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【猫の独りごと】

「冗長」な日本の権力構造

 今回から岡野友彦さん(皇學館大學文学部国史学科)の『源氏と日本国王』(講談社現代新書)の評を連載する(第1回)。

 「将軍」ならば本来は軍事行動を指揮する権力しか持っていないはずだ。それなのに、室町幕府や江戸幕府の「将軍」は、軍事行動やそれに関係する分野をはるかに超えた政治権力を握っていた。それだけの権力を、しかも何百年という長いあいだ握りつづけていられたのはなぜなのか? それを、近代までの日本の「(うじ)」制度と、その氏のなかでも「源氏」と名づけられた「氏」の特殊性に注目して解明しようとしたのがこの本である。

 「最高権力」のありかがはっきりしないのが日本の歴史の特徴かも知れない。室町時代や江戸時代には、朝廷と幕府の両方が存在し、朝廷側にも、朝廷のほかに上皇が院政を行う院院庁(いんのちょう)があり、摂政・関白も置かれていた。室町時代・江戸時代には朝廷は政治の実権を持たなかったが、それでも院政も摂政・関白制も廃止はされなかった。そして、戦国時代や江戸の幕末に幕府の支配がうまく機能しなくなると、朝廷が政治の舞台として表に出てくることができた。

 「最高権力」のありかがはっきりしない体制は「無責任の体制」を生み出しやすい。しかし、「最高権力」のありかがはっきりしないために、大きな打撃を受けてそれまでの最高権力者が再起不能になっても、別の最高権力者が現れて事態収拾を図ることができる。鉄道でも電気・ガスのようなライフラインでも、一つの経路が事件・事故で絶たれたときにも別の経路で鉄道の運行や電気・ガスの供給を再開できるような「冗長性」を持たせておくことが重要だという。日本の伝統的な権力構造はこの「冗長性」に富んだ構造だったと言えるのではないかと思う。「無責任の体制」はよくない。けれど、だからといって権力構造から「冗長性」を失わせるのが正しい解決策とも思えない。

 政治の最高権力のレベルと、会社のレベル、町村や家庭のレベルで、どこにも同じ権力構造があるとは限らない。権力構造から日本社会を語るためにはもっといろいろな側面からの検討が必要だろうと思う。だが、「冗長性」を「ムダ」として切り捨て過ぎれば共同体の力が弱まる。それはどの共同体でも同じだろうと思う。


 ところで、この評はじつは一年越しで書いた文章です。べつに一年かけて練りに練ったというわけではありません。去年の9月に途中まで書いて、それから書く時間がなくなって、ずっと放置していて、いまになって手を入れて、ともかくいちおう完成させたわけです。そんなこともあって、従来の評に較べても長い文章になってしまい、連載終了までかなりかかると思います。なにとぞよろしくおつきあいください。それにしても、今年は秋でホームページ更新が中断するなんてことにならなければいいんだけど……。

2006年9月8日


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