「特急行」の時代

鈴谷 了



 9月某日、私用があって東京から広島まで「のぞみ」に乗った。いわゆる「500系のぞみ」である。筆者は関西出身であるため年に何度か東海道新幹線に乗るが、乗るのはほとんど「ひかり」か「こだま」である。(年末年始などは、多少時間がかかっても確実に自由席に座れる「こだま」を愛用していた)「のぞみ」に乗ったのは、500系が登場した年に名古屋まで乗った一度だけしかなかった。

 東京駅の案内板に「全席指定」と出ているのは今までにも何度も目にしたものだけれど、車内のアナウンスで「全席指定の……」というフレーズを聴くと、少しばかり優越感をくすぐられるような気がする。実のところ、筆者が今回「のぞみ」に乗ったのはこれが一因でもあるのだ。


 この10月のダイヤ改正で、品川に新幹線の駅ができる。東京の西部に住む筆者にとっては便利になってありがたいことではある。同時に「のぞみ」が大増発される、自由席も設定され、料金も引き下げられるという。と書けばいいことづくめのように聞こえるが、「のぞみ」の本数だけが増えるわけではない。早い話が「ひかり」の「のぞみ」化なのである。「ひかり」しか使ってこなかった人間にとっては「値上げ」のようなものだ。20年ほど前、当時の国鉄の在来線で急行列車がダイヤや停車駅はほとんどそのままで特急に「格上げ」される、ということが相次いだが、それが新幹線にも移ってきたようにも思える。

 こうなると、今まで乗ることもなかった「のぞみ」が安っぽくなってしまうように感じられ、そうなる前に乗っておこうと考えたのである。また、「500系のぞみ」は上にも書いたように一度乗ったことはあったものの、世界最速タイの時速300キロ運転は山陽新幹線区間だけなので、筆者は未体験だった。こちらもフランスかドイツがさらなる速度向上を予定しているという話があり、「世界最高速」のうちに乗車しておこうという腹もあった。


 土曜日の朝ということもあって、客は五分を少し超えた程度の入りである。窓際を指定した結果筆者は3列側の窓側、真ん中の席には主はなく、通路側にはビジネスマンと思しき人が座った。列車は心地よい加速で東京駅を離れ、まもなく最後の仕上げに入った品川新駅をかすめた。東京から京都までは何度も「ひかり」を利用しているので、「時間」の感覚で「のぞみ」の速さを体感することができる。前日深夜まで仕事をしたため、名古屋までの大半は仮眠で過ごしたのだが、やはり「速い」と感じされてくれる。発車からちょうど2時間を少し切る時間で米原駅を通過。東京からここまでは実際の長さにして408キロある。(東海道・山陽新幹線は運賃計算上は在来線のキロ数を使っているため、時刻表に掲載されている距離と実際の距離は異なる)つまり、ここまで平均して時速204キロで走ってきたということだ。昔の「ひかり」の最高時速が210キロだったことを考えるとやはりこれは速いと実感する。

 逆に、肝心の300キロ走行をする山陽新幹線区間に関しては乗車経験が乏しいため、そうした「時間感覚」で速さを実感することができない。しかし、車窓の流れが相当速くなり、東北新幹線の「はやて」(かつては「”速達”やまびこ」=最高時速275キロ)で経験している感じよりこれは確実に速い、と感じてまもなく車内案内で時速300キロに達したことが伝えられた。500系でも300キロでは揺れる、と聞いていたが振動は予想していたほどではない。新幹線ならこんなものか、という程度だった。筆者の乗った「のぞみ」はダイヤ通り、約4時間半で広島に到着した。新大阪あたりから観光客らしき乗客が増え、東京出発時よりも増えていたように思えた。椅子一つ挟んで座っていたビジネスマンも広島で降りた。新大阪あたりまでかと思っていたので、少し意外だった。


