育を継続するために各種学校に転じ、義務教育の小学校は廃校せざるを得なかった。天皇制イデオロギーの強まり、日露戦争などを契機とするナショナリズムの強まりとともに、状況は悪化した。
ただこうした中でも、宣教の効果はかなりあったとされる。『日本のキリスト教教育について』(1932)によれば、卒業者のなかで信徒になった者の割合の平均は、1926年48%、27年52%、28年51%、29年47%、30年49%であった。現在と比べると、かなりの教育効果があったといえる。
第二次大戦後の1945年から1952年頃までは、プロテスタント教会は躍進し、プロテスタント系学校も復興された。しかし、60年代以降、プロテスタント系学校は新たな局面を迎えた。多くが規模を拡大し、進学校・有名校化した。経営面ではプラスとなったが、宗教教育面では、いわゆる世俗化が進行し、マイナスの効果を及ぼした。その結果、非幹部教員や生徒の信徒率の低下をもたらした。
なお、1910年に発足したプロテスタント系学校の団体であるキリスト教学校教育同盟は、現在加盟100学校法人を数える。300以上の学校を数え(うち大学院が31)、30万人以上の学生・生徒、1万人以上の教員を擁している。

次に佐々木裕子氏の発表の概要は、以下のとおりである。
<発表の概要>
日本におけるカトリック系学校が、1999年時点で、小学校54校(在籍数23,386名)、中学校98校(34,538名)、高等学校113校(64,123名)、高等専門学校1校(1,366名)、短期大学6校(11,891名)、大学17校(35,655名)であることを紹介し、日本のカトリック信徒数が日本の全人口の約0.35%、434,286名であるのに対し、教育に占める割合の高さを指摘した。その上で、修道会を中心とする日本でのカトリックの教育事業の特徴に触れた。
 まず、日本におけるカトリックの教育事業が、開国後の明治期から大正初期と、第二次世界大戦後の時期の、大きく2つの時期に分けられている。さらに明治期の教育事業を、次の3つに分けている。
@パリ外国宣教会によって招聘された女子修道会によるもの
A男子教育修道会によるもの
Bフランス系以外の修道会によるもの
 最初のパリ外国宣教会関係の女子修道会による教育事業は1870年代から始められるが、当初は孤児や生活困窮者の子どもたちの養育といった福祉事業から始められ、そこで成長した子どもたちに対して教育を提供するというところから教育事業に展開した。一方、外国人修道女たちは、居留地に住む外国人子女や比較的裕福な日本人の家庭の子供たちの教育を頼まれるという形で教育事業にかかわった。つまり2つのタイプがあったことになる。
2番目の男子教育修道会による教育事業は、1880年代に始まり、主に男子の中等教育を手がけた。また3番目のフランス系以外の修道会による教育事業は、1900年代に始まり、ドミニコ会、フランシスコ会などが手がけた。
 明治期には、カトリックの教育事業は大きくは展開しなかったが、明治末期から大正にかけて、ドイツからイエズス会、オーストラリアから聖心会が来日し、高等教育機関設立を目的とする。教育事業を開始した。フランスに加えて、ドイツ、スペイン、イタリア、カナダなどからの宣教師が活動を行ったことによって、教育事業にも展開がみられたが、総じてカトリックの教育事業への取り組みは、プロテスタントより遅れていた。
 第二次世界大戦後は、キリスト教の宣教や教育事業に対する制約も解かれ、多くの修道会が教育にかかわるようになる。さらに、第2バチカン公会議(1962〜65)後は、カトリック教育がいくぶん刷新され、ゆるやかながら、教育内容にも変化があらわれた。ただし、日本のように発展途上国ではなく、すでに近代化を独自に果たしている非キリスト教国における教育モデルが確立されておらず、その点が依然問題点として存在する。

続いて、岩井洋氏・田島忠篤氏が「日本の宗教系学校における宗教教育の現状」と題して、宗教教育を熱心に行っている宗教系の学校の事例について紹介した。その概要は以下のとおりである。
<発表の概要>
 最初に岩井洋氏が天理高校と高野山高校の事例について紹介した。
(1)天理高校
天理高校は奈良県天理市にある。1838年に中山みきによって開教された天理教(本部奈良県天理市)が経営母体である。天理教は現在は天理大学(1925創設)、天理高校(1900年創設)、天理中学(1947年創設)、天理小学校(1925年創設)など多くの学校を有している。このうち天理高校について、現在の宗教教育の実情が紹介されたのである。
 この学校は全生徒が天理教の信者の子どもである。第一部(全日制)と第二部(定時制)とに分かれ、第一部はさらに1類から3類に分かれる。1類のなかに「用木コース」と「教養コース」があるが、このうち「用木コース」は天理教の布教者養成コースである。それぞれの教育目標は異なるが、次のような共通点がある。
@毎朝始業前に生徒・教職員全員が本部神殿に参拝する
A週2時間の「宗教」を履修する
B正課の授業と別に全生徒が定期的に「ひのきしん」活動に参加する
C「別席」と「おさづけの理」がある。
 このうち、「宗教」の具体的内容は次のとおりである。
1年生 教義概説、天理教教典、てをどり、ひのきしん
2年生 原典(おふでさき・みかぐらうた・おさしづ)、天理教教典、てをどり、ひのきしん
3年生 教祖伝、ひのきしん
 またBの「ひのきしん」の具体的内容は次のとおりである。
@全教一斉ひのきしんデー(5月第二日曜日)
Aこどもおぢばがえりひのきしん(7月26日〜8月4日)
Bおせちひのきしん(1月5日〜7日)

