アフガン難民たちからのメッセージ
 


 
ここにいることは、アフガニスタン人にとって屈辱だ
〜収容されたアフガン難民申請者の陳述書〜
 


  
 2001年12月21日、森山真弓法務大臣(77)は、東京地方裁判所民事第三部の決定によって身柄を解放されていた5名のアフガン人難民申請者を再収容。27日には、退去強制令書を発付して牛久強制収容所に移送しました。
 以下は、アフガニスタン難民弁護団が、収容されたアフガン難民申請者のうちの1人から、アフガンでの迫害の状況や、日本でも迫害され、収容された現在の心境などを聞き取った報告書です。
 ターリバーン政権や、それ以前にアフガンに割拠していたムジャヒディン勢力や軍閥による厳しい迫害のようすなどが、迫真をもって迫ってきます。ぜひともご一読下さい。
 
報 告 書
2001年12月30日
弁護士  大 貫 憲 介※1
 
 以下は、2001年12月下旬、入管に収容されているアフガニスタン人難民(20代・男性、ハザラ人・シーア派)が述べたことの一部である。なお、法務省は、この男性自身の迫害の供述は具体性を欠き、信用できないとしている。

<現在の心境について>

ハザラの虐殺はテレビなどで皆知っているではないか。私は、兄2人、母を戦争で失っている。私は、8日間、ご飯を食べていない(注:収容に抗議するハンストをしていた)。皆さん、私の気持ちが分かるでしょうか。母、兄を殺され、父は行方不明で、自分の身も危険で、外国へ助けを求めてくることが、いかに大変なことがわかりますか。
 私は、難民申請しないこともできた。入国して、他の国の人のように黙っていることもできたが、自分から申請した。
 それなのに、こんな所へ入れられ、アフガニスタンに送還しても危険がないと言われる。アメリカが戦争をして、タリバンを追い出そうとしたのは、理由が分かりますか。アフガニスタンは危ないのです。
 私自身、アフガニスタンを愛している。生まれ育った国を捨てて、土地や家も全て売って、ここまで助けを求めに来たのに、ここに閉じ込められた。アフガニスタンが、80%、90%危険でもいたいと思っていた。
 日本にずっといたいというわけではない。アフガニスタンが平和になるまでの一時的な庇護でいいから、一時的庇護をなぜくれないのか。ここにいる、周りの外国人から、難民申請なんて馬鹿なことをした、と言われる。しかし、私はきちんとした手続をとりたかった。
 入管職員から、アフガニスタンが平和になったんだから帰ればいいじゃないか、と言われる。だけど、アフガニスタンのことは、アフガニスタン人が分かる。これから何が起こるかわからない。平和になったとはいえない。
 それでも、一時的庇護を貰えないなら、ここから自由にして欲しい。ここにいることは、アフガニスタン人にとって屈辱だ。
 もし、アフガニスタンが平和だという証拠をくれるなら、僕は、ここを出て、すぐにでも帰ります。

<アフガニスタンは依然として危険>

皆さんは、アフガニスタンが平和になったというけれど、閣僚たちは、かつてアフガニスタンを壊した人たちで、髯を剃ったタリバンもいる。このような状況で平和が来るとは思えない。
 私は3ヶ月間も収容されている。私も、アフガニスタンが平和になって欲しい。アフガニスタンが80%、90%平和になれば、自分の足で帰る。
 確かに、テレビでは、状況が良くなっている。しかし、現在、政権をとろうとしているのは、ムジャヒディン※2(注:タリバンがアフガニスタンを実効支配する以前にアフガニスタンを実効支配していた者たちのこと。イスラム聖戦士と訳される)です。タジク、ウズベク、パシュトゥーン、ハザラ(注:アフガニスタンの各民族)が長い間戦ってきた。
 ハザラということで、他の民族から迫害される危険がある。長い戦争で、民族間の恨みは深い。
 タリバンの時代は、迫害者がタリバンであったが、これからもハザラだということで迫害される危険がある。

<ムジャヒディンによる蛮行>

 ムジャヒディンは、針のある鉄の紐で首を絞めて殺していることは皆知っている。
 ムジャヒディンが余りに残酷で、盗みや強姦が横行していた。だから、皆タリバンを歓迎した。しかし、タリバンも酷い人たちだった。
 モスクに20〜30の死体が運ばれてくる。針のある鉄の紐で首を絞められた死体、銃で頭を撃ち抜かれた死体、いろいろ見た。毎日のように死体を見ていた。
 ここで、私は、あなたにある住所を言う。そこは、かつて僕らがサッカーをしていた場所だが、現在墓場になっている。その墓には、それぞれ、どのように殺されたかが書いてある。
 僕の親友10人の中で、生き残ったのは、僕以外は一人だけ。その一人は、銃で撃たれ失明した。外の9人は、目の前で殺された者もいるし、全員が虐殺された。

<タリバンから受けた拷問>

 僕は、タリバン兵から、ワダット党※3(注:ハザラ人勢力の党、反タリバン勢力の一)のメンバーだと言われ、警察へ連行された。そして、真っ暗な、洞窟のような部屋に入れられた。真っ暗でよく分からなかった。しばらくして、10人くらいいたのが分かった。名前を呼ばれた。
 別室に連れて行かれ、台の上で手足を縛られ、銃で殴られた。鼻の骨が折れた。金属のケーブルを鞭にして体中を打たれ、みみず腫れになった。2〜30分くらい拷問を受けて、洞窟のような部屋へ戻された。次に別の者が拷問室に呼ばれた。その者が帰ってくると別の者が呼ばれた。順番に呼ばれ、一巡すると、私もまた呼ばれ、また同じような拷問を受けた。順番を待つ間、ただただ怖かった。結局、3回呼ばれ、3回拷問を受けた。1日と少し経ってから、名前を呼ばれたら、君は帰ってよいと言われた。父が賄賂を払ったと思う。そこを出られて、すぐにカブールから逃げた。一度捕
まったものは、(賄賂を払えるので)また捕まる可能性が高い。

<日本政府へのお願い>

僕が不法入国したのは十分に理解しています。
 本当に仕方のない状況だったのです。ずっと戦争の中に生きてきて、身を守るため、仕方なく、こういう形で入って来てしまったのです。
 日本に入って来て、ほんのしばらくは自由でした。そのまま10年くらい不法滞在することもできたかも知れない。しかし、僕は、合法的にしたかったので、自ら入管に行きました。違反はしたくなかったし、例え、アフガニスタンに送り返されたとしても、悪いことはしていないと誇りを持って言える。

 現在は、身も心もずたずたです。
 母も兄も死に、父の生死も定かではありません。
 血を吐いているし、夜寝られない。一人で壁に向かって喋っています。
 ここを出るときには、頭がおかしくなっていると思う。僕の人生は何だったのか分からない。
 国が平和になるまでの一時的なもので結構です。自由を下さい。アフガニスタンに平和が来たら、この国に礼を言って、自分の足でアフガニスタンに帰ります。 

 
 


 
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