 新幹線は特急列車の「大衆化」に大きく貢献した列車である。新幹線開業(1964年)前の1960年代前半まで、国鉄の特急列車は文字通り「特別な急行」であって、本数も少なく、もちろん自由席などというものはなかった。しかし、朝から晩まで毎時複数の列車が決められた時間に発車する新幹線は、そうした特急の概念を覆すものだった。また自由席は在来線の特急よりも早く、開業翌年には「こだま」に導入されている。

 しかし、その一方で開業当時の新幹線には「日本を代表する列車」という位置づけもそれなりには考慮されていた。その一つは、「ひかり」と「こだま」に料金の差がつけられていたことだ。「ひかり」は「超特急」と表示され、「こだま」よりも高かった。

 しかし、山陽新幹線が岡山までのびると、東海道新幹線ほど利用客が多くないため、「ひかり」の中でも新大阪から岡山までの間の停車駅に複数のパターンが設定されることになり、料金格差は(「ひかり」は全列車ノンストップだった)東京・名古屋間を除いて廃止されてしまう。その3年後に博多まで開業した際には、新横浜に停車する「ひかり」が誕生したという事情もあり、料金格差は完全に撤廃された。

 とはいえ、「ひかり」と「こだま」には別の「格差」もつけられていた。東京から博多までを通しで走るのは「ひかり」だけだったし、「ひかり」には食堂車が連結されるようになった。その後1985年に登場した2階建てを含む新型車両(100系)もほとんど「ひかり」のみに運行され、ステータスを高める役割を果たしたと言える。


 1992年に「のぞみ」が誕生したとき、筆者はあまりよい印象を抱かなかった。確かに日本最高速の270キロは技術の点からは評価できるが、「ひかり」という代表列車があるのに別に「のぞみ」という名前を設定したことがおもしろくなかったのだ。別に「ひかり」にしたっていいじゃないか。ついでにいえば特急料金に格差と付けたことも無理に高級感を演出しているようで好きになれなかった。(全席指定については、高速列車ということもあり、仕方がないと思っていた)

 さらにいえば、「のぞみ」用に作られた300系車両が、100系ほどには魅力的な車両ではなかったこともある。「のぞみ」は誕生当時一日2往復しか設定されていなかったため、300系は当時でも昼間は間合いで「ひかり」に入っていた。それにたまたま乗る機会があって、そういう印象を抱いたのだった。(筆者は今でも100系車両は「国鉄最後の名車」と信じて疑わない)


 やがて「のぞみ」が博多までのびて(最初は東海道新幹線だけだった)毎時1本走るようになり、「のぞみ」が走っていることに慣れてくると、自分が乗らないにしろそういう列車があってもいいじゃないかという気になってくる。その頃は「速く行きたい人は『のぞみ』、ゆったりと楽しみたい人は『ひかり』」というような棲み分けがされているようにも見えたからである。そして1997年にJR西日本が500系を投入すると、「これなら特別料金を払ってもいいなぁ」と思うようになった。

 その後、700系が登場して「のぞみ」用だった300系はどんどん「ひかり」に移り、100系を「ひかり」から駆逐してしまった。(その後は「こだま」に入っていたがこの9月で東海道からは完全に撤退する)今では車両面で「のぞみ」「ひかり」を分ける要素は東海道新幹線に関してはずっと希薄になってしまった。


 今回、JRが大幅な「ひかり」の「のぞみ」化に踏み切るのは、増収という面もさることながら、航空機との競争の激化ということがあるらしい。これまで東京・大阪間のシェアは新幹線優位で推移してきたのだが、航空会社がシャトル便を始めたことや、マイレージサービスで攻勢をかけているという事情で、航空機のシェアが上がってきているらしい。JRとしてはスピードアップと「値下げ」でこの競争に打ち勝ちたいというわけである。その事情は理解するにしろ、せめて500系の「のぞみ」くらいは全席指定のまま据え置いてもよかったのではないかと思う。