(2)高野山高校
 次に高野山高校である。これは高野山真言宗を経営母体とする学校で、同宗の総本山がある和歌山県伊都郡高野町にある。高野山高校は1886年に設立された中学校を前身としており、1948年に新制の高校となった。
 高野山高校は普通科と宗教科に分かれている。学科にかかわらず、毎朝朝礼で全生徒が般若心経を唱和する。1年から3年まで「宗教」の授業が必修である。カリキュラム内容は次のとおりである。
1年生 常用経典、宗史
2年生 教義T、梵習字
3年生 教義U、法式、布教、御詠歌、茶花
 1年のときに四国八十八ケ所の巡礼を徒歩で行う。3年のときには、短期求聞持法修行が行われる。

 続いて、田島忠篤氏がカトリック系の長崎精道小学校・中学校と、三川台小学校・中学校の事例について報告した。
<発表の概要>
日本のカトリック系学校の中で、特に注目すべき教育を実施しているのは、通称「オプス・デイ」(正式名称は「プレラトゥーラ・聖十字架とオプス・デイ」)の経営する長崎精道中学校と小学校、三川台中学校・小学校である。
長崎精道中学校・小学校は1977年に設立され、当初は男女共学であったが、1984年に三川台分校として女子部が分離した、1988年に三川台小学校・中学校が新たな学校としてスタートした。他のカトリック学校と大きく異なる点は、男女、中高問わず、登校時下校時に、生徒たちが、学校の入り口付近のエスクリバー氏の写真に礼拝している点である。さらに、重要な年中行事として、クリスマスの他にエスクリバーの帰天ミサをしている。
 小学校、中学校の男子部、女子部を問わず、1学年30名程度と少人数制であり、給食も学級ではなく、食堂で教員と一緒に食べている。特に、男子部・女子部とも、保護者の教育にも力を入れている。
 宗教のカリキュラムは男女で若干異なっている。宗教に関する授業が、男子部小学校では低学年が週2回であるのにたいして、4−5年と中学では、週1回の授業となっている。女子部では、小学校の1年から6年まで、宗教に小学校の1年から6年まで、宗教に関する授業は週2回あり、そのうち1回はミサの時間に当てられている。

以上の事例をふまえて、最後に宗教教育が盛んに行われている要因について、3点指摘された。
@どの学校もそれぞれの学校の母体となる宗教の信者もしくは支持者が多いということ
Aそれぞれ差異化された宗教教育を実践していること
B学校を取り巻く社会的環境
 3番目の意味は、天理高校は、天理市という街全体が宗教施設のような宗教都市内に位置している。高野山高校は、文字通り、世俗から隔離された真言宗の総本山に位置すること。精道中学校は、カトリック殉教の土地という性格がある長崎に位置することを指す。

 最後に市川誠氏と永井美紀子氏が、先に触れた「宗教と社会」学会・宗教意識調査プロジェクトと国学院大学日本文化研究所の宗教教育プロジェクトが合同で行ったアンケート調査の結果を分析した。その概要を示す。
<発表の概要>
 宗教系高校の出身者を神道、仏教、カトリック、プロテスタント、新宗教に分類し、他の質問項目とクロス分析した結果が示された。まず、宗教系の高校への入学に関しては次の点が指摘された。
@信者は自分の信仰する宗教系の高校へ入学する傾向がある。カトリックでその傾向が最も強く、神道では弱い。
Aカトリック系とプロテスタント系の高校には、お互いの信者が入学する傾向がある
B神道系と新宗教系の高校には、それぞれの宗教以外の信者は殆ど入学しない。
C宗教系高校に入学する信者の割合は、宗教系でない高校と大差ないが、内訳ではそれぞれの宗教の信者の割合が大きい。ただし新宗教系高校だけは、入学者の多くがその宗教の信者で占められる。
 本人の宗教と同じ宗教系高校へ入学する割合がもっとも高いが、とくにカトリック系の場合は、29%に達し、逆にもっとも低いのは神道の6.5 %である。また高校入学者のなかでの、その宗教の信者の割合を比べると、新宗教系高校における高さが目立つ。これは創価学会系や天理教系の高校などの傾向を反映したものと考えられる。
 他方、高校卒業者の傾向は、以下の2点がみられた。
@絶対数は少ないが、仏教系とカトリック系、プロテスタント系高校では在校中・卒業後にそれぞれの宗教へ入信する傾向がある。仏教系では男子、カトリック系とプロテスタント系では女子の入信が多い。
A仏教系とカトリック系、プロテスタント系高校の卒業者のなかでは宗教に関心をもつ者が多い。神道系の卒業者では関心のない者が多い。

