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Introduction:最初にお読み下さい〜
<国会に集まった14人のアフガン難民たち>
<「難民支援」を掲げる日本政府が、国内ではアフガン難民を迫害
<日本政府のアフガン難民迫害は「国家権力による『憎悪犯罪』>


 

国会に集まった14人のアフガン難民たち

 2001年10月15日、衆議院第二議員会館の第三会議室は、一種異様な熱気に包まれていました。大阪、名古屋、関東各地から、アフガニスタンの難民申請者たち14名が、彼らを支援する「大阪カトリック大司教区国際協力委員会」の支援者たちとともに訪れ、法務省との交渉、記者会見(東京地裁2F司法記者クラブ)、そして「今こそアフガン難民に難民認定を!市民集会」を開催したのです。市民集会には、国会議員4名を含め、およそ100名が参加し、難民認定を申請しているアフガン人たちの生の声に耳を傾けました。これほど多くの難民申請者たちが、難民認定を求めて国会で直接集会を開いたのは、これが初めてのことです。
 国会を訪れた14人のアフガン難民申請者たちは、いずれもアフガニスタンの大部分を実行支配するタリバーン政権によって、家族を殺される、死刑宣告を受ける、交流されて拷問されるなどのすさまじい経験をくぐりぬけてきた、ハザラ人を初めとする少数民族の人たちです。ところが、彼らは日本にたどりついてからも迫害を受け続けました。日本政府はこれらのアフガン人たちに難民認定を与えず、それどころか、彼らを不安定な身分のまま放置したり、強制退去命令を下した上、強制収容所に数カ月間も収容するといった過酷な処分を行ってきたのです。

「難民支援」を掲げる日本政府が、国内ではアフガン難民を迫害

 一方、その2週間ほど前から、東京ではアフガン難民をめぐる大きな動きが起こっていました。東京入国管理局は10月3日、「不法入国の自称アフガン人12名を拘束」と発表、多くのマスコミがこれを報道しました。ところが、難民問題に関わる支援者や弁護士たちが、東京都北区にある入管収容所でこれらのアフガン人たちに面会したところ、驚くべきことが分かりました。これらのアフガン人のほとんどが、8月の段階ですでに難民申請を行っており、東京入管は以前から、彼らのことをよく知っていたのです。難民申請者を、決定が出る前の段階で拘束するというのは、極めて異例の事態です。
 面会によって判明したことは、他にもありました。これら拘束されたアフガン人たちは、いずれもアフガニスタンの9割を実効支配するタリバーン政権による虐殺にさらされているハザラ人などの少数民族だったのです。ところが、東京入管は拘束ののち、彼らに対して「タリバーンと関係はないのか」「オサマ・ビンラディンを知っているか」などと尋問を行っていたというのです。
 そもそも、彼らはタリバーン政権と闘ってきた人たちであり、タリバーン政権やそれをバックアップするウサマ・ビン=ラーデンの勢力などと組織的な関係があるわけがありません。東京入管のこの措置は、まさに失態であると言えます。

日本政府のアフガン難民迫害は「国家権力による『憎悪犯罪』」

 9月11日の米国同時多発テロ事件以降、米国がアフガニスタンを目標とする報復戦争に乗り出し、世界中で緊張が高まっています。
 米国を始め、世界各地で、中東地域の出身者、イスラーム教徒などに対し、民間人による嫌がらせや暴力などの「憎悪犯罪」が数多く発生しています。各国の政府は、こうした憎悪犯罪に対して警告のメッセージを発していますが、日本でアフガン人難民に「拘束・強制収容」という迫害を加えたのは、民間人ではなく、国家権力そのものでした。
 一方、アフガン難民自身が日本政府に対して声を上げた10月15日の法務省申し入れ行動、記者会見、市民集会に見られるように、こうした国家権力による迫害への抵抗のうねりが、その大きさを増しています。
 日本の難民問題を考える上で、また、「9.11危機」や「対テロ戦争」と日本の関わりを考える上で、この問題を避けて通ることは出来ません。一体、この事態はどのように理解すればよいのでしょうか。また、私たちはどのように行動するべきなのでしょうか。



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