 一方、東北新幹線では昨年(2002年)12月の八戸開業に際して「はやて」「こまち」が東京・盛岡間で全席指定となったが、この変更には正直なところ納得できない点が多い。「はやて」の前身に当たる「”速達”やまびこ」とスピードおよび接客設備の点で変わった点は何もないからだ。「のぞみ」の場合は一応300系車両と従来の「ひかり」より速いというポイントがあった。せめて今の「はやて」に使用している車両を「やまびこ」に投入して、時速275キロ運転を始めた時点で全席指定にしておくべきだったろう。「こまち」は、東京・盛岡間で「はやて」と連結して走る関係上、「こまち」にだけ自由席を残すとそこに乗客が殺到することを懸念しておつきあいとなったと思われる。同じ「ミニ新幹線」の「つばさ」には自由席が引き続き設定されているのだから。


 それはともかく、こうした現象は何も新幹線に限らず、日本の鉄道全体についていえることである。筆者の実家はさる私鉄の沿線にあるが、その最寄り駅につい最近特急が止まるようになった。ここの特急は料金は不要ながら、ドアが少なくて前向きの座席のついた、少々デラックス(死語?)な車両が使われている。この私鉄は二つの大都市を結んでいて、もともと特急はこの大都市の間をノンストップで走るためのものだった。この区間にはほかにJRと別の私鉄が走っていて、その間で競争を展開しているという事情によるものだった。

 だが、JRが電車のスピードを向上させながら停車駅を増やすという戦略を取ったことから、対抗する私鉄側も中間駅に特急を止めるようになった。加えて、鉄道利用客自体がバブル景気の崩壊とともに減少傾向にあり、停車駅を増やして乗客増につなげるということが必要になってきたのだ。

 実はこの私鉄の場合も、今回特急の停車駅を増やし、本数を増やすかわりにそれまで途中区間の乗客を運んでいた急行を昼間はほとんどなくしてしまった。で、広島に行った帰路に実家に立ち寄る用があって、初めて「最寄り駅に止まる特急」に乗った。確かに速いし、座れれば快適そのものである。ウン十年前、今の実家に移り住んだ当時(新開発されて間もないニュータウンだった)「そのうちここにも特急が止まるようになる」という噂がよくささやかれていたが、今になって実現したことになる。とはいえ、これもまた実質的には特急の急行化であるし、それ以前の段階で途中の停車駅が3つも増えていたので、おそらくウン十年前の噂ほどのありがたみが感じられないのも確かだ。

 同時に、急行がなくなってしまったことはやはりさびしい。筆者はもともと普通列車しか止まらない駅を最寄りとしていたので、その頃は駅で見る急行電車はとてもまぶしく見えたものだった。特急は前にも書いた通り中間駅の利用者には縁のない存在だったので、急行こそが一番「かっこいい」電車だったのだ。加えて、急行には冷房のついた新しい車両がたくさん使われていたのに対し、普通には扇風機の古い車両がたくさん使われていた、という事情もあった。それだけに、急行が止まるいまの最寄り駅に移って嬉しかったものだった。(余談ながら、自分が子どもを持つ立場になって、「普通列車しか止まらない駅が最寄り」というメリットが理解できるようになった。普通列車の場合、お客の交代が頻繁なので座りやすく、かつ電車の選択に迷わなくてよいのだ。これは特に乳児期には 大きな差になる。といってももちろん子どもにはわからない)その急行が消えた、というより特急に飲み込まれたという方が正しいのだろう。その意味では「特急行」と呼んだ方がいいのかもしれない。


 「ノンストップで速い列車が偉い」という時代は終わりになるのだろうか。航空の世界でも、自由化の波によって「フラッグキャリア」(その国を代表する航空会社)という言葉は事実上死語になっており、まして鉄道の世界で「その国を代表する列車」などというものは意味をなさなくなってしまってきているのだろう。「その国」が「その地域」「その路線」でも同じことである。

 多くの人が、できるだけ同じ条件でよいサービスを受けられることが、サービスの理想型とするのならば、「特別な列車」はやはりなくなっていく運命なのだろう。もちろん、これからも鉄道会社にはサービスの追求を続けていってほしいのであるが。

(2003年9月)


―― おわり ――