 次に宗教系大学に関して、回答者を、大学の宗教別によって、神道、仏教、カトリック、プロテスタント、天理教(天理大学のみ)、創価学会(創価大学)に分け、さらに仏教系大学は、仏教学科と、それ以外とに分けた。その結果で注目された点は以下のとおりである。
@学生の間での信者率は創価大がとりわけ高く、95%に達する。仏教系大学の仏教学科では60%にのぼるが、これは僧侶の子弟が多いためと推察される。次が天理大学で約30%。他の宗教系大学でも、非宗教系大学の5〜6%よりは高く数値となっている。
A入信時期は「生まれたときから」が多く、カトリックとプロテスタントの大学生を除くと、約70%以上である。他人に自分の宗教を勧誘する傾向は、創価大生、次が天理大生の順に熱心である。
B信仰を持っていない者で「宗教にあまり関心がない」「まったく関心がない」と答えた者に、その理由を尋ねたところ、創価大学をいて、どの宗教系大学でも「宗教の必要性を感じないから」が70〜80%となった。これは非宗教系大学と共通する傾向である。
C信者率の高い宗教系大学ほど、その信仰をもつ友人を持つことが多い。創価大生で90%弱、天理大生で75%、仏教系大学の仏教学科で70%、カトリック系で75%、プロテスタント系で65%であった。
D初詣には、創価大生と仏教学科生で行った者が少ない一方、他の宗教系大学生は半数以上が行っている。墓参りは、どの宗教系大学も非宗教系大学より「行った」割合が高い。
E神棚は天理大と神道系が高く、仏教学科と創価大学が低くなった。仏壇は仏教学科と創価大学が高く、天理大学がやや低くなった。また亡くなった近親者の写真は、創価大学が低くなった。
以上の結果から、創価大生と仏教学科生において特徴的な傾向がみてとれる。

 次に、信仰の有無及び宗教への関心度別によって比較した結果、次のようなことが明らかになった。
@宗教に関する一般的な設問では、信仰の有無と宗教への関心度により顕著な相違が生じる。
A宗教と社会とのかかわりに関する設問では、信仰の有無と宗教への関心度による大きな違いはみられない。
次に、「一般的に宗教は、アブナイというイメージがある」という質問と「高校までにもっと宗教についての基礎知識を教えるべきだ」という質問で調べた。宗教をアブナイと思っているのは、宗教を不要と感じている人に高い。また彼らは宗教の基礎知識に関する授業もあまり必要とは感じていない。
 最後に「神の存在」「仏の存在」「霊魂の存在」を信じるかという質問では、当然ながら、信仰の有る者、宗教への関心度が高い者ほど信じる傾向が強い。街頭布教の法的規制を求める者や、宗教団体の特定政党への支持に批判的な者はそれぞれの指標で6割から7割にのぼり、公的相談窓口の設置に関しては、実に全体の約9割の者が同意を示している。ほとんどの学生が宗教的トラブル発生に対して危機感を抱いていることが分かる。これらの質問では、信仰の有無や宗教への関心度による顕著な相違はない。
 宗教に関心があまりなかったり、まったくない学生たちは、全体の過半数を占め、その意識の特徴として、以下の4点があげられる。  
@自分には宗教の必要性を感じないが、他人にとっての必要性は容認する。
A「宗教はアブナイ」と感じながらも情報としての宗教的基礎知識をも拒絶する。宗教それ自体、自分とは関係のないものであると認識している。
B団体としての「宗教」に対しては批判的だが、抽象的な宗教的概念そのものに対してはそれほど否定的ではない。
C自分から宗教を求めることはないが、社会のなかで宗教が自分に対して働きかけてくることに対しては敏感で、批判的な目を向けている。

宗教的サブカルチャーに以下の4点について分析した。
@霊視や終末予言に関する質問について
Aオーラやテレパシーの存在に関する質問について
B死に関する質問について
C占いに関する質問について
 @の霊視や終末予言に関しては、信仰の有無及び宗教への関心度ではほとんど相違がみられなかった。Aのオーラやテレパシーの存在に関しては、これらの存在を肯定する者は5割前後であり、信仰の有無及び宗教への関心度では顕著な相違はなかった。Bの死に関する質問では、「臨死体験」や「輪廻転生」、「死後の世界の存在」などを聞いたが、これらに対する学生の関心は、他の宗教的サブカルチャーに関する項目に対してよりも比較的高いことが分かった。最後のCに関しては、男女差による相違が顕著であった。女性の方が男性よりも肯定的で、なおかつ高い関心を示している。

2.韓国側の個別発表
 続いて韓国側の個別発表の要旨について触れる。まず、康煕天氏が「韓国キリスト教学校の教育の現況と課題」と題して発表した。その概要を示す。
<発表の概要>
 1885年にアメリカ人宣教師によってキリスト教立の学校が設立されて以後、キリスト教立学校の数は急速に増加し1910年頃は学校全体(約2,250)のうち、約33%(約750校)を占めるに至った。しかし、日本の統治期間(1910-1945)は、韓国キリスト教立学校はほとんど増加できなかった。その数が増加し始めたのは、韓国戦争(1950-1954)終了後である。
 1969年以降、非キリスト教立学校の数が急増し、また1969年の「平準化法案(Standardization/Equalization Act)」が通過した以後は、キリスト教学校はしだいに停滞し始めた。1979年以後は、キリスト教立学校でも、キリスト教を信じない生徒が絶対多数を占めるようになった。
また、中等教育の目標が次第に大学入試に集中するようになると、キリスト教立学校でも宗教教育に対する関心は相対的に軽視された。宗教教育は有名無実の科目となる危機にさらされている。

(1)キリスト教学校の数と分布
1997年の統計によると韓国には323校のキリスト教立学校がある。このうち、小学校は9校、中学校は122校、高等学校は147校、専門大学は15校、大学校は30校である。また、約64万人あまりの学生がキリスト教学校に通っている。学校全体に締める割合は、それぞれ小学校の1.2%、中学校の4.7%、高等学校の10.5%、大学校の14.9%に当たる。キリスト教立学校の分布図は大学教育の場合、相対的に高いが、小学校及び中学校の場合はわずかである。また、教派別で見ると、長老派系が133校、メソジスト系が67校、その他が123校である。長老派とメソジスト派で全体の62%を占めている。

