アフガニスタン難民弁護団による報告書


アフガニスタン難民弁護団による報告書

 
 
報 告 書

 当職は、アフガニスタン難民弁護団に所属する者であるが、 2002年2月13日、弁護団依頼者の1人であるR氏(以下「R氏」という)が 入国者収容所東日本入国管理センター(以下「収容所」という)の 収容施設内で健康上の理由で昏倒した、また弁護団の依頼者であり被収容者であるA/J氏(以下「A/J氏」という)が 自損行為に及んだとの情報を受け、事実関係を調査するために、 同月15日、収容所次長東郷秀憲氏と会い、 またQ氏(以下「Q氏」という)、A/J氏、R氏の3人と接見をしたので、 その際見聞した事実を報告するものである。 
 

2002年2月16日
弁護士 大橋 毅
 
1 平川総務課長補佐との面談
 
10時40分頃、平川総務課長補佐と面談。要旨次の通りであった。 
(1)R氏は2月14日外部受診した。現在通常の状態である。 (2)A/J氏は、自損行為をしたが別状はないと聞いている。 (3)一昨日、R氏の件は次長に対しては報告があった。 課長補佐の平川が知らなかっただけである。医療の責任は次長である。 
 
2 東郷センター次長との面談
 
(1)10時50分頃次長と面談。受けた説明は要旨次の通りであった。 
 
ア 昨日児玉先生、福島瑞穂先生らから電話を受け、 仮放免の交渉の申し入れを受けたが、場を持つかどうかも含めて上申中。 
 
イ 一昨日よりの経過
 R氏は13日午後2時頃、ボスに会わせろと要求。 処遇室で面会中、椅子から崩れて手を床につく。腕が縮こまる状態。 医療室に搬入。看護婦が心電図をとった。職員の判断で、外部医院に連れて行く必要ないとして扱った。 意識を失ったことはない。翌朝一番に収容所の医師が診察。肉体的に問題なし。過換気症候群の疑い。 同日午後外部医院で診察、MRI、血液検査など実施。結果は未だ。 精神科の診察はしていない。命に別状はない。
 13日、センターの医師に連絡は、休日で、ポケットベルで呼んだが連絡がつかなかった。 ほかに、自損行為に及んだ件があると報告があるが大事に至っていない。 十分適切な処置をしている。ベストを尽くしている。 
 
(2)当職は、精神疾患に対する適切な対処をしないこと、 倒れてから20時間医師の診察を受けていないこと、 いまだに精神科医の診察を受けていないことは不適切であると主張し、 仮放免の交渉の場を設けることを重ねて求めた。 
 
3 A/J氏、Q氏、R氏との面会
 
(1)3名同時に、午後1時50分頃より3時30分頃まで面会実施。 ただし、Q氏とA/J氏との二人で面会を開始し、数分後R氏が入室した。 
 
(2)Q氏は、途中まで自らの日本語で話し、 途中から、当職と同行した通訳人による通訳で話した。 A/J氏、R氏は通訳人を通じて話した。
 
(3)面会の際の同氏らの供述を、できるだけ逐語で記録した。 その記録は別紙の通りである。
 
(4)要点のみ要約する。
 
ア  R氏は、体調不良のため、1週間に3回、外部病院受診の申請をしたが却下され、 体調不良と家族の安否の心配について収容所の上層部に相談するため 申請したが、13日午後2時これも却下されたことを契機として、 倒れ、意識朦朧となった。
 医務室に医師はおらず、看護婦が睡眠薬らしき薬を飲ませた。 以後約30時間の記憶が定かでない。
 
イ  A/J氏は、14日午前11頃、収容所備え付けのはさみで、自らの体を傷つけた。
さらに15日午前3時30分頃、房内でパジャマで首を吊って自殺未遂をした。
 その理由について「収容されて7ヶ月くらい。薬飲んでもなおらない。どの医者も同じ薬を出す。 1日13個も飲んだら、体が悪くなる。来たときは、アフガニスタンは危なかった。父も捕まった。   収容されては何もできない。我慢できない。 私は日本が平和な国と思った。日本に来てからもすぐ収容された。 私だけじゃなくみんな毎日新しい病気になり、同じ薬を渡される。 私は自分の国で命が危なかったから来たのに収容された。  UNHCRにも何回も電話し手紙も出したが、一回来てくれただけ。人生がいらない。動物のようになった。動物でも1日1回外に出る。犬も散歩する。ここは毎日死ぬが、一回だけ死んだ方がよくはないだろうか」と述 べた。
 
(5)なお、R氏は車椅子を使用していた。 
  A/J氏は、話の途中で、頭を机に1回強く打ち付けた。 またA/J氏の体には、腹に8、額に2、右頬に1、左頬に2の傷があった。 
 
4 R氏は記憶が定かでないので、彼の供述から一貫した経緯を確認することはできないが、 1〜3の聴取内容から、13日から15日午前までの経過を推定すると、 以下の通りと思われる。
 
(1)13日以前の1週間 R氏は3回、外部医院受診の申請。収容所医師が却下。 
(2)13日以前の2日間 R氏「偉い人に会いたい」との申請。 家族の心配と体調の相談のため
(3)13日午後2時 職員がR氏に「却下、話は職員が聞く」との通告 R氏興奮して大きな声を出し、意識朦朧となり、倒れる。 かねてより体調不良のK/A氏、貧血で倒れる。 Q氏及びイラン人が通訳として付き添い医務室へ。 医師はいなかった。職員とQ氏がマッサージ施行。看護婦が心電図検査 看護婦が「なんでもないから薬を飲んで」以前外部病院で処方した薬を飲む。30分で手足を縮めて、眠って動かなくなった。 Q氏自室に戻る。A/A氏に交替依頼。入管も了承。4時30分頃 A/A氏自室に戻る。 R氏児玉弁護士と接見。
 
(4)14日午前10時頃 R氏収容所医師と会う。 午前11時  A/J氏自損行為。共用スペース備え付けのはさみで自分に切りつけた。 A/J氏、医務室に搬送、職員6人で取り押さえた。 11時45分 入管の要請でQ氏、K/A氏が医務室へ A/J氏、二人の説得で落ち着く。医者がQ氏に投薬について「これでどうでしょう」と相談し Q氏は「私は医者じゃないからわからない、あなたの責任」と答えた。 医者が投薬。A/J氏手が縮こまって寝た。二人は自室へ。1時間後? A/J氏目が覚め、自室へ。午後2時頃 R氏外部病院へ
 
(5)15日午前3時半 A/J氏自室でパジャマで首吊り、5分後 救助    
 



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