アフガン難民たちからのメッセージ


裁判長への意見書
 
2002年4月11日 東京地方裁判所 民事第3部(606号法廷)
 


   
 これは、2002年4月11日に開かれたアフガン人たちの収容・退去強制等の処分の取消を求める裁判で、
アフガン人たち3名が陳述した内容の記録です。
 アフガンでの体験、収容の苦しみ、そしてこれからの生活への希望……
彼らの、裁判にかける思いを読みとってください。
  
 
1 はじめに
 
  裁判長殿、本日は、裁判官皆様の前で話をする機会を与えていただき、心より感謝申し上げます。
  裁判官方が私達を地獄の苦しみである収容所から解放してくださったと聞いています。本日の裁判の原告はもちろん、傍聴しているすべてのアフガニスタン人を代表して、我々に対する人道的配慮に心より感謝申し上げます。
  窓もない鉄格子の中で正気を失いかけていた私たちにとって、もう一度新鮮な空気と青い空を見ることができたことは言葉に尽くせぬ喜びであります。
  本日は、時間が限られておりますので、私、AとB、Cの3人で、DとEの言葉をもお伝えいたします。
 
2 私たちが日本に庇護を求めた理由
 
(1) 私はA、シーア派のハザラ人です。残念ながら私の半生は戦争と虐殺の歴史でありました。
 我々6名は、アフガニスタンの少数民族ハザラ人です。裁判長殿、私達の顔を見てください。同じような顔をしています。しかし、私たちはモンゴロイドでありシーア派であるというだけで、長年にわたる差別、抑圧、虐待、そして迫害に苦しんできました。近日報道されているとおり、バーミヤンで新たに女性や子どもを含む多くのハザラ人の虐殺体が発見されました。
 長い迫害の歴史の中でも特にナジブラ政権崩壊後の10年間、我々の国民とくにハザラ民族は、受難の時を強いられました。そしてマザリシャリフやバーミヤン、ヤカオラン、西カブールでのハザラ人に対する凄惨な虐殺。
 アフガニスタンでは、シーア派イスラム教徒でありモンゴロイドであることそのものが罪なのです。
 例えば、私自身も、目の前でロケット砲が炸裂し、爆撃、地雷で人々が虐殺される場面を幾度となく目撃しました。父がタリバンから連行された場面にも遭遇しました。これらの筆舌に尽くしがたい悲惨な光景の記憶は、今も私をさいなみます。
(2)私達は、せめて私だけでも生き抜いて欲しいという家族の切ない希望を背に日本に庇護を求めました。アフガニスタンの状況がここまで悲惨を極めなければ、日本まで庇護を求めたりしなかったでしょう。私の母国を誰よりも愛しているのは、この私です。帰国できる状態であれば、自分の足で帰ります。
 
3 難民申請、そして収容へ
 
 私たちアフガニスタンのハザラ人は、Aが語ったように、地獄から逃れるために、日本に来日しました。日本人が親切で人道的であるから、私達を庇護すると信じてやってきたのです。私は、入国約1週間後、日本を信じ、自らの意思で、自らの足で、東京入国管理局に出頭しました。
 それなのに、私たちは収容されました。早朝、防弾チョッキを装備した男たちに、犯罪者同然に引き立てられました。
 なぜですか?
 ハザラ人難民申請者を収容する国を聞いたことがありません。私達は、アフガニスタンで迫害され、日本で2度迫害されました。
 
4 収容の苦しみ
 
  私Bは、100日以上収容されました。このDは、さらに長く拘束を受けました。彼は、昨年11月に自分が解放されないと知ったとき、多量の錠剤とせっけんを飲み込みました。10代だったCは、今年2月に、パニック障害、脱水症などに罹患し、突然倒れて意識を失い、約2週間歩くこともできませんでした。そして、Eは、こんな白髪になってしまいました。収容前には、彼には一本の白髪もありませんでした。
  私達はみな、収容所で、薬を1日に10−20錠くらいを飲んでいました。それでも、毎日、死にたいという衝動を抑えることができませんでした。
  そして、傍聴席に座っている10代後半のFは、私の目の前で、はさみで体を滅茶苦茶に切りつけました。あの時の私の気持ちをどう表したらいいでしょうか。今でも彼の腹には痛々しい傷跡があります。
  どうか、私達から、いつの日にか、健康な体でアフガニスタンに帰国し、祖国のために活躍する機会を奪わないで欲しいのです。
 
5 最後に
 
  裁判長殿、私は、誠心よりお願い申し上げます。私達は5人ですが、傍聴に来ている仲間を含めれば、今日は14人です。そして、今この瞬間も、収容所の中で、心の傷から血を流し続け、死ぬ瀬戸際までいった仲間が何人も収容中です。
  裁判長殿、すべての仲間を代表して、最後に申し上げます。私達は、この世の地獄から逃げてきました。私たちは、庇護を求める難民です。
  私達を二度と再び収容しないで下さい。収容令書を取り消して下さい。そして、退去強制令書を取り消してください。
  私たちは裁判長と日本の裁判所、そして日本の人々が、私達の心に溢れる苦しみをご理解下さると信じております。裁判官方の人道的なご英断を賜りたくお願い申し上げます。
 
6 付加
 
  私はCです。先月誕生日を迎え、10代ももうすぐ終わります。私の夢は、医者になってアフガニスタンの人たちを助けることです。そのために、現在、日本語を一生懸命勉強しています。
  私の父はタリバンに連行されてしまいました。母と妹の消息も不明です。今でも家族のことを考えると涙がでます。
 でも、私は1人でも夢の実現のためにがんばります。裁判長殿、どうか私の夢を叶えさせてください。
 
  
 


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