(2)宗教教育の教師及び校牧
 1997年時点で、キリスト教立学校では平均1人の教師、あるいは校牧が宗教教育を行っている。キリスト教立学校の宗教教師で奉職するためには宗教教師の資格証を取らなければならない。この場合2つの方法があり、1つは教職課程が設置されている神学大学で必要な教職課程を履修すること、もう1つは一般の大学の宗教学(神学)科で教職課程を履修する方法である。

(3)教育課程と教科書
 現在の中学・高校で使っている宗教の教科書は教育部で発行する国定教科書でなく、市や道の教育庁で認可された教科書である。教育部は第6次教育課程で、宗教系の学校は特定の宗教ではなく、宗教一般に関して教えるように定めた。

(4)宗教教育の課程の運営と実態
1992年以後、宗教科目は中学校と高等学校で、「教養選択」の科目で設定されている。宗教科目の評価は、学籍簿に記載されず、また、高等学校の入学あるいは大学校の入学評価の資料としても反映されないために、学生たちの意欲をそそらないという結果になっている。

(5)キリスト教学校の連合活動
 韓国のキリスト教学校の連合活動は大きく3つの機関を通して実施されている。
@長老派・メソジスト派中心の323個の学校で構成された「韓国キリスト教学校連盟」(1964年)
A長老派中心の133個の学校で構成された「韓国キリスト学校連合会」(1951年)
B大韓イエス教長老会の統合側中心の48校の学校で構成された「キリスト教学校協議会」(1985年)
このように概況が示され、最後に韓国キリスト教の課題と展望がなされた。現在の宗教教育に関する制度のもとで、韓国のキリスト教学校の宗教教育は次の3つの課題に直面しているとされる。
@キリスト教系学校の特色より公教育の普遍性が重視される行政的な教育体制が持続した場合、キリスト教学校はどのように対応すればよいか。
A宗教多元主義を認める公教育の体制のなかで、宗教教育の主要な目標を単純にキリスト教的な価値(倫理)の紹介にとどめるか。あるいはキリスト教精神の鼓吹を宣教によって維持するか。
B情報化の社会にはいった21世紀の韓国の教育現場で、キリスト教学校の宗教教育はどのようなパラダイムによってその正当性と效率性を評価できるか。
このような課題に対処するために次の点が必要とされた。
@私立学校自律性の確保
Aキリスト教立学校の連盟活動の具体化
B教育課程と教授方法の開発

続いて金貴聲氏が「円仏教の宗教教育の課題と展望」と題して発表した。その概要は次のとおりである。
<発表の概要>
宗教は人間の生の価値、高い象徴体系などを通して築いた人類文化の重要な一部分である。このような宗教に対する知識及び知識教育は、個人の人格形成だけでなくその社会の文化発展と社会的価値の総合次元においても大切である。にもかかわらずそうした意味の宗教教育が重要視されていない。その原因はいろいろとあげられるが、韓国宗教の特徴と、宗教教育についての否定的な認識があることが考えられる。
韓国は多宗教社会である。古くからの歴史を通じて韓国人の精神世界の中に深く根づいているシャーマニズム、儒教的な価値秩序、仏教的な人生観、キリスト教的人生観が混在している。1995年11月1日時点での全国の人口調査では、韓国人の50.7%が宗教を信仰しているし、その中でも仏教(23.2%)、プロテスタント(19.7%)カトリック(6.6%)儒教( 0.5%)円仏教(0.2%)天道教( 0.1%)などとなっている。宗教人口の比率は1985年(42.6%)に比べて8.1% 増加したことになる。(「韓国の宗教現状」文化体育部1997:7−11)多宗教文化の状況においては、特定宗教の絶対信念体制を主な内容とする宗教教育は、いっそう見通しが暗くなる。
一方、後者と関連して考えてみると今日の韓国教育がこうした宗教教育を受け入れる余地が薄弱である。韓国の公教育において私学がしめている比重は大きい。高等教育の場合も4年の大学(158校)の中で、約30%を宗教界の大学に依存している。にもかかわらず宗教教育は見通しがくらい。これは現在の宗教教育のあり方も一因である。宗教文化教育の提起もあるが、宗教的人格を育てるのには充分ではない。
次いで円仏教の宗教教育の理念が紹介された。円仏教は1916年に朴重彬(1891-1943)によって創立された宗教であり、1930年代に教育事業を始めた。円仏教の教師を養成する教育機関から、しだいに活動を広げ、戦後、高等教育機関も設立した。1946年に専門学塾の「唯一学林」が設立認可され、これが現在の円光大学校の前身である。その後、中学校、高校も設立した。
円仏教の三大事業として、教化、教育、慈善の三つの分野があり、これに基づく教育事業である。円仏教の教育理念は真の宗教の信仰と道徳の訓練を基盤にして人類をあまねく教育することによって、時代の文明を促進させることにある。円仏教の宗教教育の現況はいろいろ問題を抱えている。1998年に刊行された調査結果によると、円光大学校の学生たちの教養科目に対する評価をみると、「宗教と円仏教」の科目は10科目中8位であった。全般的に否定的な反応が見える。
また2000年度円光大学校新入生に対する調査から、宗教関係の価値観の調査結果を見るとつぎのようになる。
@人生に於いて、一番、重要だと思うことに宗教的な学生は1999年度が1.4%、2000年度が1.1%である。
A社会で一番影響力のある階層としては、政治家(49.1%)、経済人(12.1%)、知識人(11.7%)、言論人(9.3%)、学生(45%)、在野人(2.4%)、宗教家(2.0%)、芸術家(2.0%)、法曹関係者(L4%)労動者(1.4%)の順になっている。
 正課以外の宗教教育としては、主に学生たちの自発的な参加を前提にしたクラブ活動が主である。中・高等生たちのクラブ活動としては一部の奉仕活動のクラブを除いては大部分が学生法会と定期訓練に大別される。また、大学の場合に多様な(クラブ活動に参加して宗教信仰、教理勉強などにより、全人的人格陶冶の助けとなっている。一つ注目すべきは円仏教教立学校で最近行われている心の勉強のプログラムである。これは、画一的なものではなく、さまざまなプログラムがある。これは「声なき教育革命」と名付けている。
 最後に宗教教育の課題と展望が述べられた。単に円仏教関係の学校だけでなく韓国の宗教界の学校が持っているジレンマは、大きく見ると宗教が抱いている問題と、学校という教育文化空間、そしてこの両者間の関係の中で起こるとされる。例えば、宣教と教育との混同、世俗化の傾向のなかでの宗教教育の停滞性、学生、父兄の学習権をめぐる葛藤、全人教育として宗教教育と現実の入試のための教育との葛藤などである。したがって、今後はどのような宗教教育をなすべきかのモデルを作ることが重要になるであろう。

最後に申光K氏が「韓国における高等学校<宗教>科目の教科課程の現況と展望」と題して発表した。その概要は次のとおりである。
<発表の概要>
(1)問題の所在
 現代人はいわゆる情報化の波の中で、人間性喪失の危機を感じている。このような実情の中で、志のある人々は全人教育の必要性を強調しながら具体的なプログラムを模索しており、その過程から新しく注目されている領域の一つが宗教教育である。今日は、精神教育または道徳教育の次元で宗教教育の必要性が活発に提起されている。現代社会で宗教は「国民的な資本」として理解されており、宗教教育はもっとも重要な意味を持つ。
宗教教育は政府が文化政策の重要な主題の一つとみなしており、学界でも韓国宗教教育学会が結成されている。ところが、実際に現場で行われている宗教教育は、注目を浴びているほど、充分な役割を果たしているように見えない。
韓国の中等学校で行われている宗教教育は「宗派教育」としての性格が強く、「宗教文化教育」としては位置づけられていない。その第1の理由は宗教教育が宗教立の学校でしか行われていないからである。第2に政府の教育政策が暖昧であることである。
 以上を指摘し、宗教教育の正しいあり方を模索するために、現在高等学校で使用されている「宗教」の教科書の現況が批判的に考察され。次に、「宗教」教科に対する「第7次教育課程」の指針を参考にして、問題点が提示された。

(2)第6次教育課程の内容と現行「宗教」教科書の問題点
 韓国社会で宗教教育が問題になったのは一連の平準化政策による。「宗教」教科に対して教育政策の当局が指導を実施するようになったのは第4次教育課程(1982-1988)からである。文教部はそこで、論理学、哲学、心理学、教育学、宗教の5科目を「自由選択科目」に指定した。そして、この自由選択科目に対して複数開設の条項を但書として付けた。ここには宗教教育と関連した複雑な事情があった。この条項は、全人教育と人間教育を活性化するという表面的な理由以外に、宗教立学校の〈宗教〉教科の要請をしたことへの対応策の意味があった。ここで、教育を受ける者の「選択権」と教育する側の「教育権」の二律背反が起こった。
「宗教」教科は、第5次教育課程(1989-1994)で、「自由選択科目」から「教養選択科目」に名称が変更されたが、複数開設の条項の但書が提示されるなど、第4次教育科程の基調がほぼ維持された。しかし、第6次教育課程(1995-2001)から注目する変化が起った。環境科学が新設されただけでなく、宗教科目をはじめ、 各科目の教育課程が具体的に開発・提示された。また履修単位が2単位から4単位に拡大された。
第6次教育課程は、「宗教」科目の教育目標と教授課程での留意点を提示した。すなわち、生徒たちに宗教に関する基本知識と普遍的な理論を理解するためのもので、これを基にして日常生活に経験するいろんな問題を考え、自身の生と人生に関する正しい価値観を確立させるといったことである。この教育目標は、公教育としての「宗教文化教育」と宗教立の学教が志向してきた「宗派教育」という目標を折衷していることがわかる。しかし、各宗派立学校の「宗教」の教科書が、教育部の指針を忠実には実行しなかったため、教育部の政策が見せかけのものであったことを露呈した。

(3)第7次 教育課程で提示されている「宗教」の教科書および宗教教育の方向
 第7次教育課程は、1997年12月30日に告示され、高等学校の場合2002年3月1日入学生から適用される。第7次教育課程の改定の背景要因は、「世界化・情報化・多様化を志向する教育 体制の変化と急速な社会の変動、科学・技術と学問の急激な発展、経済・産業・就業の構造の変革、教育の需要者の要求と必要の変化、教育条件および環境の変化など、教育を囲んでいる内外的な 体制および環境、需要の大幅的な変化」にある。そこで改定の基本方向は「21世紀の世界化・情報化の時代を主導する自律的で創意的な韓国人の育成」にある。このような方向は「宗教」教科にも適用されている。第7次 教育課程は、次のように〈宗教〉科目の性格と目標を提示している。
 @性格:「宗教」とは、宗教に関する基本知識と普遍的な理論を理解して、生と死に対する問いと探究を通して、健全な宗教観を確立できるようにする科目である。(中略)「宗教」とは、人生に対する積極的な問いと神聖な価値の理解という宗教的な関心を重視して、これを体系的に通察して、いろんな人々とともに生きていく全人的な人間を育てることに重点をおく。
A目標:宗教に対する幅広くて均衡のある知識を習得して、健全な宗教観を確立して、日常生活で、起る難しい人生の問題を克服できる成熟な信仰心を拡充して、他の宗教を包容して、国家社会の発展 に寄与できる宗教人として正しい生活の態度を育てる。
さらに「細部的な目標」として次の点が挙げられている。
1.究極的な価値との出会いを通して宗教的な人格を育ており、自己の生活と体験を 基にして宗教的な教えと意識および共同体を理解する。
2.自己の宗教だけが真理という偏狭な考えから免れて、世界のいろんな宗教の特性を理解して、お互いに比較できる能力を育てる。
3.人間が有限で 不安な存在であることを悟って、我々の生活の場であって、まだ神秘的な存在で残っている宇宙の自然を新しく認識するように努力する。
4.外来の宗教思想を受容した過程と韓国の巫俗信仰を理解して、 健全な宗教生活を通して、自我実現と国家社会の発展に寄与する。
5.宗教共同体の理念と基礎を理解して、今日の社会で、その共同体が分担している役割を認識して、肯定的な側面を学ぶ。
6.特定の宗教の経典と教理および歴史を学んで身につけて、各者の信仰心を育て、21世紀を迎えて新しい文化の発達に寄与する。

 これでわかるように、もっとも明らかに提示されている価値は「全人教育としての宗教教育」である。第7次教育課程は、以前と比べて「宗教」教科の性格を明確に提示する一方、教授・学習の方法と評価の方法を具体的に提示している。また6単元から8単元に単元を増しながら体系を再編している。(第6次 教育課程と第7次 教育課程の違いは末尾の表を参照)

(4)結論
 全体的に見て、第7次 教育課程は、「宗教文化教育」をもっと強調しているように見える。それにもかかわらず、やはり韓国の中学校における宗教教育が歴史的に持ってきた二律背反性から完全に解き放たれていない。また、高等学校の段階では、「宗教学的な宗教教育」(宗教文化教育)と「信仰的な宗教教育」(宗派教育)が並行する既存の宗教教育の課程の体制をそのまま維持された。
公教育が宗教教育を行なう時、宗教「を」教えるのではなく、宗教「について」教えるべきである。また公教育が宗教を扱う仕方は「規範的」なものではなく、「叙述的」なものにしなければならないという主張に耳をすませる必要がある。

W.自由討議
以上の基調発表、個別の発表に基づいて、自由討議がなされた。その主なものについて概要を紹介する。整理の都合上、必ずしも発言順になっていない。
(以下、Qは質問の概要、Aは回答の概要である)

Q.日本ではオウム真理教事件以後、道徳教育についての議論が盛んになったようだが、その効果はあるのか。道徳教育は中等教育よりもむしろ初等教育で意味があるのではないか。
A.初等教育で道徳の問題は重要と思われるが、道徳教育については戦前の教育との関連でまた別の問題がからむ。今回はそれは割愛した。日本で道徳教育の問題を取り上げると、戦前の修身とか、そういうものとどう違うのかという議論が出てきて、なかなかストレートに議論できないことがある。もっとも最近は、そうした議論の仕方は弱まった。

Q.宗教文化教育というのは日韓で興味深い視点だと思うが、韓国では政府関係者と宗教学者と教団関係者の三者が三角関係のようになっており、大学の特性を生かすようにという方針を政府は示しており、そうすると宗派教育を自由にやる方向に行きやすい。しかし宗教学者の描く計画には教団関係者は賛意を示さない傾向がある。このあたりの調整が韓国における課題だが、日本ではどうか。
A.日本では状況が違うので、同じような問題はない。しかし、宗教文化教育を中心にするというやり方は参考になる。日本の場合は、教師の側に宗教に関する基本的な知識がかけているというのが大きなネックとなる。

Q.天理教の教育機関とか、高野山の教育機関で教育を受けた青少年たちが、ほかの一般の家庭の青少年たちと比較して、問題児が少ないのかどうか。もし宗教系の学校で教育を受けたから、そういう問題児になる可能性が少ないのだったら、それはそれなりの道徳教育としての意味があるのだろうということになる。だから本当にそういう比較があるのかどうかを知りたい。
A.これについての統計は全くと言っていいほどないので分からない。それを調べることも非常にむずかしいので、これは今後もなかなか明らかにならないと思う。ただ、一つ言えるのは、今までいろんな日本中の宗教立の学校を見てきたけれども、宗派教育の面ではあまり効果がないのだが、宗教的な情操、つまり宗教的な雰囲気の中で生活をする、宗教的な雰囲気を身に付けるという意味では、ある程度の効果はあると思う。もっとも、宗教的な教育をやったからといって社会的な問題を起こす人間は出てこないということは断言できない。

Q.信仰をもっていない人たちが天理教関係の学校や高野山の学校に入るというのは、社会的な利益があると考えるからなのか。例えば天理高校では体育とかが非常に盛んだということだが、それはその宗教の精神から、健康な体づくりからとか、そういった根本の精神が父兄たちに理解されてそういうところに入れたいと思っているのか。
A.特に天理教高校の場合は、スポーツが非常に盛んな高校である。だから、天理高校の方からスポーツの優秀な生徒を取ってくるということが現実に起こっている。また学生の方も、例えば野球をやっている学生は天理高校に行って野球をしたいと思っている学生はいる。そういった意味では、スポーツを通してその高校に入りたいという学生はいる、これは事実だと思う。ただし、それが宗教によって心身ともに鍛えられるというふうには、本人たちはあまり考えていないと思われる。実務的な意味で、あそこに行けばトレーニングにも非常にお金をかけてくれるとか、施設が非常に充実しているとか、そういった意味で行きたいという学生はいると思う。

Q.日本ではキリスト教の信者の割合が人口の1%以下と、韓国と比べて大変少ないが、その理由について知りたい。
A.これは簡単に答えられるような問ではない。ただ、日本の場合にはもしかすると、特に女性の場合は何か宗教を持っていると、結婚をするときに何か障害になるのではないかという考え方があるのは事実だと思う。したがって洗礼を受ける人が高齢であるという傾向もみられる。ただ入信はしないけど、キリスト教に対するシンパシーというか、親しさというものはかなり高いかなという気がする。
 また、キリスト教の受け入れと都市化は大きな関係があると考えられる。しかし日本では、都市化の際に人々を惹き付けたのは新宗教であって、キリスト教は新宗教との競い合いに負けたというような見方もできるかもしれない。さらに、仏教の存在形態も関係している。日本の場合には、江戸時代に檀家制度という制度ができた。これは現在に至るまで基本的には変っていないシステムであるが、韓国はそうした檀家制度というものがない。この点は大きな違いとして重要である。

Q.新宗教の救済財がキリスト教の救済財より優れていて、人々に訴える力が強かった理由は何か知りたい。日本ではキリスト教は知的な面を強調して社会福祉のような教育を強調するのに対して、宗教経験、非常に強烈な体験の問題は、相対的に強調されていないのではないか。ところが、新宗教はその面を強調しているのではないかなと思う。韓国のキリスト教が成長する上で重要な要因だったのは、強烈な聖霊体験と神秘体験を強調する面である。日本はそれを新宗教が行ったと理解していいか。
A.確かにそういう面がある。

Q.韓国と日本のキリスト教の成長の相違に対して、以上の要因に加えて、1980年代までのキリスト教人口の変化をみると、急速に増えたのは解放以後という点に注目したい。GHQ占領下で、マッカーサーが、自分をカトリックの教皇と同じようにプロテスタントの宣教事業に責任をもつ人間だということをあらわす写真があった。プロテスタントに非常な比重を置きながら、日本と韓国に対して宗教教育の政策を遂行した形跡がある。
日本の場合と違って、韓国では成功したが、その成功には物的な基盤があった。それは日本が残した財産―私たちは敵の財産と呼びます―の相当数が教会のものとなったということです。たとえば、天理教の本部であった土地が大きなキリスト教教会のものになったり、神社の土地が長老派ものになったりした。こうした状況のもとで、キリスト教は政治的な後ろ盾を得た。その後、第一共和国(1948〜60年の李承晩大統領時代)が崩壊してから、それまでの反省もあってスピリチュアルなものへと役割を変えていった。これがキリスト教人口が60年代、70年代に急速に増える背景にある。
日本のキリスト教と韓国のキリスト教の成長をみるバロメーターになるのはカトリックだと思う。韓国のカトリックの基盤になったのがパリ外国宣教会である。日本のパリ外国宣教会と同じである。韓国に来た宣教師の出身は農民で、その人たちは、宣教に対してはあまり比重を置いていなかったと思われる。むしろ、福祉、隣人を助ける医療、一緒に外国に新しいキリスト教徒をつくって、交流することで兄弟愛的な関係、これらを強調した。韓国のカトリックの中心になったのは大邱で、大邱出身が多い。ところが、これらの人々が、活動したときにカトリックの人口は伸びていない。むしろ韓国の民主化過程において、ソウル教区を中心にする民主化過程の社会的名望グループとしてカトリックが成長する。大邱カトリックも最近90年代にはいって宣教事業を熱心にしている。その前はあまり人口が増えていなかった。そのような事例を見ると、教団内部での宣教師の特徴、プロテスタントの側では彼らの政治的な位上、物的な土台、都市化のような社会的要因、そのようなものが宣教政策においてのポピュラー・スピリチュアリズムと結合しているのではないかと考える。
A.今の用語で、プロテスタントのスピリチュリズム、ポピュラー・スピリチュラリズムは、むしろリバイバリズムあるいはポピュラー・リバイバリズムと表現したらもっと正確ではないか。スピリチュアリティあるいはスピリチュアリズムは、1980年代の半ばから提起された信仰教育の糸口である。今まで信仰という部分が非常に狭い概念だったとしたら、スピリチュアリティは包括的で巨視的な概念である。
キリスト教内にとどまらなく、キリスト教を越えることだから、韓国のプロテスタントが急速に発展した60年代以後の状況が復興の感情を高揚させるポピュラリズム、リバイバリズムに近いといえる。

Q.9年前に韓国では、神学者が宗教多元主義を提起して、原理主義者たちから攻撃を受けた。それは神学者が主張したから問題があったのだろうと考えられる。もし、宗教学者がそういう定義をしていたら、もう少し価値中立的に受け入れられたかもしれない。これは非常に社会的に大きな事件だった。そこでこうした問題には公的機関が発言すべきではないかというような議論になった。また、1970年以前だと、聖職者、牧師が非常に尊敬される立場だったが、1970年代以後は、大学に入れないから神学校に入るというような人が多くなって、質的に落ちてきたとされる。そういう人たちが一つの集団の中心になると、原理主義的で人々が理解しにくい行動によって、むしろ満足するという傾向がある。そうした状況下では、宗教学者の役割が大きい。宗教学者が各宗教集団に行って、社会的な文脈で話せば、非常に説得力のある話ができる。宗教学者としての啓蒙的な役割が今こそ必要ではないかと考える。
A.日本では少し状況が異なるが、参考になる話である。

Q.韓国社会は日本と違ってキリスト教が非常に強い勢力を持っている。しかし、そのキリスト教の勢力の大半は原理主義的な勢力であるので、仏教や他の宗教との葛藤が、韓国社会では非常に問題となる。そうすると、公教育における宗教教育といった場合、この葛藤をどういうふうに解消するかということが教育の重要なテーマの一つになる。
 日本の場合は、極端な政教分離が教育として浸透されているから、宗教と教育が分離されるべきだという認識が強いようだが、もう少し裏事情のようなものを分かりやすく説明してもらえないか。
A.あまり裏事情のようなものは分からないが、正面きって議論されていないのは、やはり天皇制の問題などである。また神話教材も復活してきているし、一時期は神道的なもの、とくに国家神道を連想させるものというのは完全に排除されていたが、最近はそうしたものが危険なものであるという認識自体が弱まっている傾向がある。
 また、実際は戦前に戻すべきだというような意見は実質的な力とはなっていない。ただ、もし宗教教育ということを深く議論するならば、そうした傾向がわれわれの議論の中にどう入ってくるかということも、もう少し視野に置かなくてはいけない。特に、新しい教科書を「つくる会」などというものも、実際どれぐらい支持されているのか影響力はやや不明だが、ただ一時期に比べれば、そうした風潮がやや復興しているのは確かだ。

Q. 宗教教育というと教団中心の宗教が中心になりがちだが、現在はそういう教団宗教はむしろ衰退し、ニューエイジだとかUFO信仰、ラエリアン運動といったいろんな新しいタイプの宗教現象が起こっている。こういう時代には、教団中心の宗教教育を克服することを考えなくてはならないのではないか。
A.韓国の場合は、一般教育機関は、最初キリスト教の教育精神で設立して、それで公教育機関になっていく学校が結構ある。他方、初めから一般教育の機関として出発したところは、設立した段階から趣旨が違う。双方をひっくるめて公教育の中の宗教教育として供与する、あるいはそういう教育を期待するということは無理ではないかということを感じる。

Q.教団中心の宗教教育を越えた公教育の場で宗教教育が行っている一番障害点は、日本と韓国でそれぞれなんであるか。
A.教団を越えた一般的教育によって宗教について教えた方がいいのではないかという局面は数多くある。しかし、全体的に見ると、そうした考えがまだ趨勢ではない。韓国の場合には、政府とか社会が、宗教教育に対して責任をもたなくて、それは全部宗教学校にぜんぶ委任している状況である。今回のような試みをとおして、この状態を変えていく必要がある。

 これ以外にも多くの質疑応答、またコメントがなされた。宗教文化教育については、これを一つの有効な方向性とみる考えと、宗教教育と宗教文化教育を分けて考えるのは少し単純化しすぎではないかという考えとが表明された。宗派教育があまりに原理主義的な方向に向かうことは、宗派教育の自由が認められているとはいっても、今日のような社会では問題が多いことも指摘された。とくに韓国においては、若い世代が宗教に拒否感をもつ場合には、この原理主義的傾向への警戒が関係しているとの指摘もあった。他方、日本の場合は、宗教に対する信頼があまり高くない。場合によっては拒否反応すら出てくる。特に若い層は、宗教団体に対して「危ない」というイメージすらある。それが宗教教育を阻む一番の理由と推測されるという意見が表明された。
さらに情報化社会の特性を考えた新しい教育法についての議論の必要性も主張された。宗教教材のためのビデオソフトの開発や、教師用のCD-ROMの開発などの必要性も述べられた。同時に、体験学習を取り入れて、ボランティア活動、奉仕活動も体験させる必要もあるとされた。さらに異文化教育の一環として宗教教育をとらえるという視点にも多くの賛同が示された。
 教団という観点を離れた宗教教育の議論が必要であるという意見も強かったが、現実問題としては、宗教系の学校以外は、宗教教育についてほとんど関心をもっていないので、教団中心の見解、あるいはカリキュラム議論にならざるをえないという認識も示された。とくに韓国の場合、宗教研究者の見解に対し、教団関係者、とくにキリスト教界はそれが自分たちの宣教にかえって妨げになるとして好まない傾向もあることがあることも再三指摘された。また、韓国と日本の制度的な違い、社会背景の違いが認識されると同時に、将来の宗教教育においては多くの部分で共通した課題を有している事が確認された。とりわけ教える側の人材を育てることの必要性は強く感じられた。


付記
この国際シンポジウムを開催していただいた東西大学校のパク・トンスン(朴東順)総長ならびに関係者、とりわけキム・テシック(金大植)氏及びイ・ウォンボン(李元範)氏に謝意を表したい。
またシンポジウムは日韓両語で行われたが、原稿を翻訳していただいた東西大学校大学院生のアン・サンヒ(安祥姫)、イ・ファジン(李和珍)、ソク・ヒャン(石?)、チャン・ミスク(張美淑)、ペク・ミジョン(白美貞)の各氏に、この場を借りてお礼を申し上げたい。


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